2015年9月30日水曜日

休題 その百五十二




 一月ほど前だった。市の広報スピーカーが何か言い出した。例に依って非常に聞き辛い。「今からあらあらあ」 何だ? 「一分後にいにいにい」 妻が 「放送よ」分かってるって。「震度七の地震が来ますうすうすう」
 え、震度七!! てえへんだ、ガス止めろ、リビングの真ん中へ来い、と待ち構えたが、其れっきり。
妻「何よ、出鱈目じゃないの!」
私「地震予知は無理だろうね」
妻「前にも有ったの。市役所に電話しようかしら」
私「無駄だね。第一誰も騒いで無いだろ? 誰も聞いちゃいないのさ」
 妻はこれじゃ狼少年になるとご立腹だが、こんなもんだろう。その癖此の間の震度四は起きて一寸としてから 「ただ今地震があがあがあ」 とやっている。皆分ってるよ!
 震度七とは穏やかではない。其の仕組みは多分、どこかで大地震が有った時、町田迄何秒(或いは何分)掛かるか計算して自動的に放送するものだろう。妻の話では二度目だと言うから、偉く頼りないシステムだ。
 素人がはっきり言うと、地震の予知は出来ない。根拠は、関西も東北も何の予知もされずに突然起きた。
 中には予知したと言う人が居るかも知れないが、警鐘を鳴らしたとは聞いてない。偶然だったのだろう。
 観測中の火山の噴火さえ分からない事が有る。御嶽が好例だ。あれから一年、多くの犠牲者を出して仕舞った。
 科学の力なんざ大自然の前では無力だ。火山も止められない。台風の進路一つ変えられない。地震をどうにかしようったって無理難題なのだ。
 科学万能なんて言葉を聞くと、笑って仕舞うのです。

2015年9月26日土曜日

暑さの夏は避けるが常道 その二




一方のYは熱暑の馬鹿尾根を必死に登り、塔寸前で大腿四頭筋がつった。バルコニー(其の意味は随分昔の「大倉尾根」を参照下さい)に入ったのは当たり前田の、だ。
 丹沢山ではへたり込んで、カルピスウオーターを買って飲み、不動ノ峰の水場では、何と三十分以上も休んで水を飲み狂い、やっとこさっとこ蛭に辿り着けた、と言う凄ざまじさだと聞いた。
 特に暑い日では有った。記録的だろう。私も帽子のつばからポタリポタリと汗が垂れ落ちる有様で、すっかり夏の丹沢の凄さを満喫した次第。丹沢であそこ迄暑い日は、他には知らない。尤も世界的異常気象なので、又経験出来るのかもね。
 人間とは、私だけでなく(私を含めた多くが馬鹿って事で一寸と嬉しいんだか、悲しいんだかねえ)馬鹿なんだなあ。自分の首を一生懸命絞めてるのだ。きっと、世界的な異常気象の原因は、我々人間共の節度無い営みの結果なのだろうと思う。
 平成二十四年八月、私が大倉尾根を登ったと思いなさい。塔に泊まるので自炊用具と食料と4リットルの水と酒で8kg超程度の負荷だったが、すっかり参って仕舞った。
 勿の論、暑い日では有ったが条件は良かったのだ。堀山迄は蒸されに蒸されてびしょびしょ、そうねえ、風呂桶に汗を一杯に張って、服を着た侭とっぷりと頭迄浸かって、出て来た様なもんだ(汚ねーー!!)。
 でも、堀山からはガスに入って涼しくなり、ぐっと楽になった。ラッキーで有る。筈だった。駄目なの。堀山迄で、もう既にノックアウトされて居たのだろう。普段三時間強で着く塔に、四時間一寸と掛かって、おまけにフラフラなのだ(涙)。
 チューハイのロング缶一本で、もう降参の体たらく、小屋で隣り合わせた二人連れがショーチューを勧めてくれるが、断るのみだ。まともだったら、酒を(ショーチューだけど)酌み交わして話に花が咲くものを。
 (暑さの夏は避けるが常道 その三へ続く)

2015年9月23日水曜日

休題 その百五十一




 退院してから八ヶ月が経過した。早いもんですなあ。日常生活には不自由ないのが有り難い。山は全然駄目なんだけどね。
 入院中の記憶はどんどん薄れて行く。結構な事だ、嫌な事は忘れるに限る。ただ、術後三、四日続いた譫妄状態は忘れられない。
 目をつぶると真っ赤なステージが広がっている。其処へ横書きの文章が上へ登って行く。何とか読もうとあがくのだが、読み切れない。真っ赤なステージは三晩は続いただろう。
 二晩目は文章が詰まらない脚本のテロップになっていて、ずーっと読まされる。滅茶苦茶詰まらないのだ、其れがさ。拷問みたいなもんだった。
 三晩目はオーケストラが鳴り続けた。此れ又、世にも詰まらない曲なのだ(涙)。一晩中聞かされるのだ。一体何時寝ていたんだろうか?うつつのうちに朝を迎えるって感じだった。赤いステージでの拷問の三晩、何なんでしょうねえ。
 其の合間にチューブだらけなのに起き出してウロウロする。看護師にこっぴどく叱られ、束縛すると脅されたので、動き回るのは止めた。チューブを引き摺って何をしたかったんだろう? 其の時は何か目的が有ったようなのだが覚えていない。
 大晦日にバイタルが急激に悪化し、家族まで呼ばれたのだが、口から管が40cmも入っている。それが不快で堪らず引き抜いて仕舞った。
 看護師が見つけてまあ怒った事(当たり前ですなあ)、此の時も束縛されると脅された。でも先生には、訳の分からないうちに引き抜いたらしい、と報告してくれたので、先生には叱られずに済んだ。
感謝してますよ看護師さん。確信的に抜いたとばれたら本当に束縛されてしまう。そうしたら二重の拷問になっちゃうもんね。
 術後に譫妄が出るとは言われていたが、いやいや、本当なんです。面白くはないけど、一寸とは面白い体験だったかなあと。

2015年9月21日月曜日

暑さの山は避けるが常道 その一




 山と言えば何たって夏山。咲き誇る高山植物。流れる雲。爽やかな空気。冷たい清水。稜線を行くパーティ。雪渓を渡る涼風。這い松と雷鳥。見渡す限りの山々。夏山万歳!ビバ、ナツヤマァァ!!
 ったく能天気なんだから、其れはあくまで高山(こうざん)の話で、少なくとも丹沢の話では、絶対に無いのだ。
 丹沢の夏は、暑い。最高峰でさえ千六百七十三mなのだ。と言う事は麓と十度しか違わない。はいはい分かりました、麓ったって東京よっかは涼しいのは確かなので、東京(二十三区、八王子じゃ無いからね)より三度は低いとしよう。え、町田だって三度は低いって?チッチッチ、秦野市は暖かいのだ。
 え、誰と話してたんだって?自分となんだけど、一寸と変人なのでご勘弁を(ペコリ)。
 東京で三十六度、ワオー!!!おい、煩いよ、騒ぐ程では無い。良く有る温度だ。其の時蛭ヶ岳では二十二度って事で、少しは涼しくても決して暑くは無いですなあ。但しじっとして居ればね。
 で、其の時運良く塔ヶ岳を目指して、大倉尾根を登って居たとしたら、モロに三十度凸凹、下手すると死ぬ可能性が有る(一寸とオーバー)気温と環境なのだ。三十度の馬鹿尾根を登って見たら、多分良く分かるだろう。
 其の状況については、数年前の「大倉尾根」と「主脈」の章に書いて有る。「主脈」では東野から蛭ヶ岳に登った私の見聞だが、もう何かに書いたかも知れないが(絶対に書いた、其れだけは記憶に有る)忘れてもうたで又書くけども、ダブったら御免なんしょう……(だからダブってんだよ、惚けが!!)。
 此の時は、蛭ヶ岳山頂で、大倉から登って来るYと待ち合わせだったのだ。私は東野から入り、姫次経由で蛭に着く訳だ。そして蒸されに蒸され、やっと蛭に着いたって事だ。
 (暑さの夏は避けるが常道 その二へ続く)