2010年8月29日日曜日

柄でも無い事 その二十三

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 写真の焼き物は余りにもメジャーですな。砥部の中でも、最も代表的絵柄なので、どなたにもお分かりでしょう。徳利とぐい飲みだが、あたしはセット物は買わないので、別々に選んだ物です。
 砥部は厚手の磁器で、染付け専門の感が有ったが、今では色もふんだんに使う様になった。時代で有る。独特の厚さだけは変わらないのが嬉しい。
 松山駅から十分程お堀に向かって歩くと、右側に小さな本当に小さな、砥部焼き専門店が有る。徳利もぐい飲みも其処で、別の時に買った物なのだ。店のおばさんは言う。
おばさん「最近は東京のお店からの注文も増えたんですよ。割れなくて良いって」
 そうでしょうとも!薄口の洒落た磁器は勿論最高だ。食べ物も酒も美味しくなる。が、一寸とした拍子で割れる。割れなくとも欠ける。口の欠けた食器を出す店は最低だ。従って、欠けるは割れると変わらない。
 其の点砥部は最強で有る。磁器では一番丈夫だろう。少々値が張っても充分元は取れる筈だ。其の上、砥部独特の味わいが好まれるので、店では一石二鳥と言う事だろう。
 独特の味わいとは、一目で分かる分厚くてずっしりとした白い肌に、鮮烈にして清楚染付け(最近は変わったが)、如何にも安定感の有るシンプルな形。見る人、使う人を落ち着かせる不思議な味わいが有る、とあたしは見て居る。
 ま、ぬくもりの有る磁器と言う位置づけでしょう。普通は陶器にぬくもりを感じるものだから。
 砥部は松山市内には違い無いが、バスで相当走る。窯巡りは殆どが坂道で有る。焼き物を見に来たのかハイキングに来たのか、よく分からなくなって仕舞う。従って砥部へ出向こうと思って居る方は、季節が良くなってからにするべきです。
 砥部を巡ったからどうなるってもんでも無いんだけど、焼き物の里を歩くのは良いもので、彼方此方の窯元を覗いて歩くのです。縁が有る焼き物との出会いも、可能性は極めて大なのだ。
 因みに我が家に有る砥部焼きは、小壷、花瓶、大皿、マグカップ二つ、カップ&ソーサー、湯呑み、そして写真の徳利とぐい飲み。
 うーん、あたしゃあ砥部焼きが好きだったんだ。知らなかった。でも、さもなきゃそんなに揃わないって。
 誰でも知ってる砥部焼きだけども、意外と使って居る人は少ない(と根拠無く思う)。
 勿体無い話で有る。砥部の魅力は使えば分かるのだ。まあ、そう言っちゃあどの焼き物もそうなんだけどね。使うと良さが分かっちまうんですよ。
 逆も有る。使うにつれ嫌になる。そんなもんとは、お別れしたくなる。
 砥部には其の心配は無いですよ!

2010年8月28日土曜日

クソ面倒な話 その二十一

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 クソ面倒な話は、相対性理論に準拠して文章を構成(構成とはオーバです)して居る事が多いが、実は相対性理論に疑いを抱いて(いだいて)居るのだ。
 馬鹿じゃないの、の一言で終わりなのは承知してるけど、自分は騙せないのでゲロっちまいましょう。
 素人のあたしが、録に分かりもしないくせに、よくそんな事が思えるなと、自分でも思うのだが、思って仕舞うのだから仕方無いのだ。
 相対性理論は数学で表現されて居るので、本当に理解しようとしたら、数学者並の数学力が必要で、普通は無理だろう。勿論あたしなんざ論外さ、分かりっこ無いもんねー、ヘッヘンだよーん♪
 先ず納得出来ないのは、光速一定の法則。ま、其れが相対性理論の殆ど全てと言っても過言では無い程のポジションなんで、世紀の理論の大前提に疑いを持ったら、事実上否定した事になっちまう訳なんです。
 時速250Kmの新幹線の中で、進行方向へ時速100Kmのボールを投げれば、新幹線の中の人はボールの速さは100Kmと判断するだろうし、線路の脇で観測して居る人が居れば、ボールは350Kmと観測する。当然ですよね。
処が、光は違って、新幹線の中の人も、線路脇で観察して居る人も、光は同じ速さになる。たとえが偉く悪いですなあ。これじゃ益々分かんなくなっちまう。
 光速の半分(詰まり1/2C)の速さで等速運動をして居るロケット1から前方へ光を発射すると、ロケット1の乗組員は発射した光の速さをCと観測する。此処迄は良い。極めて妥当な意見だ。
 其のロケットと同方向に1/2C遅く等速運動して居るロケット2が有る。え、止まってると書けば良いだろうって?(人差し指を振り)チッチッチ、其れは駄目なの。絶対座標が設定されて居ない限りは、全て相対的にしか表現出来ないのだ。
 さて、ご承知の通り、ロケット2からはロケット1から発射された光の速さがCと観測される。
 え、1.5Cになるんじゃねえのけえ??
 ならない。変だって何だって、ならない。
 光速はあらゆる座標系から観測しても一定だと言うのが味噌なのだ。

 本当けえ???

 其の大前提を元に計算をすりゃあ、空間は縮むは時間は遅れるは、摩訶不思議な現象が続出する。仕舞いにゃあ、光速を越えれば時間が戻ると言う珍説に迄到る訳だ。
 其の件(タイムトラベル)に関しては、前述なので触れない。相対性理論の話は続きます。

2010年8月26日木曜日

閑話 その五十四

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 秩父で最近、遭難者を助けに行ったヘリが落ちて二人亡くなり、其の現場を取材に行った日テレの人が二人亡くなった。滅多に無い三重遭難で有る。
 大分前には、奥穂高で救助ヘリが落ちて何人か亡くなったと記憶してるけど、ヘリが山で落ちると、先ず乗員は助からない。
 埼玉県の委託先(ヘリの)では、カウンセリングの結果、出動に対応不能な状態だと判断された由。無理も無い。
 そうか、パイロットは民間人だったんだ。委託されて、操縦桿を握って居たんだ。埼玉県だけじゃ無いと思う。
 自前でパイロットを持って居るのは、自衛隊と海上保安庁位では?警察と消防はどうなんだろう。面倒なんで調べないけど。
 ヘリの免許を持って居る知人に聞いた話だけども、ホバリングが出来れば全てOKで、後は簡単な事だそうだ。詰まり、一番難しいのがホバリングで、其れも山の中ともなれば風も一定では無いだろうし、一寸と変に動けばローターが岩や崖にぶつかり、あえ無く墜落して仕舞うので、命懸けなのだ。
 遭難救助は有料にすべきだ、と意見が出て居るそうだが、全く同感で有る。現在でも幾つかの自治体はヘリを有料にして居る。
 遭難者から救助以来が入り、「有料ですが」と言うと、「じゃあ結構です」と断られるケースも有るそうで、何なんだ其れは、救急車をタクシー代わりにする発想じゃ無いか!
 山は自己責任の世界で有る。不幸にも事故を起こす事も有るだろう。体調を崩す事も有るだろう。残念乍ら自力で下山不能になったら、素直に救助を求めるしか無い。
 自己責任なのだから、費用は当然自分払いだろう。遊び(登山の事。登山って元々遊びでしょう?)でヘリをチャーターする訳なのだから。
 金を払う以上は客だ、なぞとは思わない方が良い。ヘリのパイロットは好きでも無い山の中へ、命懸けでやって来るのだ。あたしを(或いは貴方を)救う為に。
 赤河原の小屋の親父が言う。
「(遭難者に)息が有れば張り合いも有るずらよ。何とか助け様と、無理もするがね。息をして無きゃ本当に詰まらねえ。唯運び下ろすだけずら」
 ヘリのパイロットもきっとそうなのだろう。危険を承知で飛び出すのだろうが、余りに墜落が続くと、山に入りたく無くなるだろう。至極当然な事だ。
 携帯電話が尾根筋は通じるので、安易な救助依頼が増加したそうで、ならば有料にしてしかるべき経費は負担して貰うのが、理の当然ってもんでしょう。
 ん、利潤を上乗せしても良いんじゃ無いかなあ。自治体も潤う訳だから、全く結構な話だ。パイロット氏の危険手当も増額出来るし。
 山岳保険に入って山へ行くべきですな。

2010年8月22日日曜日

閑話番外 その三十三

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 旅立ちの日で、駅に向かう瞬間に山になると書いたが、真実で有る。あと、淡々と出発するとも書いたが、其れも真実で有る。
 既に本文に書いたのだが、淡々と言い乍ら、単独行とパーティでは淡々の内容が違う。矢張り単独だと、無意識の緊張をして居る。パーティだと、駅で仲間の顔を見ると、思わずニコニコして仕舞う。緊張なんて、無い。
 其の差は天と地(一寸とオーバー)、孤独で厳しい単独か、仲間と登る山か、どっちが良いとも決め難い。
 両方共、良いのでしょう。

2010年8月21日土曜日

旅立ちの日 その三

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 旅行と決定的に違うのは、食料も持参するので、食料表が必要な事だろう。其の食料も行程日数+一日+アルファーは、最低でも用意する。燃料も同じ計算に従って準備する。
 装備表にチェックを入れ乍ら、ザックに詰めて行く。食料はスーパーに買出しに行き、これまたチェックを入れて詰める。出来上がったザックの重さ(大体24~28kg)に呆然とする。此れを背負って、何日も歩くのかい。うーむ、大丈夫なのかなあ。
 そう思うのは最近の事で、昔は、うん、こんなもんか、チョロイなあ、だったのだから歳は争えないもんです。
 あと、常に気になるのは天気だ。もし、登山期間中の天気が、明らかに悪ければ中止の一手なのだ。何とかならあな、と出掛けても、良くしたもので何ともならず、テントの中に閉じ込められて居るだけなのだから。
 途中で気圧の谷が通過する位なら、出掛けて仕舞う。悪くしても、一日停滞(行動しないでテントで待機する事)すれば、天気は回復する筈だ。
 既述かな、まあ良いや。単独の停滞は結構辛い。何が辛いって、時間が経たない。コーヒーを飲んだり、煙草を吸ったり、酒をちょっぴり(量が限られて居るので)飲んだり、ウトウトしても、未だ午前中!
 やる事と言えば、たまに表に出てペグを埋め直すか、雪の補充をして水を造る位で、唯ぼーっと雨音と風の音を聞く。そして、寝るしか無い。其れは其れで如何にも自然そのもので、悪くは無いけど、しょっちゅうやりたくは無いのも事実だ。
 さて、いよいよ旅人の出発の朝になる。家人の寝て居る時間に起き出して身支度を整え、簡単な朝食を取る。一服付けて登山靴を履いて居ると、妻が送りに起きて来る。気を付けてね、と必ず言う。うん、と答えて、ザックを背負う。其の重さに改めて驚く。そして扉を開けて出て行く。
 手を振って見送る妻に、ピッケルを上げて答え、駅へ向かって歩き出す。
  淡々とした出発で有る。気負うでも無く、気後れする訳でも無く、唯歩き出すのだ。う―ん、ドラマが無いですなあ。
 そして、其の瞬間に日常と縁が切れる。スッパリと切れる。面白いもので、季節や日数に関わらず、駅へ向かって歩き出すと、山が始まるのだ。此の一瞬の為に何日も掛けて準備をして来たのだ。
 不安と気負いは準備期間で何度も繰り返して居る。いざ旅立ちの時は、其の正反対の淡々とした気持ちだ。
 それが私の旅立ちの日で有る。多分他の人達も、同じではないかと類推して居るが、訊いて歩いたのでは無いので、分からない。
 何、出発した後は、唯々喘いだり、汗を垂らしたり、寒がったり、暑がったりの山登り。何で来ちまったんだ、と情無くも思ったりして人影も無い雪の山を一人で歩く、バテたおじさんになるだけなのです。
 結局、其の為に山に行くのでしょうな。

2010年8月18日水曜日

休題 その四十八

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 ファイトクラブは日本では当たらなかった。殆ど問題外だった。外の国ではどうだったんだろうか?想像だけど、破壊的暴力映画として不評だったのでは?
 あたしは、此の映画を20世紀の傑作の一つとだ思う。間違い無く後世の批評に耐える作品で有ろう。
 確かに破壊的暴力映画に見える。でも、暴力を推奨するメッセージは、あたしには一切伝わって来ない。自己解放の手段としての暴力で、殴るより殴られる喜びに主眼が置かれて居ると感じるのだ。
 エドワード・ノートンが、自己否定の挙句に生み出した理想の男タイラー(言う迄も無いだろうけど、ブラピ)に導かれ、やがてタイラー自身になって行くと言う、自己変革物語だと解釈するのだ。
 ま、大昔の教養小説の現代版ですな。え、違うって?確かにゲーテとは大分違う様だけど……。
 ファイトクラブはやがて反社会的行為に走り出すが、此れは真っ向から物質万能主義を否定するメッセージで、大体からして、其れに取り込まれて身動きならなくなり、虚無に堕ちたのが、エドワード・ノートンなのだから、至極当然の帰着だ。
 処でエドワード・ノートンの役名は何だったけ?殆ど彼が語って居るので、分からない。ネオならアンダーソン、此れはスミスが常に呼び掛けるので明白だ。スミスは挨拶だけは礼儀が良かった。「ミスター アンダーソン」なんだから。外は無礼なんだけどね。
 あたしは残念乍ら、映画館ではなくDVDだったのだ。ろくに評判にもならないし、どうせ変な映画だろうと思って居たので。 DVDで観乍ら叫んで居た。
「此れ、最高じゃないか!!」
 ノートンとブラピの魅力が最高度に引き出されて居たのは勿論として、一見許しがたい反社会的に思えるストーリーに、偉く真実を感じて仕舞ったからだ。
 あ、お断りしておきますが、あたしゃあ物質万能に毒されて居ない人間の一人です(と自分では思ってます)。
 うーん、そう言う事なら、あたしは出来の悪いタイラーって事かな?
ラスト寸前に、ノートンは自分を撃つ事に依ってタイラーを消し去るが、将に其の瞬間にタイラーと同化した訳で、以降の短いシーンはタイラーとして振舞って居る。
 らしく無く分析するのは野暮でした。
 元々、分析とは無縁に生きて居るんだから、其の流儀で行こう。
 兎に角、面白い名作で奥深いの一言。主演二人も素晴らしい!
 先入観をかなぐり捨てる事が出来たら、成程世紀の名作だ、と思って貰える作品で有る事は保証します。え、お前の保証は無意味だって?そう言わずに観て下さい!

2010年8月15日日曜日

旅だちの日 その二

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 インターネットで検索すれば、ちゃんと記録がゲット出来る。そうか、其処はザレた痩せ尾根で、大抵雪が付いて無いんだな、とか、テントは此の間には張れる場所は無いのか、とか、大体の把握は出来るので、助かる。
 だけど、古い人間には一寸と物足りない。せっせと資料を探すのが、楽しみの一つでは有ったのだ。では此れからも古本を漁るのか、と言われりゃご勘弁を。でも、あの古本独特の匂いに包まれて、本を漁るのも良いかな?少なくとも、今一生懸命ものを探して居る、と言う肌に感じる実感は有るのだから。
 肌に感じる実感が有っても、鉄道が引かれれば、もう歩かないで汽車に乗ると言う事。車窓に流れる景色を眺め、昔はあの道を歩いたもんだ、と懐かしむ。私なんざ残念な事に、其の程度の底の知れた懐古趣味なので、此処は目を瞑ってやって下さい。
 此の愚ログにも色々と人が来て居る様だ。山や沢の名で検索して来るのだろう。其の諸君は、勿論即座に帰って仕舞う筈だ。実は私にも散々経験が有る。
 たとえばA山からB山へのコースを検索するとする。開いたページがちゃんとした記録だったら良い。大体、こっちは其れを求めて居るんだから。でも中には此の文章の様に、愚にも付かない御託を並べて居るだけの(失礼!)ものも有って、即座に去って仕舞う。欲しいのはデーターで有って、訳の分からん話なんざどうでも良いのだ!!
 詰まり私も多くの登山者を苛苛させてるのですなあ。其れは其れ、データーを公開する為に始めたのでは無いのは、冒頭にお断りした通りなので、うっかり開いた方はお気の毒ですが、諦めて去って下さいね。
 目指すデーターが上手く手に入ったら、改めて地図を読み、幕営地を定め、ルートを追い、悪天候の場合をシュミレーションするが、此の頃には、ほぼ酔っ払いの状況を呈して居るのが常なので、其の続きは又こんど、となる事が多い。
 さて又こんどの時になりました。入山する鉄道、バスの時刻調べから始まる。此れもPCのお陰で滅茶苦茶楽になった。昔はJRの駅迄行って時刻表を開き、せっせと調べるのだが、此れが意外と面倒なのは、皆さんご承知の通りだろう。特にバスの路線を見つけ、時刻を特定するのは、慣れない頃には本当に苦労したものだ。
 さて、JRの駅で出発する時間は決まった(昔はだ、今はPCでOK)。え、帰り方はどうするつもりかって?知った事か、そんなのあ出たとこ勝負だ、行きゃあ嫌でも帰れるんだよ!
 ま、書いて見れば普通の旅行と殆ど変わらない流れでは有りますなあ。でもですよ、此処から少しは違って来るだろう筈です。装備表と食料計画が必要だ。ま、旅行にも装備表が必要だろうけど、春山での装備はなかなかの嵩となる。普通の海外旅行どころでは無い。殆ど冬山に等しいのだ。
 (旅だちの日 その三へ続く)

2010年8月14日土曜日

柄でも無い事 その二十二

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 あたしは着る、食う、飲む、住む、全てに無頓着なのだ。ITすら驚く程だ。
 こう書き乍ら飲んで居るのは大五郎の4ℓペット。知らない人が居るといけないので説明すると、原料はサトウキビの糖蜜で、効率良くアルコールにして(糖がアルコールになるのだから、効率は抜群)水で割った焼酎だが、薬用アルコールの25%水と思えば、ほぼ間違い無い代物だ。美味いかって?美味い筈無いだろう!
 アルコールで有りさえすれば良くて、且つ財布の軽い人間専用飲料なのだ。そんなもんでもあたしゃあ結構なので、戦争末期に飛行機用アルコール燃料を水で割って飲む搭乗員の世界だ。飲めれば良い!眼が潰れなければだけど(メチルじゃ無いって)。
 食べ物だって、食べられれば良いので、食べられなけりゃあ困るんだけど(たとえば土とかガラスとか)、贅沢は言いっこ無しが、我が生き方なのだ(贅沢は言えないんだろうって?ああ、そうだよ!)。
 よく聞く話に、生活水準を上げるのは極めて簡単だが、下げるのは非常に苦労する、と。あたしには全く当てはまらない。直ぐ下げた環境でOK。尤も、もう下げ様も無いけど。
 と、柄通りの話を書いて居るのは、水で割ったアルコール(の様な焼酎)を、これまた無造作に水道水で割って飲んで暮らしては居ても、酒(含、焼酎、ウイスキー、ワイン等)の味は分かる、と言いたかったので、ね、柄でも無いでしょう。
 尤も、酒飲みの多くは好みの違いは有るだろうけど、酒の味は分かるもので、改めて威張る事では無い。
 詰まり、変なもん飲んでるけど、普通の舌は持ってんですよー、と言いたい訳なので、書き乍ら、己が一寸と哀れに思えて来た。
 一番美味かった日本酒は、華。知ってる人は僅かだろう。過去形なのでお分かりと思うが、今は廃番なので、手に入らない。
 日本名門酒会と言うグループの酒屋が有って、其処のオリジナルで栃木の蔵元が造って居た。あたしの好みにぴったり。アッサリ系なので、じすいず日本酒党には、不評かも知れない。
 久保田の万寿?華の方がずーっと上だった。しかも安い、三千円でおつりが来た。万寿の四分の一なのだ!ま、其れに感動した面も有るだろうが、物には値ごろ感が有って、幾ら美味くたって一万円以上もする酒って、何其れと思って仕舞う。貧乏性なのだ、えっへん。
 チリワインが流行って居るが、本物はあんなもんでは無い。此れも大阪の万博で(古いですなあ)知ったのだが、チリ館でワインの接待が有った。何でチリ館に入ったかと言うと、空いて居たから。
 茶色に近い色で、飲むと苦い。一寸と驚いた。でも、味わい深く、後味が抜群に良い。残念乍ら、未だ日本には入って来てません。

2010年8月11日水曜日

旅立ちの日 その一

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 旅人は出発する為に旅に出る

 ボードレールの言葉だ。私にさえ、すっごーく良く分かる。では、山に出発する状況を書きましょう。登山者も、出発する為に山に行く、部分が確かに有るのだから。
 始まりは、此の山に行きたい、或いは此のルートを行きたい、なのは何処(いずこ)も同じと思われる。
 但し、季節及びルートの難易度には相当の差が有るので、此処は春山、上越の単独行で三日行程としよう。勝手に決めるなって?何事も何処かで線引きが必要なの!
 さて春の上越、どのルートをやろうかなあ。酒と灰皿を手元に、地図を見つめる。思えば、一番楽しい時間なのかも知れない。
 プログラムを組む時もそうだった(一応COBOLを使えたので)。依頼されたソフトを、どう言う手順で、どうやって既存のソフトに組み込むか、と考える時間が一番楽しく、ワクワクするものだった。見通しが立つと、後はフローを起こし、ディティールを記述し、コード化するのだが、其の段階では単なる力仕事に堕しちまって、データーを作ってテストの段階なんざ、鬱陶しいだけの苦行だ。
 芝居もそうで、脚本を、うんうん唸っては煙草に火を点け、ウロウロ歩き回っては想を練る。思えば此の時が最高に辛くて面白いのだ。脚本が上がれば、後は力仕事が待って居るので、唯々頑張るだけの世界に突入する。其れは其れで面白いのだが、どんな芝居をやろうか、と悩む楽しみは又別格で有る。
 済みません、山でした。
 よし、此の尾根から入り、此の山迄縦走して此処を下ろう、と決める。行った事が有る場合も無い場合も有る。どっちにしても春山は、初めて行くと考えて良い。其の年に依って状況がガラっと変わるから。
 さて、行こうと決めた稜線の等高線を読む。うーむ、此の下りはきついぞ。此の岩のマークはどうなんだろう。万が一のエスケープルートは何処にしよう。
 昔々は古本屋へ出掛けた。と言っても近所の古本屋では役に立たない。神保町へ行けば山専門の店が(多分今でも)有る。そこで山と渓谷や岳人の、山の様に積み上げたバックナンバーから、自分の行く山域の春の記録を探すのだ。四月号と五月号に絞れば良いので、多少は手間を省ける。
 良くしたもので、必ず必要な情報は得られた。ま、私なんかが行こうとする所は、誰でも行くって事でしょう。
 今は楽だ。死ぬ程楽だ。でも死なないもんねー、へっへんだ。……相変わらず酔ってんで、ご勘弁下さい(ペコリ)。

 (旅立ちの日 その二へ続く)

2010年8月8日日曜日

閑話番外 その三十二

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 前の前の閑話でGEを持って三ノ塔へ登ったと書いた。
 上り口の看板を見て驚いた。蛭に注意、となって居た。
 え、蛭は早戸川流域だろうが、表尾根に出た事なんざ無かったぞ!読むと、蛭の生息範囲が広がって居る、との事。
 ショック、じゃあ水無川でも蛭にお眼に掛かる訳だ。嫌な渡世だなあ。
 で、帰ったらちゃんと脛を食われて居ました。うーん、動物(鹿とか猪)の移動に伴い、蛭も移動する訳だから、汚染地区は拡大の一途を辿るのだろう。凄く悲しいし、泣きたい程嫌だ。でも、文字通りに仕方無い事。
 水無川では気をつけようっと♪
 写真は、其の三ノ塔での試し撮りです。

2010年8月7日土曜日

閑話 その五十三

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 石雪崩のBと、前穂高から下った。二昔半になる。前日は奥穂の小屋の幕営地にテントを張った。其処が狭いの。しかも切り立った場所で、奥穂の肩だなあ、と如何にも納得した覚えが有る。
 又其の前日は横尾で幕営、北穂へ登り涸沢槍を経て奥穂の肩へやって来たのだった。
 さて奥穂の朝。真夏なのに寒い。流石三千メートル、息が真っ白いのがとても嬉しい。十八度は低いのだから、麓が二十五度の熱帯夜で茹だって居ても、こっちは七度なのだ。ふっふっふ、幸せですなあ。短パン姿で震えて居たって、其れが何さ。歩き出せば暖かくなるんだから。
 幸いにも、全行程好天に恵まれ、快晴の下奥穂に立ち、のんびりと前穂へ向かう。
 流石お盆の真っ最中、前穂には登山者が群れて居た。何処から湧いて出たのだろう。え、お前等もそうだろうって?ご尤も!
 下りに掛かったは良いが、あの急な尾根路にはずらーっと登山者が取り付いて居る。
 昔の事なので(二十五年前)私もBも脚が速かった。ザックが大きくても速かった。すると、前の人が気配を感じて路を開けてくれる。「済みません」と声を掛けて抜くと、次のパーティが路を開ける。と、又もや次の人が路を開ける。
 結局、私とBは「済みません、有り難う御座います!」と叫び乍ら急降路(?)を走り下る羽目になっちまったのだ。偉く大変なのだが、モーセの前に割れて行く紅海の状況なので、今更止まるに止まれず、必死に頑張った。我々とモーセとの大きな違いは、後から追って来るエジプト軍が居ないと言う事。
 じゃあ、急ぐ意味は全く無いんだよね、紅海が目の前で割れてもだ。
B「待って!何で急ぐんだよ」
私「だって、皆避けるんだから」
B「普通に降りれば良いだろう、疲れるし、危ないじゃないか!」
 至極尤もだ。急ぐ旅では決して無い。エジプト軍は追尾して無いし。
私「オーライ、横に避けて休もう」
 流石Bで有る。放っときゃあ上高地迄走り降りる事になっただろう。其れは余りに過酷な行為だ。急な岩の尾根だし。善い処で声を掛けてくれた。尤も、Bも限界だったのだろう。斯く言うあたしも殆ど限界だったのだから、阿吽(あうん)の呼吸ですかな。
 脇に避けて一服つけて、後は普通に何気無く下りました。
 分かってくれますか?前の人がどんどん避けてくれたら、期待(?)に応えざるを得ないでしょう、貴方でも(え、違うって?)。確かに、危なくて辛かったけど、私は其の手の馬鹿なんです、へっへっへ。
 上高地に着いて、バスに乗れば東京に帰れるのだが、テントを張って一泊した。勿体無いでしょう、焦って帰る必要は無いのだから。

2010年8月4日水曜日

休題 その四十七

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 こんな絶海の孤島のブログで有ろうと、売れっこ作家で有ろうと、売れる売れないに関係無くシナリオライターで有ろうと、作品を公にする限りは、作者(含、あたし、え、駄目?)は精神的ストリッパーなのだろう。
 面白いもんで作品に、嫌でも作者自身が反映されるのは、全てに於いてそうなのだ。
 此の愚ログが作品?
 へっへっへ、残念でした、そうなんです。作品ってえのはこんなもんじゃ無い、馬鹿言ってんじゃ無いよ、馬鹿言ってんじゃ無いわ。著作権では、此処いらへんでギリギリかな?
 馬鹿言ってんじゃ無いよ!!!
 誰がこんな辺境の地をチェックしてんだ?流石の著作権協会だって、地球の裏側迄、或いは絶海の孤島迄調べたら、経費倒れになっちまう。ん、って事は此処では何でも使い放題って事か。
 もしも、著作権協会から請求書が来りゃあ、喜ぶべきなんだ。でも、来っこ無いって!!
 今やっと気付いた。相変わらずの馬鹿ですなあ。
 アゴラ劇場は、野田秀樹の本拠地で有った上に、今は青年団の本拠地なのでメジャーで有る、幾らボロくとも確りチェックが入る。アゴラで公演した時に著作権協会から電話が来て、音楽使用料を払えと言う。まるで、突然税金が路上生活者に掛かってきた様なもんだ。
私「は、うちは仲間で金を出し合ってやってんですけど」
係員「赤字黒字と関係無く、小屋を借りる料金は払いますよね」
私「はい」
係員「同じ事です」
 今は分かる。当然だ。当時のあたしゃあ頭に来ちまって、それでも言われる通りにしなくちゃと思い(此れがあたしの良い処で、かつ悪い処)、音楽を減らすと決めたら、音響担当のAがふてぶてしくせせら笑う。
A「見に来っこ無いから適当で良いんだって。馬鹿だなあ、任せてよ」
 で、全て任せて、上手く行った。あたしゃ馬鹿だね、有り難うAよ。ま、一種の脱税もどきななんだけどね。赤字の上に払うのは、微妙に抵抗が有ったんです。
 主題がブレた。貧乏人だから、ご容赦下さい。
 此の愚ログでも作品だと言う、驚くべき話だった。
 いやさ、公開する限りは、出来の良し悪しには無関係に作品なんで、出来悪い映画には客が入らず、詰まらない小説は売れず、魅力の無い焼き物は埃を被り、下手な歌は相手にされず、下らない愚ログには人が来ない。
 其れは結果で有って、人様の前に出したなら、作品なんです。自分の作品なんです。
 其れが分かって居る癖に、あたしには良い作品を創ろうと言う努力が見えない。酔っ払わなければ良いのに、其の気は無いのです。

2010年8月1日日曜日

休題 その四十六

 

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 新カメラを持って、昨日三ノ塔へ登り、試し撮りをして来たが、ガスっぽくて景色は無し、新カメラのデビューには最高の環境で有ったのだ。
 十数枚写して見たが、どうにも薄らボケた感じで、思った様には写らない。全てカメラ任せとは歯がゆいものだ。
 露出補正も出来る筈なのだが、其のボタンが作動しない。ま、どうせあたしが何処かドジって居るのだろう。
 と言うのは、買って直ぐ近所で花を撮ったのだが、接写にしてもボケて駄目。何でボケるんだ此のボケ!と怒ったのだが、三ノ塔であれこれやって居るうちに分かった。
 F2には接写が無かったので、花は望遠で引っ張って撮って居たのが癖になって、レンズを伸ばして接写モードを選択して居たのだ。
 ふと気付いてレンズを収めたら、接写が出来ました、万歳!
 馬鹿じゃないの?はい、少し。
 レンズの所為なのかなあ、シャープさに欠けて、うーん、此れじゃなあ、と言う物のオンパレード、露出補正を使いこなすしか方法は無いのだろう。
 ピントもカメラ任せと言うのが、どうにも気に入らないのだが、仕方無い。どうしても甘く感じられるが、此れも使いこなすしか無いのだろう。一眼レフのF2と比べられたらCEが気の毒と言う事でしょう。
 ガスなのに登山者は割と多かった。皆さんヤビツ峠迄バスの様だったが、あたしは長蛇の列を嫌って蓑毛行きに乗り、峠へ登るのに一汗かいちまったが、満員のバスで曲がりくねった林道を登るより、余程気分が良い。
 写真は頂上直下のものだが、他のものよっか多少写真らしかったので、図々しくも載せて仕舞ったのです(恥)。
 溜息が出る。だって、ボタンが無闇と多くて、何時になったら思う様に写せる事やら。