2010年3月30日火曜日

柄でも無い事 その十六

店 051  次に上演したのは駒場のアゴラ劇場。申し込んだら、一年はびっしり埋まってるよ、との事で諦めた。アゴラは、東大時代の野田秀樹御用達として名高い。従って小さく古い小屋なのに、人気が有る。今は平田オリザのホームベースになって居る。
 下北沢周辺の劇場を探して居たら、アゴラから電話が有り、急にキャンセルが出て一週間空いたが、と言うので即申し込んだ。
 昔演劇をやって居た、と切り出した癖に、タウンホールとアゴラでしか上演して居なくて、御一行様は様々な都合で解散しちまったんだ。えっへん。
 役者(?)が十二人、裏方があたしを入れて四人、大道具は組み立てから撤収迄外注。外に妻が雑用係り。
 休みを取るのがさぞや大変だろうと思いきや、流石に集まった諸君は好き者、問題無く休みを取って来た。
 前作が密室の三人劇、それも過激派を扱う世界の小ささの反動で、時代も地理も弾けて広げて見た。狂言回しにオカマのパンドラ迄使っちゃう滅茶苦茶さ。でも、受けました。
 此処迄ズルズル引っ張って来て、何が言いたいの?其れ、其処にやっと来たんだよ!話が遅いですなあ、客が帰るぞ。(ドキッ)
 時間の定義は色々有って、ニュートン的古典物理学では絶対的存在で、一定に流れる物だが、相対性理論では、座標の取り方に依っては異なる流れ方をするんだったっけ?
 面倒な話では無いのは知ってます。時間の流れ方は違うと言いたかったの。正確に言えば、違うと感じるのだ。
 平日は夜上演だ。昼頃から手直しして、役者はメークを始め、裏はブラブラして居るのだが、時間が濃厚なのだ。濃厚なブラブラ。そうねえ、羊羹の様に濃い時間が、あっと言う間に流れ去る、と表現すると、近いだろう。
 土曜はマチネが有るが、待ち時間なんて無いと同じ。濃厚なブラブラ。あれは何だったんだろう。プロは何時もそうなのかい?違うだろう。アマチュアならではの至福感では? 初めて何回も公演する昂ぶりだったのだろう、と想像するのだが、多分そうだろう。
 ありゃあ駄目だ。あんな思いをしたら、芝居馬鹿になっちまっても、責めるに責められない。じゃあ倅がそうならどうだって?痛いとこ突きやがって、メフィストかお前は!
 倅にはこう言おう。自分が家族を食わせられて(勿論、喰うだけでは無い)、尚且つ余裕が有れば(作れれば)やっても構わない。どうです、妥当な答えでしょう。
 繰り返しになるけど、羊羹の様な濃濃な時間が凄い速さで流れる。経験出来たあたし達を、幸せ者と呼ぶのです。一寸と疑って居る相対性理論だけど、此の件は全く支持します!

2010年3月28日日曜日

閑話番外 その二十二

DH000029

 

 

 春の奥穂の話をしたけど、何度も書く通りネガを棄てられちまったんで、景色をお見せ出来ないのが悔しい。
 写真は有るのだが、スキャンしても、薄っぺらく見っとも無いだけなので、アップはしない。お目汚し其の侭になっちゃうんで。
 仕方無いので、冬の上高地からの穂高を出そうと思ったので、本文とは無関係なのは御容赦。

2010年3月26日金曜日

あー、思い出したくない! その三

FH000017

 

 春の奥穂に登りました。横尾にベースを張って、ザイテンを登って、奥穂のピークに立った。高曇りで、雲の下に雪の穂高と槍が鎮座まします。此れは此れで見事な景色だ。お見せしたい景色だった。写真でもお目に掛かった覚えは無い。
 さて、下りの梯子に来て、前の人がお先にと言う。雪が付いて居ると結構嫌な梯子(ご存知でしょう?)なので、断りたかったが、恐る恐る下りに掛かったら、アイゼンの爪先が石を引っ掛け、落としちまった。
 「あ!」とか「大丈夫か?」との声が聞こえる。しまった、誰かに当てちまった!
私「済みません!大丈夫ですか?」
声「大丈夫」
別の声「気を付けろよ!」
又別の声「危ない場所だからね、落とすなよ」
私「御免なさい……」
 大事に至らず良かった。頭を直撃し梯子から転落なんて事になったら、警察沙汰だし、申し訳無さ過ぎる。
 落石なんて初歩的ミスを、しかも嫌な梯子で起こすなんて、恥じ入るばかりで、奥穂頂上の雄大な景色もすっかり色褪せてしまって、スゴスゴと俯き加減に下山して行った、と言うお粗末でした。
 思い出したく無い話は続く。イヤダイヤダ。
 四昔前、俗に言うとこの大昔、土星の環が消える言う天文現象が有った。最近も有った筈だ。勿論本当に消滅するのでは無く、輪の厚みは100mにも満たない(!)ので、角度に依っては観測不可能になる現象だ。
 Iともう一人の同期生も誘って、三人でご苦労にも見えない環を見る(?)為に、テントと望遠鏡(口径8cm)を担いで花立の頂きへ登った。
 せっせと夜道を登ってテントを張ったのは良いが、モロ曇天で、見えない環なんざ見えない。望遠鏡は大きくは無いが赤道義付で、鉄の塊が付いている訳だから、重い。こうなりゃあ唯の邪魔な荷物だ。
 腕組みして雲を見上げて居るうちに明るくなり、撤収と決まった。折角花立へ来たのだから、帰りは三ツ峰にしよう、観測もパーだったんだし。
 背負子に望遠鏡を括り、三ツ峰を下った。曇っては居ても三ツ峰は清清しい、若者達はどんどん下り、宮ヶ瀬のバス停にあっけなく着いた。大昔の事だ、午前中なのに登山者が結構居る。
 その人混みの中、私は無造作にIへ振り返った。バスの時刻でも告げるつもりだったのだろう。体ごと振り返ったのだから、背負子の望遠鏡は振り回される事になる。気付けよ、馬鹿だなあ、人に当たったらどうすんだよ。
 当たって仕舞ったのだ、其れも赤道義の鉄の塊が、頭に……(汗)。
 其の人は蹲って呻いた。わー、どうしよう!
 (あー、思い出したくない! その四へ続く)

2010年3月22日月曜日

休題 その三十五

 

bases01_074[1]  三十四の続きです。
 父のアルツは容赦無く進む。家庭内での泥棒騒ぎは良い。良くないのは他人を巻き込む事だ。
父「○くんは元気かなあ」
私「もう亡くなったって、言ったでしょう」
父「え、知らないよ、何で知らせてくれないんだい!葬儀にも行ってないじゃないか」
私「何年も前なの」
父「そんな馬鹿な!信じません、電話して聞いて見る!」
私「昨日も電話したんだよ、迷惑でしょう、毎日毎日!」
父「そんな馬鹿な、電話なんてしてません!」
 仕方無く、電話のコードを抜く。
父「電話が変だ」
私「話し中なんだよ」
 何て倅だ。電話位したって良いじゃないか。○さんのご家族には申し訳ないが、適当に話を合わせてくれるものを。第一、○さんはお元気だよ、と答えておけば良かったんだ。
 ……思いやりの無い倅だった。
 此れもパターンだ。ご存知だろうけど、念の為に。
父「ご飯は未だかい」
妻「お父さん、今食べたでしょう」
父「食べてません!」
私「今食べ終わったんだよ、ほら、食器が洗い場に有るでしょう」
父「私は食べてないの!」
妻「じゃあ、お父さん、一寸とだけね」
 父は又食事をする。
父「お代わりを下さい」
妻「大丈夫なの、お腹を壊さない?」
母「好い加減にしてよ、下痢すんでしょう!」
父「下痢なんかしないよ!」
母「後始末する身になってご覧!」
妻「お母さん、良いから、ね。お父さん、軽くですよ」
父「はいはい、軽くで良いですよ」
 勿論下痢をする。逆に便秘になる事も有る。本の通りに食事券を作ったが、意味無かった。お変わり券も作ったが、意味無かった。本人が認めないのだから。
父「知らないよ、こんなの。誰が作ったの?」
妻「夕べ、食事の時に出すって決めたのよ、お父さん、覚えてないの?」
父「知りません!そんな好い加減な事で、ひ、人を騙そうったって、そうは行かないんだ!」
母「誰が騙してるって!え、好い加減に……」
私「(被せて)お母さん、黙って!」
 本に書いて有る事は悉く試して、悉く効果は無かった。人と状況に依って変化するものなのだろう。当たり前と言えば当たり前だ。教科書通りに行けば苦労は無いと言う事。長くなりましたので、続きます。済みません(ペコリ)。

2010年3月21日日曜日

あー、思い出したくない! その二

FH000139

 

 丹後山も近づいた時振り返ると、学生パーティは大分後方でテントを張って居る。彼等は行動中止だ。時間的にも妥当な処。青年は小休止中。
 一ピッチの頑張りで丹後山避難小屋へ着いた。青年も僅かな差で到着した。さて、小屋に二十人近くの登山者が居る。人気の山だ。私と青年は二階に上がった。
 此処からが辛い、思い出したく無い。
 荷物を収めると私は雪を取りに行った。コヘルに雪を詰め、ビニル袋にも雪を入れ二階へ持ち帰った。端にトタンのとよの様な物が有るので、其処へビニル袋を置いた。其の雪を青年にも分けて喜ばれた。
 テントを張れば良かったのだ。持ってんだからさ。そうすりゃ、誰にも迷惑が掛からなかったんだ。
 寝て居たら起こされた。
声「済みません、水が零れてませんか」
 私はライトを点け、周りを照らしたが水なんて零れて無い。
私「無いですよ」
声「そうですか、水が漏って来るんですよ」
 で、好い加減な私は寝てしまった。暫くして青年の声で目覚めた。
青年「あ、水だ」
 ライトで見ると床がビショビショになって居て、青年のシェラフも濡れて居る。え、何だ、どうしたってんだ!
 そうです、私の置いたビニル袋の雪が、融け流れてよ~え♪ おら、余りに辛いだで、歌っちまっただよ……。
 慌てて袋を持って梯子を降りると、下の諸君がツェルトを雨避け(?)にして、ポタポタ落ちる水を防いで居る。あ、御免なさい!
声「ちゃんと調べてくれれば良いのにさ」
私「……済みません」
声「こっちは酷い目に会ってんだからね」
私「……御免なさい」
 わーん、情無いよー、俺の馬鹿!
 其れ迄は青年と私は同士だった。ロングコースをやり遂げた奴と、お互いに思って居ただろう。でも、こうなると私は間抜け野郎、青年には微塵もそんな気は無いのは分かって居るが、私を哀れんでくれてる様に勝手に感じちまって、彼のシェラフも濡らしちまったし、下の諸君は、もっと酷い有様だったし、路も無い上越国境をやった喜びは、完全に消え失せてしまった。
 小屋から出発する時も、米搗きバッタ状態で、逃げる様に出たもんだ。あーーー、辛い!!!思い出したくも無い!
 忘れましょう。忘れられないから書いたんだけどね。はー……。
 次に行こう(行きたくねえー!)。
ふっふっふ、大丈夫なんだよねー、此の後は幸いにも、其処迄辛くは無いのだ。一番辛い話を終えて、楽になっちまって、いつもの好い加減男で行こうっと♪

2010年3月20日土曜日

柄でも無い事 その十五

店 050

 

 さて、素面になったら訳が分かった。
 芝居を打つ上で、あたしは幸せ者だと言いたかったのだ。仲間に恵まれて居た。会計と照明は中央アルプスでひどい目に会ったZ、音響はブログの世話をしてくれて居るA、美術は藪の中で大魔神になってしまったKSが担当してくれた。
 此の三人共物事の分析が出来る。少なくともあたしよっか、遥かに出来る。従って彼等のサポートが無ければ、劇団なんざ見果てぬ夢で有った事だろう。勿論、出演してくれた諸君は言うまでも無い。
 あたしは、唯感覚で台本を書く。其れを兎に角芝居にして仕舞う。動物並見習いの面目躍如で有る。
 中核派を捻った劇の時、密室で三人の(三人劇だった)中年活動家が路線の違いで殺し合い、三人共死んで終る。と、其の三人が突然陽気に「ロック版あっこちゃん」を歌い出す。観客は唖然とする。
 あたしは、そうしたかっただけで、意味なんざ無い、と思って居た。
Z「結局、今まで演じて居た全てを笑い飛ばしたいんでしょう」
 あ、そうか、そうなんだ。言われりゃ其の通りで、言われなければ分からない。動物並見習いの名に恥ずる処は、寸毫も無いのだ。
 其の劇は下北沢演劇祭の時の出し物。区の広報を見て申し込みに行ったのだが、もう一杯だ、と断られた。数日して、空きが出来たのでやらないか?と電話が来、はい!と二つ返事でやる事になったのだ。
 場所は下北沢タウンホール、使用料は無料、但し切符は安く設定する。良い話じゃないですか!
 旨い話にゃ裏が在るのが世の常、ちゃんと在りました。仕込みが出来ない。
  一日に二つの出し物をやる為、前のグループが終らないと、光も音も道具も用意出来ないと言う事だ。しかも前日迄びっしりと使用者が居るので、全ては当日に願いますね,って凄くヤバイ。
当日、決まり事に違わず、前のグループが押す。二時間有る筈の仕込み時間がどんどん削られて行く。ま、そんなもんさ。
 さて終った、となって大急ぎで仕込みに掛かる。舞台稽古なんざ夢の又夢、開演時間が迫ってんだ!
 最低でも、きっかけだけは練習したいもんですよ普通は。でも駄目、もう客が入場を始めてんだから(涙)。
 出演者達は、必死に舞台の大きさを把握しようとして居る。Zが二箇所の立ち位置を決める。細かくなんてやってられない。
 Aは音量調整に余念が無い。KSは道具のチェックだ。光、音、道具、全てシンプルな創りだったのが幸いだ。変に凝って居たらパンクで有った。
 結局ぶっつけ本番、皆さんご苦労様でした!
 へっへっへ、又もや続きます。

2010年3月17日水曜日

あー、思い出したくない! その一

DH000015

 

 

 年に一度位、思い出したくも無い事を思い出し、わー!と叫んでしまうのは私だけ?否、皆さん似た様なもんだろうと、勝手に思って居る。
里の出来事は外しておいて、山での思い出したくも無い事を、思い出して見よう。あー嫌だ!!でも書き出しちまったんだ、行くんだ!……はい。
 謝る相手が有る事は良い。詰まり、山仲間に掛けた迷惑はどうでも良い。あの時は済まなかったなあ、はははは、で済む。え、済まないって?お互い様だ!
 困るのは、見ず知らずの人に掛けた迷惑。今更謝り直すすべも無い。心の底に、恥となって澱んで居る。いっそ明るみに引き出してさっぱりしちまおうって訳です。
 半分やけくそで書く。昔々前、巻機山から丹後山へ縦走した。路は無いから勿論春で有る。清水の部落から巻機山へは、中々の賑わいだ。登山者より、山スキーの諸君の方が多い位に感じられる。山スキーのメッカの一つで有る。
 好天に恵まれ、汗を垂らして腐った雪を踏んで来たが、山頂に立った瞬間、にわかに曇って冷たい風が吹き付けて来た。何、慣れっこさ、ふん、上等じゃんかさあ。
 雪は見る見るガチガチになる。景色を楽しむ暇も無い。雨具を着け乍ら、進む方角だけは確り見極める。幸い足跡が腐り雪(今は凍ってしまったが)のお陰ではっきりと付いて居た。一パーティは入って居るぞ、ラッキー、此れで視界が閉ざされても足跡を追えば、尾根は外さないで済むのだ。此れから大分下って、鞍部で幕営なのだから。
 略下り切って、雪のうねりが風を避ける絶好の場所が有り、しめしめとほくそ笑んでテントを張って居ると、ガスの中から単独行者が現れた。彼も足跡を頼りに下って来たのだ。私は四十代初め、彼は油の乗り切った三十代、見るからに山馴れた青年だ。以下青年と呼ぶ。
青年「トレースが有って助かりました。此処は良い場所ですね」
私「そこいらに張ったらどうです」
 単独同士、口数は少なくても必要な情報は簡潔に交換する。青年も私のテントの傍に張る。風は吹きまくるが、何か心強いものだ。
 翌朝は天候回復、遠く前方斜面に先行パーティのテントが見える。丹後山迄は距離が有る、大急ぎで食事を済ませ撤収、出発する時には青年も撤収中だった。
 此の日の此の山域は、三パーティが独占したのだ。視界が利くので心配は無い。私と青年は前後し乍ら進み、先行パーティを抜いた。七人の学生パーティだった。
 覚悟はして居たがロングコースだ。天気が良いので雪が団子になる。ま、ガスってガチガチよりかは何ぼ良いか。でも、ズブズブと足を取られると、結構苦労で歩が捗らない。

2010年3月14日日曜日

休題 その三十四

01[1]  やがて本文にも出て来るが、父はアルツになった。初めて変だと思ったのは、十年前の家族旅行の時だ。信州へのバスツアーだった。
 夜中、父があたしを起こす。
父「健ちゃん、此処は何処なんだ、どうして此処に居るんだ」
私「え、お父さん旅行に来たんだよ、思い出して、今朝、新宿からバスに乗ったでしょう」
父「そうだったかなあ……」
 倅も目を醒まして、説明に加わる。
倅「お爺ちゃん、此処は夜間瀬温泉だよ」
父「そうだった、ははは、そうだったな」
 処が翌日の夜中も(連泊だった)同じやり取りが有る!ヤバイ、ひょっとすると……。
 其の通り、後は進みました。色々の治療、薬を試したが、アルツを食い止める事は当時は出来なかった(今でもかな)。
父「お父さん(父の父)は元気かな。どうして居るんだろう、暫く会って無いんだよ」
私「あのね、お父さんは幾つ?」
父「九十かな」
私「八十九。じゃあお爺ちゃんは、三十足しら百十九、日本中にそんな歳の人は居ないよ」
父「そうだね、生きて無いんだね。処でお母さんは元気なのかね」
私「同じでしょう、もうとっくに亡くなってんの!」
父「え、知らなかった!本当かい!」
私「本当なの!」
父「……あー、俺は“みなしご”なのか……」
 父は涙をこぼして嘆く。でも、“みなしご”の意味が違う。苛苛しつつも可笑しくなる。爺さんを“みなしご”とは呼ばない。
今になって其の嘆きが分かる。両親が死んだ事が記憶から抜け落ちて居るのだから、聞いたら、凄まじいショックだ。信じられないし、信じたくない。
 其のやり取りを百回近く繰り返したのだから、こっちが苛苛しちまうのは無理からぬ、とあたしは思って居た。
 其のうち始まった。パターンですよ、若し貴方の親が万が一惚けて仕舞って、そんな事を言い出しても、当然だと思うべきなのです。
父「金を盗られた、泥棒が居る!」
私「泥棒なんてうちには入らないよ。何を盗られたってえの?」
父「見ろ、財布に有ったお金が無いんだ!」
 やり取りを書こうとしたが、野暮は止め。結局、一番立場の弱い者に嫌疑が掛かる。詰まり、我が家では倅が末っ子なので、倅が犯人と推定されて仕舞う。
 其の段階近辺の時期、あたしゃあ家に入る前に戸口で様子を伺う。叫び声(大江健三郎か?)が聞こえるかどうか、耳を澄ます。ジブリの耳を澄ませばなら良い。あれは名作だ。
 出張中に観たが、家に帰って「あれは今年一番の映画だ!」と喚いて、妻と子供達も観に行って、全く同感だったのは、目出度い。
 話があっちに行った、では次に続きます。

2010年3月13日土曜日

柄でも無い事 その十四

A1652_I1

 

 十三の続きです。何処迄続くの?終る迄!
 結局三時間も詰まらない、と言うより苦痛な劇を見せられた我々は、飲み乍らの罵倒大会となった。途中で帰れば良かったんだ!
 ひどいものを見せられても、罵倒なんざ有得ない場合も有った。そりゃあひどかった。作も演出も俳優も。全員素人だったけど(うちも同じか)。
でも、必死さが伝わって来るのだ。ひどい作品をひどい俳優(?)が一生懸命演じて、詰まらないけれど、共感を持って仕舞う。従って誰も罵らない。
 カッコーの巣の上に、と何処が違うのだろう?何で、片や罵倒され、方や好意を持たれるのか、滅茶苦茶詰まらないのは同じなのに?
 あたしの事だが、分かる人はもう分かって居ると思う(付き合いの長短と関わり無く)けど、根本的に没理論な奴なので、如何にも理論的な事を書く場合も、其れはあくまで数学的理論で有って、己の考えや行動は、単に感覚と言おうか本能と言おうか、何れにせよ説明が出来ないのが常態で、そんな駄目な奴の通例通りに、説明する気が全然無い。
 もし説明する気が有っても、はて、どうなんだろう?と困るだけで、殆ど動物みたいな存在で有るのは、我乍ら情無い。
 あたしは、世の中に其れ程は居ない幸せ者の一人なのだ。どう見ても幸せ者なんかにゃあ見えないって?何を幸せと思うかに依って、意見は別れる。
 幸せと成功との分離が成されなかった昔は、金地位名誉と言われた。団塊の世代の発言力が増して、健康が加わった。従って今は、金地位名誉健康。
 健康は認めよう。金地位名誉が溢れる程有っても、床に就いたきりでは、何も面白く無い。山にも行けない。あたしゃあ御免だ。
 尤も其の人が重大な使命感を持ち、床に就いたきりでも、次から次と決定をしなければならないとしたら、うーん、ぜーんぜん幸せなんかじゃ無い!はっきり言えば、不幸だ!しかも並外れた不幸者だ!!!
 芝居の話だったよね?
 えーと、あたしゃあ幸せ者だよーん、て話だったんだよね。
 そうなの!良くぞ思い出してくれた(おい、自分の事だろう)。あたしが動物並みとは謙遜で、劇団員にはあたしの及びもつかない動物男が居るから、動物並見習い程度と位置着けるのが正確な表現だと思う。
 幸せの話にすると、度合いが必要だ。感覚では千人に一人から一万人に一人の間かな。根拠は無いけど。総理府が統計を取って偏差値を弾き出せば、はっきりするだろう。尤もどうやって統計を取るのかなあ。其れは専門家に任せよう。
 ほら、話が分かんなくなっちゃった。
 仕方無い、続きます。

2010年3月11日木曜日

閑話番外 その二十一

FH000085

 

 低いけど辛い山、確かに低い、アルプス一万尺(約3000m)の半分位だ。
 でも良い処も山ほど有るのも、くどい位書いて来た。例えばツツジ。アルプスの稜線ではお目に掛かれない。その代り見事なお花畑が有るけど、見られる期間が余りに短いのだ。
 丹沢なら、三つ葉ツツジから始まり、ツツジ、後は黄葉(おいおい、花じゃないぞ)に至る迄、諸々の花を楽しめる。
 諸々って何だって?済みません、あたしゃあ花に弱くて。でも、滅茶苦茶なNよっか増しだ。Nにどの高山植物を尋ねても「深山ダイコン」としか答えない。外の花の名を知らないのだ。
 Nと比較して威張れんのはそんな事だけなんで、ご勘弁下さい。

2010年3月9日火曜日

閑話 その四十五

イラスト2

 

 登山の装備は山程有るのだが、特に便利な物を上げて見よう。
 プロフィールのイラストをあえてもって来のは、被って居るタオルの話から始める為。
 タオルは欠かせない必需品だ。頭に被せて帽子になる。十年前迄は其のスタイルだった。汗を拭くのは勿論、朝、顔を擦って目を醒まし、着替えに巻いて枕にもする。
 テントで水をこぼせば、吸い取って表で絞る。寒い時は首に巻いてマフラーとし、足が汚ければ、拭き取れば良い。
 何とも物凄く不潔ですなあ。しかしです、何でも間に合わしちゃおう、と言う無精者の面目躍如、タオル無しでは夜も明けない!いや、山には行けない!!
 何たって軽くて嵩張らず、多機能を持つ夢の(?)道具なのだ。
 次には軍手。藪の友、ガレの友、ザレの友、寒さも凌げる有能な友達なのだ。ゴム引きのが有るが、あれは駄目で、熱い物を扱うと熱が伝わるし、岩角なぞのホールドを探る微妙な感覚が鈍ってしまうので、確りした木綿製が一番だ。
 Yは軍手無しでは暮らせない。軍手で汗を拭く、洟を拭く。寒い山では常に水っ洟が流れる。或いは鼻の中に溜まって居る。鬱陶しいんだ此れがさ!幾ら啜っても駄目で、諦めてズーズー言い乍ら歩くのだ。
 Yは水っ洟も軍手で処理し、同時に顔も拭う。これまた物凄く不潔ですなあ。あたしのタオルより格上だ。因みにあたしゃあY程不潔な使い方はして居ない(え、五十歩百歩だって?)。
  でも、歩いて居る時は手を上げるのすら嫌なのだから、軍手一つで何でも済むなら、綺麗も汚いも無いので、仕方無いの一言だ。
 もし貴方が、Yと一緒に山に行としたら、彼の軍手には触らない方が良いと思います。老婆心乍ら。
 そしてロールペーパー。Nは魔法の紙と呼んで居た。コヘルの底の雫を拭く、使用した食器を拭く(冬、春は食器を洗わない)、水っ洟を拭く、何と便利だ!おまけにケツ……、止めよう。
 うーん、書けば書く程山の生活が不潔に見えて来る。確かに其の面は有る。流れの脇に幕営しない限り、町の様な生活は出来ない。
 何日も歯も磨かず、顔も洗わず、風呂にも入らず、服は着っ放し、冬なら水っ洟を垂らして暮らし、夏なら汗まみれの侭で居るのだから、清潔とは縁が無いのだ、えっへん。
 環境が清潔で、美しく、壮大で、清清しいのだ。だから、自分の不潔は意識に上らない。人の不潔も意識に上らない。非常に幸せな事だと思う。
 便利な物の話だった。付け加えれば新聞紙。炊事の敷物には欠かせない。水も吸うのだ。
 タオル、軍手、ロールペーパー、新聞紙、一体何だってんだ。相変わらずお粗末でした。

2010年3月7日日曜日

柄でも無い事 その十三

thumbnail  十二の続きで芝居の話です。
 そうは言い乍ら、打ちのめされた事が三度有る。
 一つ目は未だに続いて居る「ラマンチャの男」、当時は染五郎と名乗って居た。見て、ふーん、と思った。翌日、重く心に残って居る事に気付いた。日一日と印象が強くなって行く。駄目だ、完璧なパンチを食らって居たのだ、とやっと思い至った。
 続けて「シカゴ」を見に行ったが、ヘナチョコパンチがかすりもしない。同じ金額なのに何だよ!
 二つ目はつかこうへいの「熱海殺人事件」。此れも後から効いて来た。本物は尾を引くのですなあ。
 此の時も又紀伊国屋ホールへ別のものを見に行ったが、かすりもしない状況は同じ。
 三つ目は野田秀樹の「透明人間の蒸気」で、前二つと同じ反応だった。ただ、流石に懲りたので、同じ劇場に外の劇を見に行くのは止めた。
 「ラマンチャの男」、つかこうへい、野田秀樹には到底適わない。素直に負けよう。外はね、其れ程のもんじゃ無いさ(何たる思い上がり!)。
 面白いもので、山頂に立って外の山を見ると、同高度の山は低く見える。同じ高さだと見える山は、こっちより高い。少しでも低い山は、ずーっと低く見える。
 其れを基に考えると演劇では、同程度のものはずーっと低く見える。同じ水準と思えるものは、実際は遥かに高水準だ。程度が落ちる(比自分)ものは、豚の様に見えて、論の外だ!となる。
 多分、当たらずと言えども遠からずだろう。何たって標高の様な絶対基準の無い世界だから、感じ方が全てとなり、好悪も加わって、独断と偏見が闊歩する、変な世界になっちまうのではないかと、思う。
 変な世界から引き戻してくれる唯一のものが、客の反応なのだ。観客が舞台に入って来てくれて居るか、醒めて突き放して居るかは、一発で分かる。特に舞台に(袖でも)居れば良く分かる。観客の一人として見て居ても、良く分かる。
 だから舞台は面白いし、恐ろしい。
 下北沢の本多劇場に劇団の諸君と「カッコーの巣の上に」を見に行った。有名作品を、プロの演出でプロの俳優が演じたのだが、どうやればあそこ迄詰まらなく出来るのだろう?
 観客は舞台と一体になれず、引いて居る。勿論、演じて居る人間にはビシビシと感じられる。脂汗を流し、必死に立て直そうとして居る。哀れだ。演出の所為なのに。
 中年女性の声が響いた。小声で囁いたのだろうが本多劇場は音響が良く、皆に聞こえた。
中年女性「もう帰ろうよ」
 役者は一瞬動きが止まった(と感じた)。
 あー、悪夢だ!! 続きます。

2010年3月6日土曜日

低いけど辛い山 その三

FH000066

 

 Yは宇都宮出身で、お兄さんが居て、彼の若い頃わざわざ丹沢に来たそうだ。次の台詞は勿論栃木訛りだ。
お兄さん「何処まで行っても山ばかりなんだ。山しか無いんだ」
 アルプスだってそうだ。しかし、あえて其れを強調する処に、本質が有る。何処まで行っても山ばかり。付け加えると、「登ったり下ったりするだけなんだ」だろうか。
 ま、当たりなんだ(北関東弁)。
 北関東の人間なら、日光とか、上越とか、那須とか、尾瀬周辺とか、何か分からないけんど、一度は行ってみっぺえと思う素晴らしい山は、たんとあっぺよ!(確かに有るだ)。
 わざわざ丹沢に何でくっだ?夜行で来て夜行で帰るんだっぺさ?朝から仕事だべさ。んな辛い事、誰がやっだよ?
 やっただよ、当時の人は、調べて見れば良いっぺさ!!
 うーん、世に好事家の種は尽きまじ、って事です。
 前述で失礼。東の谷川岳西の丹沢。良い山を表すと言葉だと言いたいけど、遭難の数の話なのだ。詰まり死者の数。
当時は谷川岳でも丹沢でも。無闇と遭難が有って、死人が出た。谷川岳は未だ良い、遠いのでこっそりと瀕死の人を運べなかった。当時は(今もだが)。丹沢だと、何とか仲間で運んで行く事が可能(場合に依るけど)だったので、死者の数は谷川岳に及ばないとはあくまで公式記録なので、丹沢の方が上なのだ。あ、不謹慎極まり無い発言、御免なさい!……本当に、深く反省します。
 おずおずと話を戻すが、丹沢がメジャーになったのは、悲しい事に遭難の為なのは、調べて下されば一発で判明するのだ。東海道自然歩道と百名山は、極最近の事で、「魔の山、東に谷川岳、西に丹沢」と言われる程遭難が有った。勿論沢登りの事故だ。
 最近は沢登りの事故が、激減した。装備も訓練も行き渡ったので、何よりで有る。
 散々書いて来た通り、丹沢の魅力は、都会の近くなのに自然が保たれ、其れは何故かと言うと、きつい(辛い)からと言う部分も、有るのではないだろうか。ま、政治的力学が上だろうけど、幕府直轄領だったので。
きつく無い山は全て里に取り込まれるのだろう。京の周りの山々もそうなんでは?と、勝手に思うのです。
 いくら植林したくとも、主脈稜線には植林は出来ない。大体からして、稜線に植林するのはルール違反だと、何かで読んだ。でも、其の違反が通って居る。法令には違反してないが、自然律には反して居る、のでは……。
 まあ、どうでも良いとして、丹沢は歩くのがきつい、本当にきつい。山仲間が言い合っているだけなので、根拠薄弱な感想論なのだが、経験に則して居るので、真実だろう。
 従って、世に言われて居る「丹沢を歩ければアルプスも歩けるよ」は本当だと思います。低いけど辛い山、丹沢。私は喝采です。

2010年3月4日木曜日

柄でも無い事 その十二

mpc300

 

 昔、芝居をやって居た。柄でも無いって?此れは「柄でも無い事」なんだよ!
  舞台には立たない。作・演出で有る。当然座長でも有る。劇団名は「座・御一行様」。誰だかのパーソナリティ(ご免、忘れた)のラジオで、インタビューを受けた。松山に出張中だったので、ホテルの電話でオンエアーだった。
パーソナリティ「何で座・御一行様って名前にしたんです」
私「温泉に行くと、玄関に何々御一行様って書いて有るでしょう」
パーソナリティ「有る、有る」
私「うちが旅行に行って、座・御一行様御一行様って書かれたら面白いと思ったんです」
パーソナリティ「はははは」
 受けた。ま、詰まらない動機では有る。
 下北沢演劇祭の打ち合わせ、「御一行様はどうです」と様が付くのはうちだけ、ふっふっふ、やけに気分が良い。
 でも良く考えて見ると、呼び捨てにされて居るのはうちだけで、外は何々さんと、さん付けだ。そう思うと何だかなあ。
 まあ、様が付いてんだから文句は言うまい。悔しければ、うち見たく様付きで呼んで貰ったら良いじゃんさあ♪
 劇団名は良い。ユニークだし、ふざけてるし、内実とかけ離れて無いし。
 実はお馴染みの迷惑なYは、其の劇団員だったのだ。おまけに会社では同じ課に居た。出張も良く一緒に行った。山と劇と仕事が一緒で、妻より顔を合わす回数と時間は多かった。其れはYも同じで、酷い話で有る。
 今は劇団は無い。会社もあたしが辞めた。Yもホッとして居る事だろう。
 色々芝居は見に行ったが、何時も「ふん、俺よりランク落ちだな」と、生意気にも思って居た。そうでなきゃあ芝居を自分でやろうなんて思わないのだから、大目に見て下さい。
 下らない話は続きます。

2010年3月2日火曜日

低いけど辛い山 その二

FH000078

 

 矢張り皆さん檜洞丸を目指すのだが、焼山への主脈ルートも良いもんですよ。とは言っても、目前に有る檜洞丸を放って下る気は起きっこないだろう、特に、はるばる遠くから来た人達なんじゃなあ、と気持ちは凄く分かります。
 檜洞丸から大室山を目指す人は、そう多くは無い、と思う。営業小屋が無く避難小屋になるので、装備が増すからだろう(多分)。
 しかし此のルートも、犬越路を挟んだ大室山が素晴らしく、縦走だなあと思えます。前述の通り、熊笹ノ峰、大こうげ、小こうげとピークを越えて行くのだが、鎖も掛かって居て危ない思いはしないで済む。
 中川温泉の章で、車のキーを失くしたドジ話をしたが、其の時は犬越路避難小屋に泊まって、翌朝雪道を、快晴の檜洞丸へピストンしたのだ。軽アイゼンも無いご一行様なので、下りの滑る事、危ない事、半分滑り落ちる様な、転げ落ちる様な按配で下ったが、若いから出来たので、今なら捻挫か骨折だろう。
 鎖も整備されて居ない時代の事、下手すると本格的に滑落、お葬式なのだ。思えばアブネエアブネエです。
 以上の両コース以外は、丹沢で大きな山を越える感覚は、残念乍ら無い、と言わざるを得ない。快適な稜線歩きなら勿論、有る。うんと有る。枚挙に暇無いので、一々触れません。え、例を上げよって?何処もです!
 丹沢三大急登と言えば何処だろう。色々と意見が分かれる処だと思う。一々聞き歩く訳にも行かないので、文字通り独断と偏見で決めてしまおう。勿論、山ほど異議が有るのは承知なので、勝手言ってらあ、と許して下されば有り難いのです(ペコリ)。
 熊木沢から蛭ヶ岳。箒沢公園から石棚山。本間橋から本間ノ頭。どうです、え、一斉にブーイング!ブログ炎上!!
 てな事は無い(キッパリ)。来て居る人が殆ど居ない強みだ。えっへん。……矢張り悲しいものが有る。
 三コース共標高差は600m凸凹。日本三大急登とは比べようも無いが、丹沢では結構な急登だ。下るのも厄介だ。ある程度良い処を突いて居るでしょう。ま、遊びの話だから、そうしておきましょうよ(駄目?)。
 SやKが丹沢を嫌う(嫌って無いけど)としたら私の所為で、藪山に引っ張り込んだからなのだが、マトモなルートを行けば、彼等も良い所だと、喜んでくれる。
 S夫婦に到っては、未だに合戦尾根を登って其の侭常念小屋迄行くのだから、立派の一言だ。本当に私の同期生なのだろうか。或いはS夫婦は、何処か変なのだろうか?本当に同期生なのだから、何処か変なのだろう。
 其の化け物(失礼)Sでさえ、丹沢を辛がる事が有る。うーむ、矢張りちゃんとした人間なのだなあ。
 (低いけど辛い山 その三へ続く)