2024年5月4日土曜日

閑話 その四百四十八


 

 三月末に平標手前迄行って、偉く疲れてメロメロ、四月は登山どころではない有様。仕事のない日は午後にはだるくなって昼寝の日々、老人みたいだった。いや、既に立派に老人かw

 連休後半初日の昨日、快晴で爽やかなので弘法山でもと思ったが、足慣らしで吾妻山から「野仏の道」を下って鶴巻へ出るのが良かろうと出掛けた。

 新緑を期待してたが、里山の新緑は終了し普通の緑になっていたのは一寸と残念。流石連休、行きの電車は通勤電車並、鶴巻の駅でもぞろぞろとハイカーが降りる。吾妻山への登りで行列になったのは驚いた。しかも多くが若者なのだ。丸で大倉尾根である。息は切れたが意識して息を吐き、吾妻山へ着けた。

 吾妻山もハイカーが一杯。そ吾妻山の一寸と先に「野仏の道」への分岐がある。そこからは静かだ。最初の小さな仏像に手を合わせていた若者に会っただけだった。あたしの見た限りでは三体の仏像がありました。


 
 暫く下ると里になる。振り返って見た稜線が上の写真。

 たまにある道標を頼りに里湯に着く。一時間丁度のコースだった。今のあたしには丁度良いだろう。次は弘法山に挑戦じゃ! どえりゃあ低水準の話になってもうたがね。養老院もそう遠い話ではなさそうだ(涙)。

 十一時半、未だ空いているうちに入浴できてラッキーだった。風呂から出たら、里湯の蕎麦屋「鶴寿庵」が満員、並んだソファーに座って十人位が順番待ち、こんな光景見た事がない。連休ですなあ。

 アルコール自販機で若者が困っている。「免許証を入れましたか」、免許証を入れても駄目。あたしが試しても駄目。中年二人連れも駄目、壊れてるのだ。「あの売店で生ビールを買わす陰謀だろう」と皆で笑った。

 体は少しずつ回復した様だ。変な病気でなければ喘息の所為だったんでしょう。だと良いんだけど。

2024年5月1日水曜日

閑話 その四百四十七


  先月七日に次女が仲間と二人で爺ヶ岳ピストンをした、との事で驚いた。無雪期なら扇沢から九時間弱で往復できるが、積雪期は夏道は巻路の為使用不可能で東尾根を登る。路ではないので苦労だ。十一時間掛かったと言うが、さぞや疲れた事だろう。

 四月の初めなのに雪が少なく、下の方はぐちゃぐちゃの泥で大変だったと言う。いやあ、何と雪融けの速い事よ。うっかり地球温暖化か、と思ってしまいそうだ。

 あたしは春の東尾根を三度登っているが、雪の状態は毎度違った。楽な時もあれば、変に雪が波打って偉く苦労した時もあった。でも雪が融けて土が出ている事はなかった。ゴールデンウイークでですぞ。

 雪の東尾根がきついのは、雪の直登ばかりだからだ。尾根の傾斜をその侭登る。45度な45度の傾斜だ。逃げようがないので馬力で行くのみ、ね、辛そうでしょうが。

 上の写真は大分登ってから見掛けた雷鳥のようです。天気が良さそうで羨ましい。尤も後期高齢者のあたしは、ピストンなんて想像しただけで疲れ果てるけどねw

 次女と仲間は若さ(比較して)ですなあ。昔のゴールデンウイークでも、登山口の河原にテントが何張りかはあった。それをベースにピストをしていたのだろう。昔のあたしは若くて(え、バカみたいな表現?)、ピストンなんて勿体なくてしなかった。為に幕営具を担いで喘ぎ喘ぎ登るのが東尾根だった。

 頂上からの展望も送ってくれたのだが、動画なのであたしのPCには取り込めないの。大分使っているので、古いバージョンになっちまったんでしょ(涙)。その動画を見ると丸で六月の山の感じだ。一気に気温が上がったから、一気に溶けた。天神平スキー場も営業終了している。何時もならゴールデンウイークが稼ぎ時なのに、気の毒に。

 爺ヶ岳、もう一度登ってみたいです。

2024年4月28日日曜日

休題 その五百二十


  メッケル少佐の話を続ける。ドイツ軍学の最大欠点は要塞攻略法を持たない事だとある。為に第三軍工兵科の将校達は対要塞戦術の研究を始め、フランス流の攻撃路掘削工事を提案、六時間の激論の末に乃木将軍がフランス流採用を決定した。それが203高地陥落に繋がる。司馬氏は「この程度の幼稚な行動作戦に対しては適切に手を打ち、この為あまり功を奏さなかった」と書いている。

 その203高地である。第一回、第二回総攻撃方法は参謀本部の命令による。乃木軍の無能ではない! 海軍から203高地攻略の要請が来た時、拒否したのは大山巌と児玉源太郎である。司馬氏は「乃木軍幕僚達は大戦略という高次元から陸海軍対立という低次元に引き下げて、203高地への主力攻撃を拒否つづけてきた」と書くが、こうなると何が何でも乃木軍を悪者にしたい、との意図が見える。

 司馬氏の文章の引用を続ける。「海軍の、攻撃の主目的を203高地に限定してほしい、との要求は哀願といえる調子に変わっている。203高地さえおとせば旅順港を見下ろすことができるのだ。大本営も充分承知していた。ただ現地軍である乃木司令部だけが「その必要なし」とあくまで兵隊を要害正面に並ばせ、正面からの攻撃に固執し、無意味に死地に追いやりつづけている。無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう」。

 著者の鈴木氏は書き乍ら血管が破れかけたのではないのかな。ウソで固めて乃木将軍と幕僚達を最大限の表現で罵っている。司馬氏の取材不足?いや、そんなこたああるまい。何人もの若いユーチューバーが資料を元にして日露戦争を紐解いている。乃木将軍が陸戦の救世主だったとの結論に、調べる皆さんは到達する。事実だからだ。「坂の上の雲」は小説ではあるが影響力が巨大になった。単に司馬遼太郎が乃木大将を嫌いだっでは済まない。事実は時と共に明らかになるものである。若者に期待しよう。