2019年1月31日木曜日

休題 その二百四十三


 去年の十一月四日、十一月二十三日、十二月三日と立て続けに梵天荘に寄ったのだ。勿論三回共9Kgで高取山から下って来たのだ。
 一回目は梵天荘へ向かうと数人の若者がガラガラ(旅行に使う車のついた四角いバッグ)なぞ引いて来る。此の先は梵天荘しかないけど、山親父なら分かるが、何で若者が?
 女将に聞くと「今、七人のお客さんが帰ったとこ」だと。矢張りあの若者達だ。うーん、これは全く謎であった。女将に聞けば済むんだけど、一寸と遠慮しちゃって。
 次の時は声を掛けても誰もいない。慣れているのでさっさと風呂場に行って、ゆっくりと入浴する。風呂を上がってフロントへ戻ると未だ誰もいない。何度か声を掛けると五十前と思える男性が出て来たので、入浴料を払って帰った。多分倅だろう。宿を継がずにどっかで働いているのだろうと、勝手に想像した。聞けば済むんだけど何か遠慮しちゃって。
 三回目の時は女将に「電話の人ですか」と聞かれる。十三時過ぎから予約が入っているとの事。はいよ、と入浴して出ると、部屋の準備をしている。宴会もあるのだろう。そうでなくっちゃ潰れちまうもんねー。やっているのは、客が居るってこった。
 前回の男性は誰、と聞くと矢張り倅だった。余所で勤めて居てたまに里帰りをすると言う。うん、想像が当たった。
 梵天荘に十倍の規模があれば継いでも良いだろう。それでもギリギリかな。何せ二十数軒あった宿が四軒になったんだから。何も無いもんねー、川も景色も海も花も山も。山はあるけど低い弘法稜線に隠されているのだ。
 全くの町の中の温泉。そりゃ人は来なくなるだろう。その中でも小さい宿を継ごうという人間は、滅多に(或いは絶対に)いない。
 生き残りの小さな宿、梵天荘はそういう意味でも貴重なのですぞ。(どういう意味?)

2019年1月29日火曜日

休題 その二百四十二



 シナと呼ぶな中国と呼べ、とシナの誰か(明らかではないみたい)と日本のマスコミ関係者がのたまわっているそうだ。
 “中国”とは文字通り“中つ国”、世界の中心と言う意味だ。自ら世界の中心と名乗るのも相当強心臓だが、他国にもそう呼べと言うのはチャンチャラおかしいや。
 面白い事に(例に依ってでも良いかな)その要求は日本にだけ行われている。シナも英語のチャイナも同じ語源だ。秦帝国の“しん”が訛ったものなのだ。だから世界中チャイナかチーナかシナか、そういう呼び方をしている。何故日本だけいけねえのけえ?
 日本人が中つ国とあがめないのがお気に召さないのだろうか。日本は漢字を使っているのだから、中国の本来の意味が分かる癖に、シナとは何事だ、って事かな。それに同調する日本人も同意見なのかな。
 あたしは本来の意味が分かるので、なるべくシナという呼称を使用するようにしている。世界の中心とは、とてもじゃないが思えないからだ。中つ国? オークが支配してる中つ国かも知れないじゃないかw(←このwは(笑)の意味です)。
 シナと、シナに同調する日本人は世界各国に呼称を変える様に要求すべきだろう。中つ国と呼びたまえと。まあ、殆ど相手にされないで終わるだろうがね。一部のシナの資本に完全に支配されちまった国は除いてね。
 でも、日本では成功している。インターネットで支那なんて書いたらアク禁を喰らう。だからあたしはシナと書いている。未だ片仮名迄は検閲(!)の手は伸びてないのだろう。マスコミや文化人と称する輩が、堂々と何の資格も権限もなく検閲を行っているのが、現実の日本の姿なのだ。
 検閲に資格も権限も糞もないかw民主主義を真っ向否定する行為だもんね。

2019年1月26日土曜日

閑話番外 その百九



 去年の暮の赤岳、余り自信はなかったが行けて良かった。天気が良ければもっと良かったが、きっと心掛けが悪かったんだろう。写真は赤岳山頂の祠です。
 無事には帰ったが、一ヶ所冷っとした事があった。文三郎尾根(多分そう呼んだ筈だ)は急な為工事現場の様な金属階段が連続する。それに雪が乗ってるので、結構歩き辛い。そんなこたあ既述でしたな、失礼。
 階段には手すりのパイプが付いている。階段と階段の間の斜面には鎖がある事が多い。詰まり、この尾根も凄く手入れがされている訳だ。安全な八ヶ岳に大分近づいている。
 その尾根の下り、鎖の掛かっている所で、アイゼンの先を鎖に引っ掛けちまっただよお。どうしてそんな事になるかってえと、鎖の中ほどはたるんでいて、雪が積もってるので地すれすれになっている。そしてアイゼン。十二本爪の出歯アイゼンなのだ。昔は出歯アイゼンなんか特殊な山登りでしか使わず、八本爪が普通だった。でも今は十二本出歯アイゼンが普通なのだ。高くても買える様になったからだろう。出歯なんて邪魔なだけなのに。
 その邪魔な出歯が鎖に引っ掛かったのだ。当然前のめりに転倒しそうになった瞬間、歯が外れて体制を立て直せた。その侭転倒しても死にやしないだろうが、何せ急な尾根を前倒れに転がるのだから、決して無事では済んでいない。雪は着いていても岩稜なのだから、大怪我したかもなのだ。
 事故の殆どは下りで起きる。注意はしていたのだが、やっちまったぜ。歳なんだから咄嗟の反応も鈍い。若い頃なら出歯を取られても踏み止まれただろう。今は転がり落ちるばかりなのだ。
 何にせよ、無事で何よりでした。

2019年1月23日水曜日

休題 その二百四十一


 もうとっくに終わった映画の話。映画館には行かずにDVDで観た処なのだ。スターウオーズのサイドストーリー「ハン・ソロ」である。題名通り、若き日のハン・ソロを描いて居る。終わり方は続編を造る気満々なのだけど、作品自体が赤字だったので駄目かも。
 「ハン・ソロ」の赤字は衝撃的で、勿論スターウオーズシリーズでは初めてだ。ルーカスから(多分)高額で買い取ったスターウオーズだから、ディズニーは1セントでも余分に稼ぎたいと立て続けに作品を出した。
 前にも触れたが、ディズニーになってから、スターウオーズの臭い、と言って悪ければムードが消えた。ルーカスの世界以外に話を膨らませているのだから、当然な事だろう。で、今回はスターウオーズフアンが離れた、とあたしは思っている。
 スターウオーズだと思わないで観れば、そこそこ面白い。ハンがロケットの運転をする時に初めてスターウオーズの曲(メインテーマではない)が流れるのも良い。
 脇の役者が皆良い。チューバッカ迄良い男(?)に見えちまう程だ。豪華絢爛、と言うより底光りする脇役達なのだ。それなのに極めて残念なのは主演者に魅力がない。多少はあるのだろうが、脇の方が光る。これって、致命的な事柄じゃないかい。赤字の原因はそこいらにもあるかもね。
 改めてスターウオーズはルーカスの構成した世界だと認識させられる。彼が構想を練っていた時は、きっと整理が追い付かない勢いで世界が広がって行ったのだろう。あたかもモーツアルトが、どんどん浮かぶメロディを必死に五線譜に書き留めた様に。
 ディズニーが当たり前の感覚で続編を造ったって、似て非なる物になるのは、まあ、避けられっこないのは仕方ないですなあ。

2019年1月19日土曜日

山の報告です その八十五



 途中に駅伝が入ったが、八ヶ岳の行者小屋に戻るとしよう。写真は入山日の赤岳。
 オーバーズボンを外してヤッケを脱ぐ。外すって変に聞こえるだろうが、両サイドのジッパーで外すのだ。靴やアイゼンを着けた侭脱ぐ事ができる。ヤッケって言い方は古すぎるかな。モンベルの冬用上下の上着だから、ジャケットとでも言えば良いのだろうか。
 身軽になって下山に掛かる。凍った路を嫌ってアイゼンは点けっぱなしだ。そんな見っとも無いのは嫌だけど、まあ、安全第一って事にした。恰好を気にする柄でも歳でもないもんなので。
 雪が無くなると偉く歩き辛い。前後して下っていた単独男性はアイゼンを外した。彼は歩き出して直ぐに滑って転んだ。矢張りこの侭で下ろう。
 美濃戸小屋でアイゼンを外していると、二人の八十近いと思われる女性が登って来た。「アイゼンはいりますか」と聞かれ「必要無いでしょう、チェーンがあれば良いですよ」と答えたが「凍ってるってさ」と連れに言っている。今日は美濃戸小屋泊まりらしいので、まあ良いか、である。
 バス停に着くと若者が小型テントを広げて畳み直している。昨夜はさぞや寒かっただろう。テントの冬山は、もうとてもじゃないが無理だなあ。バスが着くと小屋から登山者が十人程も出て来た。小屋で温まっていた訳だ。
 茅野駅で立ち蕎麦を食べる。此処も生蕎麦を茹でて出す。世の中は変わりましたなあ。昔は伸びた蕎麦を湯通しして出したもんだ。山帰りではそれでも充分美味しかったんだが。
 空いた梓でビールを飲み、窓に目をやると赤岳が見える。畜生、午後に晴れやがったか、と呻いてもどう仕様も無い。無事にビールを飲めただけでも何よりなんだから。
 かくして十二年ぶりの冬山は終わった。そして多分、今世最後の冬山になるでしょう。