2009年11月29日日曜日

迷ったなんて認めたくない その六

 

 呆然と濁流を見つめていても、結論は一つに決まっている。馬鹿な考え休むに似たり、DH000003なのだ。
私「Z、気の毒だが引き返……」
Z「(被せて)大塚さん、橋を掛けよう!」
 Zは挫けない男だ。或いは、「引き返す」の一言を死んでも聞きたくなかっただけかも知れない。Zは3m程の枯れ木を引っ張って来た。私も手を貸した。こうなったのは、私の判断ミスなのだ、止めとけ無駄な企てだとは、とてもじゃないが言えなかった。枯れ木を川に放り込んだら、あっと言う間も無く流れて消えた。二人は無言でびしょ濡れのザックを背負った。
  やっと下った路を、やっと登って行く。
 私は幕営地を探しながら歩いた。稜線へ戻るのは時間的に不可能だからだ。急な路ばかり、たまに有る平地は川原で、増水を考えると危なくて天幕は張れない。日が暮れて来た。行動は限界である。路は平な所に差し掛かっていた。良し、此処で幕営だ。
 狭い路に無理やり天幕を張っていると、ポールがポキッと折れた。折れたポールを切り離し、グジャッとした奴をでっち上げた時は、真っ暗になっていた。雨は降り続けている。ポールが折れるような古い天幕だったので、雨は漏り放題、天幕の中には水がたぷたぷと溜り、金魚が飼える有様である。
 そこで前に触れた取っておきのマッチの話となるのだ。胸ポケットのライターは、濡れた手で擦ったので、死んだ。Zのライターも濡れて死んでいた。私のライトとローソクを入れる袋の底には、二重に包装されたマッチとライターが有るのだ。フッフッフッフ、登山者の心がけってもんよ(痛い思いをして知った事なんだから、威張る筋合いでは無い)。
 タオルを良く絞りって手を拭い、雨漏りに気をつけてコンロに火を点けた。成功!これで遅い食事をとる事ができた。
 翌日は雨が上がり、難無く稜線へ戻り、木曾側へ下って無事帰京できたが、車内で一緒になった人達は、我々のすえた臭いに閉口したと思う、何せビショビショの着干し(濡れた服を着た侭体温で乾かす事)だったので、済みませんでした。
 迷ったというより、右往左往した話だったが、Zには辛い思いをさせてしまった。でも、良い思い出になったでしょう?(あれ、Kと同じ発言だ)
 お互い、迷うのは地上だけにして、山では慎重に、決して迷わぬよう行動しましょう。迷うと、ひどい目大会をやる羽目になっちまうんで。
 でも絶対迷わないって事は有り得ないので、万が一迷ったら、じたばたせずに、状況の回復を待つべきで、谷に降りるなんてえのは、絶対駄目ですよ。(老婆心ながら)

2009年11月28日土曜日

クソ面倒な話 その十

IvyMike2

 

 その九に続いて分かった様な分かんない様な事を書くが、ブルーバックスの受け売りで、増殖炉は使えば使う程燃料が増えると聞いて、そりゃあ変だ、エネルギー保存の法則はどうなったんだ、と本を買った訳なのだ。
 ね、当然の疑問でしょう?お陰ですっかり納得出来たのは目出度い。
 燃えないウランをプルトニウムに変え、其れを燃料とするのだが、面倒な事にプルトニウムにも同位体が多く、燃えるのは239と241なので又もや濃縮しなければならない。日本では其の作業はフランスの企業に委託して居る。
 プルトニウムは「此の世で最も危険な物質」と言われて居る。空気に晒されると激しく酸化し、酸化プルトニウムになり、まずい事に超微粒子となって飛び散る。此れを吸い込んだら百年目なのだ。
 プルトニウム239の半減期は二万四千百年、詰まりあたしの一生なんざ二百分の一以下。うっかり吸い込んだあたしは、一生元気なプルトニウムの放射線を体内に浴び続ける訳だ。此れは辛い。
 ビーグル犬を使った実験では100%肺癌が発生したそうで、人間なら大丈夫と言う保証は、残念乍ら無い。
 プルトニウム型原爆は、純度94%の239が5Kgで完成し、ウラン型は純度90%の235が15KgでOKで有る。依って、プルトニウム型の方が小型に出来るが、5Kgで核分裂を始めて仕舞うので、小さく区切って、一気に結合させなければならない。
 従って、アメリカとしてはタイプの異なる原爆を夫々実験(それも人体実験)したかった訳だ。考えすぎ?戦争の勝負はとっくに着いて居て、あちらさんも其れは十分承知だよ!
 人間とは、悪魔ものけぞる様な悪魔にでもなれるのです。
 話があっちに行ったので戻そう。どうしても興奮しちゃうんです。
 原発は必要悪だとあたしは認識して居るので、化石燃料は限りが有る上にCo2を排出するので、燃せば燃料を作り出す増殖炉の魅力は棄て難い。でも、デメリットは確かに大きい。手を加えれば核兵器になると言うのも、危険過ぎる。
 核融合炉が実現すれば、酸化プルトニウムや放射能の危険とはおさらば出来るだろう。究極のクリーンエネルギーでは有るし、此れからの人類を支える力になるのは疑い無い。
 欠点は実用化が難しい事、それも半端じゃ無くだ。もう一つは、核融合って結局は水爆なので、人間が人間で在る限り、何らかの不安は拭い去れないのです。

2009年11月26日木曜日

迷ったなんて認めたくない その五

FH000031

 

 中央アルプスの話が出たので、ついでにもう一つ。中ア南部は厄介だとは聞いてはいた。行ったら本当に厄介だった。これも二昔前の事だから、今は違うかも知れない。違っていたら、御免なさい。
 Zと奥念丈を目指した。上片桐の無人駅で寝て、鳩打峠へは前夜頼んで置いたタクシーで入り、烏帽子へ向かった。烏帽子迄は立派な道だった。その後がいけない。地図には破線が有る。行けば何も無い。たまに樹に赤テープが有るだけ!
 タイミングが悪かったのだろうか。普通何となく、踏み跡とは言わないけれども、何かが通った痕跡は有るのだ、少なくとも破線が記載されている以上はだ。処が全く痕跡が見事な程に無い。古びたマーク(たまに有る)が有るだけで、あとは笹薮。
 それも何時までも何処までも笹薮。其処をキスリングでこいで行くのは、難行苦行、七難八苦、……でもないか。念丈岳へのピストンでは、方向を失いうろついたが、それでもZの冷静な判断に助けられ(リーダーは誰?はい私です、あの時は一寸とパニくって、はい……。前に書いた、迷った時にはパニクるとは此れです)何とか与田切乗越には着いた。
 一面の笹原である。看板が立っている訳も無く、地形でそれと判断するのだ。幕営した痕跡すら無い。熊笹を踏み、天幕を張る。大自然そのものだ。この日は良い天気で笹に蒸されたが、翌朝は、雨だった。この日に森林限界を越えるというのに。私には良く有るパターンで、とても嬉しい。
 雨に打たれながら笹を登る。石楠花と這松の稜線に出て、やっと藪からは開放された。ヤッホー!処が今度は、よろけるような強風と、叩きつけて来る雨がお迎えしてくれた。ヤッホー、トホホ……。
 空木岳への縦走予定だったが、とてもじゃないがその気になれない。越百から中小川道を下ろうと決めたのだが、それが偉い判断ミスであるとは、すぐに思い知らされる事になる。このルートをご存知の方は分かるだろうけど、鎖、梯子が無闇と有る急な路なのだ。
 濡れた鎖に縋り、梯子に滑り、やっとの思いで下降して行く。Zは頑強な男だが、下りに弱い(膝に故障が有ると、後に分かった)、さぞや辛い下りだっただろう。
 相生ノ滝の落口近くへ降り立った。此処迄来ればこっちのもんだ、あと一時間半で避難小屋が有る。ヤッホー、屋根の下で眠れるぞ。
 此処で渡渉が有る。案内書には、増水時注意と記されている。幸いな事に、モロ増水時だったのだ、やったぜ!
 5m近い幅で濁流が渦巻いている。とてもじゃないが荷物を背負って(空身でも)跳べるとは思えない。すぐ下は相生ノ滝だ。下手をすれば落差30mのジャンプを楽しめる、それも待ち時間無し、無料ご招待で!
 (迷ったなんて認めたくない その六へ続く)

2009年11月23日月曜日

閑話番外 その十三

 

 クソ(失礼)面倒な話9に、クリックすると図が現れるが、原子核の周りを雲の様に電子が存在して居るイメージ図なので、断りもせずパクッて来て、済みません(汗)。
 原子核の図に、1fmとサイズが記入されて居るけど、馴染みが無いでしょうから説明します。
 メートルを基準とし、ミリ、マイクロ、ナノ、ピコ、此処迄はお馴染みでしょう。其の三桁小さいのをファムト(femto)と呼びfと表示する。1000兆分の1メートル、って事は10兆分の1センチなんです。
 あたしゃあイメージは無理、頭が痛くなっちまうだけなんで、そんなもんなんだなあ、と思って居ます。

2009年11月22日日曜日

迷ったなんて認めたくない その四

 

 

FH000028

 

 私と妻はカールを横断して、浄土乗越へ登り始めた。突然、あの晴天が掻き消えガスと風になった。毎度お馴染みの天候急変である。秋の天気は、女心?男心?さてどっち?私なりの回答です。どっちもだ!
 稜線に上がった時は、雨さえ加わった強風となっていた。さっきの、おー!は、本当にラッキーな人達だけが発したのだ。此処迄来れば、今宵の宿の宝剣山荘はもう着いたも同然だ。関西弁の中年女性が二人、強風の中に立っていた。
その人「あのー、小屋は何処でしょう」
私「え、小屋って、目の前ですよ」
 ガスで見えない。と、一瞬小屋が見えた。本当に目の前だった。
その人「ほんまや!おおきに」
 私の谷川岳と同じだって?全く違う!此処は道の上、しかも一級国道なのだ。地図を見れば(或いは見なくても)、手探りでも小屋にぶち当たる。大丈夫なんだろうか?もし、私に会わなければどうなっていただろう。(余計なこった、一寸と進んで小屋にぶつかるって)
 翌朝は、お蔭様で雨だった。やったね。(反語ですよ。え、分かってるって?失礼)妻が嬉しそうに言う。
妻「ね、あの人達(関西のおばさん)夜中に懐中電灯で茹で卵を食べていたわよ」
私「はっはっはっはっは」
 夜中にトイレに行く時見かけたそうだ。妻よ、そんな事を何故喜ぶ。ひょっとして、似た者夫婦なのだろうか。でも面白いでしょう、夜中に懐中電灯の明かりで茹で卵を食べている人達って。はっはっはっはっは……。
 雨の中、何も見えないのに、ご苦労にも木曾駒へ向かった。ラフに歩いて登山道を外した。でもどうって事は無い、尾根筋なんだから。構わず進んだら、三人の女性パーティが佇んでいた。
そのリーダー「あのー、道を間違えたみたいなんですけど」
私「ついて来て下さい」
 当然ながら、登山道には直ぐ出られる。だって、一直線の稜線なんだから。
そのリーダー「有難う御座います」
大丈夫なのだろうか?簡単に立てるが三千米級の山は、矢張り三千米級の山なのだ。山はお天気商売、晴れていれば何でも無いが、崩れたら手に負えない。超一流の登山家だって悪天候には勝てず、命を落としているのだ。日本人で世界に名を知られた登山家(冒険家)で存命なのは、スキーの三浦氏ぐらいなのでは?
 文太郎、長谷川、加藤、植村の各氏も皆山で逝ってしまった。超人達でも自然には勝てません。
 今年(平成十八年十月)は早くも四人の遭難者を出した。白馬で三人、奥穂で一人だ。天気に恵まれれば何でも無く、元気に下山していただろう。十月であっても、天気が臍を曲げれば、即冬山遭難である。須らく便利になっても、大自然は変わらない。山に行く方よ、少なくとも地図は読めなくてはいけない、と愚考します。
 (迷ったなんて認めたくない その五へ続く)

2009年11月18日水曜日

クソ面倒な話 その九

 

Helium_atom_QM.svg

 

 日本の敗戦が確定してから原爆を二発も落としたのは、実験の為で、何が東京裁判だ、何が人類に対する罪だ、それはてめえ等のこったろがよ!!!
 失礼、其の話では無かった。
 原爆二発とはウラン型とプルトニウム型で、制作的難度はどっこいどっこいだろう。マンハッタン計画を成し遂げて両方共作成した限りは、是が非でもイエローモンキーで試すのです。原爆投下を決めた人、地獄に落ちて原爆の火に焼かれ続けなさい。
 自然界に存在する物質はウランが限界と言われて居て、ほんの少しは其れ以上のナンバーの原子も存在するらしいが、無視し得る。
 理由は簡単で、陽子の周りに電子が存在するのだが、文字通り陽子は陽電気を帯び、電子は陰電気を帯びて居る。原子ナンバーは電子の数で決まるので陽子も同じ数で構成するが、数が多くなると陽電子同士の反発が大きくなって存在出来ないから、中性子を挟んで何とか纏めて居て、其の限界が電子92個(原子番号92)のウランなのだ。
 其のウランに中性子が衝突すると、原子核が真っ二つに割れ200メガボルトのエネルギーとほぼ2個の中性子が放出され、夫々別のウランに衝突し、鼠算的に核爆発となる。其の核爆発を一定の状況に抑えてエネルギーを取り出すのが、原発なのはご承知の事。
 では何故プルトニウムが登場するのだろう。ウランには同位体が多い。核分裂するのは235のみで、ウランの0.7%に過ぎない。99.3%(主に238と239)は燃えないウランなのだ。
 従って、ウランを持って居ても原爆にはならない。全て235とは言わないが、多くを235にしないと核分裂は起こらないので、235主体のウランを生成するのを、濃縮と呼ぶのは最早常識範囲内だろう。
 此の濃縮技術は相当の国々に広まって居て、其の国々は言う迄も無く潜在的核爆弾保有国で有る。ざっくり言うと、原発を持った時点で潜在的核爆弾保有国なのだ。イスラエルがイラクの原発を完成間際に爆撃して破壊したのは、そう言う訳です。
 オバマ大統領が何と言おうとノーベル賞を貰おうと、一度開けたパンドラの箱は元には戻らないのは世の習い。あたしみたいな人間が居る限りは、核廃絶は夢の夢。有得ないけど、アメリカが真っ先に核を捨て去ったら、喜んで他国が核をちらつかせるのは当然の事とあたしには思える。
 ま、人間が根本的に変わらない限り(太古以来変わって無い、変わったのは環境のみ)、核は不滅です。
 話を戻そう。
 酷く簡単に言うと、其の燃えないウランに中性子を吸収させると、プルトニウムになる。詰まり、原発の炉の周りに燃えないウランを並べて置くと、飛んで来る中性子を吸収してプルトニウムが作られるので、其れを増殖炉と呼ぶ。
 あー、クソ(失礼)面倒な話だ、続きます。

2009年11月15日日曜日

迷ったなんて認めたくない その三

FH000119

 

 で、三ノ塔尾根は植林帯に入ると間違えやすい。植林道が入り乱れているからだ。私は下りながら、小学生の子供を連れた夫婦を抜いた。とっとと下り、登山道を外した事に気づいた。尾根は右方向。その間は割りと急な笹薮だったが、何て事も無い。笹を掴んで行こうとし、はっと気づいた。あの親子連れは?
 見ると、案の定、遥か上から私の方に降りて来る。一服つけて待った。
私「道が違うので、私について来て下さい。良いですか、しっかり笹を掴んで下さい」
夫「……はい」
 笹薮をトラバースした。親子も必死について来る。無事登山道に到着。
私「これが道ですから」
夫・妻「有難う御座います、お陰で助かりました」
 口々に礼を言われる私は、引ったくり犯が盗んだ品物を返して、礼を言われている気分だった。大体からしてが、私が路を間違えさせたのだから。曖昧に返事をして、下ってしまいました。相変わらず、駄目な私。
 別の時、鍋割山稜に入り、大丸を越したあたりで、中年の男性二人が地図を広げて覗き込んで居た。そんな時は必ず声を掛ける。
「どうしました?」
 お節介?(人差し指を振って)チッチッチ、違うね、必要な事なのだ。迷っているに九割九分間違い無い。地図で景色を確認しているなら、覗き込んではいない。
 大阪でお客さんのM医療器を訪ねるのに、何時もと逆方向から行った事が有る。其の付近なのだが分からず、キョロキョロして居ると、おじさんが声を掛けてくれた。
おじさん「何探してはるんや」
私「M医療器なんです」
おじさん「其の筋を行って、ほれ、あの角を左に折れはったら、じきでっせ」
私「有り難う御座います!」
 ね、有難いでしょう。だから私は必ず声を掛けるのだ。反応は決まってほっとした顔付で有る。
中年男性「大倉へ降りたいんですけど、間違ったみたいで」
 ははー、金冷しの分岐に気付かず、通り越したんだ。
私「塔からですか」
中年男性「はい」
私「今は此処です。大倉へは来た路を戻って、此処で右へ下ります。道標は分かり易いですから、直ぐ分かります」
中年男性「有り難う御座います!」
 お互い様なのだ。其の上誰かに教われば簡単で、しかも間違えようも無い。迷ったと気付いた諸君は、多少でもパニくって居るので、変な勘違いをしてしまう事も有り得るのだ。現に私にも変な勘違いが有った。それについては又何時か、機会が有ったら話しましょう。
 別の話、秋の千畳敷に妻と行った。二昔前だ。観光客達とゴンドラを降りると、一斉に、おー!と歓声が上がった。勿論私と妻も、おー!だ。カールと宝剣岳が紅葉に燃えている。(宝剣岳は木が無いので紅草です)
 (迷ったなんて認めたくない その四へ続く)

2009年11月14日土曜日

休題 その二十七

FH000112

 

 

 写真は文と無関係で、秋だと言うだけの事につきご容赦。
 威張る訳だけど、あたしゃあ六十前から耳が遠い。ん、正確では無いな、歳の所為では無く肉体的個性に依って、三十代から耳が遠い、場合も有った。其れは正確です。
 説明すれば、あたしゃあ穴が狭い。例えば血管。親父の遺伝だ。献血に行っても看護婦(当時の呼称。でもあたしは看護士より看護婦の呼称が好きだ)(男ならどうするって?看護士さんって言えば良いだろ!)さんが苦労して血管を擦って出すが、針が思う様に入らないらしい。
看護婦「血管が細いんですね」
私「はい」
 あたしの罪じゃ無い。でも、看護婦さんは苛々して来る。やっと針が刺さる。でも、細いだで中々血液が送られない。
看護婦「手を握って開いて、繰り返して下さい」
 これが凄く嫌なの、あたしゃあ。理由は簡単で、クソ面倒な話を読めば一発なんだが、臆病臆病のあたしは血を取られる覚悟を決めるだけで一杯一杯で、其の上にニギニギしろと言われただけで、やってるうちに血の気が引いちまうんだよ、臆病者はさ(涙)。
 で、耳の穴も細く、しかも間がりくねって居るらしい。従って素人には耳垢を取れないのだ、はっはっは、アホは生まれながらにアホじゃ!
 で、どうなるかってえと、耳垢が溜まりに溜まって凝り固まり、音が遥か遠くになって仕舞う。擬似つんぼ(使ってはいけない言葉らしいが、あたしゃあ使う)で有る。
 結局仕事にも支障をきたす様になる。
顧客「大塚さん、此の件はふにゃらかへ」
私「は?」
顧客「だから、ほんだらけっぺ」
私「(耳を引っ張り)もう一度お願いします」
顧客「はらほれへれ」
私「???」
 駄目だこりゃあ。仕方無く耳鼻科へ行くと、液体薬を耳に入れ、三十分程たって耳垢を掘り出しに掛かる。其の日に終るのは片耳で、二日掛かりの工事で有る。
 今も半分音が届かないが、悪い事ばかりでは無いのが面白い処で、聞かなくて良い事は全く聞かないで済む。聞かなければいけない事は相手が注意を促してくれる。
 人間とは当り前だが、余分な事を聞いて余分な腹を立てたり余分な邪推をしたり余分な心配をする。あたしには少なくとも、其の余分な、が無いのはとても幸せだ。
 勿論、大切な事を聞き逃す(聞こえないんだから)場合も有るが、多少のリスクは負うべきで有ると思って居る。俗に言うノーリスク・ノーリターンだ。
 半つんぼのあたしは、詰らない事は聞かずに済むのだが、世の中とは詰らない余分な音(或いは情報)に満ち溢れて居る、とあたしは観て居るので、半つんぼは有難いのです。

2009年11月12日木曜日

迷ったなんて認めたくない その二

FH000096

 

 で、上越の斜面の夜は、思えば単独ゆえの不安であったのだ。ろくに眠れず、まどろむ程度で朝を迎えた。それでも一晩で気力体力を回復していた。若いって素晴らしい♪登り返しは、さほどの苦労も無く、ピークに戻れた。昨夜の苦労と不安は何だったんだ?そんなもんだ、本人だけが勝手に苦しんでいて、人が傍から見れば、馬鹿じゃないの、の世界で有る。
 幸いにもガスは薄く、稜線をかろうじて見渡せる。何だ、こっちだったんだ、磁石で確認をしたのに飛んでもない方向に降りちまったんだ。迷う時は迷うもんなんだなあ。
 そして何とか清水の部落に到着した。最終バスを待ちながら民宿で食べた山菜蕎麦の味は、未だに心に残っている。民宿のおばさんは「慌てなくて良いよ、バスは止めておくから」と道に立っていてくれた。それも蕎麦の味に入っているのだろう。
 この民宿(済みません、名前は不明です)で、数年たってタクシーを呼ぶ為に電話を借りた。何、バスを三時間待たなければならなかったので、仕方なくタクシーである。
 処がおばさん(勿論、私の事は覚えている筈も無い)は、「此処でお待ちなさい」と言って、お茶と漬物を置いてくれた。こっちは電話を借りただけだ。これで感動しなけりゃ人間とは言えないでしょう。本当に清水の人は暖かいのです。
 話を、迷う話に戻しましょう。
 磁石だが、困った事に良く狂う。体から離して見るのだが、金属の影響を受けるのだろう。安物だからかな?Yと一緒の時は、Yが磁石係りである。私が地図を広げながら、
私「方向!」
Y「はい!」
 Yよ、そういう時の返事は中々良いぞ。そういう時は藪の中か、沢の中か、どっちにしろ間違える訳にはいかない状況なので、打てば響くやり取りになるのは、当然だ。間違えれば、ひどい目に会うだけなのだから。
 Yは極力体から磁石を離し北を指す。私が地図を其の方向へ向ける。
私「こんなとこか?」
Y「OK!」
 と何とか行く方向を定めるのだ。大体は当たりである。偶(たま)に外すのは私の所為である。
 人の迷った(迷いかけた)話をしよう。自分のネタが殆ど無いので、済みません……。 (此の記述は平成十八年の時点なので、平成二十一年現在は、しょっちゅう迷う様になってしまい、俺も衰えたもんだなあと、実感してるのです)
 三ノ塔の下り(三ノ塔尾根)は、ダラダラ長くて好きでは無いが、大倉に出る為止むを得ずに歩く機会の多い尾根だ。本来は烏尾尾根の様に一気に下って勝負(何の?)の早い尾根が好みなのだ。
 (迷ったなんて認めたくない その三へ続く)

2009年11月9日月曜日

クソ面倒な話 その八

店 045

 

 うーんと詰まんない話をしよう。
 量子力学は本当に理解出来ない。頭では一応理解してんだが(自分の積もりで有るのは勿論だ)、全然分っかんなーい。
 分かると言う貴方は、天才的に頭が変なのか、或いは嘘吐きなのだ。(本当の天才は除くが、此処には来ない筈です)
 ボーアのコペンハーゲン解釈(主流)と、多世界解釈が拮抗して居るが、どちらもよく分っかんなーい。
 ご存知だろうけど基本なので、原子と一言に言うが、東京ドームが原子とすると、その真ん中に小さな(Sで無くSS位の)卵を置いたら其れが原子核。で、電子がドームの天井を回り、其の大きさはパチンコ球より遥かに小さいのだ(だって、電子は陽子の一億分の一以下の重量なんだから)。
 従って、物質の本体は殆ど99.999……%以上は空間で(真空とは違う。原子の中は真空と定義しない筈)、我々も空間なのだ。本来は宇宙と一体化すべきなんでしょうなあ。
 此処迄は皆さんご承知。で、其の電子のスピードは?へっへっへ、光速の30%ですよー。あたしも知った時は吃驚した。教科書では惑星状の軌道を描いて電子が存在してるのだが、そんな高速とは描いて無い。
 実は其の惑星状の軌道がそもそも間違いなのだが、今は置いておく。
 原子の大きさは直径一億分の1Cm。軌道の長さは一億分の3,1Cm。秒速90000Kmとして電子はざっと毎秒3京(?!)回転するのでイメージ化は無理で、強いて思えば、雲の様に存在して居る、と感じるのがあたしの限界だ。
 そんな世界のこったから変な事が多い。曰く。量子の場所を特定すれば速度は特定出来ない。量子は観察する迄存在の可能性は無限(に近い)。ざっくり言えば、観測する迄分からん、観測した瞬間他の数値は分からなくなる。
 光は波で有る。此れは何となく分かり易い。電波もマイクロ波も多くの人は波だと思って居る。でも正体は皆光子で、可視光線は其の極一部なのだ。常識だ?済みません。
 処が光子は粒でも有る。うーん、イメージが難しい。現に一つ一つの光子を取り出して居る。従って量子には粒と波の性質が有ると言われるのだ。
 いずれにせよ、あたしら普通に生きて居る人間のイメージは絶対(言い切るもんねー)及ばない世界だ。イメージ出来たら冒頭の通り、天才的に頭が変なのか、或いは嘘吐きなのだ。
 聞くけど、あたし等の体は幾つの原子で出来てんの?其の原子はクオークは別として他に多くの中間子や、ニュートリノとか(あ、これは違いました)、訳分かんないもんで構成されてんで、解明はまだまだ出来ない。多分永久に出来ない??
 前提が無闇と長引いた。
 コペンハーゲン派は量子を観察した瞬間量子は其の一点に集約されるとの説。多世界派は幾つもの世界が共存し、観察された瞬間其のうち一つが選択される。
 ま、どっちかなんでしょう。或いは両方見当外れかも知れないが、あたしには関係無い。では何でこんな章を立てたって?済みません!

2009年11月7日土曜日

迷ったなんて認めたくない その一

DH000062

 

 

 生きている限り、迷うのは避けられない。
「え、A社ですって、絶対B社ですよ!」
 良く有るパターンだ。
「A子は美人だし、B子は優しいし、さて」
 おめでとう!
妻「あなた、どっちが似合う?」
夫「(生あくび)どっちも似合うよ」
 これもよく有る話だ。
「生きるべきか、死ぬべきか」
 好きにしろ、馬鹿ハム!
 その手の迷いではなく、山の話である。山で迷ったら一大事である。それは遭難だ。里道では迷う。これはしょっちゅうで、余り当たり前なので、置いておこう。私は幸いにも、山中で迷った事が殆ど無い。その少ない事例の一つから始めよう。
 山では下りで迷う。一つ尾根を外すと全く違う事になる。見通しが利けば何でも無いが、何も見えない時は、注意していても危ない。特に雪山では、路が無いから特にである。
 上越の春山だった。ガスである。稜線を辿っている筈だったが、どんどん下る。変だ。気づくべきだが、迷った事を認めたくないのが人情だ。愚かな思いだと思う。でも認めたくないの!認めるのが余りに辛いから。
 斜面が偉く急になった。流石に稜線を外れた事を認めざるを得ない(本能はとっくに認めていた)。対応策は唯一つ、下った所を登り返すのみ。更に下るのは自殺行為で有る。一寸と登って諦めた。登りきれない。登りの労力は下りのそれに百倍すると言われるが、確かだ。登れないとなれば仕方無い、ビバーク(正確にはファーストビバーク)の一手だ。散々雪を蹴って(実は大変な労力なのだ)、どうにか天幕を張れる斜面をでっち上げ、傾いて歪んだ天幕を張って一晩を過ごした。遠く滝の音が聞こえる。相当降りたのだ。
 不安な夜だった。谷川岳の夜と似た不安だ。何度も地図を読む。一体俺は何処にいるんだ?一人でなければもっと楽だっただろう。一人と複数は違う。どの位違うかと聞かれれば、数字なら三桁、魚なら鮪と鰯の差は確実だろうと答えよう。
 正月の五竜に登る為、神城駅にキスリングを背負って降りた。駅前には洒落た店が並び、スキーヤー達(と思う)が歩いている。一件に入ってモーニングを食べたが、別世界だ。これから冬山に入る人間には、気力を削がれる感がある(え、そんなの私だけ?)
 これが複数なら、
「お、良い店だな」
「暖かくて良いや」
「今夜は寒いぞ」
「おー、やだやだ、温泉入って帰ろうか」
「馬鹿言え」
 となる。素晴らしきかな冬山よ!である。一人だと、唯緊張して、山中で緊張して、下山で緊張するのだ。まあ、それにはそれなりの喜びもあるのだが。 (迷ったなんて認めたくない その二へ続く)

2009年11月5日木曜日

閑話 その三十五

FH000013

 

 

 二年前(平成十九年)の夏、長男が山に行きたいがどのルートが良い?と聞いて来た。お、何だどうした、悪い物でも喰ったか。二泊位の予定だと言う。そう来りゃあ任せて置け、すっごーく良いルートを考えるぜ。
 長男は決して悪い奴では無いのだが、物事を舐めて掛かり、直ぐ図に乗ると言う欠点を持つ。え、思えば全くあたしと同じだ、悪い血を引いちまったもんだなあ(少し哀れ)。
 提案は、蛭の小屋に泊まり、翌日は犬越路か加入道の避難小屋泊、畦ヶ丸迄縦走し下山。どうです、良いルートでしょう?水は初日は棚沢の頭の水場で、二日目は犬越路から一寸と下って補給する。克明に説明した。
 長男は出掛けた。暑い日だった。どうだとメールをしたら、やっと辿り着いた、酷い苦労だった、と返事が来た。はっはっは、そうだろうとも、真夏の蛭にそう簡単に着かれちゃあ困る。
 長男は翌日帰って来た。何だどうした。長男「蛭から檜洞丸がきつくて、大室山へ進む自信が無いのでつつじ新道を下ったんだ」
 何たるちあ(親父ギャグ失礼)!仕方無い、無理をしなかっただけ良しとしよう。
 十一月になって長男に言った。
私「中途で終った縦走を仕上げたらどうだ」
長男「そうだね」
私「檜洞丸から入って、大室山でツェルトを張って、翌日畦ヶ丸だ」
長男「良いね。もう暑くないし」
 ふっふっふ、こっちには深慮遠謀が有るのだ。山を決して舐めない様にさせる絶好の機会だ。大体ツェルトを持たせるのが其の始まり。しかもシェラフは夏用を持たせる。レクチャーは勿論した。
私「良いか、冷えるから寝る時は着れる物は全部着込んで、場合に依っては体に新聞紙を巻くんだ。足はリュックに突っ込め」
 そんなのレクチャーじゃ無いって?確かにそう、サバイバル……。でもあたしゃあ確信犯で、死にっこ無いって、悔しければ死んで見ろ!(こうなりゃ滅茶苦茶)
 で、色々エピソードは有ったものの(長くなるので割愛)、長男は首尾良く大室山頂にツェルトを張りました、目出度い。
 処が奴は人の話を聞いて居ない。全てを着込まずに夏用シェラフに入った。極め付きの馬鹿だ。長男は朝の冷え込みに耐えられず起きた時に、顔にバラバラと氷が降り掛かり辛かったそうだが、当然十一月の山はそうなの。
 ロウソクを点けて朝飯の支度をしたらしい。
長男「ツェルトでローソクを点けただけで、暖かいんだね」
 倅よ、其の一言を聞きたかったんだ!!!
 ひどい目に会って初めて分かるのが真実なので、形而上の問題では無いとはあたしの持論で、これもひどい目に会い続けてやっと分かったのだから、お勧めするには気が引ける。
 結局長男は、靴も破れたので凍った銃走路を諦めて、犬越路から下って来たのでした。(思えば酷い親ですなあ)

2009年11月3日火曜日

柄でも無い事 その六

RIMG0147[1]

 

 志野が焼き物の王道だとは、中々気付けなかった。何だかボテボテして締まらないなあ、なぞと思って居たのだから、分からない奴は分からないと言う事。
 多治見へ仕事で行った時、ふと気が向いて岐阜県陶磁資料館へ足を伸ばした。当時は焼き物に、何となく良いかなあ位の興味が起き始めては居たが、冒頭の通り志野の良さなぞ分かる筈も無い頃だった。
 陶磁資料館のメインは勿論志野。これでもかと説明と展示、でも分からんじんのあたしは、ふーん、と見るばかり、正に豚に真珠です。
 古い物を並べて有るので、白、紅、鼠、じっみーなんです。ミーハーおじさんの興味は引かない。半欠伸で出口の売店を覗いたら、流石売店は今風の品物揃い、な、何とピンクが主流なのだ。
 ご承知の通り中国の白磁を何とか陶器で模倣出来ないかと(未だ日本には磁器が無かった)、苦闘して創り上げたのが志野なので、当然白を追求したのだが、今は違う、志野と言う立派なジャンルを確立し、どんどん技術も進歩して居る訳だ。
 ミーハーおじさんも鮮やかなピンクの志野には心を引かれ、ぐい飲みを一つ買い求めて母へのお土産にした。
 母は喜んでくれたが、子供のお土産は何でも喜んでくれるのが母親と言うもの、思えば何時でも沢山お土産を買って帰れば良かったと、今悔いても手遅れ、孝行をしたい時には親は無し、とは真実です。
 其の志野だが、酒を飲むと唇に美味しいのだ。詰まり口触りが心地よく、こりゃ良い物を買った、と一同喜んだのだった。
 当然で有る、志野の命はあのふっくらとした柔らかさで、それが唇にも分かるのだ。正月は其のぐい飲みでお神酒を頂くのが、慣習となった。今は、沢山ぐい飲みが有るので、其の慣習は無くなった。
 地に鉄分を塗って釉薬を掛け焼き上げると鼠志野となる。渋くて重厚、あたし好みだ。徳利でもぐい飲みでも茶碗でも何でも御座れ、惚れ惚れするのだ。
 因みに志野の釉薬と萩焼とは同じ物なのだが、萩をあたしは好まない。何だか女々しく感じて仕舞うのだ。土の違いなのだろうか。
 志野の徳利で志野のぐい飲みに酒を注ぐ。目が喜び、唇が喜び、喉が喜び、胃が喜び、そしてあたしが喜んで、酔っ払う。
 酔っ払うと言う結果には何の変わりも無いのだけれど、少し贅沢に酔っ払うってえのも、決して悪い事では無いと思うのです。
 で、志野は絶対にお薦めですよ!

2009年11月1日日曜日

閑話番外 その十二

DH000069

 

 

 山の報告その七で、唐松でテントを一番下に張ったと書いたが、こんな所ですよ、との説明の写真です。
 唐松の二階建の巨大山小屋が小さく見える。でも、一番下なので表にでれば即トイレ、下品で済みません。でもあんなに上迄小便の為に登る気は絶対無い。死んでも無い。
 現に隣のテントのおじさんも言う。
おじさん「ああ遠くちゃね、仕方無いですよね」
 と立小便をして居た。
 お互い下品ですなあ。失礼しました。