2009年2月28日土曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その二

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 Nに連れられて、初めての3000m級冬山に行った時の事だ。お馴染みのKと三人だった。Nは滅茶苦茶な奴で、何と、ツェルトで三人が二晩暮らした。(Nに言わせりゃ、そんなの当たり前だろう?)北沢峠の天幕村だったがどの天幕も闇に沈んでいる。( 内張りが張ってあるのだ)うちのツェルトだけが、ロウソクの灯りで、煌々と明るく映えている。大体、ツェルトなんてうちだけだよ!
 今でも不思議なのだが、あの小さなツェルトにどうやって、冬山装備と三人の男が入れたのだろうか?……分からん。いざとなれば、何だってできるという事なのだろう。現にできたし……。
 その時、私もKも足が冷たくて、痛くて、痛いと嘆いた。滅茶苦茶なNは笑って、嬉しそう言った。
「そうだろう、痛いんだ」
 思えば、私も滅茶苦茶なNと同じになったのだ、いや、なれたんだ!とても誇らしく思える。
 しまった、寒く冷たい印象に、富士山が霞んでいる。同行の諸君も多分そうだろう。鉄砲木ノ頭で、富士を見る会を行う人は、防寒に気をつけて下さい。何せ冬の方が、富士山が見事ですから。
 鉄砲木ノ頭から更に北上すると、切通峠を経て高指山(たかさすと読む)に至るが、この手前で東海道自然歩道に合流し、歩道は平野へ降りて行くのだ。めでたくも、これで自然歩道と繋がった。何がめでたいの?……分かりません。
 三国山に戻ろう。東に延びる稜線は湯船山、峰坂峠、そして不老山。そこから河内川へ落ちて終わる。
 案内書ではないと断りながら、つい、書いてしまう。どうでも良いような、事なのに。詰まり、丹沢の地形を、語りたいのですね。済みませんです。
 昔、妻と不老山へ、駿河小山から登った。当時の、道のあるピークで、踏んでいなかったのは不老山だけだった。(分かりにくい文章で御免)今は、あちこちのピークに路が記載されている。道が記載されていない山を歩く楽しみが、減りました……。
 峰坂峠から西は歩いた事があるので、峠から東に不老山を目指した。で、峰坂峠に向かう里道で迷い、(良くある事なのだ、恐るべきは里道!)農家の庭先に引き込まれてしまった。にはにはにわにわとりがいた。冗談です、庭には二羽鶏がいた。(……)本当にいたのは、吊るされた猪、それもでかい!1m半以上はあった。ような気がするけれど……、兎に角大きかったの!
 流石、昔だ。幾ら昔でも、びっくりして、引き返した。引き返しながら、二人で笑ってしまった。え、猪がぶら下がってる?今朝獲ったのかな。ははははは……。♪二人は若~い。 (冬山のツェルトで三人暮らし その三へ続く) 

2009年2月27日金曜日

閑話 その十四

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 イラストに描けないので無関係な写真で、失礼します。
 天幕を張るに最適な場所は何と言っても締まった雪の上、次に平らな土の上、次に平らな砂礫の上、そんなとこかなあ。
 選りによって植物の上に張った話。
 Nと正月の鹿島槍に出掛け、赤岩尾根を登って高千穂平、此処で幕営なのだが広くも無い平地は既に他パーティの天幕で埋め尽くされ、我々の張る場所が無い。滅茶苦茶なNは「此処が良いや」と雪を被った這松の斜面を指差し、其の上に張ってしまった。
 確かに張れたが、一寸とでも動くとユサユサ揺れる。這松の上なので極当然の話。何でも抑えておかないと引っくり返るので、気の休まる間も無いが、Nには当然の事なのだ。
「大塚、冬の岩場でザイルで確保して、半シェラフで寝ると思えば上等だぜ」
  と平然としている。そうなんだが、揺れながらコンロとコヘルを抑えているのも面倒極まる。
 尤も此の山行でNに色々教わった。
「大塚、小便ならオーバーミトンを履け」
 成る程、靴を履く面倒が無く揺れる天幕内では最高のアイデアだ。翌々日は下山だが夜中降雪、40cm程の新雪だった。
「まだまだ、ゆっくりしていよう」
 パーティが降りて行く、二つ、三つ。
「そろそろ行くか」
 トレースが出来るのを待っていたのだ。手だれは違うなあと感心してしまった。
 本文の三度も挑戦した変な沢を詰めた時、加入道に幕営する積もりだったのが、Yの脚がつって行動不能となり、幕営可能な場所を探し廻ったが無い。結局平たい所は熊笹の上だけで、其処に強引に張って、Mは「こんなとこに張るのけえ」と驚いたが背に腹は代えられず笹の上。
 勿論ユサユサ揺れる暮らしは前述の通りで、不便此の上無しだが仕方無い。其の上其の不自然な天幕内だからこそしょっちゅうYの脚がつって、痛て!とやるたびユサユサ、結構苦労で有った。
 次もY絡み。一昔前の春、越後側から丹後山に入り、大水上山から尾瀬へ抜けた。二泊目はにせ藤原山だったが、ピークは(狭いのだ)雪が消え笹、雪面は斜面で有った。
私「この斜面を蹴って平にして張ろう」
Y「あの笹の上が良いよ」
 斜面が嫌だっと後でYから聞いた。そして又もや笹の上の天幕で、又もや不自由極まり無い生活だったが、Nの言うが如く岩にぶら下がって暮すと思えば、まあ天国ですな。
 他には後に本文に出て来る、Zと行った中央アルプス南部の此れ又笹の上の幕営。此の山行は椿沢やにせ藤原山とはランク違いの苦労で、それは本文のお楽しみって事で、今回はお仕舞いです。

2009年2月25日水曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その一

 

 三国山付近の話。急に西の外れになった。FH000021
 言う迄もなく、相模、甲斐、駿河の三国々境の頂。何で古い国名を書くのかって?人間が古いからです。
 頂直下を道が走っている。御殿場から山中湖へ抜ける裏ルートだから、結構皆さん通っている。だから、道の上の小ピークと思われているかも知れないが、偉い誤解だ。
 山中湖から丹沢西端の山々を眺めれば丘、本当に唯の丘にしか思えない。その丘に登ると、相模側(神奈川県側)は、深く落ち込んでいる。武田信玄が北条を攻めるには、駆け降りれば良かった訳だ。逆が無かったのは、良く分かる。
 攻めて駆け上がるのは、空身でも嫌だ。増して、具足をつけて、槍を担いで、食料を背負ってなんて、考えるだけで、キツイ!私なんざ、銃殺覚悟で敵前逃亡です。
 三国山から西に延びる尾根は、籠坂峠で富士山につながっている。丹沢は富士山と尾根続きなの、ご存知でしたか?その尾根を大昔歩いたが、済みません、気持ちの良い林の中としか、記憶がありません。峠を見下ろせる所で引き返したのだが、車の行き交う国道に降り立っても、仕方ないと思ったのだろう。何せ、大昔の事で……。
 三国山から北に向かえば鉄砲木ノ頭。三国山が樹林の山に対して、草山で展望抜群である。唯、足元の山中湖との標高差が300mしかないので、山にいる気が、一寸としない。振り向けば深い谷だが、暗くて印象に残らないだろう。勿論丹沢の山々も見えるのだが(此処も丹沢なんだから当然である)、普通は、圧倒的な富士山の姿に目を奪われて目も呉れない。(私は別ですよ、丹沢方面を喜んで見てます)
 昔、仲間五人で、二月に富士を見る会を催し、鉄砲木ノ頭の頂に立った。快晴だったので、富士はバッチリだったのだが、風がもろに当たるので、とても寒い。でも、用意に怠りはない。皆でツェルトを被り、バーナーを出してコーヒーを沸かす。暖かい!…… 顔の周りだけは。皆口々に騒ぐ。
「足が、痛い、千切れる!」
 おい、我慢が足らんのだ。冬、山で風に吹かれれば寒いものなの!足が痛いくらい当たり前だろう、何だってんだ!(頷いた人は、私と話が合うと思います)
 この時は、そうだろう、痛いんだよね、と答えて笑ってしまった。そう、思い出すとNも同じだった。

2009年2月22日日曜日

閑話 その十三

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 上河内岳を語った閑話でダイオードのヘッドライトにふれた。で、今回はヘッドライトの話です。
 三昔以上(四昔に近い)前はヘッドライトは一般化しておらず、海中電気に紐を付けて肩に掛けたり首にぶら下げたりして夜道を登ったものだ。大倉尾根がメインルートで、麓から見ると点々とライトが続いていた。
 三昔前からヘッドライトが一般化したが、電池の性能が悪い為、単三電池四本タイプなので大きくて重く、炭鉱夫の装備に近かった。(と言っても分かります?)
 それから数年で今の形の物になったのだから、技術の進歩とは素晴らしい。普通の豆電球の時代が二十数年程続き、突然ハロゲンが現れて驚いた。ガスも通す威力(それ程では無いのだが)、あたしやあ相変わらず豆電球、凄いなあと思っているうち、皆ハロゲンになっちまった。テントから出るとハロゲンの白い光が右往左往していて、黄色い蛍の光はあたしだけ。一寸と恥ずかしくは有るけど、何の遠慮が有りますか。
 そしてハロゲンにダイオードを組み合わせた標準型の時代となった。此れは優れものでダイオードで全体を照らし、必要な時はハロゲンに切り替えて一点を照らす、しかも燃費に極く優れているのだ。従って皆そうなった。
 フッフッフ、皆では無い。あたしゃあ今でもイラスト通りのオールドタイプで、二十年使用しているからゴムは延び放題、頭に止まらずずり落ちるし、ネジは馬鹿になって下を向きっ放し、ヘッドライトと呼ぶもおこがましい単なるヘッドライト型懐中電灯に成り下がった物を後生大事に使っているのだ。言わせて貰えば、我ながらアホじゃ!
 山中では今回で終わりだと思うのだが、帰るといそいそと仕舞ってしまう。従って下手すると一生使う事になる。おいおい、良い加減にしろよな。はい!
 でも使えるし、それ程は不自由しないので(どえりゃー辛いでかんわ、って目に会わないので)、取り替える気になれない。性分です。コヘルだって変な鍋の蓋を取り付け(イラストにも有りました)、未だに使ってる奴なので当然の事。
 ま、夜間に登る事が無くなった(出来なくなった)のが最大要素で、もし夜間に行動しているならば、あっという間に新型に代えていただろう。
 今使用するのは天幕の中か小屋の中が主で、頭に着けられないので首から下げて必要な時にスイッチを入れるのだが、スイッチも馬鹿になっていて一発では点かないのだ、えっへん。(涙)
 最早ヘッドライトとは違う品物では有るが、長年連れ添ったよしみは切り難く、きっとまだまだ使い続けるのでしょう。幕営地で首にヨレヨレのヘッドライトをぶら下げたおじさんが居たら、多分あたしです。

2009年2月21日土曜日

ヒマラヤよりも丹沢 その四

 

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 きっとそうだろう、幸せの青い鳥は、そばにいる!気づかないだけ……。妻や子供達は海外に憧れる事夥しい。丸で、♪~たんたん狸の金時計、~センスの無い事夥し~♪と、私には思える。
 海外旅行より、よっぽど伊豆の温泉の方が良いもんねー!大体からして成田に行くだけでウンザリ、とっとと家に帰りたくなる。だから伊豆が大好き、海外登山より海外旅行より全国高級旅館巡りより宇宙旅行より……、あ、待って!宇宙となると話が違う。
 私の夢は、銀河系宇宙を足の下に見てみたい、という事。(死んでも無理だろうなあ)せめて、地球軌道(念の為。地球の周りを回る軌道、分かり切った事を失礼しました)でも良いから、宇宙に行きたい。
 それでも、一応シュミレーションをして見ました。たとえば火星旅行の切符が、チョコレートを買ったら入っていたとしよう。(有りましたね、似たような映画が)で、勿論行きます。
 地球が地球に見えているうちは良いだろう。地球が唯の明るい星になったら、寂しいだろうなあ。その上退屈だろうなあ。なぜって、行って帰るのに、上手くいっても一年半。毎日星しか見えない生活……。多分船内は狭いし。その上筋力は再起不能に衰え、カルシウムは溶け出し放題。戻って来れば地球の重力に耐えられず、体中の骨が折れ、帰還祝いで一杯やる間もなく、お葬式。矢張り、伊豆の温泉が良い!
 疑う人は、一度火星に行って来れば良い。絶対止めないもんねー。
 伊豆で露天風呂に入って、酒を飲んで、刺身を食べて、鯵の開きを食べるのだ。火星に行って来て死ぬより余程良いに決まっているじゃないか!それに伊豆は近い。海外なんざ話の外。成田に着く頃にはこっちは伊豆に着いちまって、温泉に入っているよ!!!
 話が訳分かんなくなってしまった。三ツ峰に戻りましょう。で、冬の物見峠の景色がとても良かったんです!(引っ張るだけ引っ張ってこれです、失礼しました。あ、見捨てないで!)
 大山にはあちこちから登ったが、山頂近くから諸戸へ下る道をやろうとした時は失敗した。当時の地図には黒い破線が記載されていたのだ。処が入り口が無い。大山山頂付近は意外と藪が深いのだ。うろうろ探し回った末に、諦めた。
 逆に諸戸から詰めると決めた。詰めなら藪でも突破するしかないから。だって、登るだけ登って、今更戻る訳にはいかないでしょう。詰まり、背水の陣を張った訳。最早あたしゃあ漢の乾信だ!(違うって?)
 諸戸からは営林署の路が有った。難なく頂上近くの登山道に、ひょっこりと出た。何だ、此処だったのか。昔の話だから、今もそうかは、保証しません。
 大山は、南から見ると三角に聳えて見える。鋭く尖った山容だ。東から見ると、丹沢連峰の左端に、堂々と位置している。天晴れ夕映えの丹沢の重鎮なのです。

2009年2月18日水曜日

休題 その三

店 006

 無職寸前の契約社員とプロフィールに有る通りの境遇だが、仕事仲間が面白い。
 チラシで求人を見、説明会に行ったが、算数や国語、一般常識の試験をして面接かと思いきや、仕事の説明をし、即写真を撮り証明書を造り、勤務先を発表して解散で、集まった五十人からの人間は唖然、全員採用なのだ。
 あたしの配属先は三人、これが全員(飲んだ時に分かった)射手座でB型、確率的には1728分の1(間違いかもしれないけど、酔ってんで失礼)、顔を見合わせ大笑い。一日違いで又一人配属されて来たが、彼も射手座(B型では無かった)、四人共とは珍しい事夥しい。
 紆余曲折を経て、四人の内二人が残り、雇用形態の異なる二人が加わったが、射手座とは無関係で、確率的には少しまともになった。
 処が、あたしを除く三人は出版経験者、一人は宗教哲学、もう一人は構造力学、此の二人の本は現役で販売されていて、残りの一人はタレント本のゴーストライター。気の毒な成り下がり者が期せずして一同に会した訳。
 分野は異なるが、物知りだらけで、何の話が出ても誰かが詳しく、感心するばかりだ。
 面白いのは、宗教哲学の彼を除いた二人がやけに血の気が多い事で、あたしゃあそういう人間と不思議と馬が合い、話を聞いては喜んでいる。
IT「バスで前の女の子の音楽がシャカシャカ煩いのよ。煩いよと言ったら、其の女がチッと舌打ちしやがって、ボリューム を上げやがんだ」
私「へー、人を見る目が無い奴だなあ」
IT「俺は怒鳴った、馬鹿野郎、小さくしろって言ってんだ!誰もてめえの音楽なんざ聞きたかねえんだ!」
 で、バス中シーンとした、当然だ。
SH「シルバーシートに女高生二人と若いサラリーマン二人が座ってんだ、俺は其の前で吊り革にぶら下がってた。女高生二
 人が降りて 行くから、おいお前等、具合悪いんだろう、それにしては元気そうだな!」
私「ほう、言ったね」
SH「サラリーマンにも、お前等もだよ!と言っといた」
私「偉いなあ!」
 IT、SH二人共喧嘩がやけに強く(見た事は無いけど)、しかも好きな様だ。自分に無いものを求めるのが人の常、馬が合う筈だ。
IT「通勤電車で喧嘩してんのよ、踏んだとか踏まれ たとか言ってさ」
私「よく有る話だな」
IT「止めようよ、混んでんだし皆の迷惑だよ、と言ったら、一人が降りろって言うから次の駅で降りたよ。そしたらそいつ
 が、やる気か、俺は空手五段だぞ、って言うんだ」
私「降りろってそいつが言ったんだろう」
IT「そう。物も言わずそいつの顔面に一発かましてぶっ倒し、其の侭電車に飛び乗ってドアが閉まって、バイバイ」
私「はっはっはっは」
 済みません、下らないですよね。でもITやSHの行動は大好きです。今、世の中が失ってしまった大切な何かが見事に残っていて、極めて貴重な精神だと思えます。

2009年2月16日月曜日

ヒマラヤよりも丹沢! その三

 

 

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 とても風流です。ダニに食われないように気をつけて下さい。つつが虫病とかが有るので、山ダニも馬鹿にできない。命に関わる事も有るらしい。松田駅でそのポスターを見ました。
 で、そういう諸君を見かけると己を忘れて、何と物好きなと呆れる。(男女問わずです、念の為)おいおい、もっと良い山があるだろうに。え、私の事ですか?成る程……。
 今では路になって、手作りの道標くらいあるのでは?あ、確認していません、責任は持ちかねます。念の為。
 で、大山の北北東にも三ツ峰が有る。大山三ツ峰とも、煤ヶ谷三ツ峰ともいう。急な上り下りには鎖や梯子が付き、標高こそ低いが面白い山だ。
 頂上が狭い。二つあるのだが、両方狭い。季節の良い時は人が多くて弁当を広げる場所も無い。かといって、外は急斜面か鎖場で、弁当を広げるには、危な過ぎる。笹や鎖にぶら下がって弁当を食べるのが趣味なら別だが、それにしても、通る人の邪魔になる事夥しく、とても迷惑だと思うので、やらないで下さい。
 冬の日、妻と登った時は小雪がちらつき、流石に一パーティしかいなくて、震えながら弁当を食べられたが、とてもラッキー(?)だった。此処は寒い日、雨の日、槍の降る日が穴場です。
 別の冬、単独で煤ヶ谷から物見峠経由で、三ツ峰を目指した。正規のルートである。で、ですよ。峠に着きました。何を勿体ぶってんだよ!では、最初に謝っちまおう。御免なさ~い。
 峠に着くと、視界が開ける。向こうに見えて来るのは、表尾根から三ツ峰(大山三ツ峰でなく、丹沢三ツ峰)への山々だ。これが、雪を覆って

  夜叉神峠から厳冬の
   白峰の山々を見たような、

   常念乗越から厳冬の
    穂高の山々を見たような、

 感動を覚えてしまった……。いやー、お恥ずかしい。(汗)しかし、偉く感動したのは、本当に本当なのです。……笑って下さい。
 私は、ヨーロッパアルプスでも、ヒマラヤでも、マッキンレーだろうと、比べれば丹沢が良い!絶対良い!
 おい、行った事あんかよ?
 無いね。行かなくても分かるのを、感性というの、知ってる?(読者の皆さんに喧嘩を売ってるんでなく、自問自答です)
 ヒマラヤの天幕の中で、長谷川氏(日本の誇る登山者、故人)が見ていたのは、故郷の、日光の五万図だと、手記で読んだ。堪らなく日光の藪山が恋しくなったと。 (ヒマラヤよりも丹沢 その四へ続く)

2009年2月15日日曜日

クソ面倒な話 その一

店 005

 

 南部陽一郎氏他二名の方がノーベル物理賞を受賞、大変目出度い!
 が、南部陽一郎氏の対象性の破れの起源の発見には、?と思ってしまう。
 何だと、お前みたいなド素人が何を言う!!!阿保、馬鹿、基地外(2チャンネルじゃないって)、世界最高水準の科学者及びノーベル賞を冒涜するのか、じゃあお前は何だ、この戯け者!!!
 ま、まったくその通りです(汗)。
 誰かが対象性の破れの起源の発見には、?と言ったら、きっとあたしが投げ掛けるであろう言葉を列挙してみました。
 ド素人だから言う訳で、理論自体が理解出来ないのは当然過ぎるので置いといて、問題は理論の前提のビッグバンなのだ。誓って南部教授を誹謗するのでは無い。?はビッグバンに付けたのです。そもそもビッグバンって有ったの?
 このド素人が、何を……(略)。
 お断りした様にド素人だから平気で言うのだ。1mmより遥かに小さな宇宙がある時突然爆発的大膨張を起こし云々。??????
 其の小さな宇宙(?)の周りは何だったの?「だから、それが全てだったの!」 (???)
 何時、何処で、何のきっかけで始まったの?「だから、180億年位前で、場所は特定不能、理由も不明なの!」 (???)
 其れは物質の事?空間の事?「だから、滅茶苦茶高温状態の想像不能な急激な膨張では空間も物質もごっちゃなの、数秒で物質が形成され、それが対消滅しないで済んだ訳を南部陽一郎氏が解き明かしたんだ!」 (???)
 空間が粒子を生み出すのは知っている。仏教に言う、色即是空空即是色の世界でしょう。じゃあさ、空間と物質が別れた後物質も大膨張を続けたんだろうけど、だって、その頃の宇宙は水星の公転軌道位の大きさだったんじゃなかったっけ(当てずっぽうだけど)、其処に全宇宙の物質が詰まっていたんだから、そう考えざるを得ない。で、何時物質は膨張を止め、空間だけが膨張を続ける事になったの?「だから、物質が安定した時なんだ!」 (???)
 数秒後(一説には3秒後)だよね。どうして物質は膨張を続けないの?「だから、拡がるのは空間だけなの!」 (???)
 全然分かんないけど良いとして、宇宙のバブル構造が発見され、180億年位の時間じゃとても構成出来ない事が明らかなんだけど、矛盾しないの?「だから、此れからもどんどん研究するんだよ、分からない奴だな!!!!」
 ??????
 欧米ではビッグバンに疑問を表明する科学者が増えていると聞く。日本では教科書もプラネタリウムもビッグバンに一点の疑問も持たない。そういう記事も載らない。
 あたしゃあどう考えても納得出来ないから正直に、分からないと言うので有って、どなたか分からせてくれれば、勿論即素直に納得する。でも、素人にビッグバンを納得させるのは、さぞや至難の技でしょうね。

2009年2月14日土曜日

ヒマラヤよりも丹沢! その二

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 大山川を詰めた時は爽快だった。蛭がいなかったからかな。
 蛭は忘れよう。大山で豆腐が名物なのはご承知の通り。S、K、そして別のKと降りて来て、豆腐料理の店で風呂に入り、宴会になったのだ。
 山から降りて来て入る風呂は、こたえられない!疑う人はやって見るべし。特にこの日はガスった寒い日で、一面の雪、頂上では無闇と冷たい風に吹かれに吹かれ、私もSも手が利かなくなり、Kにリュックを閉めて貰う有様だったので、特別に風呂が素敵!
 頂上で、私は余りの指の冷たさに指を銜えて暖めた。
私「S、指が真っ白になっちゃったよ」
S「俺なんか指が透き通った、ほら」
 本当に透き通っていた。凍る寸前、凍傷寸前。十字懸垂のSにも、指の冷たさに弱いという弱点が有ったのだ。Kは少なくとも指の冷たさには強い。酒には弱いけど(お前と同じだろうって?はい!)
 中年になって、つくづく分かったのは、山で何を焦る必要があるの?という事。急いで登り、せっせと歩き、走り降りて、慌ててバスに飛び乗る。ねえ、貴方、そんなに急いで何処に行くのかね?
 悟った。ゆっくり山を楽しみましょう。
 ばれましたよね。そうです、急ぎたくても、急げなくなったんですよー。ま、事実なんだから否定は野暮、自然体で良いのだ。
 で、この日の風呂の後、豆腐が美味くて、飲む事飲む事、バスの最終だと促され(終バスに間に合うよう教えてと頼んで有った)、バス停が遠かった事。不幸な事に、停留所からうーんと遠い上に、酔っ払っていて、真っ直ぐ歩けないので、尚遠い。ギリギリ間に合って目出度い。自然体も適度が、肝心ですな。
 大山から南へ伸びる尾根。今は地図に路があるのだが、昔は(もう断るのも面倒になった)当然路はない。善波峠から登った。踏み跡は辿れた。でも長くて、蓑毛越に着いた時には、大山に登る気は失せて、とっとと降りてしまった。その尾根をやって見ようと思う人は、下りをお薦めです。秋晴れの一日、相模平野に向かいぶらぶらと下って行くのは、きっと最高でしょう。
 前にも触れたが、大山東面の藪尾根(当時)を、S、K、( しょっちゅう出て来る、我が侭でうるさい諸君)とそのお仲間を何度も連れ込んだ。降りてからの温 泉がメインなのだが、皆さん、藪っぽい尾根には、うんざりしていたらしい。気の毒したね~♪
 皆の嫌がる藪尾根で、たまに同好の士と出会う事が有った。何が面白いのか(おいおい、お前に言われたくない。だよね)、地図を片手にきょろきょろしている。女性のパーティの事もある。え、こんな物好きは男の特権じゃないの?
 男のすなる馬鹿を、女もしてみんとてすなり。 (ヒマラヤより丹沢! その三へ続く)

2009年2月13日金曜日

閑話番外 その一

 

閑話十二と十三に挿入写真が有るが、此れは試しに当時の(詰まりネガの無い)写
真をスキャンしたもので、矢張り平べったくて荒くて、どうし様も無い物で有る。
駄目だった……(涙)。
話に出て来る山なり情景を、一寸と挿入したいという目論見は消えて諦めがついた。
泣き言を述べてしまいました。

閑話 その十二

イラスト4

 履物ついでに地下足袋です。
 加藤文太郎は何時でも(積雪期は違うだろうが)地下足袋を履いて山を歩いたと聞く。大きなキスリングを背に地下足袋の男が風の様に歩いている、見たら加藤文太郎だったと、何かで読んだ。その真似では無く(真似出来っこないし)地下足袋は愛用している。
 きっかけは小雨の勘七沢で有る。

店 004

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 F2に取り掛かった時は他のパーティの訓練中だったが、「どうぞ」と譲られ、一同見守る中を登った。履いていた登山靴が滑り、危なさと恥ずかしさで冷や汗を流した。
 で、沢には地下足袋と草鞋と決心、装備を変えたら岩に馴染む。コケでぬるった岩も大丈夫、やったー、こりゃ良いや! それからは、積雪期と縦走以外は地下足袋になった。ん、矢張り加藤文太郎の影響も否定出来ないかもしれない。と言うのは、地下足袋は沢以外では無力で有る。林道では石が食い込み酷く痛い。ザレ場、ガレ場、土場では蹴込みが効かず難渋する。岩の上では足裏に感覚が伝わる利点は有るけど、小さなスタンスに爪先を掛けて体重を預けるには無理が有る。
 へっへっへ、自覚しちまった、ファッションですなあ。あ~恥ずかしい(汗)。
 でも、履き慣れると軽いし、かさばらないし、メンテが楽だし、安いし、言う事無しの優れ物と思えて、愛用しているのです。
 軍足を下に履くのだが、弛ませて親指のスペースを造る。一昔前、其のスペースが充分では無く、右親指が圧迫され、帰宅したら爪が見事な紫色になっていた。詰まり、爪は死んだ。やがて紫の爪は落ち、新しい爪はへの字に盛り上がっている変な物だった。今でもそれに近い状態が続いている。別に生活上の不自由は無いんだけど、爪を切るのが難しいの。それだけが一寸と困る。すっかり懲りて、其れからは親指つきの軍足にしました。
 二昔前の晩秋、妻と北八ツの天狗岳へ行った。妻は軽登山靴、あたしゃ穴のあいた地下足袋。嬉しい事に薄っすらと雪、景色は美しいが、穴のあたりが耐え難く冷たくて痛い。予備の厚手の靴下を履いたら、ぴたっと痛みは消えた。至極当たり前なんだけど。
 何で厚手の靴下を履けたかと言うと、履物は何でも大きめという方針なのだ。靴なんざブカブカ、中で足が遊んでいる。従って地下足袋もブカブカ、其れが身を助けた訳で有る。
 地下足袋で困るのは、足裏の痛さは別にして、藪の中で指の又に笹やら草やらが引っ掛かり、文字通り足を引っ張る事。唯でさえ鬱陶しい思いをしているのに、追い討ちを掛けられるのは意外と嫌なものだ。
 と、欠点の多い地下足袋だが、天気の良い日の稜線漫歩には最適、軽々と歩けますよ。(多分)

2009年2月12日木曜日

ヒマラヤよりも丹沢! その一

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 大山の章で有る。昔から丹沢の玄関といわれている。落語ネタにもなっている程歴史が有り、馴染みの有る山だ。ケーブルカー迄有り、旅番組にも登場です。わ、大山が出る、とわくわくして見ると、大抵がっかりしてスイッチを切る。NHKが真面目に撮ってくれるのを待つしかない。
 私が初めて丹沢に登ったのは、中一の時の大山。皆さん雨降神社の周りにたむろって居て、裏に回らないが、裏からは丹沢の山々と富士が見えるのですぞ。表尾根の向こうに富士山。中々いける図なのだ。中一の少年(私)は三ノ塔が目の前で、簡単に行けそうだな、なぞと分からん事を考えていた。本当に、簡単に行けそうに見えますよ。
 二年前の夏、Yと石尊沢を詰めた。例の通りマイナーな沢ですなあ。唐沢峠を越えて川原へ降りる。古い本によると、そこいらは綺麗な滑(なめ)が続くとなっているが、え、嘘、もろゴーロの川原じゃんかさー。(失礼、しょっちゅう使うが、おじさんに似合わぬ下品な言葉遣い)幕営だったので、ゴツゴツの川原を離れて枯れ草がふかふかの所で張ると決め、枯れ草を蹴飛ばして平らにしていると、Yが叫んだ。
Y「あ、駄目だ、蛭がいる!下の川原に移ろう」
私「え、良いよ、蛭ぐらい」
Y「凄く沢山、あ、ザックにも!」
 ザックに茶色い奴が幾つも付いている。
Y「大塚さんにも!」
私「げー!」
 地下足袋にも、ズボンにも、めくると軍足にもうごめいている。手の速い奴は何処にでもいるもので、既に食われた痕から、血まで流れているんだ。わー!
 剥ぎ落とし、二人で互いにチェック、背中や脇等。付いていました、あちこちに。煙草の火を押し付けて落とす。
私「あ、あちっ」
Y「仕方ないの!我慢して」
 他人の辛さは、平気で我慢できるYなのだ。
私「移ろう」
Y「だから、移ろうって言ったんだ」
 即撤退、ゴーロの川原に天幕を張った。石がもろ食い込んで、痛くて辛い夜だったが、蛭に襲われないだけ増しだ。
 音も立てず、気配もなく、全く気づかぬうちに、血を吸う吸血鬼。不気味だ。好きになれない。丹沢で嫌いなのは、蛭と、夏の暑さと、植林と、どうしようもないザレと、山ダニと、……切りがないから止めます。
 大山川を詰めた時は爽快だった。蛭がいなかったからかな。 (ヒマラヤよりも丹沢! その二へ続く)

2009年2月11日水曜日

閑話 その十一

店 002

 ナーゲルの話を一つ。和訳すれば鋲靴ってとこだろう。ビブラム登場迄の靴のスタンダードだった様だ。登山靴、軍靴、作業靴、そしてインディン・ジョーンズの靴。
 絵を出せれば簡単なのだが、底だけなので拙い文章で説明を試みよう。(え、無駄だって?遣って見なきゃ分からん!)
 さて、ぺっぺ(手に唾を掛ける音)、当たり前ながら革靴で、折り返しが付くのが普通だが、折り返しは今は無いので、靴の上に余分な皮が付いていると解釈して貰いたい。何に使うかと言うと、それを持ち上げて上にゲートルを巻く為なので、ゲートルとは何だと聞かれたら、本題と違うので答えを保留する。
 本題は底だ。ゴムでは無い。皮を重ねて張り合わせ、踵部は厚くし見事に靴底を造る。革靴でビブラムを張る基底部はそれに近く、其の皮部分全部が靴底になったと思えば基本的にOK!
で、皮が底なら消耗が激しい。何せ、登山や戦争やインディン・ジョーンズをやってる訳だから無理も無い。なおも悪い事に皮は滑るし、岩の上でインディン・ジョーンズが滑って転んだら映画は、はいそれで終わり。
 鋲を打って皮底を保護しよう、そうすれば減らないし、滑らないし。軟鉄のムガー、クリンカーを打って出来上がり。やった!ばっちり皮底が保護されたし、滑らなくなった、万歳!
 そして登山靴や軍靴やイン……、止めよう。でも重くなった。鉄の鋲だらけなんだから。滑らないとは比較の問題で、ビブラムから見れば滑る滑る。濡れた岩とは確かに相性が良くて食いつくが、乾いた岩とかコンクリートの上では、ローラースケート状態だ。駅でも町でも気が抜けない。
 土の上、固まった雪の上では威力が有った。あたしが始めて買った皮製の登山靴が、ナーゲルなのだ。十七の春の事。当時でさえ、売ってはいたがナーゲルは時代遅れだった。おまけに高価で有った。何故貧乏貧相なくせにナーゲルに手を出したかと言うと、ナーゲルを履くと正しい歩き方が身に付くと何かで読んだからで、前にも有りましたね、そんな話。で、正しい歩き方が身に付いたの?聞かないで!
 初めて履いて行ったのが雨の大蔵尾根、絶好のシュチュエーション、赤土の斜面を雨に打たれつつ登り、鋲が赤土に確り食い込む。 一発で惚れ込みました。

店 003

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Iと登った春の槍沢、表面がクラフトした雪面にナーゲルが食い込み、細かい氷が氷面の上を滑り落ち、チリチリと鈴の様な音を立てる。アイゼン無しで十分だった。
 大好きで自慢の靴だったが、保守が大変だ。鋲はどんどん抜ける、底皮も痛む。でも修理出来る店も人も居なくなる。部品も手に入らなくなって行く。底皮は一回張り替え、全面トリコニーという凄まじい物にして、鋲の脱落は防げたが、一段と重くなってしまった。喜んで履いてはいたが内心気づいて来て居た。こりゃあちと辛いな。で、ビブラムに履き替えた。
 世の中がナーゲルを捨てたのは偶然では無い……。大体、ホームで滑って転び掛ける恐怖は、不要では?
 罵って下さい、結局あたしは使い易く、保守の楽な物が良いミーハー野郎です!

2009年2月8日日曜日

ただ一人の贅沢な夜 その三

 

FH000099

 話は戻り、ローソクの灯りで酒を飲む。唯々、静寂。最高に贅沢な夜なのだ。勿論寂しくは有るが、その寂しさこそを、楽しむべきなのだ。其の上この贅沢には経費が大して掛からない、という特典が有る。是非お試し下さい。あ、失礼、皆さんやってるに決まっているか。
 加入道から北へ向かう尾根は微かな踏み跡だったが、今は地図に路が有る。その踏み跡の時代。五月の風が爽やかなある日、道志村へ下って行った。麓の農家が見える。何か立っている。近づくにつれ、ノボリと鯉のぼりだと分かった。でも大きい。大体農家が大きいのに、左右に屋根より遥かに高く聳えている。もっと下ってやっと分かった。ノボリは風林火山、詰まり孫子四如の旗だ。
 屋根より高い鯉のぼり、と四如の旗。甲州都留郡の面目此処に有り、流石信玄公の国だ、と偉く感動致した事が有りました。そうです、私は、武田信玄公のファンなのだ。鯉のぼりの歌も大好きです。あ、いらかの波と雲の波、重なる波の、中空にー♪の方です。一度、本気で最後迄歌って下さい。感動する事、疑いなしです。私なんざ歌ってると泣けて来ちまう。
 そう言えば、早稲田の同期会か何かで校歌を歌い、三番の「集まり散じて人は変われど」のフレーズで必ず泣き出す人がいると、何かで読んだが、さも有りなん。わたしの友人にも「長崎の鐘」を歌うと必ず泣くのがいる。人それぞれ、泣ける歌が有ってこそ幸せなのでしょう。
 ちなみに大室山から東に向かう尾根が、相模と甲斐の国境で、大室山から延々三国山迄続いている。諸窪沢ノ頭からは東海道自然歩道だ。諸窪沢ノ頭から東南に行くと、畦ヶ丸へは僅か三十分弱で着く。そう、畦ヶ丸は相甲国境から相模側へ外れているのだ。
 大室から諸窪沢ノ頭へ向かう相甲国境線は、右直ぐ下に道志道が望め、左は唯々山と谷が続くと言う変則的な尾根筋で、細かいアップダウンは煩いが、結構楽しい山道では有るし、余り人と出会わない主稜線なのだ。そうです、此処は丹沢の背骨の一部なのですぞ。
 加入道山の避難小屋に泊まらず、ブナの巨木の下で幕営した事があった(前にも書いたけど違反なので内緒だよ)。ガスの深い夜だった。仲間と一緒だったので、小屋は避けたのだ。一晩中雨が降っている。天幕にぽつぽつと、小降りなのだが雨音が絶えない。明日は回復するかと心配な一夜であった。
 翌朝は曇り。出て見ると天幕の周り、正確にはブナの巨木の周りだけが濡れている。つまり、ガスがブナに付いて水滴となって、あたかも雨のように落下していたのだ。思わず仲間と笑い合った。何だ、俺達だけが雨降りだったのかよ、はははは。横浜の人は幸せだ。丹沢が有る限り水に困る事は無いだろう。
 大室山は西丹沢の盟主で有る。何処からでもどっしりとした姿が分かる。その代わり、どう登っても、長い登りにうんざりさせられる山では有る。もっとも白石峠経由で登れば割と楽ではある。道志側から登ればもっと楽だ。その代わり加入道も登らなくてはならない。良いじゃない、どうせセットの山なのだから。山の感じも甲乙着けがたい味わいが有って、地味な静かな山が好きな人向けです。
 そう言う私には、大室山は今でもその姿を見ると、空に“喝采”が流れる山なのである。(分からない人は、「三度も挑戦した変な沢」を参照して下さい)

2009年2月7日土曜日

休題 その二

店 001

 地球に優しいという言葉が嫌いです。従って地球に優しいという言葉が嫌いな奴を嫌いという方は、此処を飛ばして下さい。
 本来、男は好き嫌いを口にするもんじゃ無いとの考えだが、余りに当たり前の様に地球に優しい大合唱が聞こえるので、此処には殆ど誰も来ないんだから、異議を申し述べてもバチは当たるまいと書く事にしたのです。
 地球に優しいとは勿論生物環境に優しい(?)の意で有るのは分かっている。もっと明確に言えば、人類にとって宜しいとなる。生物環境に宜しいとは、個々の生物を愛おしむ気持ちも有るだろうが、結局は其れが人類にも宜しいし、人類外生物に人類は完璧に依存しているからでも有ると思う。
 何故ハッキリと人類生存にとってより良いと表現しないのだろうか?お説教っぽくて詰ま らないからだろう、多分 。
 それより、地球に優しいと表現した方が如何にもあらゆる物を包括し其れを大切にしましょうと思わせる、良く考えたコピーだ。
 世の中には臍曲がりが居るもので、嘘くせー!!と感じてしまう不幸者、たとえばあたしなんかですな。 何処が嘘っぽいかというと、地球は優しくして欲しいとは思っていないし(地球は考えない!)、人類や生物が死のうが絶滅しようが、何の関係も無く太陽系の第3惑星で有るだけで、勿論それ以外の何者でも無い。
 一歩譲って地球を擬人化するのは良いが、優しくするとはこっちが保護者の言い方であって、勘違いにも程が有るとはこの事。まるで水槽に飼われているメダカが「おい飼い主、お前に優しくしてやるぞ」とのたもうたと同じ?否、もっと酷い。もしメダカがそう言ったら可愛い。人類が地球にそう言うと、傲慢愚劣。
 何とかという方程式(何だよ?)が有って銀河系に高等生物の存在する確率を弾き出すのだそうだが、変数が定まらず解は不定でも、一応100~1000らしい。1000~2000億の星系のうちでだ。詰まり地球は奇跡の一つで有って、掛け替えは何処にも無く、SF映画の様な宇宙移住なぞ夢の中の戯言で、地球に住めなくなれば人類は皆死ぬだけだ。例外は無い。ま、さっぱりしてて良いや。
 地球を擬人化して何かを言うとしたら、有り難う御座います、大切に致します、慎ましく暮す事をお許し下さい!が正しいのではないのだろうか? 地球に優しいなぞと聞いて、何とも思わない(と見える)世の人々や特にそれを言うマスコミや企業の正気を疑ってしまう(え、あたしの方が変だって?多分そうでは無い)。
 好き嫌いだからあくまで感性の問題だが、耳障りの良い空虚なスローガンは止めて貰いたい。本当の事を言うのは結構だ。クーラーは全廃、車は一切廃止、エレベーターは取り外す。少なくとも生物環境には優しいでしょうなあ。でも暴動が起きるかな?

2009年2月4日水曜日

ただ一人の贅沢な夜 その二

FH000086

 大室山と加入道はセットと書いたが、両ピークの間のアップダウンは意外と大きい。最低鞍部を破風口という。何だか凄く洒落た名前で、高校生の頃から、印象に強く刻まれている。ね、そう思いませんか?破風口って素敵でしょう。
 名前に背かないキレット状、とはちとオーバーだが、鋭い峠で、確かに何時でも風が渡って(偶然かも知れないが)いた記憶が有る。この近辺の秋は、ブナ林の黄葉で、一面黄色くまる感じだ。空気まで黄色く染まる。私には堪らなく素敵な情景だが、紅葉を求める方には余りお薦めしません。
 加入道には昔から避難小屋が有る。八年程前にも泊まった。秋の小雨の日だったので暮れるのは早い。ローソクの灯りを友に、静かな夜を一人過ごすには、そう、何たって酒。何が無くても、酒。
 自慢ではないが私は、山で酒には困らない為の準備は万全を期している。少々食料装備には目をつぶっても酒は確り担ぐ。春山なんぞで幕営地点に着くと、先ずチューハイを出し、雪に埋める。チューハイは一番取り出しやすい所にしまってある。
 フッフッフッフ、この心がけが大切なのだ。酒飲み登山者の本領、此処に有り!ま、目をむいて力む程の事じゃ無いけど……。たまに、何処に埋めたか分からなくなり、大慌てであちこち雪を蹴って探し回る。丸で馬鹿な犬と同じで有る。
 天幕を張り、雪もコヘルに詰めてバーナーにかけ、天幕内の片付け準備万端整えて、それではと、チューハイを掘り出す訳で、勿論ギンギンに冷えている。それを飲むのです。雪山に囲まれて飲むのです。書いていて涎が
垂れそうになる。
 天気が悪ければガスと風の中、或いはミゾレに叩かれていたりするが、ふん、こっちは天幕内だから平気なんだよ!
 飲むと、ぶるるっと来る。この為に雪山に来たのだ、と錯覚する一瞬で有る。あれ?錯覚 ではないかも知れないな。其の為かも知れない……。
 うっかり冬山にビールを持って行った事が有る。何とち狂ったのかね。栓を開けたら泡が僅かに出て凍り付いた。勿体無いので、融かしたが、すっごーく不味くて、一口飲んで捨ててしまった。我ながらお粗末です。 (ただ一人の贅沢な夜 その三へ続く)

2009年2月1日日曜日

休題 その一

店

 閑話は山の無駄話、休題は文字通り山とは全く関係無い話。何ふざけてんだかねえ。でも、あたしゃあそんなもんです。(え、失礼だって?そう言われればそうなんです、ペコリ)
 十七年程前に隣町(千歳船橋)から祖師谷大蔵に越した。元の家から歩いて楽に行ける所なのだが、別世界だった。分かり易く言えばモロ下町だった。商店街が南北に長く伸び、あらゆる商店が元気溌剌、八百屋の前を通ると、親父と子供が何時でも叫んでいる。
「らっしゃい、らっしゃい、安いよ!」
 何時でも客だらけで客を捌くのに大忙し、夕暮れ迫る町にあちこちの店の呼び声が響き渡っていた。八百屋は単体では生きられないのが世の習い、魚屋、肉屋、乾物屋とチームを組んで一つの単位である。其の周りに豆腐屋だとか、酒屋だとか、お菓子屋だとか、写真屋だとか、ETC……。皆元気でした。
 スーパーも有った。Sは洒落た店、Oは庶民的、Fは安売り、でもどうにかバランスが取れていた。
 破局は何時か訪れる、この世に永遠の繁栄は無い(これだけはお馬鹿な私も断言する)。きっかけは法律の変更(改正とは言いたく無い)なんだろうけど、駅そばの長崎屋が潰れ、大手のOZが出店して、祖師谷の町は過酷な戦場となって、結論から言えば、古い商店街は事実上滅びた……。
 OはOZの攻勢に何とか頑張っていたが、所詮地元スーパー、大資本に勝てっこ無い。其の上追い討ちが掛かった、これまた大手のSAMが参入(駐車場迄完備、つい私も行ってしまうのは無理からぬ事です)Oは消えた。同時期にSも消えた。Sの後に世界的小売業(W)のス-パー部門Tが開業。最早祖師谷舞台のスーパー大戦争。
 大資本同士の壮絶な戦い。何でもどんどん安くなる!万歳!!D系列のFはもっと強力なBに変わって参戦、安売りの町祖師谷!!
 で、小売業は死んだ(と言えるだろう)。知らぬ間に店はポツリポツリと閉まって行った。もう呼び込みの子供の声は、祖師谷の町には響かない。親父はぼんやりと、スーパーの袋をぶら下げた人を見送っているだけになった。その姿を見るのが辛く、あたしは目を逸らせて通った。
 で、町田に来ました。あたしの住む北口方面には、やけに古い商店が残っていて、結構拘った良い物を並べているが、殆ど客は居ない。置いて有る物は驚く程良質なんだが。又あの商店の滅び行く姿を、あたしゃ見なきゃなんないの、そんなの嫌だなあ。
 ところがどうしてもそうなってしまう。理由は簡単、便利が全て。一ヶ所で買い物が済んで、しかも安くて(場合によってだが)、ポイント迄付いちゃあ、当然ですよ。政府のせいにはできない。
 かと言って何もできない……。

  滅び行く各地の商店街への
        哀悼の意の章です。