2013年7月31日水曜日

蝶々蝶々、菜の葉にとまれ♪ その三






 そして、三々五々稜線を行くのだ。以上は夏山を対象として居る。実は、冬山、春山にも中高年は多い。勿論夏より比率は大きく落ちるけど、立派に雪をこなして居る。見事なもので有る。
 残念な事に、冬、春でも、遭難者の主力が中高年になって居るのは、そう言う訳だ。矢張り、若い衆より弱いのだ。(ひどい言い方なのは、心得てます)
 春でも冬でも、好天が続けば問題は、殆んど無い筈だ。お天気商売で、お天気が微笑んでくれるんだから、最高じゃんさあ! 微笑んでくれなければどうするだって?サバイバルが始まる。文字通り、命懸けで有る。
 天候以外に問題が有ったとしたら、前述だけれども個人的疾病に起因する事柄だと思う。歳を取れば致し方無い事で、病の一つや二つは抱えて仕舞う。
 山中で暴れ出さない様、充分な注意は必要だ。大体は何とか押さえ込んで行ける様だ。それでも、心臓や脳には負荷が掛かるだろう。汗をかくので血液ドロドロ、倒れる人が居ても当たり前だ。結構多いらしいが、遭難とは扱われない。山中の病死で有る。
 其れは其れで、仕方が無いと思って居る。中高年でマラソンに嵌ったら、マラソンの途中で倒れる事も、想定内でしょう?
 で、話は戻るけど、本当にまずいのは天候急変だ。遭難の多くが此れでやられる。中高年に思いの外自覚が薄いのは(含む私)、若い頃の体力は、薬にしたくとも無い、と言う自明な事柄なのだ。
其の時に分かるだろうが、急激な体温低下に、抵抗出来ないのだ。で、みすみす装備を持って居るにも係わらずに、活用する暇も死神は与えてくれない。其処が若者との差なのだろう。
 今迄に其の手の気象遭難が、何件有った事か。十や二十なんて数では無く、五十を大きく超える筈だ。何せ相手が大自然なので、どんなベテランにも、何とも成し難い。ヒマラヤ経験者で有ろうと、カラコラム経験者で有ろうと、駄目な時は駄目なのだ。
 (蝶々蝶々、菜の葉にとまれ♪ その四へ続く)

2013年7月28日日曜日

柄でも無い事 その四十四




 演劇をやって居た話は前に書いた。劇団が解散しても、脚本を書く魅力は捨て切れず、青山のSセンターの夜学生になった。
 週一の二時間の授業、と言うよりゼミで有った。当然だけど突然には入れない。其の前に、三十本だか四十本だか忘れたが、映像にして十分位のシナリオを通信教育で済ました後に、入学資格が生じるのだ。
後は入学金と授業料を払えば其れで良しで有るのは、何処(いずこ)の大学も短大も専門学校も、全く同じ事。
 通信の方は問題無かった。ま、あくまであたしに取ってなんだけど。課題を送れば添削されて帰って来る。褒められれば(最初は褒めるのが方針なので、たまには有った)、うん、そうだろうとも、とご満悦、注意を受ければ(殆どがそうなのだが)、フン、全然分かってねえな、と無視する。
 一体何の為に、通信教育を受けて居たんだろうね?学ぶ気が無かった、と言う事だろう、きっと。そう思わざるを得ない。
 なんか注意が朱で入って居ても、全然気にもならない。で、週に一度のペースで出し続けて、通信を終えた。此のペースは、リングの鈴木光司氏(彼はセンターの先輩)と同じだそうだ。違いは作品の出来だけって事かな。
 ゼミになったら、そんな御気楽は何処かに吹っ飛んじまった。課題に沿って三十本書いたら卒業なのだが、結婚式とか復讐とか弁護士とか医者とか裏切りだとか喜劇だとか、課題も多岐に渡って、中々骨で有る。
 其れをゼミで読み上げ、(あたしの場合は)集中砲火を浴びるのだ。当然若者が多いので、あたしが三本柱にした、時代物、戦争物、SFのうち、時代物と戦争物は用言からして分からない、具足と言う言葉すら知らない。
若者A「あ、済みません、寝てました」
 となる。知らない用語を列挙されると、緊張が切れるので、無理からぬ事で有る。寝てる人は良い、攻撃して来ないから。
 中年入口の曲者が何人か居た。コンクールの受賞経験が居たり、如何にも上手いシナリオを、たまに発表してクラスに居続ける、俗に言う処の古狸達(失礼!)で有る。
 そしてセンスの有る三十代の女性達。此れも曲者だ。其の、古狸と曲者女性達が、遠慮無くあたしのシナリオを攻撃するのだ。
 どうでも良い話は続きます。

2013年7月26日金曜日

蝶々蝶々、菜の葉にとまれ♪ その二




 うーん、テントを背負ってどころか、昔風(今では古いのだ)の自炊の山旅すら、馬鹿らしく思えてしまう世界だ。自炊ともなれば一般装備に加えて、鍋窯に食器、コンロに燃料、そして日にち分の食料は、嫌でも担ぎ上げなければならない。
 此れは夏だけで無く、雪の真っ只中の冬山春山でもそうなの。自炊部屋の住人と言うと、多くても二、三人で、冬ともなれば、まず私一人っきりの世界。
 どうです、中高年登山者には持って来いの環境が整ったでしょう?多少(多少じゃ無い!)金額は張るけれど、余裕が有る人達には何と言う事も無い。私にとっては、何って事が有るので、小屋なら季節を問わず自炊専門なのだ、えっへん(涙)。
 其の上皆さんお元気!自分も中高年なのに言わせて貰えば、先輩なのに私よっかよっぽど元気。で、人生経験も豊富なので(詰まり甲羅を経て居る、あ、失礼!)口も減らない。パーティで言いたい放題言い合って歩いて居る。実に賑やかで有る。
 大パーティも有る。二十人以上も稀(まれ)では無い。大昔は、こんな大パーティは大学生と相場は決まって居たのだが、今では中高年で有る。併し、多くの中高年は数人のパーティで、単独行者も結構居る。
 ずーっと山登りを続けて来たベテランも居れば、定年後に山を始めた人も居る。若い頃に山をやって居て、定年後に再開した人も多い様だ。克明に聞いて歩いたのでは無いので、保証は致しかねるが、当らずと言えども遠からず、だろう。と馬鹿を言ってるが、外にはパターンが無いじゃんかさあ。
 皆さん揃ってお洒落で有る(例外が少数は有る。例えば私)。持ち物の道具も新型が多い。ベテラン氏は、手入れの行き届いた革靴を履いて居る事が多い。そんな確りした登山靴は、多分今では売って居ないだろう。
 (蝶々蝶々、菜の葉にとまれ♪ その三へ続く)

2013年7月24日水曜日

閑話番外 その七十一




 「山の報告 蝶・常念」では書かなかったが、蝶にも常念の幕営地にも、昼には着いて居る。そして、ばっちりバテて居るのだ。もう歩けないだよ、と言う程だ。
 毎度の事なので書かなかったのだ。昼に着けば、ぶらぶらしたり、ぼんやりしたり、酒やお茶を飲んだり、ゴロゴロして居るだけなのだから、そんなに早く着く必要は全く無い。
 午後の夕立(?)を考えても、一四時位が妥当な時間だろう。だったら、ゆっくり着いて其れ程バテて居ない、とは出来ないものだろうか。歳なんだし。
 其れが出来ないんだよねえ。だから毎度同じ事になる訳だ。馬鹿なのだろう、きっと。
 で、考えた。ワンピッチを短くするのはどうだろう。今迄のワンピッチは五十分から一時間、参って来ると四十分から五十分。調子が良ければ一時間を大分超える。其処で一本立てる(小休止の事)のだが、碌に休まない。
 話し相手も居ない休憩は、どうしても短くなって仕舞う。未だ未だと自分に言い聞かせて、休む有様だ。
 ワンピッチを強制的に三十分と決める。そして最低十分は休む。歩行時間に対して休憩時間が増えるので、無闇と早く着く事も無くなる。おまけに其れ程はバテない筈だ(だと良いなあ)。
 うん、今度は其れでやって見よう。歳だし荷がでかいんだから、しょっちゅう休んで居ても、誰も文句は言うまいて。え、最初から誰も文句なんか言わないって?そうよねえ。
 次の機会は、其の実験じゃ、わっはっは。
 さて、どうなる事やら。