2020年6月30日火曜日

閑話 その三百十九



 前にも春山に行けなかったと嘆いた。大体からして今年になって一度もテント生活をしていない。去年ならもう三泊はしているのになのだ。おまけに湯沢駅での一泊迄あるんだ。
 他県へ行くのも解除になったから、テントを担いで山に出も出掛けるかとYを誘うと、行こうとなった。だけど予定日が二日とも雨の予報だ。良かろう、山には登らなくても避難小屋で一晩過ごし、大いに飲もう! 同宿者がいたら迷惑を掛けるのでテントも念の為持って行こう。
 畦ヶ丸の中腹の一軒屋避難小屋が良いだろう。バス停から一時間二十分で着く。雨の日曜日だ(詰まり一昨日)、多分誰も居ない筈だ。キャンプに行く様なものだが、久し振りのテント泊は是非ともやりたいじゃないですか。
 新松田に着いた時には雨は上がっていた。翌日の予報は曇り時々晴れに変わっていた。我々は案外心掛けが良いのかな?
 貸し切りバス(途中で一区間だけ乗った女性がいた)を降りて登り出す。川沿いの路を行き、左下の大きな堰堤を過ぎると、ロープ付の路が川に下りて行く。
「この沢は大きな滝が売りで、上級沢登りの人気ルートさ。さっきの路から入って行くんだろう」と滑滝(なめたき)を見ながらYに説明すると、十人ものパーティが沢を歩いているのが見えた。其の先には中程度の滝が見える。(上の写真がその滝)こんな時間(十四時五十分位)に沢登りをするのか、と驚いた。
 二人で予想するに、多分彼等も一軒屋避難小屋に泊まるだろう。だったら我々はここいらで幕営すれば良い。未だ十五分一寸としか歩いていないがそれで宜しい。山の空気とテント泊(と酒)が目的なんだから。
 我乍ら飛んでも無い親父どもと思うが、自粛の反動って事でご理解下さい。こんなに長く山ともテントとも離れていたのは、今迄に無かった事なんです。(続)

2020年6月27日土曜日

休題 その三百十六



 「ダンス・ウイズ・ウルブズ」は三時間の長尺だ。自粛生活でもなければ見直す事はなかったかも知れない。ケビン・コスナーの初監督作品である。
 それ迄の西部劇と違ってネイティブの立場から白人を批判する内容なので、原作は出版社の拒否によりなかなか世に出なかった。それを取り上げて私財を投入して映画化したケビンには敬意を表したい。作品は大当たりして、アカデミー作品賞を獲得した。
 尤もケビン監督の作品で優秀なのははこれだけ、他はダメダメの連続だったのはご承知の通りだ。併し以降、獰猛残虐なネイティブを排除して白人入植者を守る正義の騎兵隊、と言った映画を消し去ったこの映画の功績は非常に大きいとあたしは思う。
 ネイティブの立場では、白人入植者は侵略者であり、バッファローも殺しまくって皮だけ取る虐殺者に過ぎない。結局バッファローは絶滅してしまった。映画にもバッファローの大群が出て来るが、あれは別の種だと何かで読んだ記憶がある。そしてネイティブも、ほぼ絶滅した様なものなのだ。
 物語はゆったりと展開する。一緒に観ていた妻は「これじゃ三時間掛かるわ」と呟いて、居眠ってしまった。妻よ、ゆったりとしてて良いのだ。ケビン扮する主人公とネイティブの交流が主題なのだから。
 南北中央アメリカは、白人が侵略して来なければ独自の文明(アステカ、インカ)と文化を守って幸せに(? 多分)暮せたものを。アメリカ土着の文明は非常に高度なものだったと検証されている。唯。軍事面で遅れに遅れていた訳だ。為に、文化、言語、宗教の全てを失ってしまった。
 ヨーロッパの繁栄は、アメリカ本来の人々とアフリカから拉致されて来た黒人達の命と涙の上に築かれている。我が国も現憲法を有難がっていては、他人事ではなくなりますよ。

2020年6月23日火曜日

閑話 その三百十八



 こんなあんなで自粛が続き、今年の春はなくなった、と休題に書いた。と言う事は春山もなくなったのだ。あ、それも書いただ、すっかりアホになっちまっただでよお。あ、それも既に書いたぎゃあ(涙)。
 三十年以上(もっとだと思うだが忘れてもうてよお)続いた一大行事の春山が、令和二年に限り空白になった。下手すっとオリンピックも空白になるやも知れんのだから、それが何だよ、って事なんですがね。
 私的且つ超マイナーな愚ログだから言えるのだが、オリンピックなんかよっか春山の方が、比較にならん程遥かに大事だ! あ、経済だとか何だとかは承知ですから、絶海の孤島の分からん奴の放言だと思って下さい。
 毎年春山が終わって初めて春が来たのだ。勿論東京の桜は散っている。でもあたしには未だ春は来ない。春山の雪を踏んで、下って行って、麓の部落で満開の桜を見て、帰りの新幹線から又桜を見て、そしてやっとあたしの春が来るのだ。それが無かった。
 春山は王道だと思っている。こんな良い山が外にあるのかい? ある筈無いってW 一寸と経験は必要とするが、その素晴らしさを知ったらもう虜になる事請け合いだね。
 本文でもそれ以外でも散々書いてるだろうが、天気に恵まれれば天国の様だ。いや、本当なんだって。ここだけの話、って付けば怪しいに決まってるが、さらっと一言、本当さ。これでどうでしょうかね?
 但し、天候に恵まれればって条件付きだ。天候が悪ければ? そりゃあおみゃあしゃま、ほぼ冬山になってまうでよお、どりゃあつりゃあ目に会うだでよお。
 どっちに転ぶかは運次第。それでも、どっちでも良い、って言ったら嘘です。好天が良いに決まってるって。
 その通りなんだけど、たとえ悪天候でも良い、春山を一年パスが悲しいのです。

2020年6月19日金曜日

休題 その三百十五



 マッドマックスの旧三部作の三本目、サンダードームですよ。予定通りに観たのだが、評価が微妙なんで困るです。
 旧三部作は統一性がほぼ皆無である。前後との関係は、殆どない。Ⅱでジャイロにの男だった俳優が、今度は小型飛行機を操縦して現れる。自分の子供迄いる。え、Ⅱで助けたグループのリーダーになったんじゃなかったのけえ? 無関係なのだ。
 そんなこたあ気にしちゃいけねえ、って事なんだろうが、取り敢えず混乱させられる。どこかで見た俳優だと思って検索したら、マトリックスでネオを地下鉄に閉じ込めるトレインマンだった。個性的な俳優ではあります。
 ジョージ・ミラー監督の大好きなカーチェイスが少ない。最後に列車と車で追っかけっこするだけだ。それだけでもらしくないのに全体として甘い。子供達のコミュニティを助ける話なので、そうは乱暴に殺しまくる訳にはいかなかったのだろう。
 子供達を追いするマックス、と言う枷が掛かっては、ニヒルな流れ者の面目躍如とは行きませんなあ。とは言っても、マックスは何時でも困ってる人達の為に一肌脱ぐんだけどね。そしてそれが彼の魅力なのだ。
 Ⅲは何の意図で造ったのだろうか。Ⅱが当たったのでついでに造ったのかな。ふとそう思わされる。ここはベタに“希望”が主題だったと捉えるのが宜しいだろう。外に捉えようもないしね。
 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲを合わせ、より技術的にも内容的にも、洗練されて出来上がったのがⅣと言う訳だろう。突っ込み処満載のⅢも、間違いなくその下敷きになっている。因みに設定が設定なのでⅣも突っ込み処は多いが、其の気を起こさせない迫力と面白さがある。
 前後の関係を無視するのが特徴のシリーズなので、どれも前作を観なくてもOK。しかし、若きメルギブソンは二枚目でしたなあ。