2013年11月29日金曜日

ハイクへのお誘い その三十七




 今回は三ノ塔東北尾根(仮称)で有る。文字通り三ノ塔から東北へ延び、札掛の藤熊川とタライ小屋沢の合流点に至る尾根だ。
 途中に有る970mピークは「ヨモギ平」と呼ばれて居る様だ。尾根には全く問題無い。初心者でも大丈夫、と言おうと思ったが、小さい渡渉が有ったり、道が明瞭な訳でも無いので、一応経験者と同行のコースとした。
 秦野駅からヤビツ峠へ、バスで入る。時刻は事前に調べておく様に。あたしは五十分も待ちたく無いので蓑毛行のバスに乗った。其処から峠へ登ったが、バスなら一時間の峠道をカット出来るので、お奨めです。
 峠から丹沢三ッ峰が正面。


 バス停の先の駐車場に、こんな標識が有る。

 
 駐車場の右奥に、門戸口への路が有る。


 此のショートカットは助かる。昔は無かった。大分行ってからカットしたのだが、今の方が、ずーっと効率的だ。沢沿いだが、マーカーは確りして居るので、大丈夫。二十分程で門戸口に着く。昔は青山荘がポツンと建って居るだけだったが、今では喫茶店(?)になって、外にも建物が有った。


 舗装道路を右に下って行く。左手は川で、割と嫌にならない道路だ。

 
間も無く諸戸だ。此処も昔は、営林事務所が有っただけだが、今は付近にキャンプ場なぞ出来て、今昔の思いが、深いですなあ。


 諸戸から小一時間で札掛で、左に吊り橋が有る。此れを渡る。

 
 渡ったら左へタライ小屋沢に沿って行き、川の石垣が切れた所で川原に降りる。

 
 ジャブジャブ渡れば簡単なのだけど、寒い日に濡れたくなければ、石伝いに渡れる所を探すのだ。流れは可愛いものだ。落っこちない様に気を付けて。もし落ちても、冷たいだけなんだけどね。
 さて、渡ったら見回して貰おう。丁度枝尾根の末端が有る。此の右側を登るのだ。

 
 写真では傾斜が表現出来ない。嫌でも右側を登るしかないのだ。実は此れが悩ましい問題なのだ。其の訳は次回に。(続)

2013年11月26日火曜日

閑話 その百十二





 前に、入山には車を使う時代になったと書いた。バスが廃止になったり、手前で終わったり、凄く本数が少なくなったりするから、仕方無い事だ。
 此れは冬山の方が端緒で有る。夏有るバスも無かったり、遥か手前で終わったりする。すると、数時間の林道歩きを強いられる。でかいザックを背負ってだ。
 TAXIって手も有るのだが、南ア南部だと断られる事が有る。静岡のTAXIは雪に弱いの。それもとことん。確りしろ、静交!
 あたしだって南ア南部だったら車で行きたい。中部でも、いや、北部でもだ。何処にせよ、今や車でなければ入れなくなっちまっただよ()
 二度だけ、冬山に車で入った。最初は「三国山」の章で触れた、N、Kと行った甲斐駒の時だ。当時は中央道は無い。大晦日にあたしの運転で、伊那高遠の奥へと夜通し走って行ったのだ。
 奥へ奥へと行くと林道は凍って、嬉しい事に片側は崖で有る。チェーンも着けずに行く(それがそもそも馬鹿だ)。NもKもぐっすり眠って居る。そんなもんです、世の中は。
 つるっと車が滑り、谷側へスリップして行く。思わず「あー!」と叫んだ。だって、落ちたら三人共此の世とさようなら。
 幸い、ぎりぎりで踏み止まって落ちずに済んだ。良かった、本当に良かった。あたしの叫び声で、能天気な二人は目覚め、「大塚どうした」なぞとのたもうた。
 其れ以来、車で冬山には行きたくない。
 二度目は、何かに書いたカメラを忘れた一月の金峰の時だ。冬山に車で行きたくないと言うのに車だったのは、バスが無いから仕方無くなの(泣く)。
 此の時は、最後に駐車場に入る下りが氷の道で、文字通り滑り込んだ以外は、大過無く済んだのは、目出度い。
 てな訳で、便利だとは知っては居るけれど、極力車は使いたく無い。ま、スノータイヤを履けば済むんだけどね。でも、帰りに飲めないし……。
 貧乏人、且つ無精者の繰り言で、失礼。

2013年11月23日土曜日

第三の男の話 その四




 えーと、実は一回だけ、担ぎ降ろして救急車騒ぎが有ったのだが、其れは内緒で有る。え、事故零じゃ無いだろうって?ああ、そうだよ、内緒の事故一だよ!
 どんな事故だって?山で深酒はするなって話、だから内緒だよ!!
 内緒の事故一で済んだのは(あのー、未だ終ってないんだけど)、ヤバい所には殆んど行か(け)なかった事が大きい。
 併し事故の多くは、そうヤバく無い所で起きて居る。思わぬ滑落、岩稜で多発する。確りした鎖が有るのに何故?と思わされる。鎖場じゃ無い岩稜は結構ヤバいので、無理も無い。どちらにせよ、岩稜では気を抜けない。
 最早盲点ですら無く、常識になったのは下り道。急な下りで足を滑らせ転ぶ。悪くするともんどりうって落下する。悪くすると大怪我をする。もっと悪くすると、亡くなる。
 私も下りでは何度も転がり、泣く思いをして居る。重荷の上にザザーっと落ちて、頭を下に身動き出来ない時なぞ、本当に泣きたくなる。先ずザックを外さなければ起きれない。大抵彼方此方打って居るので、痛みも来る。
 怖いのが気象遭難。此れだけ情報が入手し易くなっても、無くならない。人はどうしても、自分に有利な判断を下す。此の天気もやがて収まるだろう。或いは、小屋に着く迄天気はもつさ。でも、そうならない事も有るのだ。それでも大抵は何とかなって、後で笑い話になる。其れはラッキーだったのだ。
 一番多い事故は、体調不良では無いだろうか。それも、心不全とか脳梗塞とか、一発で命に関わるタイプ。中高年登山者の増加に伴って、山の死因のトップになったのが、以上の病だ。遭難とは言わずに死因と言う。前々章で書きました、ダブって御免!
 当然と言えば当然で有る。心臓には強い負担を強いる。発汗で血液はドロドロになって居る。発症する人が居ない筈は無い。嫌なら無理をせず、マメに水分補給の一手だろう。
 山は素晴らしいが、あくまで好きで登るの。事故を起こして家族を泣かしたり、地元の人に迷惑を掛けてはいけない。万全の準備、且つ体調も整え、「自然に対する畏れ」を胸ポケットに入れて、さて、山に向かいましょう!
 第三の男はどうなったのだって?此れで良いのだ!

2013年11月21日木曜日

おまけ





 本来写真の為の章なのだけれども、此の愚ログもダラダラと満五年になったので、春の写真でも載せましょう。
 改めて自己紹介をすれぱ、名前は大塚健三郎、昭和二十二年生まれの団塊野郎です。従って小中高、何処もプレハブ急増校舎、一クラス五十五人以上の賑やかさ、おそまつ君状態で育った訳です。
 検便を受けて卵が発見されれば、やけに苦い虫下しをたっぷりと飲まされるのだ。ミルクと言えば脱脂粉乳、栄養補給は肝油で有る。
 大抵の者はトラコーマか疥癬か寄生虫を持って居た。修学旅行の夜中に、口から20Cm以上も有る回虫を吐き出す同級生も居た。DDT噴霧も浴びたものだ。
 あれれ、すっかり昔話になっちまった。
 生まれは品川、育ちは大田、世田谷、現在は町田に住んで居る。大田は馬込と西小山、世田谷は下北沢と千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵だ。よくぞ越したものだ。馬込の小学校は、入学式しか出ずに越した。
 そして、半惚けの今に至るのです(飛び過ぎた?)。