駅から我が家に向かって五分も歩くと、市役所の信号となる。此の間に四軒のカレー屋が有る。北口と言う一番寂しい通りなのにだから、驚く。町田市民は余程カレーが好きなのだろう。
信号傍の店は日本人経営のアジアカレー。一寸と駅に戻ると、COCO一番。其処から一寸で、左右にインド人のカレー屋が有る。
日本のカレー屋二軒は良いとしよう。何たって日本人に合う様に工夫されて居るのだから。
問題は本場インドカレーの競合で有る。仮に右をA、左をBと呼ぼう。Aの特徴は経営者が(多分)しょっちゅう変わる事だ。越し来て一年半で二度変わったと思われる。
半年に一度位はAに行く。行く度にシステムも料金も変わって居る。変わらないのは店の造りのみだ。其の度に、こっちは右往左往する。言葉は殆ど通じないし。
最後には(と言っても最近だが)、バイキングになった。その代り、カレーの種類が限定されるので、あたしとしては余り嬉しく無い。でも若者には人気の様だ。周りは予備校だらけなので、良い処に眼を着けたと言うべきだろう。
そうなると苦しくなるのがBだ。斜め前のAが若い衆を掻っ攫うのだから、何とかするだろうと見て居るが、何もしないで悠然としたものだ。量より質、との自信が有るのだろうか?
両店共ナンは迫力が有る。大皿からはみ出して居る。あたしは町田で初めてナンを食べたので、其の大きさに驚いた(恥)。
妻「見掛けだけよ、大丈夫、食べられるから」
本当だった。
処であたしは日本風のカレーはそう好みでも無い。インド風或いはマレー風のスープカレーが好みなのだ。やっと来た、ね、柄でも無いでしょう。
さて、話は又もや大阪万博となる。あたしが印度館へ行ったと思いなさい。理由はご承知の通り、空いて居たから。ま、空いて居るとこを渡り歩いて居たんですなあ。
丁度昼時だったので館内のレストランへ行った。メニューは勿論カレー。当時も肉嫌いなので、野菜カレーか何かを頼んだと思う。
カルチャーショックだった。今では当然だが、銀のポットにカレーが入り、大皿に細長い印度米が盛り付けて有る。で、カレーは、カレー粉をオリーブオイルで溶いた様なサラッとしたもので、若かりし頃のあたしも、其の味わい深さにはびっくりして、トラウマになって、今でもあのカレーを探して居るのだ。
インドのカレーと言っても、数え切れない種類が有るのは知って居る。其の中でも最高峰の一品だったのだろう。だから、そこらのカレー屋では出会えない。其れは分かってます。でも、探しちゃうんですよね。多分、国賓としてインドに招かれなきゃ駄目でしょう。
2010年9月29日水曜日
柄でも無い事 その二十四
2010年9月26日日曜日
閑話番外 その三十六
国とは、国民、国土(含む、島しょ)、政府、外国と交渉する能力の四つを備えた存在を指す。
国の存在其のものを否定する考えは、昔から有る。あたしが思うに、そう考えるのは勿論勝手だが、自分で否定する国家の庇護の下に在るのは、自己矛盾だ。国家の庇護をも拒否するならば、筋が通る。
多くの人は国を否定して居る訳では無い。国土を侵されれば、守るのが政府と言うものなのだ。さもなければ、政府とは言えない。
自分の庭に他人が家を建てれば、出て行と言うし、出て行かなければ警察に訴える。
警察が、マアマアと放置したら、警察の存在意味は、消え去る。
今の政府に、存在価値が有るのか、とあたしは前から疑って居た。国家感が無いからだ。
勿論、国民が選んだ政府だ。併しあたしは言う。政府の資格は無いので、退場しては?
閑話 その五十六
小屋泊まりで縦走をした時、何が困ると言うと、時間で有る。詰まり、持て余すのだ。
あたしは、大体二時前には小屋に着く様に行動する。とか言い乍ら、一時前に着く事が殆どだ。酷い時には十二時前に着いて仕舞う。
夏山の場合だが、其の位の行動時間がベストで、一寸と送れると猛烈な夕立にやられる確率が、そうねえ、七割強だろう。
小屋に着いて居ればこっちのもんだ。急に暗くなり、ピカッと光が走れば大喜び、窓を覗きに行くと、程無くポツ、ポツ、ポツポツ、ザー!とバケツをひっくり返した奴が来る。
こうなりゃあ喜んじゃって、わざわざ軒下へ出て行く。足元はシブキでモヤって居るが、小屋の庇は大きいので、濡れずに済む。
ずぶ濡れで駆け込んで来る登山者が居る。あたしはニンマリ笑って見て居る。全くの人でなしで有る。小屋に着くのが遅れると、自分がそうなる訳だ。
小屋に早く着くと、夕立に対しては絶対的に有利なのだが、持ち時間が無闇と多い事になる。どうせ自炊なのだから、夕食は四時と決めたとしても、あと二時間から四時間は有るのだ。
従って、夕立の様なイベントは大歓迎だ。あとは、ビールを買って飲む、コーヒーを沸かして飲む、ウイスキーをチビチビやる、行動食をつまむ。でも、一時間位しか潰せないのだ。
夕食の支度をし、翌日の準備も済まし、又飲んで、やっと二時間。天気が良ければビールを持って小屋を出、見晴らしの良い所で又一杯。しまいには酔っ払っちまう。
自業自得の部分が大きい。あたしは無愛想と言う訳では無いのだが、人付き合いの良い方では決してい。こっちから人に話し掛ける事は、先ず有り得ない。
相手が何か困って居る場合は別だが、小屋の中では先ず無い状況だ。で、ブラブラしたり、小屋の本をめくったりして時間を潰す。
で、三時半にはもう夕食の支度を始めるのだ。四時には夕食で有る。自炊場は大抵あたし一人の事が多いので、ノウノウと食事をとる。皆さんは未だワサワサと、色々やって居る。寝て居る人も多い。
大概六時に夕食で、皆さんゾロゾロと食堂へ行く。あたしは其の間にどっと寝て仕舞う。どうです、自炊は良いでしょう。思うが侭の時間で行動出来るのだから。
朝は四時前には起きて、自炊場でのコーヒーから一日が始まる。あ、其の前に外へ出て空を見上げるのだ。大抵は星空だ。違う事も有って、降ってたりもするが、相手は自然なんだから、仕方が無い。
朝食を終え、準備を整えて出発する頃、皆さんは朝食で食堂へ向かう。分かってる諸君は朝食は頼んで無く、私とほぼ同じ時刻に出発して行く。結構其の手のパーティは多い。
そして、此の日も早く小屋に着くのです。
2010年9月23日木曜日
丹沢は冬も良いのです その五
朝は日の出を迎えよう。尤も夕よりもずっと寒いので、チラ位で良いだろう。上手くすると霧氷かも知れない。何時でも霧氷とは行かないので、綺麗な霧氷と出会えたらラッキーだと思うべきだ。
朝日にキラキラ輝く霧氷は、見事ですよ!
以上は好天候を想定して居るので、実際はそうは行かない事も有る。ガスったり、雪が降ったり、景色はどうなっちまったんだ!と言いたくなる。でも、其れは仕方無いのだ。結局お天気任せさ、山登りは。
好天の中、下山に掛かるとしよう。白い山々を楽しみ乍ら雪を踏んで下る。鼻歌の一つも出て来る状況だ。滑って転んでも雪だから、痛く無いし汚れない。面白い位だ。
大分下るとそうは行かない。地面は雪解けでグチャグチャになって来る。大倉尾根は其の代表に位置づけられる。Yはチャグチャの大倉尾根で二度も転んで、見事な泥人形になった事が有った。私でさえ、笑うに笑えない、気の毒で。
丹沢の土は肌理の細かい、最上質の土なので、こびり付いたらなかなか取れない。従ってYの装備は泥だらけ、はっはは、あ、笑っちまった。
悪天候の中、下山としよう。其れは其れで良いものなの。視界は利かないが、雪を被った木々が美しい。吹き付ける雪が楽しい。無理してないかって?多少はね。
そりゃあ天気は良い方が良いのは、誰に言わせても、そうなのだ。でも天気はどうしようも無い事柄なので、悪けりゃ悪いなりの喜びを見つけるのが、山好きってもんじゃ無いんでか?
私は山好き以前に丹沢好きなんで、悪天候の丹沢を歩くも、嫌では無いのだ。第一、命の危険を感じる事は殆ど無いのだから。
これがアルプスの冬なら大変だ。無事に下れる保証は無い。極力大勢パーティの入る山に行くけど、そうは問屋が卸さない事も有る訳で、下りに間違えたら命懸けの騒ぎになるのだら、必死にならざるを得ないのだ。
南アの茶臼小屋から下る時、降雪でトレースは消え、登る時チェックしておいた地形を頼りに下ったが、相当本気で気配って下った。無事で何よりだったのだ。
丹沢の冬は其処迄の負荷を掛ける事は、殆ど無い。百年に一度位は有るかも知れないが、雪崩や滅茶苦茶なドカ雪の記は、見た事が無い。
丹沢の冬は、天候次第では有るけれども、安全(比較して)な冬山を楽しめる、絶好のフィールドだと思って居るのです。綺麗ですよ!
2010年9月20日月曜日
休題 その五十
新旧共にそうなんだが、多くの場合、二つ(或いは三つ)の騒ぎが同時進行して居る。当たり前のテクニックなのだが、夫々に緊迫した状況を、上手く造るもんですなあ。真似たいけど、真似出来ない、それが悩みの種じゃん、かっかっか、カッコマン♪
ま、こんなとこで止めとこう。著作権協会のチェックが入りっこ無いのは分かったけど、自制としてです(意味無いって?全く不同意です。自制の基準を持たない人間を信頼する事は出来ないから)。
従って、アマデウス・ルーカスです。
済みません、分かりにくい書き方で。本来のあたしは明確な文章が得意なのだが、酔うとね、そうはイカのキンタ……、止めだ!
一応は常識有る人間として通ってんで、誤解は避けたいのです。ん?何処が誤解なんだろう?全然誤解は無いだろう。あたしが常識有る人間だと思われる方が誤解だ!
馬鹿話は大概にしといて、話を戻すと、新作で気付いたのだが、ⅰの主人公はリーアム・ニーソン(シンドラーのリストの主役。知ってるって?そうでしょうね)、ⅱはナタリー・ポートマン、Ⅲは、悪。
変な話をしますなあ。でも、あたしは昔からそう言う考えなんで、主役は悪って、極めて当然なんです。
悪って何でしょうね。簡単に言っちまうと、善と逆な存在。あたしの考えですよ。
悪とか善とか、誰が判断するかってえと、自分の良心なんだろうなあ(多分)。良心を持たない人間の存在は否定出来ないので、其の場合は、其の人間の存在自体が悪、って事にしときましょう。乱暴な理屈ですなあ。でも、正しいと、あたしは思うのです。
ルーカスが描きたかった悪って何だろう。主役は悪だ、なんて啖呵を切っておいて、実は良く分かってなかったりして、へっへっへ。
ダークサイドに堕ちる。しょっちゅう使われる言葉だ。堕ちる原因は、怒り、恐れ、執着、etc.現にアナキンは原因全てを実践し、見事にダークサイドへ堕ちて見せた。非常に分かり易い。悪とは己に負けた堕天使って事でしょうか。
新三部作は話の飛び方が激しい。間を埋める為に、あと何本か造って欲しい位だ。CG版で一本出来たが、実写で欲しかった。尤も其れをエピソードⅡ,Ⅴにしたら、アナキンは自分の弟子に苦労させられ、成長して仕舞うので、ダークサイドへ堕ちない。すると整合性が失われて、困る。
あたしが余計な心配をする必要は無い。
旧作で一番良かった音楽は、宮廷のテーマだったが、新作でも多用され、あたかも第二テーマ曲の観を成して居る。第一テーマ曲は余りに有名なスタートの曲。
しかし、あたしが一番好きなのは、Ⅱの愛のテーマなのだ。そう言う名前かどうかは知らないが、兎に角良い曲です。
2010年9月19日日曜日
閑話番外 その三十五
2010年9月18日土曜日
丹沢は冬も良いのです その四
S「汚れないから良いんだ」
私・K「ふーん」
先見の明の無い二人なのだ。
稜線の小屋は冬も営業して居るので、暖かい暮らしは保証されて居る。でも、事前の確認は怠り無きように。中川温泉の章の、私が踏んだ様なドジも有得るので。あの時は麓だったから良かったが、山の中だったら一騒動になっちまう。
小屋を当てにして着いたら閉まって居る。さて、冬季小屋が設けられて居るのは蛭くらいだろうから、軒下でビバークになる。
おー、嫌だ嫌だ。何とか頑張って、生きて朝を迎えましょう!
幸いな事に冬にビバークした事が無い。テントを被って寝た事は有るけど、ちゃんとシェラフも有って、変則的な幕営だと言える。夏のビバークはやったが、夏は冬では無い。別世界で有る。冬のビバークなんざ、悪夢だ。
一般的なビバーク法を書いておこう。しないに越した事は無いのだが、万一の為です。
先ず着れる物は全て着込む。新聞紙が有れば体に巻き付ける。セーター位の保温力が有るのだ。
そして、無理をしてでも喰う。食事は小屋に頼む積もりだったとしても、何か有る筈だ。チョコでも、ゼリーでも、サラミでも、喰える物はどんどん喰う。さもなければ夜の寒さには勝てない。
もし何も食べ物が無いとしたら、貴方は冬の丹沢に来てはいけなかったのだ。いや、冬に限らない。最低の非常食の用意は、絶対に必要なのです。
後はリュックに足を突っ込み、丸くなって木にでも寄り掛かり、朝を待つ。空腹でなければ、寝ても構わない、寝られればだが。寝たら死ぬぞ!と言うのはもっと極限状態の時で、カロリーが摂れて、滅茶苦茶に衰弱して居なければ、寝ても大夫。いや、寝た方が体力温存から見て、より良い。
冷たくて(寒いでは無い)長い夜で有る事は疑い無い。耐えるしか無いので、耐えましょう。明けない夜は無いのだから。
縁起でも無い話になっちまった。でも、知らない人が居たら参考になるかと思って。え、そんなドジを踏むとしたらお前だけだって?本当にそうなんだよねえ、なさけねー!
突然、小屋泊まりからビバークに迄話が飛んだ。物事には順番ってものが有る。冬の日帰りを何回かやって、次は泊まりってもんでしょう。どんどん勝手に行っちゃうのが私の特徴なんで、悪しからず。
営業小屋でも避難小屋でも(幕営は禁止です、と一応言っておかなきゃあ、へっへっへ)、夕と朝が素敵だ。うーん、避難小屋で見晴らしの良い小屋は無いか。では営業小屋に泊まったとしよう。
夕闇迫る景色は、暗く沈み始めた平野にチラチラ灯りが点り出し、山々は夕日に赤く染まるのだ。寒いので、ゆっくりとは見て居られない。さっと見て引き返そう。
(丹沢は冬も良いのです その五へ続く)
2010年9月15日水曜日
休題 その四十九
ジョージ・ルーカスと言えばスターウォーズ、スターウォーズと言えばジョージ・ルカス。ジョージ・ルーカスのスターウォーズ以外の作品は、失礼乍ら思い浮かばない。
スピルバーグが超多作なのと、好対照を成して居る。併し、あたしはスターウォーズを残せば、他に何を残す必要が有るのか?と問いたい。勿論、他には何を残す必要も無いんだ、の意味で有る。
モーツアルトは文字通りの天才で有ったらしい(会った事が無いので、天才だとは言い切れないで済みません)。頭に走る旋律を、五線譜に書き留めるのが間に合わず、苦労したと何かで読んだ。あたしも、そんな苦労をして見たい……。
スターウォーズを構成し、書いて居た時のルーカスは、あたかもアマデウス・モーツアルトの如くにストーリーやキャラクターや状況が走り、書き留めてる間も無かった事だろう。類推だが、あれだけの複雑で且つ長期に渡る物語が頭の中で走り回ったら、あたしならヘラヘラと笑って涎だらけで、町をうろついて、警察に保護された挙句に病院行きなのは、ほぼ間違い無い。
多くの星、多くの人、多くの思惑、多くの個人的願い、或いは多くの正義と絶対的悪(と簡単に対象規定して居るのが、唯一の欠点で、通商連盟に明らかにナチを被せて居る。軍服もそうで底が割れて仕舞うが、ナチを支援したい人は極少ないだろうから、其れは其れで良いって事ですな。
ルーカスは見事にスターウォーズの世界を作り上げた、それも四十年も前に。今数えればⅣ、Ⅴ、Ⅵとなる。此の三作は連続性が強く、分かり易いと言えるだろう。
処で、ルークとライア姫は其の後どうして居るんだろうか。ハリソン・フォードのみメジャーにのし上がったが、哀れ、主役二人はそれっきり?
新三部作、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ公開前に旧三部作を彼方此方で公開した。勿論イソイソと出掛けました。前述だが、スタートの「ロングロングアゴー」と流れて行く粗筋には、泣かされて仕舞う。粗筋では無く、宇宙に字が流れて行くシーンの事で、何に感動するのか自分でも全く訳が分からんが、感動してしまうのだ。
多分あたしゃあ、お馬鹿なのだろう。
新三部作は、確かに当時では製作不能だろう。CGオンパレード、模型やトリックでは絶対無理。円谷プロでも放り出すに決まって居る。
旧作の時、オビ・ワンの役で三船敏郎にオファーが有ったらしいが、もし彼が受けて居たら新作のオビ・ワンは誰だろう?あたしがプロジューサーなら、本木雅弘かなあ。いや、其れで決まりだ!
新作、旧作、共に出演するのは、ヨーダ、オビ・ワン、アナキン、そして皇帝のみだ。
続きます。
2010年9月12日日曜日
丹沢は冬も良いのです その三
下手をすると凍っているかも知れない。でも、アイゼンが確りしていれば、突破可能だ。表尾根の章で凍った鎖で息を呑んだのは、アイゼンが無かったからなのだ。
正確に言うと、軽アイゼンを持っては行ったけど、着けるのが面倒だったので其の侭登った訳で、自業自得で有る。何とも不精極まり無い。其れで冷や冷やしてるんだから、何をか言わんや、だ。
殆ど有り無いドカ雪以外の時なら、主脈は素晴らしい。確かに、冬山入門に相応しい。綺麗さに感動して涎が垂れても当然で、笑う気は全く無い。表尾根を経験してから、挑戦する事をお薦めします。
丹沢の冬は、零下二十度なんて事は先ず無いので安心だが、零下十度は当たり前に有る。従って、結構寒い。救いは樹林帯なので、風に飛ばされる様な危険性が無い事だ。
でも、蛭から桧洞に向かう下りは容赦無く吹かれるので、行く人は覚悟しておいた方が良い。おまけに足元は凍って居ると思って居れば、間違い無い。此のコースは、ある程度の経験者のコースなので、無理はご無用、無理が通れば道理が引っ込む、ってさ。
山で道理が引っ込めば、俗に言う遭難って事になっちまうんで、是非避けたい。
風に話を戻すと、八ヶ岳の冬は強風で有名だ。其れも頗る付きで有る。特に硫黄岳が強風の名所だ。まずい事に横に噴火口の絶壁が有る。
赤石鉱泉から登った事が有る。昔々の事。深い雪を踏んで来たのに、硫黄岳頂上の一角に立つと、雪は無い。薄っすらと白いだけだ。雪は風で飛ばされて、積もらないのだ。
強風だとは聞いて居たが、いやー、聞きしに勝る風だった。勿論立っては歩けない。這うのだが、砂や氷の粒がバチバチ顔に当たって、其れが無闇と痛いの。息苦しい風は滅多に経験出来ないので、良い経験って事です。
天気は上々だったので、問題無く通過出来たが、悪天候で視界零だったらヤバイ所では有る。何たって噴火口跡の絶壁が有るんだから、方向を間違える訳には行かない。
横岳からは其れ程の風では無く(と感じさせられた、硫黄が余りに凄かったので)、赤岳を踏んで赤石鉱泉に戻ったが、風の八ヶ岳の看板に偽り無しでした。
装備に触れよう。普通の冬山装備と大差は無い。山靴、ロングスパッツ、セーターに雨具上下、アイゼン(軽アイゼンで可)、確りした手袋。谷に入らない限りピッケルは不要で、雪用の輪っかを着けたストックの方が使い勝手が良いだろう。ワカンもいらない。
ロングスパッツと言えば、最近は季節を問わず着けて居る人が多い。理に適って居る。靴に小石や砂が入らないし、靴もズボンも汚れない。Sは早くからそうして居た。先見の明が有ったと言う事だ。
(丹沢は冬も良いのです その四へ続く)
2010年9月11日土曜日
閑話 その五十五
あたしは物事をはっきりさせたい方で、物事をマアマアで済まそうと言う姿勢は、死ぬ程大嫌いなのに、いざ自分の事となったら、其れも有りだなあ、と甘くなる事は、我乍ら驚くばかりなので、結論とは、(多くの)人は他人には厳しくても、自分には甘いって事なので、今更言うだけヤボなんです。
と、昨日此処迄書いたのだが、何を言う為の導入なのか、さっぱり分からん???閑話なので山の話とは思うけど、其れすら定かでは無い。何せ相当酔って居たし。
今年の夏は観測史上トップの暑さだそうで、記録更新オメデトウ!!
お陰で脳味噌が半分は溶けて味噌汁になっちまった。ん、酒の所為も有るかな?どっちにしろ昨日書き掛けた文章を思い出すなんて、半分頭のあたしに出来っこ無い!
一回アップするのは原稿用紙(4百字詰め)で三枚と勝手に決めて居るのだが、其の三枚を書ききれず、導入だけで閉じて仕舞った訳だが、滅多に無い事で、暑さか酒かアルツか、何かの所為だろう。良くない兆候だ。
で、折角だから暑さの話にしよう。暑さの記録更新だし(意味無い?そうねえ)。
主脈の章で滅茶苦茶暑い日に、蛭ヶ岳でYと落ち合った話をした。Yは大倉から、あたしは東野からだったが、いやあ、本当に暑い日だった。Yは脚がつり、身悶えし乍ら蛭に着いたそうだ。
無理も無い。あの日は蛭ヶ岳でも記録的な日で有った筈だ。それでも、Yと前後した人達は、全員蛭に着いたのは見事だとしか言い様が無い。
Y「塔から先は数パーティになっちゃうんだ」
私「そうだろうなあ」
Y「前後して居るうちに置いてかれちゃうの」
私「そうだろうなあ」
Y「丹沢山ではヨロヨロ小屋に入って、ポカリスエットを飲んで、やっと生き返ったんだ」
私「大変だったなあ」
Y「不動の水場では三十分、ただただ水を飲み狂ってたんだ」
私「辛かったんだね」
Y「辛いなんてもんじゃ無かった、本当に着けて嬉しいよー(涙)」
一寸と演出しましたが、実態は此の通りだったのです。あたしもやっと辿り着いたんだから、Yの苦労は身に沁みて分かるのだ。
丹沢は2000m以下の中級山岳なのだから、暑い時は暑い。其れは仕方が無い。
やがて本文に登場するのだが、上越の山も暑い。普通じゃ無く暑い。こちらも中級山岳なので、夏は暑い。途轍もない。
若し興味が有る人は、其のうちにアップしますので、読んで下さい。え、嫌だって?だから、興味有る人はと断っただろが!!
冬の丹沢の章の最中なのに、暑い丹沢の話になっちまったお粗末でした。
2010年9月9日木曜日
閑話番外 その三十四
ライブライターが作動しなくなっちまって、ブログにログインしてダイレクトに書き込んで居る為、何故だか字が大きくなったり小さくなったり、勝手気侭で困って居る。馬鹿がやって居るブログだと、一発でバレて仕舞うのが悲しい。
写真も小さくなっちまったし、仕方無いなあこりゃ、と思って居たが、写真をクリックすると大きくなると分かり、一安心。山の写真はクリックしてみて下さい。
早川尾根の話だったので、前出だが厳冬の北岳の写真を載せる積もりだったが、ま、試しにと近くの写真を貼ったら通って仕舞ったので、改めて北岳を載せておきます。
クリックすると少し大きくなりますよ(くどい?)
あ、二度クリックすると、もっと大きくなる、今分かったです。
2010年9月8日水曜日
丹沢は冬も良いのです その二
流石に北岳は白銀の姿だったが、俺の歩
という訳で、冬に山に行ったのに雪が無い
暮れの丹沢は穴場だ。嘘の様に人が少ない
一月になると雪が来る。此れも年に依って
雪の深さだが、此れも年に依って全然違う。
表尾根の章で触れたが、行者の鎖が埋まる
主脈の章で、膝近くの積雪の中、北海道の
従って、冒頭に書いた通り、本格的冬山を
勿論、安全第一ならば大倉尾根ピストンだ
丹沢の雪の良い処(?)は重たい。つまり
でも、アルプスの様に一晩で1mを越す雪
表尾根なら喜んで良い。絶対良い。唯、登
鎖場は慎重に。降雪直後なら凍ってはいないだろうから、鎖を引っ張れば雪から出て来
2010年9月5日日曜日
クソ面倒な話 その二十二
二十一の続きです。ド素人が恐れ多くも相対性理論を疑うと言う、世にも馬鹿馬鹿しい話なのです。
あらゆる座標系から観測しても光速は一定だとは、19世紀にマイケルソン・モーリが実験して確定されたのだが、今は21世紀なんだよ!
最新技術で、再確認すべきでは?
時間の遅れも、空間の歪みも、質量の増加も、検証可能な時代になって居る筈だ。でも、誰もやらない。
相対性理論では光速を情報伝達の限界と規定して居るが、其れを無限大の速度にすれば、何とニュートンの古典力学の数式になって仕舞う訳なのだ。
再確認しておけば、相対性理論とは光速(C)は常に一定で有り、異なる運動をして居る座標系から観測しても、一定なのだ。
此れは理屈に合わない。理屈に合わす為にはしかるべき法則を提唱せざるを得ない。光速一定を説明するには、思い切って発想を変えよう。そうだ、空間を縮めれば良い。時間をも一つの軸にして、縮めたり伸ばしたりすれば、理屈(数式は)は通る。やったぜ!!
超光速は有得ない、と良く言われるが、其れは相対性理論が光速をベースとして居るので、超光速は扱えないと言うだけの話なのだ。
もし強引に計算すれば結果が変になるのは、前提を崩すからなので、当然の帰着で有る。
従って光速を越えれば時間が逆行するなぞとほざいて居る専門家なんざ、豚にでも喰われろ。少なくとも、物理学者で有る資格なんざ、爪の垢程も無い!
あたしは否定して居るのだが、ビッグバンが有って、結果として宇宙は膨張を続け、其れも相互の座標の距離が離れる程、お互いが離れる速さが増し、やがて光速を越えて光が永久に届かないラインが現れ、宇宙の地平線と称する。
以上の説が正しいとすれば、光速を越える存在が間違い無く現存して居るのだ。勿論、宇宙の時間の流れは、逆行なぞして居ない。え、地平線へ行って見なければ分からないだろうって?考えて見てね、あっちから見ればこっちが其の地平線なんだよ!!
あたしが否定してるけどと書いた対象はビッグバン理論なので、上記はあくまで一般論
だと思って下さい。
やがて、相対性理論は天動説の位置に収まると、分かんないあたしゃあ思って居る。昔はこんな説が大真面目に信じられて居ました、と学生達が教わる日が来るだろう。
でもですよ、相対性理論のお陰でSF(サイエンスフィクション、思索的ファンタジーでは無い、為念)の世界が大きく広がったの
だから、あたしは今後も、取り合えず準拠して行く積もりです。
前にも書いた通り、ターミネーターも語れない事になちゃうもんね。
2010年9月1日水曜日
丹沢は冬も良いのです その一
丹沢の冬を書いておきましょう。そんなの知ってるって?でも、知らない人もいるかも知れないから、取り合えず良いのだ。
昭和三十七年山渓文庫「冬山」の、ガイドの最初は丹沢主脈縦走で有る。
此の本を知ってる貴方は偉い!(古いと言うのが正しい?)今読み直すと、モロにマナスル登山隊だ(知らないでしょうねえ)。コットンのヤッケとオーバーズボン、そしてキスリングとオーバーシューズの世界なんだから。
「丹沢主脈は、はじめて冬山に入る者によく好天に恵まれれば雪上漫歩となる」
冒頭の一節で有る。全く其の通りなのだが、冬山を目指す人の為の本なので、丹沢の冬を目指す人には一寸と過激だ。
丹沢の冬入門は表尾根が最適だとは、私見なので、異議有る人はあまたいるだろうけど、私の山仲間は多分賛同してくれると思う(え、違うって?裏切り者、ユダ!)。
で、十月から早くも冬は忍び寄って来る。霜柱が見られるのは其の頃からなのだ。町はポカポカしてるが、丹沢は冬が始まる。フッフッフ、そう来なくっちゃさあ。
ご承知の通り、千m登ると0.6度気温が下がるので、町が最低気温10度を切れば、塔から先は氷点下だ。二十三区と比べて秦野は気温が三、四度低いので、大倉尾根も氷点下になる。従って吉沢平(今は此の地名を使う人がいないのが残念)は、霜解けでグチャグチャになる。とても嫌だ。
十一月ともなれば、霙(みぞれ)はアタボウ、雨だったらラッキーと思うべきなのだ。尤もアルプスは既に冬山なんだけど、丹沢は標高が半分なので一月以上は遅れる。
十二月は最高か最低で、人に依って評価が分かれる。無闇と寒くて雪も無いので、何なんだよー、と文句の一つも言いたくなる。 昔々、正月に南アの早川尾根を歩いた。特に雪の少ない年だった。早川尾根なぞ冬に入るパーティは、当時は(今もそうかも知れない)まれだった。
夜行バスで伊那に着き、伊那北駅で寒い朝を迎え、バスで入って凍て付いた川原を歩き、北沢峠と仙水峠を越えて、小松峰の登りで力が尽きた。風が凄まじく強いのだ。振り返って見る甲斐駒ケ岳は黒々としている、冬なのに……。
雪が少ないので、雪を踏む作業が無いのが救いだったが、風に煽られるテントを張るのは、手はかじかんで思うに任せず、結構大変だった覚えが有る。それに斜面だったし。
翌日は鳳凰小屋迄頑張って幕営したのだが、夏道は雪を置いてはいるものの完全に露出、冬山に来ている気がしないのが、無闇と寒いだけに悲しいのだ。
(丹沢は冬も良いですよ その二へ続く)