2016年9月29日木曜日

誤解及び偏見について その二




☆登山者は高い所が好き
 山は高いから山なのだから、此れは当たっては居そうなのだけれど、完全に正解なのでは無い。私もそうだが、割と高所恐怖症の登山者も居ると思われる。
 谷川岳の「のぞき」だって、喜んで覗き込んで居る人も有れば、こわごわとやっと覗いて居る人も有る。勿論私は後者で有る。だって滅茶苦茶怖いんだもん。
 随分昔だが、此処から堕ちた人が居た。貧血でも起こしたかバランスを崩したか。危ない所に近づかないに限る。どうなったかって? 一ノ蔵沢へ真っ逆さまだ。
 私の様なタイプ(山勘で30%)は、高い所では無く大自然で有る山が好きなのだ。山は必然的に高いってだけの事なのだ。
 従って、70%は当たって居るとしましょう。パーセントは、断った通り山勘なんだけどね。

☆山男(女)は純朴で有る
 山好きとしては、当たってる、と言いたい処だが、結局人間がやる事なので、悪い奴も居れば狡い奴も居る。前の「思い違い」でも強調した通りなのだ。
 時代も変わった。登山が一般のスポーツとの垣根が極めて低くなった今としては、一般のスポーツを楽しむ人との差は無くなったと言っても良いだろう。
 装備と情報が劣悪だった時代は、登山は特殊な楽しみだった。丹沢でさえ、昭和三十年半ば迄は、表・東丹沢以外は登山道すら碌に無く、探検登山の趣を残して居たのだから。
 今はどうだろう。登山道完備、道標完備、避難小屋完備、案内書完備で有る。誰でもー 登れるー♪
 従って殆ど誤りに近い。辛うじて言えるのは、リタイヤ出来ないスポーツなのと、自然相手と言う特徴だけは従来通りなので、多少は濾過されて、町よりかは純朴な人が多いかな、ってこってしょう。

2016年9月26日月曜日

休題 その百七十七




 二年前の暮の二十七日にToを連れてYと三人で塔へ登り、下り途中でコーヒーを沸かして飲んだ話はした。
 其の時に、次は表尾根をやろう、と話が決まった。そして二日後に救急車で搬送、緊急手術の騒ぎに続いて、大晦日の死にかけ騒ぎで表尾根は遥かに遠いコースになった。
 でも、高取山ぐらいでも山は山、行かないか誘うと行くと言うのでYと三人で伊勢原で待ち合わせた。本当はAも参加予定だったのだが、寝過ごしちまったのでパー。
 朝から結構降って居る。大山へ登る六人位のパーティが行く。家を出た時から考えて居た案を提出した。
私「雨がこうだから、弘法山コースに変えるのはどうだい?」
To「どっちでも良いけど」
 Yは兎も角Toを雨の中歩かせるのは気の毒だ。Yは慣れきって居るので全く検討の外で有る。で、極低山コースになった。
 あたしはビニール傘をさし、二人は雨具を着込んで居る。おいおい、そんな格好だと汗でビショビショになるぞ。
 権現山迄は、無い様で結構有る。夏なんざ一汗かかされる。展望台に着いたら、四人の若い女性たちが休んで居た。雨の中の物好きも、割と居るもんで有る。
 案の定、YもToも雨具を脱ぐとビショビショだ。勿論自分の汗で有る。傘をさして来れば良いのにさ。
 割と景色は見える。山は全く見えないけど。冒頭の写真は晴れてれば見える塔ヶ岳の姿で有る。
 下を行く小田急の車両が小さく玩具の様に見える。Yは車中から見える此の展望台を、ず―っと仏舎利塔だと思って居たそうだ。確かに山頂の白い建物(の様に見える)だか理からぬ処では有る。
 小休止してから出発。雨は小止みになったり降ったり、一日こんなもんだろう。(続)

2016年9月23日金曜日

誤解及び偏見について その一



 
「思い違い」の章では登山者に世間の人が(多分)抱くで有ろう勘違いについて書いた。その続きって事です。

☆登山者は汚い
 昔じゃないのだ、飛んでも無い誤解ってもんだ。尤も私の様にごく一部には汚い奴は確かに居る。何時も鶴巻温泉で地下足袋を脱ぐ時は、汗でシャツもズボンもびっしょりだ。顔からは汗が滴り落ちて居る。あー、きたね ええーー。
 沢登りの帰りには、泥塗れと言うも愚かに、粘土細工と見間違える地下足袋に泥塗れの服装で、あの汚い奴は一体どうしたってんだ、と思われる事は必定なの。
 あくまで其れは例外なのだ。Yだって麓に降りれば、泥塗れのシャツは着替えて一応さっぱりとした姿にはなる。
 私が、拘らないと言おうか無精と言おうか恥知らずと言おうか迷惑者と言おうか、いずれにせよ独自に汚いと言うだけの事だ。うーん、決して自慢になりませんなあ。
 さて、一般論です。確かに縦走となれば何日も風呂には入らない。歩いて居れば汗もかくだろう。そして毎日着替える訳では無いのだから、汚いと思われても仕方無い。縦走の場合は否定は出来ない。里に下りたらシャツを着替えるのが精々だろう。
 でも、一泊や日帰りの場合は全く違うのだ。皆さん、老いも若きもお洒落でパリッとして居る。汚いなんて無い。汗みどろになってる人は殆ど居ない。たまに小太りの登山者が大汗をかいて居る位だ。(小太りの方失礼!)
 従って私の見る限り、登山者は汚い、は殆ど無いと言って宜しい。時代の変化ですなあ。昔は汚くて当たり前だったので。

2016年9月19日月曜日

休題 その百七十六




 朋友のKjが九州に赴任し、Yn夫婦が沖縄に移住した話はした。夫々どうにかやって居るらしいのは目出度い。残ったこっちは四人ぽっちになっちまって結構寂しいが、其れは仕方無い。
 此の間其の居残りの四人が顔を合わせたら、An夫人のNbと、Emが揃って足が痛いと言う。勿論二人とも女性だ。
 症状は微妙に異なるが、要するに、膝に痛みが有って、且つ足が重いと言う事だ。典型的な加齢症状で有る。
 人間、どんなに丈夫(内臓が)でも足が衰えたら終わりなのだ。何か重要な役目が有って其れを果たさなければならないなら別だ。サポートも有るだろうし、車椅子で移動したって問題は無い。役目を果たせば良いのだ。
 併し我々一般人は足が命だ。歩くのが苦になったら、旅行も苦になる。出掛ける事すら苦になる。詰まり寝たきり老人の一歩手前ってこった。
 もしも枕元に札束が積み上げて有っても、そうなったら使い道なんざ無い。医者か針医か按摩に払うのが落ちだ。海外旅行もレストランも美術館も行けないのだから。余りに哀れではないか。
 医者や其の仲間に金を貢いで、其れで治れば結構だが、治らないと断言しても良い。いや、断言しよう。
 足の(或いは膝の)痛みは筋力の衰えだ。加齢の所為だが、運動不足が其れを助長して居るのだ。
 歩かないのでそうなったのだ。歩け、寝たきりになりたくなければ! 未だ間に合う、充分間に合う。
 痛ければ歩けない、と言うのは良く分かる。では、椅子に座って足を上げる運動から始めよう。或いはプールで水中ウオークでも良い。
 「天は自ら助ける者を助く」。自分が治りたいと思わなければ治らない。医者では治せない。妻を見て居て良く分かる。妻は水中ウオークと一寸と長い散歩を心掛ける様になった。
 Nbよ、Emよ、努力しようよ。未だ寝たきりには早いからさ。え、そんな差し迫った状況じゃ無いって? 放っときゃ時間の問題なんだよ!