ファイトクラブは日本では当たらなかった。殆ど問題外だった。外の国ではどうだったんだろうか?想像だけど、破壊的暴力映画として不評だったのでは?
あたしは、此の映画を20世紀の傑作の一つとだ思う。間違い無く後世の批評に耐える作品で有ろう。
確かに破壊的暴力映画に見える。でも、暴力を推奨するメッセージは、あたしには一切伝わって来ない。自己解放の手段としての暴力で、殴るより殴られる喜びに主眼が置かれて居ると感じるのだ。
エドワード・ノートンが、自己否定の挙句に生み出した理想の男タイラー(言う迄も無いだろうけど、ブラピ)に導かれ、やがてタイラー自身になって行くと言う、自己変革物語だと解釈するのだ。
ま、大昔の教養小説の現代版ですな。え、違うって?確かにゲーテとは大分違う様だけど……。
ファイトクラブはやがて反社会的行為に走り出すが、此れは真っ向から物質万能主義を否定するメッセージで、大体からして、其れに取り込まれて身動きならなくなり、虚無に堕ちたのが、エドワード・ノートンなのだから、至極当然の帰着だ。
処でエドワード・ノートンの役名は何だったけ?殆ど彼が語って居るので、分からない。ネオならアンダーソン、此れはスミスが常に呼び掛けるので明白だ。スミスは挨拶だけは礼儀が良かった。「ミスター アンダーソン」なんだから。外は無礼なんだけどね。
あたしは残念乍ら、映画館ではなくDVDだったのだ。ろくに評判にもならないし、どうせ変な映画だろうと思って居たので。 DVDで観乍ら叫んで居た。
「此れ、最高じゃないか!!」
ノートンとブラピの魅力が最高度に引き出されて居たのは勿論として、一見許しがたい反社会的に思えるストーリーに、偉く真実を感じて仕舞ったからだ。
あ、お断りしておきますが、あたしゃあ物質万能に毒されて居ない人間の一人です(と自分では思ってます)。
うーん、そう言う事なら、あたしは出来の悪いタイラーって事かな?
ラスト寸前に、ノートンは自分を撃つ事に依ってタイラーを消し去るが、将に其の瞬間にタイラーと同化した訳で、以降の短いシーンはタイラーとして振舞って居る。
らしく無く分析するのは野暮でした。
元々、分析とは無縁に生きて居るんだから、其の流儀で行こう。
兎に角、面白い名作で奥深いの一言。主演二人も素晴らしい!
先入観をかなぐり捨てる事が出来たら、成程世紀の名作だ、と思って貰える作品で有る事は保証します。え、お前の保証は無意味だって?そう言わずに観て下さい!
4 件のコメント:
わたしも この映画大好きですよー。世界一セクシーな男のなかの男と言われているピットの映画ですから、すごく人気でした。特に男の人の間で大人気になって、みんな自分をタイラーに置き換えて 映画を見ていたみたいなフシがある。いくつになってもタイラーみたいな男って、なんだか こちらでは 身近にもゴロゴロいるような気がします、、、永遠少年、肉体派、人生細く長く生きるより短く激しく生きようぜ!みたいなの。
最後、タイラーとジャックが一体化する、という解釈 わたしも賛成です。ジャックはファイトクラブに入って タイラーと一体化することでしか、自分の魂を開放できなかった。さすが、デヴッド フィンチの作品です!
そうだったんですか、矢張り日本とオーストラリアは違うんですねえ!
どうして日本では此の手の映画が駄目なのか、理解不能です。
日本でこの映画はあまり評判よくなかったのは、、、
西洋型肉食男は、マッチョが誇りですが、東洋型米食男は マッチョであるよりは 哲学好き読書好きタイプのほうが もてるからではないでしょうか。私はどっちも「できる」人がいいですけどー。
>日本でこの映画はあまり評判よくなかったのは、、、
違います、話にもなりませんでした。
>西洋型肉食男は、マッチョが誇りですが、
マッチョ推奨の映画ではないので(お分かりでしょうが)、もしオージー達
がそう解釈したならば、一寸と勘違いしてんじゃんかなあ、と思って仕舞うのです。
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