山の報告十四は、山の報告でもなんでも無いのは、文中に有る通り。
其の写真が此れ又訳の分からんもんなんだけど、権現山から弘法山を見た風景だが、四十年と全く変わって無くて、つい勝手に感動して載せたのです。
此の写真は、権現山からの富士だけど、シャープじゃ無いのが悲しい。見て貰いたいのは秦野盆地で、四十年前は中心部に建物が有って、其れも皆低い建物、周辺は畑だったのが、今は盆地が建物で埋まって居る。
あたしは小さな町だった頃の秦野が好きなんだけど、人の持ち物を勝手には出来ないので、諦めよう。
春の秦野盆地は、菜の花で彩られたんですよ、素敵でしょう!
2011年1月30日日曜日
閑話番外 その四十二
2011年1月29日土曜日
山の報告です その十四
報告って程のもんでは無い事を、始めにお断りして置きます。
閑話六十四でKについて書いたが、実はあの章をアップする一寸と前に、K、S、あたしで、弘法山を歩いて来たのだ。詰まり、閑話は其れ以前に書いて有ったのです。
で、整合性(何の?)を保つ為に、山に行った話もしなければ、と言う訳です。
丹沢の低山で一寸と触れたが、極軽いハイキングコースで、割と人気が有る。
行って驚いたのは、頂上直下迄車が入れて駐車場迄有る。完全に、秦野市の公園になったので、山では無く、明らかに公園だった。暫く鶴巻温泉へ向けて進めば、山らしくなるが、権現山、弘法山周辺は、山とは思えない。
野球部の少年達がマラソンをして居る。アップダウンのルートを走り乍ら、大声で挨拶をする。偉い、健気だ、頑張り給え!
天気は快晴。残念なのは微妙にモヤって居て、足元に広がる秦野盆地の向こうに、大きくそそり立つ富士も、ぼんやりとして居た事だ。表尾根も見通せるのだが、今一シャープさに欠けた。冬なのに……。
特記事項としては、権現山への一気の登りを、珍しくもSがきつがった事だ。登るわ走るわ、正気を疑う程(失礼)頑丈だったのに。
聞くと不整脈が有って薬を飲んで居たが、最近は面倒(多分)なので飲んで居ないとの事。其の所為じゃ無いのかい。Sよ、薬はちゃんと飲もうよね。
Kはちゃんと歩けて目出度い。下りが無ければ平気なのだが、登った分は下るのが定め、従って、標高差の小さいルートを造るしか無い訳だ。ま、遣り様は幾らでも有る。
短いルートなので、昼には温泉に到着。一風呂浴びて蕎麦屋に入り、恒例の宴会となったのは、言うだけ野暮ですなあ。
歩けるうちに、軽いルートを楽しんで温泉で一杯、素敵な行事を続けましょうよ!
2011年1月27日木曜日
ああ、空よ その四
ボーボーシューシューと燃え続け、私達は今爆発するかと、恐怖に打ち震えているうちに燃え尽きた。ホエブスは真っ黒になっていた。ご無事で何より。
空の話でした。
天幕生活でも小屋泊まりでも、用意を全て整えてやる事が無くなれれば、いそいそと缶チューハイかビールを持って表へ出て、景色を見ながら、飲む。
それは、空と雲を見ていたのかも知れない。
雲が下に有る時もあります。前に触れた、妻と雨の中、木曾駒に登った時、その侭宝剣を越えて極楽平で休んだのだった。雨は上がっていた。明るくなりガスの切れる気配があったので、一寸と待ったら、晴れた。やった、雲海だ!空は、さっき迄とは打って変わって、真っ青。初めての雲海に接して妻は大喜びだ。
天気が良くても悪くても、決っして私のせいではないのだが、何だか面目を施したような気分である。えっへん。
雲海の彼方には、南アの峰々が連なっている。出発を見合わせ、コーヒーを沸かして、ゆっくりと景観を楽しんだ。思いがけぬ落とし穴が有った。足元の雲海は雪のように日光を反射する。おまけに日光は真っ向から降り注いでいる。妻はスッピンであった。
妻を見て驚いた。僅か三十分位で、狸のように黒くなってしまったのだ。そして、その時を境に、日に焼けるとシミが残るように、なってしまった。若くは無いという事ですなあ。嘆き悲しむ妻の姿は、とても気の毒でした。
滝雲も見事である。蛭ヶ岳で条件が良いと、見る事ある。南面を埋めた雲海が、神ノ川乗越から落ちるのだ。ビールのつまみには贅沢過ぎます!
夏の入道雲も壮観だ。雲の中に稲光が煌く。おー、やってるやってる、と喜んで見ているのだが、その中にいると大変だ。叩きつけるような雨を食らってしまい、周りで稲妻が光る。前章で触れた通り、夏は、午後には必ず来ると思っていた方が良い。午後二時前で行動を終えるのが、セオリーだ。
そんな時は、矢張りテントより小屋の方が快適なのは当然だ。窓から雨シブキに煙る景色を楽しめる。テントの中では、唯雨が止むのを待つしかない。
珍しくも、冬山で雷の中にいた事がある。前述の、空木岳への途中で、カモシカがいた場所に幕営した時である。翌日、好天のうちに空木をピストンし、二泊目を迎えた。夜半より風が強まり、バラバラと天幕を叩かれた。大粒の霰(アラレ)だった。バラバラがザーに変わり、風で天幕が揺すられる。横でピカッと光った。体が強張った。相当ヤバい。音はどうだっただろう?風とザーの方が大きくて、印象に残っていない。強いて表現すれば、バチッか、ジーだろう。
(ああ、空よ その五へ続く)
2011年1月25日火曜日
閑話 その六十四
流石の死にぞこないのKも、弱って来た。寂しい限りだが、障害者なのに健常者より山の登りが速い(下りは苦手)のが、本来おかしいので有って、普通になったのだと言う事なのだろう。
もう山は登れない、と弱気な事を言う。其の癖、此の間宝剣岳を登って来た、とも言う。おいおい、山を登れるのか登れないのかはっきりしてよね。
尤も、宝剣岳は登れても、丹沢は登れないと解釈すれば、其の通りだなあ。何せあっち(宝剣岳)は、三千メートル近く迄、ケーブルで登っちまうのだ。
其れは困った。あたしは丹沢がホームグラウンドなので、そう年中は遠く迄行っちゃあいられない。Kよ、勝手に好きなとこへ、何処でも行って頂戴ね。
と言い乍ら悲しい。あのKが衰えたとは。S夫婦は無闇と元気なのにさ!
済みません、S夫婦には何の責任も無いのは当然です。貴方達は、異様に山に強いって事で、K(或いはあたしと)とは関係無く、どんどん登山してね。
Kは酒にも弱くなった(比昔)。眼が覚めたら小田原とか、茨城県とか、武勇伝(?)には事欠かないのだ。益々弱くなった様で、あたしとご同様って話だ。
人は年々衰える。勿論、ある程度の抵抗は可能だけれど、全く衰える事無く行く事は、不可能だ。此れは、死を逃れられないと同じ水準の話だ。
だからKよ、人一倍歩けなくなっても良いんだよ。今迄が変だったんだからさ。自分に可能な山歩きをしようよ。
尤も、朝気が付いたら、眼鏡は無い、腕から血が出て自転車は壊れてるってな、危ない呑み方はよした方が良いのでは。
お前には言われたく無いって?全くですなあ!!
写真は一昔前、Kが元気溌剌で登って居た頃のもので、ずーっとあとで出て来る予定の、霧氷の表尾根をSと三人で歩いて、塔ヶ岳で霧氷と尊仏山荘を撮ったのだ。
昼を過ぎても霧氷の花は散らなかった。ご覧の通りの好天なので、良い日差しなのだが、霧氷はびくともしない。
いやー、寒い日だったんですなあ。Kは平気だったろうけど、あたしとSはきっと手が痛くて、辛かった事だろう。此の件についても、あとで本文で説明する予定です。
Kとは、もうこんな景色は見れないのだ。いや待って、彼方此方のロープウエイを使えば、簡単か。じゃあ。そうしようか、Kよ。
Sが寒いのを嫌がるって?Sよ、贅沢は言わないの!!
2011年1月23日日曜日
ああ、空よ その三
(写真は北穂でなくて失礼。空が少しは黒く見える例で載せました)
話は戻るが、その北穂に登っている時、休憩時に座れる場所を掘ってピッケルを打ち込んで座ると、上を見ていろと教わった。
I「大塚、ブロックが落ちるからな、来たら避けろ」
私「ブロック?」
I「雪の塊だ、当たるとまずい」
私「まずいのか?」
I「下手すると、死ぬぞ」
私「え、そうか」
ピックを握って、煙草を吸いながら上を見ていると、本当にブロックが、音も無く跳ねて落ちて来る。あ、と思う間も無く、下を登って来る登山者に見事に当たった。当たる時は当たるのだと驚いた。広く急な北穂高沢に、一つの跳ねるブロックを、人に当てようとしても不可能だ。しかし現に、当たった。宝くじ並みの確率だろう。その当たった彼は蹲った。宝くじじゃなかったのが、気の毒だ。
I「……な」
私「……ん」
I「ほら、上を見てろ」
私「ん」
大事に至らず、良かった。人が落ちて来る事も、たまに有るそうだ(?)。幸い、見た事は無い。
経験者の意見は聞くべきだ。どうでも良い、好きに生きるぜ!という奴は、人類数千年の知恵を全て否定するべきではないのだろうか。古い話は真っ平で、好きにしたいんだから。従って何も無し、ロビンソンみたく生きるなら、話は分かる。止めないよ。
その休憩の時、空を見上げていたら、空が黒かった。ヒマラヤの写真は嘘ではなかった。
知ってる人は知ってますよね、あの空の色。
雪の穂高の山々より、より強く印象に残り、心を捉えたのは
黒いと見える程の青くどこまでも
どこまでも深い青空なのだ
青年の私はそう思ったのです。今の私でもきっとそう思うでしょう。(尤も、もう雪の北穂沢は登れないだろうなあ)
此の時、三日目だったと思うが、テントの中から、表に出したホエブスに点火したら、何でだか分からないが炎上を始めた。私とIはわっと驚きテントの奥に逃げた。馬鹿である。表に飛び出せば良いのに、幾ら大きいテントといっても、10mもある筈は無い。
I「気を付けろ、弾けるぞ!」
私「そうか!」
我ながら間抜けな返事である。何時ガソリンが爆発するかと、身を縮め、シェラフを盾に息を殺していた。馬鹿である。万一爆発すれば破片はシェラフなんざ簡単に打ち抜くだろう。
ん?ホエブスは灯油が燃料だったかな、白ガソリンを使うのは何て呼んだっけ、まあ、酔ってんでOKって事でご赦。(ホエブスは白ガソリン、ラジュースが灯油。素面の著者注)
(ああ、空よ その四へ続く)
2011年1月19日水曜日
柄でも無い事 その二十八
高校時代は、コーラス部の他に天文部に所属して居た。そーら、立派に柄でも無いぞ。
部の持つ望遠鏡で最大の物は、15Cm反射鏡で、何と、先輩達の手作り品で有った。
反射鏡は特注の15Cmの円盤状のガラスを二枚使用して造る。あたしも聞いただけなのだが、二枚を重ねて一定の力で擦り合わせる。
勿論、平行に擦ったら唯磨耗するだけなので、意味が無い。斜めに擦るのだ。其れもマメに一寸とずつ位置をずらし、根気良く何時迄も、磨き粉を振り乍ら何日間も続けるのだ。
すると、やがて上のガラスがほぼ放物曲面を描く様になるのだそうだ。凄い!!
光を当てて調整し、綺麗な放物曲面に仕上げて、業者に銀メッキをして貰い、手作り反射鏡の出来上がりで有る。
次は筒を注文し、位置を計算して鏡を取り付け、接眼部品取り付けの為の穴を開け、部品を取り付け、手作りの三脚に据え付けてやっと出来上がりだ。勿論、見た目には見っとも無い代物なのだが、ノープロブレム、使えれば充分なのさ。
何と手間を掛けた事だろう。でも、時代が違う。15Cm反射望遠鏡なぞは高価で、高校のクラブでは手が出なかったのだ。では、造っちまおう。何と逞しい先輩方!
当然乍ら赤道義は無い。従って、二つのレバーを操作しつつ逃げて行く星を追うのだが、其の位、何て事無い手間だ。
合宿の時、重いので皆手を出さない。あたしが志願して、駅から運ぶ。何と無く権利が発生して、あたしが独占状態で使用した。尤も皆さんは赤道義付の方が良かったのかも知れない。
望遠鏡は大きいに限る。集める光の量が違う。従って、楽に倍率も上げられる。150倍位は悠々と可能だった。すると、ターゲットは視界から、スーと逃げる訳だ。勿論、地球の自転の所為で有る。
最初に狙ったのは土星で有る。明るい星なので、一発で捉えられる。ポッカリと浮いた土星を輪が取り巻いて居る。散々写真で見ては居たが、現実に見ると感動で有る。「あー、輪が有る!」と騒いだ。馬鹿である。
其の土星もスーと逃げるのを、モタモタと二つのレバーを操作して追うのだ。最初の頃は中々追いきれなかったが、習うより慣れろで、自然と出来る様になるもんです。
次に狙ったのはアンドロメダ星雲。此れはぼやーとした星の感じで、写真で見る様には行かない。相当長時間露出して、見事な全容を写し出すのだから、15Cmで覗いた位では、其の美しい姿は披露しては貰えない。
因みに、星(恒星)を見ても、唯の光の点で、大きさは無い。惑星や星雲、星団が大きさを持つ。星は大きいのに、余程遠いのですなあ。
不恰好な望遠鏡を振り回して居た日々、遥かに遠くなりました。
2011年1月16日日曜日
ああ、空よ その二
仙丈から三峰岳へ(この稜線も馬鹿尾根と呼ぶ)歩いている時に、レンズ雲がぽっかりと出た。綺麗に出ましたなあ、教科書の様なレンズ雲で、ひょっとして、レンズ雲を見た事の無い貴方でも、一発で分かる事は請け合いです!
う、これはいかん。長期予報では、安定しているとなってたじゃないか。だから南アルプス縦走にしたんだ、気象庁の嘘つき!で、慌てて一服つけたのは、前述の通りだ。
この日は、野呂乗越から下って両俣小屋泊まりだったが、夕方から案の定雨になった。観天望気(今でも使う言葉かな?)通りで、やったねー!と叫ぶのが正しいのだが、登山途中の私は叫べない。
しかも悪天候は二、三日は続くという。あー無情、とてもじゃないが縦走は無理だ。雨の3000m級縦走なんて平気でやれたのは四十代迄。お蔭様で、年相応の分別が、様々なひどい目に合った為に、骨身にこたえたようで、嬉しい限りです(一寸と涙)。
翌朝、林道を歩いて九時のバスで、と考えながら、飯の支度をしていたら、小屋の主人(女性です)の七時半のバスが有るので、と声が聞こえた。え、本当?小屋の主人に確認して、即食事は中止、大慌てで荷物をまとめて、雨の中に飛び出した。
物持ちが良いので、雨具も年季が入っている。雨に打たれ、下り気味の林道を歩くだけなのだが、防水能力を失った雨具(雨具って言うの?)から雨が染み透って、びしょ濡れ、夏でも偉く冷えた、とことん冷えた。バス停で煙草を吸いながら震えた。そしてバスの中で震え、乗り換えの北沢峠で震え、諏訪に向かうバスでも震えた。歳です、もはや体が熱を造れない、う、う……情無い。
それで懲りて、雨具を買い換えた。雨具と○○は新しい方が良いのです。そこで問題です。○○に入る文字は何でしょう?済みません、余りに下らないです。
抜けるように青い空は黒く見える。(ヒマラヤの写真はそうでしょう)初めて行った春山は、Iと合宿で行った北だ。(Iは零細山岳会発起人の一人)
二人は先遣メンバーだった。本隊は四日後に到着する。横尾にでかい天幕を張り、ベースとした。でかい天幕は先遣隊の宿命である。
二日目は小降りの中、蝶に登り雪上訓練。Iも覚えたてで、アイゼン歩行や滑落停止をもたもたながら教えてくれた。何とかマスターできたが、これはお互い若かったからだ。
三日目は北穂ピストンに出かけた。北穂の下りで一気に尻セードー(済みません、Iの大学で教えるのはグリセードでなく尻セードーなのです)を始めたら、急にIがストップし、私もストップした(できた、ひどく急斜面なのに、今なら止まらずお陀仏)。
I「大塚、急過ぎる、ヤバイから歩くぞ」
私「ん」
(ああ、空よ その三へ続く)
2011年1月15日土曜日
休題 その五十八
五十七の続きです。迷惑と思う方は、逃げ散る事をお薦めします。
此の映画は、やけに選択を重視して、尚且つ、偶然を否定したがり、必然だと言い張る場面が多い。選択と必然とは、矛盾する要素が有ると感じるのは、あたしが俗人だからだろうか?
多分そうだろう。選択と必然の間の何処に、矛盾が存在し得るってんだい?うーん、詰まり、選択した結果が必然って事なのかい……。
突き詰めるのは辞めよう。あたしの人生に関わって居る訳では無いし、あたしに解ける問題でも無い様だ。
全てを必然だと断定するのは、モ―フィアスのみならず、スミスも、ナイオビも、誰も彼もそうなのだ。悪役のフランス人でさえそうだ(ったけ?)。
確かに、6度目のザイオンの滅亡の危機となれば、今迄の経験上、全てが必然で有るのは当然で、其れを感じるモ―フィアスは偉い!!
但しザイオンの危機が6度目と知って居のは、人間ではネオのみなのだけど、其の意味が分かって居るのだろうか?
ま、分からない方が幸せって事は多い。知らぬが仏って諺も有る事だし。
ネオは此処でも選択を迫れれる。人類を救うか彼女を救うか。あたしゃあ仰け反るが、此のネオ(6人目)は彼女を救う選択をする。
それって有りか!!!!
しかも、どう見ても音速を超えたスピードで胸に弾を食らったトリニティが地上に落下寸前にゲットするが、あれじゃあ大人しく落下した方が、遥かに良いんじゃないかい?少なくとも、誰の遺骸だかは、判別出来るだろうから。
あの状況じゃあ、トリニティはネオの腕の中で、単なる肉塊となって居るなら未だしも、どっかにバラバラに吹っ飛んで霧の様に消え去って居るのが、真実だろう。マトリックスの中だから、何でも有りって事なのかな。
話がずれた。人類より恋人トリニティを選ぶ救世主、パラドックスで有る。尤も、恋人も救えない奴が人類を救える筈が有る訳無い、とも考えられる。
いずれにせよ、ネオは己を犠牲にして人類(ザイオンのだけど)を見事に救ったのだから、間違い無く救世主だ。たとえ、つかの間の平和で有ったとしても、で有る。
どうせザイオンは、やがて滅ぼされ、再建されるのだろう。機械が偉く義理堅い連中とは思えない。ならば、利害は永久に一致しないので、力に勝る機械が勝つのは当然だ。
余り明るく無い映画ですなあ。其れでも、あたしはマトリックス命です。
2011年1月13日木曜日
ああ、空よ その一
雨や雪や霰や槍の降る日、或いはガスッた日は除く。空も雲も見えないから。特に槍の降る日はヤバイので気を付けよう。
山を歩いていて、わっ、景色が良いと、思わず思う(?)時は、色々状況は有るが、森林限界を超えた瞬間は間違い無く、それに該当する時だろう。丹沢は森林限界を超えないので、そこは残念だが、樹林が力一杯切れた場所だと思って下さい。遥かに続く山々、爽やかな(冬山ならどらー厳しい)風、今迄と世界がガラッと変わるのだ!わー、何やこれ、メッチャ綺麗わー!
最近分かったのだが、その感動には空の存在を絶対に欠かせないのだ。空は森林限界を超えなくても常に上には見えている。だから意識していないだけなのだ。と言うより、意識できないのだ。
曇天の時に、山々だけ見渡せる事がある。出会いの章で引用した、草野心平の
いきなり がっと 夕映えの富士
の世界だ。その感動は、山々と、すれすれの雨雲屏風のような、雲が創り出している。そう、空(或いは雲)が景観の大きな要素なのだ。
今頃分かったの?はい、そうです!私は本来とても美的センスに欠けるもので、非常に恥ずかしいし、我ながらこれで良いのか?と思ってはいます。でも無いものは無いので、等身大で生きるのみです……。
ふん、こうなりゃあ気付くだけ上等じゃんかさあ、と開き直るしかない。処で開きと言えば鯵で、相模湾の開きが最高!あ、済みません、全然違う話で、鯵の開きではなく空の話でした!
抜ける青空は素晴らしい。でも、漂う雲、高く彩る鰯雲、巻き雲、鱗雲が彩る空は、より味わいが深い。わーと湧いて来て、見る見る視界を奪うガスは嫌いだけど。何も見えなくなってジャンジャンって、とても嫌なのは皆さん同感に決まってます。
もっと嫌なのはレンズ雲なので、ご存知でしょうあのレンズ雲。あれを見ると、一気にに緊張しアドレナリンが体中を駆け巡る。経験のない貴方は選りすぐりの幸せ者です!
ヤバ、来ちまった、前線通過の前触れだ、さてどうやって逃げ切ろう、と忙しく考えながらも、取りあえず悠々と一服つけるのだ。慌てない為にも先ず一服とは、私の決め事なのだ。
え、時代遅れだ、健康に悪いって?放っといてよ、健康よりも目前の危機の突破が大事なの、特に山の中でヤバイ時は!疑う人は、私と山を歩こうよ、ひょっとすると分かってくれるかも。ヤバイ局面が無ければ幸せなんだけど、煙草の効用は分からないので、私に取っては痛し痒しで一寸と不服。あ、脱線した、話を戻そう。
(ああ、空よ その二へ続く)
2011年1月10日月曜日
休題 その五十七
何度も鑑賞に堪える映画は、そうはざらに転がっては居ない。観る度に新しい発見が必要だからだろう。さも無くば、流石に何度も観れば、飽きて仕舞う。
あたしにとっての、そう言う映画の一本がマトリックスで有る。え、無闇と俗だって?悪かったね、あたしゃあ無闇と俗な人間なんだよ!!
日本のアニメが発想の原点に有るらしいが、其れとは別に、立派に作品として成立して居る。映画館で一回、DVDで十回近くは観て居る筈だ。
勿論、突っ込み処は満載だが、そんな事が気にならないだけのパワーが有るので、矛盾、不整合なんざ吹き飛ばされて仕舞う。
とか言い乍ら一つだけ、どう考えても変な処を論(あげつらう)っちゃおうっと。
ネオの体が何処に有るかを探るプログラムの入った赤いカプセルを、ネオは飲んだ。で、覚醒した為に廃棄されたのだが、即座に救いが来て、ネオはモーフィアスの船に収容されるのだが、三作目のレボリューションでは、「機械の国に近づいた者は居ない」とか言ってる。
では、ネオを何処から救出して来たの?機械の国以外に人間発電機を設置するってえ事があんのかい?人間発電機は心臓部って訳なんだから、機械の国の、其れも中心部に決まっているだろがよ!!
下らない事でした。一作で終ろうとして居たのが(あたしの読みです)、思わぬ好成績で、2、3作が作られた、とあたしは思って居る。当然、不整合も表れる訳だ。間違って居たら御免なさい。
ケチをつける章では無い。褒める章なのだ。
機械と人間の対立、多い主題だ。古くはモダンタイムスから始まり、ターミネーター、2001年宇宙の旅にも其の部分は有るかな。
外には、えーと、AIは別に対立はして無いし、アイロボットだって操られて居ただけだし、無いかあ。あたしの貧弱な知識では、以上です。多い主題だ、は取り消します。
ネオ(英語だとニュー)は、ネオキリストなのは、一目瞭然。従ってネオ。
併し、スミスが制御不能に陥って、故に機械との交渉も可能になったのだから、スミスのお陰でザイオンは助かった様なものだ。
でも、あたしゃあ甘ちゃんの能天気だから、何等かの手段でネオが、喩えご都合主義と非難されても、スミスに勝つのだろうと、思って居たのは、白状するのも恥で有る(汗)。
成る程、其の手が有ったか!と思わせた製作者側の勝ち。映画を観るのは勝ち負けじゃ無いって?多少は勝ち負けなので、観る方と造る方の勝負の緊張感が水準を高めるの!!
ネオの勝ち方が分からなかったのは、あたしだけじゃ無ければ良いのだが……。処で、ネオの死んだシーンは、風の谷のナウシカっぽかったですなあ。続きます。
2011年1月9日日曜日
閑話番外 その四十一
標高こそ蛭より落ちるけど、どうです、大きい山でしょう。
達磨さんが転んだ五の写真は前出で、加入道避難小屋を示す道標なのだが、大室と加入道は一括りの山だから問題は無い。
それに、あたしが勝手に好きな写真なんで、つい載せて仕舞いました。
2011年1月8日土曜日
達磨さんが転んだ その五
済みません。縁が無い小屋だったので、推定です。でも、多分当って居るでしょう。
話は、昔々其の長者舎近くから尾根に取り付いて、ひたすら登った時の事だ。三月だった。世田谷からに入ると、中央フリーウエーで日の出を迎える。良いもので有る。夜明けを迎える中央フリーウエー、良い絵になる。
でも、車は西に向いて走って居るので、朝日はミラーで見る訳だ。そして、八王子あたりで完全に明るくなる。
で、尾根に取り付いたのだが、最初は植林帯を選んで登るので良いのだけど、やがて藪となる。其れは覚悟の上だから問題無い。暫く藪を漕いで居ると突然林道に出た。此れは問題だ。地図に記載が無いし、如何にも荒れ果てて居て、現役では無いと分かる。
少しでも楽をしたいのが人間の本性、現役の道じゃ無くたって全く構わない、少しでも登れれば良いのだと、枯れた蔦を払い乍ら右往左往したけれども、結局死んだ水平道だと判断して、藪に入ったが、あれは結局何だったんだろう。人に余計な手間を掛けさせて、地図にも載せないとは。
問題は、死んだ水平道を棄てて再度藪に入ってからが長い事。当時は今よりは遥かに若かったのだが、それでも、おー、ピークが見えた、と何度騙された事か(情無い)。
どっしりしてるから、緩み(ゆるみ)も有って、普通に判断すると其れがピークに思えるんだ、此れがさ。ま、辛いから騙されるので、好調なら何て事も無いのだろう。
同じ登り(或いは下り)でも、調子に依っては全く別物になる。何たって、荷物を背負っての急登は、しかも足元が滅茶苦茶に悪い時は、地獄の苦しみとなるのが世の習い、何度そんな思いをした事かねえ。
其処が大室山らしい要素なんだが、登ってる人間にはやけに辛いと言う事なのだ。従って、「達磨さんが転んだ」は当然の自衛的行動だったのだ。
とは言っても、私がYやSBの年だったら、そうはなんなかっただろうけど。ん、SBはスポーツマンだから、ザックには遠慮無く色々と放り込んで無闇と重くした。じゃあ仕方無いだろう。
では、Yはどうなの?Yを責める章では無かった。気持ちは良く分かる。先導者が止まれば、辛い思いの自分も止まる。いや、止まらざるを得ないのだ。
地味だけどどっしりした山。晴れて良し、降って良し、ガスも良し、雪も又良し。
見て良し、登って良し(辛い場合も、有るけど)、此れで展望が良ければ、丹沢一、二の山になっちまって偉く混むだろうから、大室山は今の侭が良いのです。
2011年1月6日木曜日
閑話 その六十三
幕営で雨降りの時は辛い。理由は馬鹿馬鹿しいのだが、あたしはフライを着けるのが面倒なので、テントを買うとフライは棄てて仕舞うのだ。良く考えれば、アホじゃ!!
昔はフライを着けるのが、結構手間だった。でも、今は凄く簡単になって居るのだから、使えば良いじゃないのさあ。
それに、今のテントは出入り口が斜面に有るので、出入りの度に雨がテント内へ降り掛かる。土砂降りなら、表には出られない。
昔のタイプは、横の垂直な面に出入り口が有ったので、雨でも風向きさえ間違えなければ、出入りに苦労は無かったのだ。
こんな絵に描いた様なアホになった原因を思い出して見た。
一つは不精なので、フライが面倒だった事。
一つはテントの材質がテトロン、ナイロン、ゴアと向上して来た事。これには説明が必要ですね。
昔々々のテントは綿布だった。雨に降られるとたっぷりと水を含んで、重く垂れ下がって来る。さて、中の人間は細心の注意を要求される。そんな状態の綿布には、決っして内側から触れてはいけない。
うっかり触れれば、其の場所からポタリポタリと水が落ちて来るのだ。皆じっとして居て雨音を聞いて居る訳では無い。炊事をしたり片づけをしたり、結構忙しく動いて居る。
従って、頭や肩や背中や手や、何かの拍子にテントを擦っちまうんだな、此れがさあ。すると、てき面に雨漏りとなるので、とても困る。で、ただでさえ思いテントにフライ迄着けたのだ。
フライの内側は触れられない。従って雨漏りも無い。でも、重い。
それが素材の向上に依って、雨が漏らなくなった。万歳!!じゃあ、フライは要らないや、と言う簡略な発想で有る。アホにしか出来ない思考なのだ、えっへん。
此処の処、春の連休はYと上越に入る。当然フライも無く、しかも小さい私のテント(2、3人用)はお呼びじゃ無く、Yの一回り大きくてフライも付いて居るテント(3、4人用)を使う。
此れが優れものなのだ。ゴアでは無いが、ゴアの必要性なんざ、これっぽちも無い。重くて迷惑なだけだ。
何たって広い(比、私のテント)。悠々とテント生活を送れる。ゴロゴロしても大丈夫。
写真は其のYのテント、フライ付き。場所は丹後山の肩近く。此の時はもう一パーティ(若いカップルだった)が登って来た。我々はテントを張って居る。
男性「良い所で張りますね」
私「ええ」
女性「本当に素敵な所!」
彼等は丹後山迄頑張るのだろう。そう言う拘りの無い我々は、此の天国の様な所で、一夜を過ごすのです。