2010年12月30日木曜日

達磨さんが転んだ その三


 犬越路から一時間半弱、ひたすら登ると、ポンと大室山へ着いて仕舞うのだから、何と良い話じゃ御座いませんか。あそこが頂上かな、と何度も騙されガックリしないで済むのだから。
 でも、或る程度の荷物を背負て、幕営か
避難小屋で過ごすつもりの時は、結構きつい登りとなる。前どっかに書いたかな?ダブったら失礼。
 雨の秋の日、濡れそぼった黄葉の中をザッ
クを背に犬越路から大室山へ登ったが、そんな時には意外と辛い路で有る。檜洞から蛭を目指したかったのだが、天気はずーっと悪いと分かって居たので、蛭は止めて畦ヶ丸に行くと変更したのだ。
 だって、雨の中苦労して、蛭に辿り着いて
も何も見えないし、唯濡れて苦労するだけなんで、じゃあ、畦ヶ丸が良いじゃないか、と決めたのだ。
 え、普段は雨だろうと風だろうと関係無く
丹沢は素晴らしいと言って居るのに、話が違うって?良いの、雨は畦ヶ丸の方が似合うのだから当然の判断なの!(勝手な言い分ですか?)
 何時の話かと言うと、十年前位の事。うー
ん、ほぼ三日間共雨だった。其れは其れで、しっとりとした貴重な思い出になって居るのだ。何たって丹沢だもんね。無理してないかって?全然して無い。
 大室山の様な樹林の山は、天気に関わらず
風情が有る、と言う事は、天気が良くても展望が利く訳では無いし、ガスって居る方がかえって幽玄で楽しかったりするものだ。
 だが、黄葉真っ盛りの時期は違う。全く違
う。飽くまで私感だが、ガスの中の黄葉より、日を受けて煌く黄葉が遥かに美しい。我乍ら俗な感覚だとは自覚して居るが、晴天の黄葉の下を歩いて御覧なさい、きっと同意してくれる筈です。うん、新緑の頃もそうなんで、此れもお試し下さい。
 椿沢の章で、最後は詰め上げたと書いたが、
何せ相手は大室山で有る。と言っても分からないでしょうねえ、昨年初めの頃の章だから。お暇な方は、ご覧下さい。
 で、流れが消えて、斜面に取っ付いてから
の登りが長い。おまけに幕営具を背負って居るので重い上に、足元の悪い斜面が、やけに長いのだ。
 YとSBが私に続いて居るが、直ぐに間隔
が開く。私が振り返ると、二人は瞬間にぴたっと動きを止めて私を見る。
 こっちは追いついて来るのを待つつもりで
立ち止まったのに、二人はピタッと止まって私を見て居る。何考えてんだ、全く!ま、辛いのは分かるんだけど……。思わず笑ってしまった。
私「達磨さんが転んだじゃ無いんだ、止まら
ずに登るんだ!」
二人「……」
 (達磨さんが転んだ その四へ続く)

2010年12月29日水曜日

クソ面倒な話 その二十六


 本棚に有るので読み直そうかとは思って居るんだけど、まだ読み直していない。ブックオフに持って行ってもせいぜい50円だろうから、読み直した方が、比べれば未だしも良いだろう。
 何の本かって?失礼しました、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」です。初めて読んだ時は、フーンそんなもんかね、と思ったんだけど、今思えば、フーン馬鹿言うんじゃねえよ、と言う内容ですなあ。
 DNAが生物の形態を決める?本当にそうなんけえ??
 蛙のDNAを鳥の卵子のDNAと入れ替えたら、鳥がオタマジャクシに代わって生まれるのかねえ?
 此れは無いのだ。人のDNAを犬の卵子に挿入(勿論犬のDNAを取り去って)しても其の卵子は発生せず、死ぬ。
 DNAが生体を乗り物として、生き物全てを制御するものならば、其の現実は矛盾としか言い様が無い。え、分からない?
 生体がDNAの乗り物だとしたら(「利己的な遺伝子」)、DNAの命令に従うべきで、発生は無い、と言うのが、既に間違えだと指摘して居るのだ。
 同じ配列のゲノムでも、種に依って違う働きをする。例えば、人なら眼を造るが、全く同じゲノムが虫では複眼を造る。其の種の文化伝統(?)に依ってDNAは解釈されるのだ。
 DNAで生体が定まる訳では無い。DNAが全てを決すると言うのは、新しいDNA迷信の誕生と言う事で有る。
 此れがネオダーウイズムと手を組んだからややっこしくなっちまった。
 迷信とは、科学が進歩するに合わせて、見
掛けは進歩して、限りなく湧いて出るものなんですなあ。
 勿論、ネオダーウイズムの事です。

2010年12月26日日曜日

達磨さんが転んだ その二


 無理を言いました、大室山自身には全く責任の無い事。あくまで地政学的問題なのだ(オーバーな表現です)。それに、山頂で聞くチャイムも何か哀愁を感じられて、割りと良いものでは有る。バイクの爆音は勘弁して欲しいが、風向きも影響するので、何時でも聞こえる訳では無い。
 さっき触れた国境尾根は、今は点線の路に
なって居るだけでなく、流行の山駆け回り(正確な呼称を忘れた)のコースで、厳しさ度No2か、No3か、No4になって居るそうなんで、国境尾根を走って登り、大室山頂手前から神ノ川へ走り下り、風巻へ昇り返して姫次に登り、其処から下ろうと言う物凄さ、おー、やだやだ。
 其の異常に厳しいレースの参加者諸君には
敬意を表するが、心肺機能は間違い無く逞しくなるだろうが、偉く関節に悪いと思える。過重な負荷を掛け続けると、軟骨は当然乍ら磨り減って、加齢と共に動けなくなるのは、決まりきんた……、う、ヤバかった!
 まあ、山はレースの会場では無い、と言う
年寄りのノスタルジーなんでしょう。山は、私に取っては相変わらず神聖な場所で有って欲しいので、旧弊と言われても直せないのだから、年寄りは仕方無いのだと思って頂ければ有難いのです。
 前述の通り、形がどっしり型なので、もう
着くだろうと思われる地形になってからが長い。あそこがピークか、と何度も思わされ、何度もがっかりする造りなのが、とても良いんだか悪いんだか(悪いよ!)。
 其の思いをしないで済むのは、犬越路から
登るのと加入道から登るコース位だろう。此れはさっと登って、さっと下れるのだ。結構嬉しい。
 秋の一日、卑怯にも車で用木沢出合いに入
り、白石峠へ登り、大室山から犬越路へ下って来た事が有った。黄葉真っ盛りの山に出掛けた訳で有る。二昔前の事。此れは楽なルートなんで、へっへっへ。
 快晴の秋、空気は偉く冷たいが、気にもな
らない。一面の樹木が色付き、空気迄其の色に染まるかと思わされるのだ。ね、良いでしょう、何て幸せな私。加入道を超えて破風口へ下る時がハイライト、大室の斜面を背景とし、一段と黄葉が映える。
 こちとら其の時は、車なのでスタートが早
い。暗いうちから既に丹沢の麓を走って居て丹沢湖へ登って行く。其の侭車を置いて、白石峠へ登って行くのだ。だから一番バスで登って来た人達とは、私が大室山を下り始めて擦れ違う事になる。
 「もう下りですか」「速いですねえ」と声
を掛けられるが、単に出発が早かっただけなので、ばつが悪いのです。
 擦れ違った人達は、バスで来た人が多いの
で(きっと)、当然西丹沢のバス停で降りて用木沢出会い迄三十分。其処から気持ちの良い流れに添犬越路って行くと、知らぬ間に流れから離れ、笹の犬越路に着くので、人気のコースなのは無理も無い。
 (達磨さんが転んだ その三へ続く)

2010年12月25日土曜日

休題 その五十六


 デフレスパイラルに入った様だ。柄でも無い事と間違えるなって?今回は此れで良いのです。
 かってのバブル経済の主役を演じた地価も、もう上がる事も無いだろう。一部を除いて下がり続けるかものだろう。何たって、人口減に突入したのだから。
 
IT氏の話だと、我々ワーキングプアーの収入でも、世界的に見れば上位10%以内に入るそうで、不景気だと言い乍ら、餓死者が出ないのも道理で有る。
 唯、其れが何時迄もつかが問題なので、デフレ+急速な高齢化+人口減、見る見る減少する税収、増大する福祉費、膨れ上がる借金。
 やがて破綻せざるを得ないのは、火を見るより明らかなのは、どなたもご承知の通り。そうなっちゃあ、途上国並に餓死者も普通になる事だろう。
 前にも触れたが、飢えとは、人をして人では無くする力が有る。黙って飢えて死んで行くより、あらゆる方法で飢えからの脱出を図る。従って治安は悪化すると言うより、崩壊すると言った方が近いかも知れない。
 やったー、此れで立派な発展途上国の仲間入りだ!
 間違えた。方や右上がり、方や右下がり、仲間入りでは無く、交差で有る。右下がりの先に待つのは、姥捨て、人食い、羅生門。
 暗く見過ぎだって?まあ、そうだけども、ほぼ其れに近くなるかも知れない。液晶パネルに続いてリチウム電池も、韓国に抜かれた。
 印度も発展夥しいが、算数の基礎の九九が、十九十九なのには驚く。詰まり日本では九九八十一で終るが、印度の子供達は十九十九三百六十一迄暗記するのだ。勝負にならない。
 流石に気付いて、ゆとり教育とやらは是正される様だ。だが、意味の無いばら撒きは続く。其の為に増税に走る。ま、自分等で選んだんだけどね。(あたしじゃ無いよ)
 軍隊と政府は、国民の水準を越す事は無いと言われて居る。実際、其の通りだと思う。
 軍隊は超一流の水準を保って居る。全員志願兵だと言う事も有るのだろう。え、日本には軍隊は無い筈だって?国民全員(除く、一部の人)が嘘吐きなんだよ!!
 嘘も休み休み吐くもんだ。自衛隊と名付ければ軍隊では無いなら、列車と名乗る旅客機も有るべきだ。
 政府は残念乍ら、見事に尻尾を出しちまった。馬鹿だ、ありゃあ。でも、あれが国民の水準って事なのだろう、少なくともあたしの理論で言えばだけど。
 先生が生徒を殴れば大騒ぎ、生徒が先生を殴っても、有りふれた事。無闇と変じゃない??
 長い間掛けて馬鹿にしようとすれば、やがて一国が馬鹿になると証明された様なもんだ。あ、あくまで私見なので、腹の立つ人も居るでしょう。其処はご勘弁を。
 でも腹の立つ方、確りと見て見ませんか?

2010年12月23日木曜日

達磨さんが転んだ その一



 「たった一人の贅沢な夜」で、大室山を書いたのだが、殆ど大室山に触れて居なかったので(其れってどういう事なんだよ?)、追加します。
 山頂からの展望が樹木に隠され、良く見え
ないのは残念だが、林相が見事なので相殺としよう。若し展望が利いたとしたら、右手に熊笹ノ峰がどっしりと構える。檜洞丸は其の背後なので目立たないのだ。
 其の左に、蛭ケ岳が奥深く聳える。神ノ川
側からも熊木沢側からも、どーんと立ち上がって居るのが壮観なので、流石に最高峰は違うのだ。
 蛭からは一気に高度を落とし、なだらかな
姫次、袖平の山々となる。足元は深く神ノ川へ落ち込んで居る。うーん、絵を描ければ描きたい構図だ。
 白状すれば地図を読んだんじゃ無く、頂上
からの国境尾根(県境尾根と呼ばれて居るが、私は頑なに国境尾根と呼ぶのだ。甲斐と相模の国境なんだから)を一つ下のピークの又下に下ると、展望が利く場所が有って、其処で見たと言う事なんです。一度行って見ても良い場所です。天気が良ければだけど。
 大室山はでかい。勿論皆さんはご存知の事
でしょう。其れでもくどくど言うのは、本当にでかいからなんで、疑う人は登れば分かるから、とても簡単なのだ。
 簡単に分かる事は真実だと私は思って居た
けれども、科学者の言う「真理は単純で美しい」と言う信仰(?)に疑問を感じて来た限りは、考えを変えざるを得ない。
 E=MC二乗。此れだって、計算間違えが
有ると言う説が有って、そうかも知れないと私は思う。大体、何で光速が出て来るの?
 きっと、私の無知の所為なんだろうけど、
素朴な疑問は持ってしまうのだ。現に核エネルギーは、其の式に当てはまって無いんじゃ無いのかい?
 量子力学はゴチャゴチャで、「真理は単純
で美しい」とは、ボーアもアインシュタインも、多分言えないだろう。
 丹沢と科学とは無関係なのに、一応首尾一
貫させたいのだが、させられないのが私の弱点なのです。処で世の中に首尾一貫してる状況って有るの?無い方が多いだろう多分……。
 こうなりゃ最早滅茶苦茶、首尾一貫して無い
し意味不明。はい、例に依って酔ってます(韻を踏んじまったぜ)。はい、此の話は忘れましょう。
 大室山なんだけど、文句を付けると甲州側
から近過ぎる。仕方無いのは良く分かる。甲州側は標高が高く、国道も直ぐ下(比喩です)を通って居るんだから、バイクや車や部落の放送が聞こえる。学校のチャイムすら聞こえる。深山が台無しでは無いか。
 (達磨さんが転んだ その二へ続く)

2010年12月19日日曜日

柄でも無い事 その二十七


 十一月五日、絵本作家佐野洋子氏が亡くなった。実は其の訃報で初めて佐野洋子氏と、代表作“百万回生きた猫”を知ったのだ。
 ざっと粗筋が紹介されて居たので、興味を持ち、図書館へ行った。絵本コーナーを見て回るが、馴染みの無いコーナーなので、見つけられない。 仕方無くカウンターへ行った。
私「伺います。百万回死んだ猫は何処に有るのでしょう?」
係員「百万回生きた猫です。こっちです」
 死んだと生きたとでは、大分違う。良い恥をかきつつ係員について行く。
係員「はい、此れです」
 礼を言って、椅子に座って読んで見た。絵本なので、即読める。即涙だった。
 ネットから粗筋を借りて来て、ご案内しましょう。知ってる人は御免なさい。勝手に使って御免なさい(ペコリ)。

 死んでは生き返ってを繰り返し、100万回もの生を受けた猫がいました。猫にはいつも飼い主がいました・・・その数100万人。
 皆、猫が死ぬとワンワンと嘆き悲しみましたが、猫自身は一度も泣いたことがありませんでした。

 ところが、この猫に見向きもしないものがいました。それは美しい白い猫でした。猫は腹を立てました。そして毎日毎日、白猫に「俺はすごいんだぜ、なんてったって100万回も生きたんだから」と、自慢話をしに行きました。

 白猫は気のない相づちを打つばかりでした。今日も猫は「俺はすごいんだぜ」と言いかけて、途中でやめました。そして「そばにいてもいいかい?」と尋ねました。白猫は「ええ」とだけ言いました。

 2匹は常に寄り添うようになり、一緒にいることがなによりも大切に感じるようになりました。

 それからかわいい子猫がたくさん生まれ、猫はもう得意の台詞、「俺はすごいんだぜ」を言わなくなりました。いつのまにか自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。

 やがて子猫達は巣立って行き、白猫は少しお婆さんになりました。猫は、白猫と一緒にいつまでも生きていたいと思いました。

 ある日、白猫は猫の隣で、静かに動かなくなっていました。猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。

 猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。

 それから猫は、もう決して生き返りませんでした。

 おじさんが絵本を読んで涙をこぼして居るのは、絵にならない事夥しい。
 ね、柄でも無いでしょう。

2010年12月18日土曜日

休題 その五十五


 あたしはテレビは見ないとは、何度も書いた。家族は見る。最近はNHKの竜馬伝がお気に入りで、毎日曜には喜んで見て居た。あたしは寝て仕舞う。
 20時スタートの時は寝て居るのだから、山小屋の暮らし、いや、入院患者の暮らしで有る。ボケ老人と言っても正しいだろう。
 当然竜馬が暗殺されて、番組は終った。家族は其れを寂しがる。余程気に入ったのだ。じゃあ、竜馬が死んだら西郷隆盛を軸に、戊辰の戦から西南の役迄描けば、とあたしが言うと、西郷役の俳優に魅力が乏しいので無理だ、と却下された。
 我が家はプロデュース部なのか?
 ワーワー言い乍ら幕末の話に花が咲く。まあ、悪い花では無い。いや、とても良い花だ。
 司馬遼太郎が“竜馬がゆく”を世に出す迄は、竜馬はマイナーな存在だった様だ。一部の好き者しか知らない人物だった。うーん、信じられない思いが有る。しかし、真実なのだ。
 数々の作品で幕末から明治を、新鮮な視点で見事に展開し、広く人々に知らしめた司馬氏の功績は、極めて極めて大きいとあたしは思って居る。
 幕末から明治へ掛けての歴史を、封建制度から帝国主義的資本主義への変換と位置づけたい諸君には、国を保全するが故の壮大なドラマなんざ描かれては迷惑千万なこったろう。
 従って、司馬氏は左翼の諸君には受けが悪いが、歴史は決められた(マルクス等が流れを決めた)見方に従いたい為に、変にひん曲げて、訳を分かんなくする其の手の諸君、嘘はいつかバレるって事さ。
 竜馬伝の後は、坂の上の雲の第二部が始まったが、勿論あたしは寝て仕舞う。
 あの大品を、貧弱なテレビで描くのは、どだい無理だと思って居るし、何とか少しでもわが国を悪く描きたいと言う癖を持つNHKだから、見ないのです。

2010年12月16日木曜日

地図でも濡れ放題~♪ その五


 現在位置不明の幕営で無くても、単独の雪山では、テントの中で必死に地図を見て居るのは通例だ。明日のルートを確かめる為だ。それも、何度も何度も。未知の雪稜が不安なのだ。臆病ですなあ。
 他にパーティが居たり、トレースが有った
りすると、気持ちはずーっと楽になる。10のプレッシャーが2位に減る。人は一人では生きられないものなのだ(え、意味が違うって?)。
 前述だが、翌日歩くルートの大分先にテン
トが張って有ると、心底ほっとする。翌日、万一見通しが利かなくても、彼らのトレースを追えば良いのだから。
 だらしない発想で有る。そんなんじゃ、一
人でテントを背負って来る甲斐が無いと言うものだ。NやIだったら、さっさと先行パーティを抜き去って、自分でトレースを付けるだろう。ま、どうせ私は其の程度なんだから、此の位は大目に見てやって下さい。
 他のパーティと言えば、春の上越の稜線で
十人程の学生パーティに追い付いた事が有った。昔だったので追い付けたので、今なら其のパーティを見る事も無く終っただろう。
 見晴らしの良いピークだった。彼等は休憩
中で、大鍋で雪を融かして居た。私もザックを下ろした。
学生A「溶けたから、入れますよ」

学生B「おう」

 大鍋に粉末のポカリを入れてかき回し、皆
で飲んで居る。それ迄は、ポカリスエットなんて馬鹿みたいだ、なぞと思って居たのだが、凄く美味しそうで、あー、俺も飲みたい!と羨望の目で見て居たのだ。本当に美味しそうだったなあ(涎)。
 大パーティの強みで有る。色々と持ち込め
る。冬山のテント村、確か大遠見だったと思うが、鍋を作って居る。ま、肉がメインだろが、さぞや温まる事だろう。あ、見たのじゃなく聞こえたのだ。お互いテントの中だから。氷点下二十℃以下の環境で、雪の中、普通表で鍋は食べない。
 お汁粉を作って居るパーティも有った。「
もう餅を入れても良いんじゃない」なぞと聞こえる。こっちは羨ましくて、悔しまぎれにコーヒーなぞを飲む。
 良いのさ、酒だけは確り用意して有るのさ。
鍋が何だ、汁粉がどうした。こうなりゃあ飲んでやる!
 地図を必死に読む話だった。食い物の恨み
つらみではなかった。
 考えて見れば、地図を必死に読む局面は、
結構少ない事が分かった。大体は好い加減に地図を読んで、何とかなって居る。登山道を行く時は、地図(地形)を読むのではなく、記載された時間を読んで居るのだ。
 地図を必死に読む局面は、穏やかな状況の
筈は無いので、少ないに越した事は無いのです。

2010年12月14日火曜日

閑話番外 その三十九


 ブロガーがダウンしてから、ダイレクトに書き込んで居るのだけど、何もやって無いのに、字の大きさが勝手に変わる。PCの恣意としか思えないんだけど、そんな事は無いだろうから何か訳が有るのだろう。
 別に害は無いので構わないのだが、ひょっとしてこいつ(あたしの事)、馬鹿なんじゃなか?と思われるのも何なんで(何だよ!)、言い訳っぽく書いたのです。
 ま、馬鹿には違い無いんだけど……。

2010年12月12日日曜日

地図でも濡れ放題~♪ その四


 土のギャップは横に伸びており、10m程先に木が生えて居る。其れも、斜面から横に出て、直ぐに上へ向かって伸びたと言う変な奴だ。そう言う方法しか、成長は不可能な地形なのだ。
 けっこう太いので、あれにぶら下がって這
い登れば、土の壁は突破可能だろう。いや、どう見ても其れしか方法は無い!一寸と上には笹も生えて居るのだ。
 で、足元を崩し乍らびくびくもので土のギ
ャップに沿って進み、其の木に取り付き、腕の力で体を持ち上げ、木の湾曲部に立てたのだ。やったー!!
 今なら出来ない。やったとしたら、良くて
も木にぶらーんとぶら下がって、やがて力尽きて落下してお葬式。
 実際は、其の木に着く前に足元が崩れても
当時の様には素早く移動も出来ずに、土に深く長く恨みの爪痕を残して滑落、お葬式。
 いやー、昔で良かった。今ならどう転んで
もお葬式なのだ。木の上に立てば、ギャップの上の斜面に手が届くので、笹を掴んで力任せに突破しました。
 従って、必死に地図を見るのは稜線上の下
りの部分か、其のものずばりの訳の分からん下りなのだ。
 視界が利く時は良い。地形を周りと照合し、
間違い無い事を確認すれば良いのだから、気が楽で有る。とか言って、見事照合出来れば苦労は無かとですよ!あ、九州弁になっちまった。兎に角、思う様には行かんとですよ。間違えるんだ、普通は。でも、間違えない自信は有ったとです。ばってん……。
 其れでも間違えて、Yに酷い思いをさせた
事は山の報告その一に書いた。いやあ、あの時は全く慎重さを欠いて居て、チラッと地図を見て、此処だと決めたのだから、言い訳もクソ(失礼)も無く私の失態でした。
 何で?とあたしが思う。詰まり、妻とモミ
ソ沢を登って居る時、訳分からん状況で堀山に登って仕舞った様に、ボケが来て居た可能性は、否定できない(涙)。
 本当に、一寸と前迄は有り得ないミスを、
最近はする。方向感覚も鈍った。歳には逆らえないので、無理は禁物って事でしょう。
 問題なのは見通しが利かない時。磁石を頼
みに地図を必死に見る。あ、前提は路が無いか、雪の上と言う事です。そんな時に、ガスが動いてチラッとでもあたりが見えたら、どれだどれだ、今見えたのは此の尾根か、此のピークか、と必死其のもので有る。
 で、たまには間違えて仕舞うのだ。

 間違えた時は先ず不時幕営となる。斜面を
蹴飛ばして張る事も有る。藪を掻き分け張る事も有る。いずれにせよ、凄く楽しい夜を迎える事は間違い無い。
 上越の春山で支尾根を下って幕営した話は
書いた。雪のバケモノ沢の不時幕営もチラッと書いた。
 うーん、現在位置不明状態での幕営は、二
件だけしか思い出せない。外にも有ったかも知れない、としか言えない(酔ってるんで)。
 (地図でも濡れ放題~♪ その五へ続く)

2010年12月11日土曜日

閑話 その六十二


 写真が無いので、既載のイラストで失礼。
 紅葉の山、或いは黄葉の山の鮮やかさを、説明するだけ野暮で有ろう。
 当たり前過ぎるのだが、そう書いたら思い
出したので、一寸と書いて仕舞おう。何、例に依って、下らない思い出話です。
 合戦尾根を秋深い一日に登って居たと思い
なさい。三昔前の事だ。従って背中にはキスリングが乗っかって居る。
 唐松林に差し掛かった。勿論見事に真っ黄
色、空は真っ青、登って来て良かったと思うと同時に、早く稜線に立ちたいと焦る瞬間でも有る。
 それから一寸と高度を稼いだら、新雪で白
く輝く稜線が、唐松の黄色の後ろに姿を現して来た。やがて、唐松林の上に白銀の稜線と言う、絶好の配置になって雪と黄葉を同時に楽しめたが、あれは綺麗でした。
 此の日は大天井ヒュッテ迄。稜線の雪は風
に飛ばされるので、ほんの僅かで数Cmしかない。それでも遠目には白く輝くのですなあ。
 大天井ヒュッテには数パーティが泊まって
居た。二人連れの女性客に、単独の男性が話して居る。
男性「大丈夫だ、俺が連れて行ってやるから」

 槍へ向かうらしい。あたしも其のつもりだ
ったので、耳をそばだてる。女性には優しい男性登山者で有る。
男性「アイゼンは有るだろう?ルートは氷っ
てるからね」
女性達「持ってます」

 しまった!!あたしゃあアイゼンを持って
来なかった。
 どうせ、雪だって薄っすらと有るだけだろ
う、と気楽にやって来たのだ。アホじゃ。一発で理解した。解けた雪は氷となるのだ。氷の皮膜に覆われた岩稜を歩くのは、アイゼン無しではお勧め出来ない。
 で、翌日は燕へ戻って其の侭下山と決めた。
良いのさ、表銀座は逃げないもんねえ。又来れば良いだけの事だ、へん。
 ドジを踏んで引き返す事になっても悲しく
も無かったのは、本当にそう思ったからなので、今ならばさぞやがっかりするだろう。又此処へ登って来なけりゃなんねえのけえ?辛えだよ……。
 嫌だ嫌だ、歳は取りたく無いもんだ。我乍
ら情無い。
 翌日も快晴。早朝大天井の頂上へ上がった
が、いやー、寒かった事。突き刺す様な風で有った。天気は間違い無くもつ。クソ、アイゼンさえ有れば、とは思ったが、悔いても及ばない。あたしは馬鹿だなあ、と改めて思う瞬間で有った。
 白く輝く裏銀座を見乍ら燕へ向かう。又来
るぞ、何時にしよう、いっそ春にするか、なぞと考えつつ。
 合戦尾根を下るにつれ、冬から秋に戻って
行く。そして中房温泉に下ると無料の露天風呂が待って居るのでした。

2010年12月8日水曜日

地図でも濡れ放題~♪ その三


 そうねえ、沢の中だと、綺麗に流れが分かれて居る時位かな、地図を広げるのは。あとはただただ本流を外さない様に頑張るだけなので、地図どころでは無い。
 登り詰めた時、此処は何処?と確認の為に
地図を開くが、登山道に飛び出したら其れも不用と言う事だ。
 尤も、登山道に飛び出したは良いけれど、
自分の位置に確信が持てず、殆んどピーク迄登った事が有ったが、単なる間抜けな話だ。
 訳の分からない尾根を登って居る時。此れ
もまず無い。だって、唯登ってれば目的のピークか稜線に着くに決まってんだから。勿論、スタート地点を間違えて無ければ、の話だけれども。
 尤も、ギャップや大岩、壁が現われたら別
で、此処は何処なんだ!どうすりゃあ無事に逃げられんだよ!!と必死に地図を見詰める事になる。
 残念な事に、そんな場合は地図を見ても無
意味な事が多(と言うより全く無駄)、きょろきょろ見回したり、うろうろしたりして、結局眼で突破場所を探す事が殆どだ。此れは、沢の中でも同じ事だ。
 小草平の沢を登った時の事、二昔半前位だ
ったかな。小さい沢なの、これが。依って、滝も可愛いものなんだけど、高所恐怖症の私にとっては、一寸と嫌な滝が有った。
 下手に頑張らずに左へ巻いたは良いのだが、
足掛かりにした大きな岩がぐらっと来て、何と落下してしまった。しまった!
 親父ギャグを飛ばしてる場合では無い。岩
は連続して居る小滝を、轟音と共に落ちて行く。私は、岩がぐらっとした瞬間に笹に縋って居たので、皆さんには残念でしょうが、ちゃんとぶら下がって居て無事で、ラク!ラク!と無意味に叫び続けて居た。そんな叫びは轟音に掻き消されるのだから意味が無い。もし聞こえても、避ける間も無く岩が来るので、此れ又意味が無い。
 随分前のBがガレ雪崩を起こした時と、殆
ど同じ状況だ。後続者が居れば、間違い無く岩に潰されて死ぬ。後続者が居なくて良かった、本当に!!
 さて、笹にぶら下がって居る私は、取り合
えず何とか立てる場所へ移動した。一生笹にぶら下がって居る訳にも行かないんで……。
 其処で困った。もう戻れない。だって、足
掛りだった所は、岩が失せて仕舞った為、単なる穴になっちまってんだから。
 残る手段は進むのみ。でも、土のギャップ
で進めないのだ。こういう場合の土の壁は手強い。何度そんな思いをした事やら。馬鹿は死ななきゃ直らないとは、本当ですよ!
 こうなりゃあ地図なぞ広げない、とは状況
的に分かって頂けますよね。地図を広げたってクソ(失礼)の役にも立たないのです。
 (地図でも濡れ放題~♪ その四へ続く)

2010年12月5日日曜日

柄でも無い事 その二十六


 唐津に行った関東人は、少ないと思う。
 あたしが思ってるだけだから、本当かどうかは分からない。
 食器類を東日本では瀬戸物と言い、西日本では唐津物と言うそうだ。前は知らなかった。瀬戸物すら、瀬戸内海のどっかで造ってんだろうな、と思って居たのだから、馬鹿みたいでしょう?ひょっとすると、貴方もそうなんじゃないですか?
 瀬戸物の瀬戸は、愛知県の瀬戸なのだ。前に万博が開催された所。え、知ってる?失礼しました。
 唐津の焼き物は歴史も有るし、素晴らしい物だとは、本で見て知って居た。知って居たは間違いで、知って居ると思って居た、が正確だろう。
 博多で唐津焼の展示会を見たら、本の写真の通りなんで、すっげー!とショックを受けただよ。何だか分からん。本の通りでショックを受けて居たら、此の世で暮らして行くのは辛いだろうよ。
 其の通りなんだけど、写真の通りでショックを受けたのはまっこと事実なのだ。思うに、色艶だろう。其れは外の焼き物とは違うのか、と問われりゃあ凄く困るのだが、唐津だけにショックを受けたのは事実だ。
 何なんだろうね。美濃だろうと、備前、常滑、丹波、瀬戸、加賀、有田、
etc. 写真と同じで(勿論同じだ)ショックを受けた事なぞ無い。全く謎だ。
 謎は人生には付き物、場合に依っては生きる上のスパイスなので、さらっと流しましょう(え、自分で引っ張ったんだって?……そうだね)。
 唐津は便利になった。博多から、地下鉄を使ってJRに乗り換えれば、一時間半位で行けるのだ!其の前の事は知らないし知りたくも無いって?尤もです。
 出張の時に足を伸ばした。駅の周りを歩けば焼き物店はたっぷり有る。唐津焼は売りが多い。絵唐津、斑唐津、朝鮮唐津、三島唐津、粉引唐津。それぞれが魅力的なのだ。予算が限られたあたしゃあ、とても困る。
 全種類が欲しいのだが、払うべき金子が無いのだから、かっぱらって全力で逃げるしか無い。追い付かれて臭い飯、おまけに会社は馘首じゃああんまりなので、選ぶしか無い。
 瀬戸(含、美濃焼)は、志野、黄瀬戸、織部、それに引き出し黒位かな。四択だから、思えば楽だ。唐津は五択、余り違いは無かったですなあ。はっはっはっは。
 唐津焼も、使うにつれて味が出る。上手く行けば綺麗に貫入が出てくれる。あたしは其処迄使い込んで無いので、貫入にはお眼に掛かって無い。貫入が入った頃の器は、最高の味わいになっているのだが、好事魔多し、やがて割れる時期が、来て居るのだ。
 写真は安物の絵唐津。散々迷って唐津で買った物なので、出して仕舞ったのです(汗)。

2010年12月4日土曜日

地図でも濡れ放題~♪ その二


 え、反省を求めるって?其れは全く無駄です。不精+アルコールは、私の第二の天性になって仕舞ったのだ。天性は反省のしようも無い、えっへん!まあ、アホとはそう言うもんです(一寸と涙)。
 ところで、割り箸割り放題のグループ、何
ってったけ。リピート中山ってえのは個人名だろう。でも、山小屋で演奏したのは彼なので、其のグループは置いといて、彼の話を一寸としましょう。
 何のこった?当然の疑問だ。リピート中山
氏(名前、合ってますよね?)が加藤文太郎の曲を作り、双六小屋(多分)で演奏したと、山と渓谷に出て居た。五年と一寸と前の事だ。
 え、と驚いたのは、私の不明の至りで有っ
て、彼は加藤文太郎の大フアンだったのだそうだ。双六小屋(多分)では何度も演奏会を開いて居るらしい。調べて無いのはいつもの事で、御免なさい。
 彼が色々と歌う。まあ、小屋の客は喜ぶだ
ろう。もし私が居合わしたら(有得ないんだけど)私はさっさと寝ちゃうにまってるんだが、其の日、其の小屋の客の殆どはリピート中山氏の演奏会を目当てに来たのだろうから、寝やしないだろう。
 わいわい受けて居た演奏も、加藤文太郎の
曲になった時にはしーんと静まり返り、彼方此方からすすり泣きが漏れた、と記事には有り、其の詩が続いて載って居た。
 其れを読んで居た時私は、酔っ払って電車
の中だった。駄目だった。全く駄目だった。すっかり琴線に触れちまって、嗚咽を堪えるのがやっと、涙と鼻水垂れ放題~♪
 酔っ払い親父が吊革にぶら下がって、山と
渓谷を読み乍ら、鼻水垂らして泣いて居る。あー、嫌だ嫌だ、もしそんな奴を見掛けたらヤバイ奴に決まって居るから、近づかない様にしましょうね!
 家に帰って其の話をしても、勿論家族は分
からない。じゃあ、孤高の人を読んでから、此の詩を読んで見ろ、と言う事になって、次女が乗った。あ、孤高の人とは、新田次郎が加藤文太郎を描いた小説で有る。
 次女は、孤高の人を読み終えてから、詩を
読んで泣いた。な、泣いちゃうだろう、と問うだけ野暮だった。
 興味の有る方は、其の詩を読んで見て下さ
い。貴方が加藤文太郎を知って居るならば、多分泣けて困るでしょう。知らなければ、はい、さようならです。
 本題に戻ろう。えーと、何だっけ。地図を
必死に読む話だった。しかも、ダブリ放題、此れから出る筈の話も出し放題。割り箸割り放題~♪
 沢を登って居る時は、其れ程地図を開く局
面は無い。当たり前じゃんと思う人は絶対沢屋なんで、逆に不思議に思う人は、今迄は沢登りに縁が無かって事です。
 (地図でも濡れ放題~♪ その三へ続く)