2016年1月28日木曜日

休題 その百六十一




 スタンリー・キューブリックは寡作な監督で有る。十六作(多分)しか残さなかった。それでも世界の名監督だ。質の良い作品が並んだってこってしょう。
 彼のベストスリーを、例に依って偏見と独断で選ぼうと言う訳だ。勿論、異論だらけなのは分かってますって。
 三位。 「突撃」
 まあ、既にブーイングでしょう。でも、良く思い返して欲しい。あの緊迫感と不条理とブラック感、そして名ラスト。
 これぞキューブリックだ、と思わせる名画だとあたしには思える。観て無い人も居るだろう。絶対にお奨めする。
 二位。 「2001年宇宙の旅」
 うーん、ブーイングだろうな。多くのフアンはトップに置く筈だ。フアンで無くとも此の作品は映画史上に輝ける存在で、別格だと言っても過言ではないのだ。
 あたしが十代の頃の作品だが、三度ロードショウを観に行ったとは前に書いた。半端な衝撃では無かったって事だ。
 倅が高校生の頃、蒲田で此の作品の上映が有った。小遣いを渡して観に行かせた。「凄いよ、後から効いて来る」との感想、時代なんざ飛び越えて威力を発揮するのだ。今に至ってもSFの金字塔で有る。どんだけ優れたもんなんだろう。
 でも、あたしには二位なのだ。私見が全面なのだが、そんな愚ログなんです。
 一位。 「博士の異常な愛情」
 本当の題名はもっと長いのだが、寿限無じゃ無いので、一般に使われて居る題名を使用する。そう、此れこそがスタンレー・キューブリックだ。
 緻密な描写、現実味と有り得ない感の絶妙な混合、そして情け容赦無くとことん追い詰める力量。
 ブラックジョーク映画なぞと思ってはいけない。凄く真面目な映画だ。造り方が冗談っぽいだけだ。
 以上があたしのベストスリー。 だからあ、異議が有るのは分かってますって(汗)。

2016年1月26日火曜日

クソ面倒な話 その十二




 続きです。
 面倒な話の十一には作為が有って、何もアンドロメダ星雲を出す事は無く、もっと手近に銀河系内の話にすべきなのだが、分かり易くする為に、極端な例を上げました。
 太陽系に一番近い星は、ご存知のケンタウルス座アルファー、4,36光年の近さだ。残念乍ら文明は発見されて居ない。
 10光年以内に文明が存在する確立は、零では無い。20光年以内なら確率は上がる。
 20光年先の文明とコンタクトが取れたとしよう。メッセージの往復に四十年掛かるのは仕方無い。で、是非お目に掛かりたいとなったら、同じく世界中の大プロジェクトだ。現実に即して、亜光速は無理と設定する。
 何故無理なの?ロケットは反作用の原理で飛ぶので、何かを投げねばならない。其れを燃料と呼んで居る。燃料はガスとして噴射される。ガスは軽いものだが、質量×速度が作用するので、高速で噴射して推力を得る。ロケットの速度を上げるには大量の燃料を積まねばならず、するとロケットが大きく重くなり、更に大量の燃料を積む必要が……、なので、今の段階で亜光速は無理なのだ。
 従って、片道八十年位掛かるのかな。加速に掛けた時間は、きっちりと減速の時にも掛かるからで、さもなくば目的の横を凄まじい速度で通り過ぎて、ジャンジャンで有る。八十年も掛かればクルーはお亡くなりになっちまう。亜光速では無いので時間の経過には殆ど変化が無い為だ。
 又もや幽霊船。其れを避けるには多世代宇宙船を建造するしか無く、又しても超巨大最新技術の塊な船とならざるを得ない。さて、全世界のGNP位の予算かなあ、例に依って全くの山勘だけど。
 誰が計画推進を支持するだろう?
 人類は月に立ったのみだ。太陽系の規模で言えば、部屋の中で位置を変わった様なの。理論上は、今の技術で火星へも行ける。但し、余りにも費用が掛かるので、何処もらない(そしてリスクが大きいので)。アメリカはやると言っているが、眉唾だ。
 太陽系内で此れなのだから、恒星間飛行なんざ夢の又夢。……夢が無い話ですなあ。
 地球も何時か最後を迎える。其の日の為に人類脱出計画を考えるべきだ、と主張する科学者も居る。勿論全員は脱出不能、選ばれた極少数(比全人類)の人間が、宇宙船で新天地へ旅立つのだ。
 あたしゃあ其の考えには同感出来ない。地球の最後は皆の最期。一緒に死ぬのが最も自然な生き方(?)なのだ。人はやがて死ぬ、人類もやがて死ぬ。大自然の摂理で有るま、生有るものは必ず滅する、です。
第一、宇宙船で脱出したって、どうなるか分かったもんじゃ無い、と言うより、無宇宙を彷徨う幽霊船になるに決まって居る、と思って居るのです。

2016年1月21日木曜日

閑話番外 その八十七




 前回の閑話番外に書いた通り、ゴアの靴を買って来た。冬山用は最低でも五万五千円以上で、ギャー!だが仕方ない。余分にお金を持って行ってて良かった。
 サイズを合わせるのが大変だった。あたしの足はアヒルの様な横広なので、長さは良くてもきつくて駄目なの(涙)。
 靴の展示会の様に色々な靴が並んじまった。結局まあ良かろうと言うのに決めた。アンも同時に新調した。前はアイゼンが合わず、直ぐ外れて偉く苦労したので、靴と同に買うと決めていたのだ。
 今のアイゼンは小さくなる。
私「小さくなるのが良いね」
店員「お持ちのは大きいんですか」
私「そうなの。大きいままなの」
 時代遅れの客だと思われた事だろう。店員は若者なので、二十年近く前の品物なんざ知らないのだ。
 靴はグレーで、黒と黄色が入っている。踵部分には赤も有る。ゴアにしては落ち着いた色合いだ。
 これが最後の冬靴とアイゼンになる訳で有る。でも、冬山に行ける日が来るのだろうかと、気弱にも思ってしまうのです。

2016年1月19日火曜日

休題 その百六十




 湯河原へ妻と行って帰りに映画を観て来たと書いた。妻と旅行には年に五~六回も行くだろうか。貧乏旅行なので一泊、それも近場に決まっている。
 箱根、湯河原、熱海、伊東、長岡、石和といったあたりだ。宿も安いのを探して出掛ける。一人一万円を越す宿は有り得ないのだ、エッヘン。
 宿が古くなっても簡単に建て替えられない。大金を掛けてリニューアルしても、元をる保証は無いのだから。
 それで安く提供して客を呼ぼうと言う訳だ。我々夫婦には持って来いで有る。従って建物ばかりとなる。
 あたしは古くても気にもならんが妻はお気に召さない様だ。併し経済の原則には逆らえないので、我慢をせざるを得ない。可哀そうでは有りますなあ。
 妻はその代わり風呂には注文を付ける。清潔で且つ露天風呂が良い事。あたしは此れ又大きな内風呂が有れば文句は無いのだが、そうは行かないのでちと辛い。
 確りした露天風呂を求めると、選択範囲が大分狭まるのだ。後から取って付けた様な露天風呂が結構多いのだ。屋上にジャグジーの様な小さなやつを置いたりする。
 どうでもよかろうと思うのだが、本人としては譲れぬ処なので仕方が無い。まあ、あたしだって気持ちの良い露天風呂は好きなので。
 食事は二人共拘らない。部屋食より食堂が良い、位だろう。バイキングだろうと御膳だろうと宜しい。
 第一そうは食べられなくなっている。御膳だとご飯を食べるどころでは無い。おかずも食べ切れないのだ。
 そう考えると、妻が風呂に拘るのも無理からぬ事だと分かる。でも、何と言っても何も家事をしないで良いと言うのが最高なのだろう。二人暮らしでも家事は妻がやっている。
 まあ、あたしの妻への罪滅ぼしの意味も有るんでしょう。それに元気で歩けなくなちゃ旅行どころじゃ無くなるもんね。