2017年7月30日日曜日

悪い事ばかりではなかった その五




 では、1200mに満たない稜線や山はどうなるのだろうか。 ピンポーン、御想像通り、大体に於いては、うー暑いおーー、となる事が多いだろう。
 其れでも里よっかは遥かに増しなのだ。最高で7℃は気温が低いのだからね。それに樹木が多いのがものを言う。余りに当たり前なので書くのも憚れるのだけど、舗装された所とは全く違う。空気自体が違うのだから。
そして、風も里よっかはすっと多い。山なんでね。風速1mで体感温度は1℃下がる。従ってとても過ごし易い。若しも風が無ければ、身の不運を嘆けば宜しい。
 雨山峠から先の桧岳山稜と其れに続く二つの山域や、南山一帯、菰吊山南面の山域、畦ヶ丸南方の山稜、三国山稜、大山南面の山稜、大山三峰東北方面の山域etc。
 藪っぽい所は鬱陶しさが増すけれど、普通の登山道ならば思いの外に爽やかな山歩きが出来る、事もある。いや、殆ど快適な夏山を謳歌出来ると言っても良いだろう。ま、状況次第なので保証の限りでは無いのだが。
 主脈の東側は、蛭と言う邪魔者が出没するのが困ったものだ。其れも夏の風物詩と思って貰えれば問題は無かろう。え、ダメ?
 好みの問題だが、夏に比較的低くて暑い山でどーーっと汗をかいて歩くのも、なかなか良いものなのだ。幾つか蛭に喰われ、或いはブヨに喰われても、温泉にでも浸かればサッパリする事此の上も無い。
 尤も、蛭、ブヨ、ダニにせめられたら流石に「勘弁してよ」と言いたくはなるけどね。碌に路も無い変なルートを取らなければ、其処までひどい目には会わないのでご心配無用。

2017年7月26日水曜日

休題 その百九十三




 “振ると便喰らえ” 失礼!フルト・べングラー。伝説の名指揮者だとは、あたしでさえ聞き知って居る。略称はフルベンだとも。
尤も、ド素人のあたしはそんな呼び方をする資格は全く無い。クラシックフアンにタコ殴りにされるだろう。でも、此処では字数節減の為にフルベンと呼ばして貰う。絶海の孤島なので、多分大丈夫だろう(汗)。
 我が家に在る第九はカラヤン指揮のCDだ。年末に何年か妻と聞きに行った第九も、大体其のイメージに則って居た。あ、素人のあたしが言うのはベートーベンの第九ですよ(恥)。
 去年の大晦日に車を走らせて居た。何処かで第九をやってる筈だとFMを回したら、丁度第四楽章の、それも終わりそうな処にヒットした。
 イメージが全く違う第九だった。そうねえ、曲が飛び跳ねて居るのだ。思いっ切り軽やかに(?)スキップしてる様な感じかな。
 少なくとも重々しさは微塵も無い。合唱が終わって最後の演奏になった。聞き様に依っては丸でジンタ(サーカスの曲)の乗りで有る。ドンガジャッカドンドンって勢いなのだ。
 え、こりゃあ何だ? こんな第九が有ったのけえ? 何処の誰がやってんだよお!
 其れがフルベンの指揮だったのだ。解説者が何か語って居たが耳には入らなかった。茫然として居たもんだで。
 そうか、此れが伝説の指揮者なんだ。全く演奏が違う。こういう第九を演奏するんだなあ。全く外とは解釈が違うんだ。
 木の下サーカス団の演奏でした、と言われれば、きっとそうかと思っただろう。其れにしては凄いんじゃないか、とは思ったのは間違い無いけれど、疑わなかっただろう。
 フルベンと聞いてこりゃあ凄いと思ったので、現に凄いインパクトは有ったのだけど、あたしゃあ分からない奴なんだと分かったのですよ。聞けてラッキーだったって話でした。

2017年7月22日土曜日

悪い事ばかりではなかった その四





 此の日は青ヶ岳山荘に泊まって、翌朝ヤタ沢尾根を下ったが、午前中のお仕事なので、暑くも何ともないもんねえ♪
 これが犬越路へ向かうとなると、条件次第ではひどい事になるとは前回書いた通りだ。でも、行きたくなるものだ犬越路へはですよ。良い所では有るが、名前がもっと良いのだ。一度は訪ねて見たい響きでしょうが。其れがさあ、二度でも三度でも、になるんだよね。
 菰吊山(こもつるしやま)付近のブナノ丸の路上にテントを張った事は閑話に書いた。Yとモロクボ沢を詰めて来たのだ。ブヨの大軍が襲来して、網戸を開けられず、テントに閉じ込められた事も書いた。暑いおー。
 まあ、夏の辛い一面では有りますなあ。でもご心配無く、夕方になると虫達は一斉に姿を消す。勤務時間は極めて正確な様だ。何処かの企業が様に、サービス残業をする様な事は無いのだろう。
 やっと解放されて表に出ると息が白い。網戸一枚でこんなにも温度を上げるものかと、驚いた次第。ベンチで一杯やってると寒くなっちまった。ふっふっふ、天然クーラーの威力ですなあ。
 蛭ヶ岳の朝もしくは夕には雲海が現れる事が結構有る。檜洞丸への稜線の西側が雲海となると、鞍部から東側へ雲が落ちて行く。滝雲って奴である。滝の様に落ちては行かないけどね。ゆっくりと下降する雲は、僅かな温度の上昇で消えて行く。
 滝雲を一杯やり乍ら見る。最高の肴ですぞ。やがて日が富士山へ沈んで行く。見事な夕映えの富士で有る。此れが冬だったらとてもじゃ無いが寒くて居られない。ガタガタ震えて小屋に逃げ込む。夏なればこその贅沢なのだ。
 そりゃあ冬の朝は最高だ。上手くすりゃあ霧氷の花盛り。でもですよ、手は千切れる程痛く、碌に写真も撮ってられない。電池も見る見る消耗する。矢張り、夏の爽やかな朝こそが“山の朝”そのものってこってす。

2017年7月18日火曜日

閑話 その二百三十三




 左の足底の痛みは続く。骨でも痛めたか? まあ其れは無いだろう。痛いのだが急ぎたい。バカな企画達成じゃーあ。
 一本松を過ぎると、流石に登りの人は減る。それでもポツポツは会う。未だ塔への日帰りには充分間に合う時間だ。
 左を庇って、ほいこらと変に力を入れつつ頑張る。観音茶屋を過ぎてからの石を植え込んだ道が、特に嫌だ。靴を履いて居ても、ゴツゴツして嫌なのだから、尚更で有る。
 窯元近くで舗装道になるとホッとする。普段は舗装道を嫌って居る癖に、勝手なものでは有りますなあ。でも、あの石をびっしり植えた道は本当に歩き辛いのだ。そうしなければ土が流れてどう仕様もなくなるのは分かってるけど、実際とても辛い。
 舗装道に出た限りは、痛みを気にせず飛ばせる。もう踏む石は無いのだ。ふっふっふ、やったぜー。
 大倉着は十二時五分、四時間三十五分でピストン出来た。此の間は五時間半掛けて居たのだから、一時間近く短縮出来たのだ。足底の痛みが無ければ、もう十分は縮めただろう。
 取り敢えずバカ企画は成功した。バスを待って渋沢へ、小田急で鶴巻温泉、途中下車して里湯へとは何時ものコースだ。風呂にゆったりと浸かって疲れを癒す。
 処がどっこい、癒えなかった。ガックリ疲れて、家に帰ってから足の甲がつった。それも左右両方共だ。庇って変な筋肉を酷使したからであろう。
 翌日が大変、脹脛に相当な筋肉痛だ。爪先でピョンピョンが効いたのだ。ヨロヨロ歩かざるを得ない程痛んだ。
 良い歳喰ってバカな企画を立てるもんじゃ無い。無理は無理なのだと体が訴えて居る。“若い者並み”とは望まないけど、“結構やる年寄”り位は望んで居たのだけれど。
 年寄りの冷や水って話でした。

2017年7月15日土曜日

悪い事ばかりではなかった その三




 気持ちの良い稜線でも、真夏である限りは虫の羽音は伴奏だ。風があれば虫は見事に消え去る。そよ風位では付きまとわれる。うかうかしてると喰われる。此れは南北中央アルプスでも同じ事だ。
 ただ、南北中央アルプスでは森林限界を超えて吹きさらしなので、然るべき風が殆どの場合吹いて居る。丹沢は樹林帯なので、そうで無い場合が多い。中級山岳なので、仕方無いと思って頂くしか無いのです。
 神ノ川から支尾根に取り付いて金山谷の頭へ登った。今は破線の登山道表記になって居るが、二昔前は踏み跡が有るかどうかの状態だった。其れでも、特に危険も無く稜線に立ったが、真夏の一日であった。
 登るにつれて暑さは遠のいて行く。木々は元気一杯、夏を謳歌している。虫達も当然元気一杯だっただろうが、記憶には無い。記憶とは、都合良く自動修正されるものなので、余り嬉しく無い出来事は消え去って行くのだ。
 尤も其れが自分を守る自然な働きなんですなあ。克明に嫌な事を覚えていたら(其れも何十年も)やってらんないって。何を思い出しても、ひえー、やだよう、となっちまう。
 山の思い出も、虫に喰われ、暑さに喘ぎ、寒さに震え、汚いトイレにギョッとし、コーヒーを飲もうとしてカップの熱さで取り落とし、雨に打たれて辛くて辛くて、となって仕舞って、もう二度と山なんざ行くもんかあ!
 ね、適当にバイアスが掛かって楽しい思い出を中心に記憶が残るって、とても良い事でしょうが。そして嫌な思い出も、結構楽しい思い出に変わって行くのです。人間とは上手く出来て居るもんなのですぞ。
 えーと、話は金山谷ノ頭に着いた処だった。細かいアップダウンを過ぎると、檜洞丸への登りとなる。其処迄行けば、最早暑さは無い。足を止めれば涼しい。一寸と休んで居ると寒くすらなるのだ。ブナ林帯なので、木陰ばかりだからなのだ。