2010年5月31日月曜日

雨とアキレス腱 その二

FH000130

 

 樹林に囲まれた、何なの此処はと言いたくなる平凡な山頂だが、既述通り我丹沢の西端の重鎮、甲斐、駿河、相模の国境なので三国山なのだ。
 ザックを下ろして、篭坂峠を見下ろす地点迄ピストンした事は三国山の章で書いた。覚えて無いと書いたが、急いで歩いて居た事を思い出した。良い時間になってるのに、先は長いのだから、焦って唯飛ばしたのだ。勿体無い事をしたもんだ。もう二度と歩く機会も無いであろうに。
 篭坂峠を見下ろす地点から息せき切って戻り、キスリングを背負い上げて鉄砲木ノ頭へ向かい、切通峠へ下って高指山へ登る。言う迄も無く、周りは富士と山中湖、深い相模側の谷。ふん、何も見て無い。せっせと歩くだけ、唯急ぐだけ。
 若いと言う言葉は、ばかいに似て居る?
 私の知り合いにも、山を駆け回る何とかと言うのをやってるのが居る。絶対膝に来るからね、と私は言ってるが、本心は違って、山をグランドにして欲しく無いなあ、なのだが、其の微妙な処は若い彼には分からない。とか言い乍ら、認めたくは無いけど、其の彼は殆ど昔の私の姿其の侭だ。
 じゃあ、まあ良いか。でも、続けて居て歳をとったら膝は駄目になるよ、ふっふっふ、其れだけは保証するからね。
 稜線から外れて山伏峠に降りた。後の章で触れるが水が必要だったからで、一泊目は国道横の藪の中。はっはっは、馬鹿みたい!
 さて、翌日は朝から雨模様、気温も前日と違って、三月並に下がって居る。大棚ノ頭に登り返し、甲相国境稜線に入ったら案の定雨が降り始めた。良かった、矢張りこう来なくっちゃあ!!
 当時の甲相国境稜線は整備も何も無い!何度も書いて済みません。でも、雨の中重いキスリングを背負って、倒木を跨いだりくぐったり、藪を掻き分けて居りゃあ、無闇にガックリと疲れるものだ。私でも貴方でも、たとえ若くてもだ。
 甲相国境稜線は東海道自然歩道が出来て初めて整備されたので、其れ以前は好き者の世界、偉く酷い環境だった。行くのは好き者と山仕事の人と猟師。好き者の私なんざあ何の文句も無い。文句を言う資格が無い。好き者なんだから。
 とか言っても、辛かった。だって、倒木ったって、微妙にも、くぐれば良いのか跨げば良いのか難しいのが多いんですよ。
 ザックを背負ってくぐるには、濡れた地面に這いつくばってもがく事になる。ザックが引っ掛かるんだろうなあ、嫌だなあ、と一目で分かる。かと言って跨ぐには木が太くて、這い上がって、うんこらしょと苦労する。
 詰まり大きな倒木がゴロゴロして居た訳だ。
 何せ昔なんで、仕方が無い事。西丹沢の稜線なんざ、まともな登山者は相手にして居なかったんだから。西丹沢を目指す皆さんは、沢へどっと押し掛けて居たのだ。
(雨とアキレス腱 その三へ続く)

2010年5月30日日曜日

クソ面倒な話 その十七

ballistic-missile

 

 専守防衛とは、実は世にも恐ろしい思想なので、耳元で囁く奴はメフィストに決まって居る、と言っても決して間違っては居ない。
 如何にも、防衛するのみ、と思わせるので、良いんじゃない、と思う人の多い事は驚くばかり、日本人の80%は支持して居るのでは?
 単なるカンなのだが、多分近いとこだろう。
 プロイセンのグナイゼナウの様な傑物が作戦を立てても、駄目なのだ。勿論モルトケでも。理由は、今は21世紀で空からの攻撃が有る事と、兵器の威力の革命的進歩(進歩って言って良いの?)だ。
 本来休題に属する内容だが、元々面倒な話なので、こっちに持って来たのです。
 幾ら兵器が強力でも、空からミサイルが降って来るとしても、大体からして何処の国が平和を愛する日本を攻撃するの?有り得ない!
 多くの人が其の疑問を持つだろうが、ご自分で考えて下さい。平和を愛す国は攻撃されない事実は、一つも無いのだから。
 防衛とは消防署と似てなくも無い。装備を整え訓練を重ね、出番が無いのが最高なのだ。
 消防署と違うのは、消防体制が整って居るから火事が起きない訳では無いと言う処だろう。火事は消防署の用意と関わり無く(予防消化徹底の活動は別にして)起きる。防衛は、用意を怠ると戦争を誘発させる事は、厳然と歴史の示す通りだ。疑う貴方、調べましょう。
 専守防衛の何処が恐ろしいの?
 戦場を国内に規定する事。
 狭い国土にウジャウジャ人が居る戦場とは、話の外の悲惨さで有る事は一寸と考えれば分かる。あの、無謀極まり無い本土決戦の思想に、不思議と一脈(いちみゃく)通じるのだ。
 偉い数の民間人が犠牲になるのは勿論、建物や財産のみならず、インフラから経済迄、致命的な打撃を受ける。詰まりパーになる。
 万が万が一、戦争を仕掛けられたとしよう。
 敵を上陸させてはならない。でも、専守防衛だと、明らかに上陸を企図して居ると判明する迄、阻止出来ない。そして、其の時は手遅れって事だ。昔じゃ無い、ノコノコと上陸用舟艇でやって来るのでは無い!
 我が国に向かう船団を阻止するのがセオリーだが、公海上の船舶を攻撃するなんざ、気違い沙汰だろう。今の風潮では。
 敵のミサイルを国土に撃ち込ませてはならない。でも、専守防衛だと、ミサイル発射を阻止する事は出来ない。せいぜい迎撃するのが唯一の手段だが、ご承知の通り極めて難しい。飛んで来る銃弾に銃を撃って落とす様なものだ。もう一寸とは精度が上だけど。
 ミサイルに対抗するには、ミサイル基地を発射前に叩くのが確実な方法なのだが、其れは出来ない。明白な他国攻撃だから。
 専守防衛主義を守りたいならば、少なくともビルにはシェルターの設置を義務付け、各家庭のシェルターも奨励すべきでしょう。そして一番必要なのは、殺される覚悟なのです。

2010年5月29日土曜日

雨とアキレス腱 その一

FH000131

 

 

 若い頃の私は若かった。駄目だ、こんな馬鹿な文を書いてちゃいけない。で、何だと言うと、彼方此方の章に出て来る丹沢六日間の旅を、纏めておこうと思ったのです。詰まらない?何事も辛抱が肝心ですぞ。
 二十一歳だったかな。時は五月、本来なら若葉にむせ返る爽やかな時期だ。どっこい、そうは問屋が卸さないのが、世の中の良い処なのだ。
 そうは問屋が卸さないと言う通り、昔は問屋に卸して貰うのが大変だった様だ。今は現金さえ有れば商売をして貰えるが、昔は現金が有っても駄目で、信用が一番、訳の分からない奴とは商売をしてくれなかったらしい。
 従って未だに、そうは問屋が云々、と言葉に残って居るのだ。え、死語だって?そう言えばそうか……。
 閑話休題(本来の意味で、さて、と言う事です)、木綿のカッターシャツにジーンズの短パン、五月だからと言う全く意味不明な理由で雨具も持たず(!)、キスリングにテントとシェラフとペラペラの防水機能の無いカバーとたっぷりの食料と火器と鍋釜と諸々の小物を詰め込んで(これが重いんだ、30Kgになっちまった)、六日間の予定で丹沢大縦走(?)に勇躍出発したのだが、おいおい、丸で装備が成って無いぞ、最低でも、着替え位有るんだろうな。
 へっへっへ、ごぜえやせん。
 馬鹿、雨具も無いんだろう、雨が降ったらどうすんだ!
 わかいと言う言葉は、ばかいに似て居る?
 酔ってても、訳の分からない事は書くんじゃない! はい、分かりまつたでしゅ!
 馬鹿は大概にしておこう。松田で御殿場線に乗り換えて、降り立ったのは駿河小山駅。当時はSLだっただろうか?SLでも当たり前の風景だったので、記憶に無い。演出上SLとしておこう。間違いでは無い筈だ。
 此の日は晴れだった。駿河小山駅は風情の有る、ローカル線らしからぬ立派な建物なのだ。理由は簡単で、丹那トンネルが出来る迄は、御殿場線が東海道本線だったのだ。日本の動脈だったのだから、どの駅舎も風情が有るので、暇が有ったら訪ねて回っても、がっかりはしない事、請け合いです。
 さて、駅を出たのは良いが、当時の事、道標が有る筈も無く(今は便利になって、地図が有ったりする)、兎に角北へ向かって進み、ウロウロして、人に(それが、滅多に居ない)聞きつつ、やっと峰坂峠への林道を辿る事が出来た。
 峠に着いたらもう安心だ。後は尾根を外さなければ、三国山に着くのだ。歩けました、ちゃんと三国山へ、日に照らされて汗を垂らし乍ら。此の汗まみれは、私には不思議と入山日に多いパターンで有る。
 (雨とアキレス腱 その二へ続く)

2010年5月27日木曜日

閑話番外 その二十八

FH010030

 

 山の報告で、最後に右往左往した見っとも無さをご披露しちまったけど、言い訳を未練がましくして仕舞います。
 笹を頼りに川原へ下るのが最短だったのだけど、流れの上の雪渓歩きは結構ヤバくて、雪を踏み抜いて流れに落ちたら、先ず助からない。いや、絶対助からない。雪のトンネルの中を流されて行くのだから。
 で、土地勘の無い川原歩きを嫌ったのです。

2010年5月26日水曜日

柄でも無い事 その十八

RIMG0007[1]

 

 小代焼きの窯は、熊本市の郊外に有る。
 西に出張が多かったが、熊本は数回しか行った事が無い。余り縁が無かったと言う事。
 其のうちの一回、バスに乗って小代焼きの窯へ出かけた。
 仕事はしてるの?してます、ちゃんと。時間とは造り出すものなのだ。
 Kの場合は別だ。彼はプラント技術者だったので、出張に出ると長い。一月二月は当たり前だ。話をきくと、山や遊んだ話ばかり。
K「いやー、鮭が登って来るんだよ」
私「近く(宿舎の)なのかい」
K「遠いんだ。自転車で三時間以上掛けて見に行ったんだ」
 そんな話ばかりだ。
私「仕事はしてんのかい」
K「いや、其れがさ、出来上がらなきゃ検査も出来ないから、お茶を飲んでんだ」
 詰まり、仕事をして居ないと判断せざるを得ない。随分前に書いた、福井の春山の滑落も、勿論出張中の事件で、一ヶ月以上も入院しちまって、よくクビにならなかったもんだ。
 Kと比べれば、あたしなんざ遥かに良く働くので有る。
 小代焼きは粗い小代粘土を焼いた物だそうだ。素朴で力強い。窯元はお馴染みの、薄暗い造りで、隅に販売する品物が並んで居る。
 高価で無いのが嬉しい。萩や唐津や美濃や備前の様に名の通った地方では、高名な作家が居て(人間国宝迄居る)、桁が違う値段がついて居る事が多いが、小代焼きには其の心配は無い。
 さて何か一品を、と選ぼうとすると迷うのが人間の浅ましさ。とは言っても、自慢なんだけどあたしは買い物に迷わないタイプだ、エッヘン。何でも良いから、目を瞑って手に触れた奴に決めれば良い、なぞとぬかして居る阿保さ加減なのだ。
 でも、焼き物と山道具はそうは行かなくて、唸って仕舞い、客の居ない売り場(地方の窯元は大抵そうなの)をウロウロする姿は、男らしく無い事甚だしく、人様にはお見せ出来ない。
 結局、懐具合が枠を決め、其の範囲のお気に入りに決める事になるのは、道理なのだ。
 写真の徳利にしたのだが、釉の流れに色気を感じ、高台の切り取りのシャープさに惚れたのだ。酒も二合は入るし(涎)。
 小代焼きを余り知る人も居ないだろうから、こんな良い焼き物も有りますよ、と紹介の意味も有って書きました。

2010年5月23日日曜日

山の報告です その十三

DH000057

 今改めて地図を見直して初めて分かったのは、地蔵山から地蔵峠へ下り、登り返してから川に下る、と思って居たのだが、登り返しは無いのだ。裸眼だと細かい線が読めない上に、峠からは登る、と言う先入観の所為だ。
 もう一つ、人の入るメジャーな山に着いた安心感が、トレースを頼ると言う油断を招いたものだ。明らかな心得違いで有る。どうせ道なぞ雪の下なんだから、あくまで地形で判断するべきだった。
 基本に忠実に行動して居れば、以下の様な、殆ど麓近くのドタバタは避けられただろう。
 偵察の結果、一寸と戻って雪渓から雪を被った小沢を下る事としたが、直ぐに藪と崖に遮られ、えーい面倒と向こう斜面へ取り付いて強引に登り始めた。其の尾根に登山道が有ると、あたしは読んで居たのだ。
 又もや雪を蹴っての急登となる。野反湖寸前にして、アホな事で有るですなあ。
 処が幾ら登ってもトレースに出会わない。Yが参り始めた。心臓の件も有るので無理は禁物、時間も十四時だ。随分長時間ウロウロして居た訳だ。
私「Y、此処に幕営するぞ、傾斜は気にせず張ってくれ。入り口は上」
Y「ゼーゼー、はい」
 あたしゃあ空身にピッケルを持ち、又もや偵察。明日の為に確りと道を確認しない訳には行かない。
 グングン登り峠状の場所に着いた。地蔵峠だと判断した。が、トレースが無い。情無くもパニクった。完全に自分の位置を失ったのだ。ショックは大きいんです、こう言う時は。
 取るべき手は登るのみ。地蔵山迄登る覚悟で登り始めたら、テントが見えた。
 ほっとして進むと、大勢のトレースだ。知らぬ間に道を越えて居た訳だ。踏んじまったドジは置いといて、喜び勇んでテントへ戻る。
 Yも一安心、恒例の夜中の宴会となる。説明が必要ですね。Yと山旅の時は最後の夜の宴会が習いなのだ。毎晩に近く、Yは夜中に起きてボリボリ何か食べて居る。あたしは又やってるな、と思い乍ら寝て仕舞う。最後の夜はあたしも起きて、酒盛りになるのだ。後は下るだけとの開放感も有って、偉く良いもんですよ!
 五日、トレースへ登ってから辿り、野反湖へ着いたのは、極めて当たり前の事だけど、目出度い。
 おまけにバスが会った。あたしが調べたのは数年前だから、変わって居たのだ。で、バスで草津口駅に着き、特急草津で帰京した。駅では確りと駅蕎麦を食べたのは、言う迄も無い。
 雪が多い為に藪の苦労が無かったのは嬉しい。併しあたしの判断ミスで、Yに余計な苦労を掛けたのは、恥じ入るばかりなのだ。
 どうせ這い登るのなら、野反湖側の斜面が正解だったのです。我乍ら情無い話でした。

2010年5月22日土曜日

休題 その四十

05

 

 映画続きで失礼。
 前にも書いたかも知れないけど(歳なんでご容赦)、あたしの其の(詰まり今見て居る)映画の受け具合を確認する方法です。
 あたしは常に前に座るので、三列目より後ろは縁が無く、妻は初めの頃は「近過ぎる」とか「見にくい」とか言って居たが、今では諦めの境地の様だ。哀れでは有るが、此の位は“亭主の好きな赤烏帽子”だと思って耐えて貰いましょう。
 一人の時は、最前列に座る事も多い。でも、流石に70mmフイルムの画面の最前列は辛かった、大昔事大体70mmの画面って知ってる人は少ないだろう。ベンハーやアラビアのロレンスが70mmなのだが、画面滅茶苦茶大きかったのだ。普通の映画は35mmなので(今でも)、単純計算で画面は四倍となる。
 従って上映劇場も限られて居た。日比谷の何とかとか、駄目だ、三葉虫の話をする様な遠い昔なんで、御免なさい(ペコリ)。
 お堀端の何とかにアラビアのロレンスを観に行ったのだが、最前列の左端しか席は無く、好い加減が売りのあたしゃあ、其処で良いと切符を買った。ん、最期の一枚だった訳?
 多分違う。二階席、三階席は有ったのだろう。あたしは折角映画を観に行く限りは、目の前で観たい、遠くからなんて観たく無い!
 馬鹿でした。半端じゃ無いんだから、スクリーンの大きさがさ!其れを端っこから観て居たら、字幕とシーンを追うだけでくたくたになっちまうんだよ!
 くたくたになって首が痛くなったのはアラビアのロレンスの所為では無く、席の所為なんで、作品は素晴らしかった。2001年宇宙の旅に匹敵する名作で有る。
 DVDを借りて見せても家族は分からない。特別版で上映した時、妻を連れて行っても、あんまり分からない、様だった。少なくともタイタニックよりは評価が落ちて居た。
 あたしゃあ、世紀の名作と思って居るんだが、人それぞれ、好き好きだ。大体からして、あの映画は男の世界だもんねえ。
 観客に受けた映画は一発で分かる。エンドロールが流れる時、観客が立つか立たないか!うーん、我乍ら良い着眼点だ。
 あたしゃあそう言う訳で前席に居るので、振り返って確認する。ま、ご苦労な事だ。
 良い映画の場合、まず立つ人は居ない(除、要トイレの人)。そうじゃ無い場合は一斉に人が立ち出口に殺到する。其の代表作はプライベート・ライアン、出口で何人か踏み殺されて居た様だ(嘘です)。
 普通に詰まらない時は、人がゾロゾロ、或いはポツポツと出て行く。面白かった時は、皆さん動かない。此れは凄い。人の感性とは通じるものが有るんですなあ。
 で、第9地区を見て来たけど、あたしは好きなタイプな映画だが、本当に良いのかな??でも、エンドロールで誰も立たなかったです。

2010年5月19日水曜日

閑話番外 その二十七

 

 ブログを書き込むソフトは、例に違わずA君が用意してくれたのだが、調子が悪くなって書き込みが出来なくなって仕舞った。
 頼るのはA君のみ。電話したら、あれこれ指示を受け、あっと言う間に修復完了。お陰でブログを継続出来ました(迷惑だって?気持ちは分からんでも無い……)。
 本当に馬鹿と利口は違うもんだなあ。休題に書いた通りに、劇団のスタッフで本当に良かったです。A君、これからは先生と呼んで良いかな?

2010年5月18日火曜日

山の報告です その十二

FH010006

 三日、快晴だが少し霞みっぽい。でも贅沢を言ったら罰当たり、入山以来三日間も好天が続いて居るのだから。
 上ノ間山を見乍ら忠次郎を下って居ると、今度は九人のパーティが登って来た。彼等も我々のやって来たルートを行くのだ。物好き大集合の有様で有る。
 お蔭様でYの調子は良い。何よりで有る。其の上周りは白銀の山々、行程はモロ余裕、素晴らしきかな春山よ!
 ノンビリと白砂山に登り着く。頂上には数人の登山者が休んで居る。野反湖から登って来たのだから、車道が雪で埋まっては居ない訳だ。ほっとしたのです。
 白砂山こそ上越国境の西端、長野県との境でも有る。此の近辺では一際立派な山なので、当然登山道が有る。と言っても積雪期は雪の下なので、関係無いのだが。
 明朝頂上に登り返す事を考えて、一寸と下った斜面を、小一時間掛けて削りほぼ平らにしてテントを張る。まあ、シャベルをピッケルに変えて、土ならぬ硬い雪を相手の土木作業ですなあ。お陰で腕がグタグタになっちまった。
 此の夜の星は滲んで居た。月は朧だ。スカッとした天気は今日で終わりなのだ。でも良いのだ。明日はピークを再び踏んでご来光を迎え、後はトレースを追いながら野反湖へ下るだけだ。
 急ぐ旅では無い。野反湖でもう一泊テント暮らし、翌日下の集落へ歩き、タクシーを呼ぶと言う計画、余裕綽々なので有った。(飛んでも無い事になるとは、神ならぬ身の知る由も無し、です)
 毎晩、星を見ては天気を予測して居る様な書き方なんだけど、実際はそんなきちんとした行為では無く、夜中に小用の為に起きるだけの事なので、歳の所為なのです(恥)。
 四日、起き抜けにコーヒーを飲むのは常の習いだが、此の日は二杯も飲んでからピークへ向かった為、陽は既に昇って居たお粗末。
 尤も下は霞で、ご来光は駄目だっただろう。こちとら其れを見越して居たんでえ、と言い訳する処が我乍ら一寸と可愛い(え、可愛くねえって!)。
 最期の大展望を楽しんでからテントに戻り、ゆっくりと朝飯を食べて撤収、下りに掛かる。トレースはバッチリ、雪を蹴散らし乍ら下る。
 ラフにトレースを追って、間違えたのに乗って、大回りをしたのはあたしらしいミス。
 地蔵山のピークを踏んで、下りでトレースを失い、適当に行くと赤いマーカーが鮮やかに有る。やったと喜び行ったが、僅かな踏み跡は笹薮に消えて居る。空身で偵察、除き込むが急過ぎて先が不明。彼方此方探し回るが、全て急な笹薮で、雪渓は目の前なのだが、降りる決心がつかない。
 何せ、急に取ったルートなので頼りは地図のみ、未知の雪渓に踏み込む覚悟は無い。
 登り返すのがセオリーだが、相当降りて来て居る。困り果てた処で、続きます。

2010年5月16日日曜日

休題 その三十九

店 052

 

 ギャングオブニューヨークって映画は、アカデミー賞に十部門もノミネートされ乍ら、全部外れちまったのは、天晴れ見事、御目出とう!!
 デカプリオがスターウオ―ズのアナキン・スカイウオーカーの役を蹴って、ギャングオブニューヨークに出演したと言う噂も、そうだろうなあ、と思わせる。
 でも、あたし的にはデカプリオが、スターウオ―ズのアナキン・スカイウオーカーの役をやってくれれば最高だったのに!どんなに素晴らしいスカイウオーカーになったんだろうなあ、後世に残る作品になったで有ろう事は、保証する(意味無いけど)。あくまであたしの好みなんで、済みません。
 ギャングオブニューヨークを見終わって映画館を出る時、面白いとか良い映画とかの感想は浮かばなかった。重いなあ、と心に残った。結局、印象に刻まれる映画だった訳だ。
 言う迄も無く、主演のディカプリオは上手い上に尚且つオーラが有る。処が敵役のダニエル・デイ・レイスが一歩も引けを取らない。がっぷり四つなのだ。
 あたしは浅識なもんで知らなかったが、知る人には余りに有名な俳優だったんだ。普段は靴屋をやって居て、気が向くと映画にも出るそうな。多分伝説だろうけど。
 何故、急にギャングオブニューヨークかってえと、DVDで見直したからだ。あの重さを覚えて居たのだ。
 成る程、重く且つ良い作品だ。ハリウッド臭さは有るけど、素材の方が勝って居る。昔々のニューヨークが、実は主演者だったのだ。
 死人を売るシーンが有る。食用の為だ。そうだったんだろう。選挙が有れば、同じ人間に何度も行かす。今の発展途上国其のものではないか。仕舞いにゃあ選挙に受かった奴を殺しちまう。至極簡単で良い。
 あ、鳩山首相や小沢君を殺すって話じゃ無いので、誤解の無い様に。彼等はあたしが手を下す必要も無いのだから。例に依って話しがズレた。
 クライマックスのギャング同士の決戦と、ニューヨーク暴動(南北戦争の最中、徴兵に反抗する暴動が有った)を巧みに繋げて居る。映画の重さには、歴史の真実の重さが有った訳なのだ。
 セットが凄い。当時のニューヨークの一画を作り上げ、史上最大のセットだそうだ。役者はセットに入るだけで、当時の人間に戻れたそうだ。カメラに余計な物が入らない為の苦労も無い。
 スケールが違う。重い映画になる筈だ。残念だが日本では無理だ。薄っぺらい映画全盛なので、非常に悔しい。勿論、中には重い映画も有るだろうが、内容が重いので、映画の存在が重いのとは、違う。
 皆さん語存知の事を書いたけど、若し知らなかった人が居たとしたら、役に立った訳です。

2010年5月11日火曜日

山の報告です その十一

FH000144

 休憩の時にYが言う。
Y「大塚さんの靴跡がハの字に続くんだけど、ほんの一寸としか跡が無いんだ」
私「そうなの、雪が硬いんだもん」
Y「あれじゃトラバースは危ないよ」
 其の通り。危ないが仕方無いのだ。
 何とかセトバノ頭は越えた。下りで苦労するのはお馴染みの事。樹林が邪魔して方向を特定出来ない。偵察の末、やっと白銀の上ノ倉を目前の地点に立てた。やったぜ!
 処がYの様子が変なのだ。
私「どうした、辛いのか?」
Y「実は心臓がドキドキとして変なんだ」
私「え!」
Y「一週間位前からなんだけど。歩き始めるとドキドキとして、足が前に出なくなる」
私「うーん」
 とてもやばい。半端では無い。瞬間、半分以上白砂山は諦めた。問題はどうするか、だ。一日半登って来たのだから、帰るのも大変だ。
 地図を睨んで案を練る。引き返す、セバトから筍へ向かう、白砂を越え野反湖へ下る。野反湖へ下る事は全く考えて居なかった。春は交通手段が無いからだ。此の際そんな事は言ってられない。決定はYに委ねた。
Y「戻りたく無いし、筍も嫌だし、此処迄来たんだから、野反湖へ行こう」
私「大丈夫かい?」
Y「多分」
 勿論あたしゃあ白砂山に行きたかった。Yの決断は、万歳!!なのだが、不安も大きい。何せ心臓なんだから、うっかりして止まったら、Yの家族に言い訳が出来ない。尤も、どっちにしろ心臓には負担が掛かるのだが。
 心配しつつも上ノ倉山のピークに着いた。幸いにして、何故だかYの調子は戻って居た。良かった、本当に良かった!!!
 もう一つ良かったのは野反湖へ下る予定にした為、急に行程が楽になった事だ。で、此の日は昼にはテントを張って、ノンビリすると決めた。へっへっへ、羨ましいでしょう。
 雪稜漫歩を楽しみつつ行くと、七人のパーティが登って来た。え、物好きは俺達だけじゃ無かったんだ。
 お互い喜ぶ。先にはトレースが有るのだから、偵察の必要も無くなる。其のパーティの若い衆が言う。
彼「こう言う処で、人に会うのは嬉しいです!」
 全く同感で有る。泣ける程嬉しい!忠次郎山を一寸と下り、程好く平らになった雪面にテントを張る。頃は昼一寸と過ぎだが、先程迄のYの苦しみを思えば、当然だ。
 例に依って雪からチューハイを掘り出し、乾杯!となるのだが、一度やって御覧なさい、病み付きになって、毎年春山に行く事になっちまうぜ、ふっふっふ。
 テントでノンビリ過ごし、夜に起きて見ると又もや満点の星。明日の天気も保証付で有る。これで白砂山は間違い無く登れるのだ。安心して寝袋に潜り込む。Yはひたすら大鼾、心臓の調子が戻って良かった、の一言で有る。
 で、続きます。

2010年5月9日日曜日

閑話 その四十八

イラスト12

 

 山の報告で触れた外れるアイゼンの話。イラストは既出だけど、覚えて無いだろうからOK。
 外れるのは買った時からだ。左はプラブーツの爪先のカーブとアイゼンのワイヤーのカーブがぴったり合って居る。右は合って居ずトンチンカンに離れて居る。で、力が加わると見事に外れる。
 が掛かるのは大概ヤバイとこなんで、とても嬉しい。
 どう見ても明らかな欠陥商品なのだが、あたしゃあ根っから好い加減なんで、其れを使って(実際には使えないで)居る。立派に馬鹿ですなあ。
 従ってと言おうか当然にと言おうか、あたしは殆どアイゼン無しで、雪面や雪壁をやって居るんだが、歳なんだから好い加減にするべきでしょう。
 其の欠陥アイゼンを買う時に店員に薦められたのはアルミの製品だ。アルミが主流だそうだ。
私「アルミじゃ直ぐ磨耗するよね」
店員「そうですね」
私「矢張り鉄だよね」
 で、重くてしかも外れる奴を買ったのだ。
 使わない(使えない)のだから、磨耗もクソも無い。あー、馬鹿だった、アルミなら使えなくともずっと軽く済んだ(意味ねー!)。と言う事は詰まり、全く使う事を考えて無いと判断せざるを得ない。丸でアホじゃ!
 アホでも、今回は使ったもんねー。朝だけだけど。雪が凍ってるから、仕方無いじゃんさー。滑り落ちるのは嫌だし。
 処で、前にも書いたかも知れないが、昔のアイゼンは錆びなかった。山から帰って、其の侭仕舞っても錆びなかった。今は錆びる。赤く錆びる。鉄の違いなのだろうか?そうだろう、外に考え様は無い。
 アホがアイゼンを使った話に戻ろう。右は外れる。じゃあ左だけでも着けて歩けば良いだろう?
 ピンポーン、そうしたのだ、エッヘン。片足が確保出来るだけで全然違う。危険度は三割以下なのだ。もっと早く気付くべきだった、クッソー、失敗したぜ。(其の前にちゃんとしたアイゼンを買えよ)
 一寸と困るのは、人に会った(白砂山には結構登って居た)時、片アイゼンが見っとも無い事だが、何、見掛けがどうでも良いのがあたしの生き方、気にしない。
 でも、少なくとも山中では格好良いおじさで居たいとのスケベ心は有るもんで(え、そんなもん有ったのか?ああ、悪かったな似合わなくて!)、口ほどに無く恥ずかしかったですよ(汗)。
 これからは片アイゼンで何とかやれば良いのだ。ふっふっふ、物事全て工夫が肝心だぜ(話が違うって!)。
 外れて、しかも重いアイゼンの話でした。

2010年5月8日土曜日

山の報告です その十

FH000023

 去年のリベンジを果たしました!
 威張る意味は無いんで、去年は滅茶苦茶に藪に痛め付けられて撤退した訳だが、今年は雪が豊富だったので、藪に邪魔されなかったと言うだけの事なのです。
 去年のエスケープルート、苗場スキー場の筍山から、ゴンドラ、リフトを使って楽に入山と、汚い計画を立てて居たが、な、何と、苗場スキー場は四月十一日で今シーズンの営業を止めて仕舞って居た。
 信じたくなかった。でも事実だった。
 ヘン、上等だぜ、コースを短縮し旧三国スキー場から三坂峠へ登り、白砂山を踏んでから筍山を下るさ。クソ、苗場プリンスの馬鹿!
 三十日の夜、お馴染みのYと新幹線で越後湯沢駅に入り表で寝る。丸でホームレスです。
 一日、快晴。林道歩きをたとえ一時間半でも減らしたいので、駅からタクシーで出発。え、貧乏人のするこっちゃないって?良いんだよ、荷物が重いんだから!(25Kg超)
 タクシーは苗場プリンスを越えて間も無く行き止まりとなった。通行禁止で有る。エーン、バスで来ても殆ど変わり無かったよ(涙)。貧乏人の無駄金使いでしたなあ。
 通行禁止は当然だった。歩き始めるとすぐに雪道だ。しかも凍って居る。車止めに着いた時は、一面の雪。ま、其の前から一面の雪だったんだけどね。兎に角川沿いに雪を踏んで行く。
 三坂峠へは登山道なのだが、雪しか無い。従って、道なんて有っても無くても関係無い。地図を頼りに、こんなとこかな、と川を渡って雪の斜面に取り付き登る。何とか稜線に立てたのは目出度い。
 いやー、雪が有って嬉しい!藪が殆ど苦にならない。雪上に逃げられるから。此れが普通で、去年は異常だったのだ。
 と喜んでは居るが、道では無い稜線を登るのは結構辛い。藪っぽい登りを、たまに雪を踏み抜き乍ら唯登るのだ。
 拙いのはYがやけに遅れる事だ。セバトノ頭迄と思って居たが、大分手前の小ピークで幕営とした。一寸と心配では有る。併しYの丈夫さは人間とは思えない部分が有るので、何とかなるだろう、と思う様にした。
 夜起きて見た空は見事な星空、北斗七星の大きい事!明日も天気は大丈夫、やるぞー!
 二日、予想道りの快晴。但し風が冷たい。五時半過ぎには撤収し登り始める。アイゼンが良く効く。サクサクとアイゼンの音が心地良い。其処でですよ、例に依ってあたしの右アイゼンが外れた。
 面倒臭いのでアイゼンは外しちまう。硬雪の急斜面やトラバースは、必死に靴を蹴込んで、無駄な頑張りを続ける。危ないし疲れる。二度も三度も蹴っても、数センチしか靴が入らないんだから、ヒヤヒヤもので有る。
 馬鹿話は続きます。

2010年5月6日木曜日

閑話番外 その二十六

 

 平成二十二年四月三十日夜から五月五日迄、五泊五日で念願の白砂山を歩いて来ました。詰まり、昨日帰って来たのです。日焼けで真っ赤。
 もうじき山の報告に載るけれど、写真のデーター化は間に合わないだろうから、無関係の上越の写真を載せる事になって、其れも既載のものだったりするので、御免なさい。
 同じ上越と言っても相当離れて居るので、東京のビルの話に、名古屋のビルの写真が載ってる様なもんで、いやどうも(ペコリ)。
 て事でお楽しみに。え、楽しみじゃ無いって?無理しても楽しむのです!