樹林に囲まれた、何なの此処はと言いたくなる平凡な山頂だが、既述通り我丹沢の西端の重鎮、甲斐、駿河、相模の国境なので三国山なのだ。
ザックを下ろして、篭坂峠を見下ろす地点迄ピストンした事は三国山の章で書いた。覚えて無いと書いたが、急いで歩いて居た事を思い出した。良い時間になってるのに、先は長いのだから、焦って唯飛ばしたのだ。勿体無い事をしたもんだ。もう二度と歩く機会も無いであろうに。
篭坂峠を見下ろす地点から息せき切って戻り、キスリングを背負い上げて鉄砲木ノ頭へ向かい、切通峠へ下って高指山へ登る。言う迄も無く、周りは富士と山中湖、深い相模側の谷。ふん、何も見て無い。せっせと歩くだけ、唯急ぐだけ。
若いと言う言葉は、ばかいに似て居る?
私の知り合いにも、山を駆け回る何とかと言うのをやってるのが居る。絶対膝に来るからね、と私は言ってるが、本心は違って、山をグランドにして欲しく無いなあ、なのだが、其の微妙な処は若い彼には分からない。とか言い乍ら、認めたくは無いけど、其の彼は殆ど昔の私の姿其の侭だ。
じゃあ、まあ良いか。でも、続けて居て歳をとったら膝は駄目になるよ、ふっふっふ、其れだけは保証するからね。
稜線から外れて山伏峠に降りた。後の章で触れるが水が必要だったからで、一泊目は国道横の藪の中。はっはっは、馬鹿みたい!
さて、翌日は朝から雨模様、気温も前日と違って、三月並に下がって居る。大棚ノ頭に登り返し、甲相国境稜線に入ったら案の定雨が降り始めた。良かった、矢張りこう来なくっちゃあ!!
当時の甲相国境稜線は整備も何も無い!何度も書いて済みません。でも、雨の中重いキスリングを背負って、倒木を跨いだりくぐったり、藪を掻き分けて居りゃあ、無闇にガックリと疲れるものだ。私でも貴方でも、たとえ若くてもだ。
甲相国境稜線は東海道自然歩道が出来て初めて整備されたので、其れ以前は好き者の世界、偉く酷い環境だった。行くのは好き者と山仕事の人と猟師。好き者の私なんざあ何の文句も無い。文句を言う資格が無い。好き者なんだから。
とか言っても、辛かった。だって、倒木ったって、微妙にも、くぐれば良いのか跨げば良いのか難しいのが多いんですよ。
ザックを背負ってくぐるには、濡れた地面に這いつくばってもがく事になる。ザックが引っ掛かるんだろうなあ、嫌だなあ、と一目で分かる。かと言って跨ぐには木が太くて、這い上がって、うんこらしょと苦労する。
詰まり大きな倒木がゴロゴロして居た訳だ。
何せ昔なんで、仕方が無い事。西丹沢の稜線なんざ、まともな登山者は相手にして居なかったんだから。西丹沢を目指す皆さんは、沢へどっと押し掛けて居たのだ。
(雨とアキレス腱 その三へ続く)