写真は、丹沢の掘山に設置されたセンサーで、多分、通過した登山者をカウントして居るのだろう。
此れは理に適って居る。電気の無い所だ。
理に適って居ないのは、太陽電池を救世主扱いして居る風潮だ。確かに、家庭で太陽電池を設置すれば補助金は出るは、余剰電力は買い取って呉れるはで、おまけにCo2は零なのだから、此れは理想的装置、これからは太陽だ!!とマスコミも政府も言って居る。そして、皆さんそう思って居る(らしい)。
冗談は休み休み言って欲しい。
ほら、又訳の分からん事を言い出したぞだって?真実は真実なので、真実の為の発言ならば、否定者が百万人でも我行かん、があたしの生き方なのだ。ふん、真似してご覧(え、嫌?そりゃそうだよねえ)。
肝心なのは、自分が得をするかどうかでは無く、グローバルに見てどうかと言う事。
確かに今我が家をソーラーシステムで建てれば、結構得する(と聞いて居る)。それは税金で補填して居るからなので、詰まりあたし達が支えて居るのだ。悪いが真っ平御免だ!
利己主義だ、環境を考えろだって?(人差し指を振り)チッチッチ、考えてるから言ってんだよね。
今の処(多分近未来も)太陽発電地は、自分が生涯に造り出す電力より、其の太陽発電地を造り出す電力の方が大きいのだ(エネルギーを電力換算して)。
詰まり、太陽電池は地球規模で見れば赤字を増やすだけなのだ。疑うならお調べ下さい。単なるアドバルーン、人の耳に心地良いだけの話だと、あたしは看破して居る。
尤も将来は分からない。技術は進歩する。ある日やっと黒字になりました。其れは目出度い。
でも、現時点で、原発一基を太陽電池でまかなうには、山手線内の面積が必要なのだ。
日本は、そんなに空き地が無いのでは???
2012年1月29日日曜日
クソ面倒な話 その四十一
2012年1月28日土曜日
最高峰に乾杯! その四
其れからは県は二人を雇い、週交代の勤務制とした。此れでやっと番人が居着いてくれたのは、取り合えず目出度い。
県営小屋の悪口に(本義では無い)成ってしまうが、Rさんの頃の様に、イザと言う時の頼りには成りそうも無い。
六年程前、大雪が降ったので問い合わせをしたら、登山不可能ですとの返事で、小屋も閉まっているとの事。何のこっちゃろうと、疑問を感じつつも日帰りで塔へ登って、髭の番頭さんに聞いた。
私「蛭へは登山不可能と言われたけど、行けば行けるんじゃないの」
番頭さん「(吐き棄てる様に)行けないのは蛭の小屋番だけだよ!」
そんなこったと思った。けっ、勝手に蛭へ行くべきだった。県に問い合わせた私が馬鹿だったので、責める気は有りません。って事は、役人を信じちゃいけないって事?其の通り!
役人を信じちゃいけない、とは不適切な発言でした、忘れて下さい。でも、山に関しては何をか言わんや、で有る。役所を信じてどうする、己の不明を恥じるべし、はい!!
蛭ヶ岳の話だった。
山頂からの景観は既に書いた。見た姿を話そう。出会いの章に有る様に東京から見た丹沢は、大山より始まって塔へ至り、徐々に高度を増しながら一番高く三角に聳える蛭ヶ岳に到る。其処から一気に下ってから焼き山迄なだらかに高度を落として行くのだが、蛭ヶ岳に綺麗に富士山が掛かるのだ。ふっふっふ、図った様な構図だ。
うーん、流石最高峰、見事なり。多分皆さんも、今日は冨士が綺麗だなあとか言い乍ら、何気無く見ているんです。え、分かってるって?其れは失礼を申しました。
鬼ヶ岩の頭から見る蛭ヶ岳は目の前だ。意外と高度差を感じるが、取り付くと思った程では無くピークに立てる。とても嬉しい。大室山にも見習って欲しい。
(最高峰に乾杯! その五へ続く)
2012年1月25日水曜日
閑話番外 その六十
今本文は蛭ヶ岳だが、主脈の章でも相当に蛭ヶ岳について書いたのは、本文に有る通りで、特に旧蛭ヶ岳山荘と、其の主人のRさんは力を入れて書いたつもりだ。
幾ら褒めても褒め切れない人だったと、少なくともあたしとYは思って居る。小屋はボロでも心は錦~♪で有る。
あたしは小屋のボロさも気に入って居た。あの土間が良い。山小屋はそうでなくっちゃさ。今の小屋は、床張りで土間が無い為、休憩するにも一々靴を脱がなければならない。冬なら、スパッツを外したり装着したりで、面倒な事夥しい。
収容人数が多かったので、混む時は、急に常連さんが頼まれて、手伝いなぞやらされて居たが、頼まれた人も嬉しそうに、「いやあ、急に頼まれちゃってさ」なぞと聞かれもしないのにのたもうて、イソイソと食事なんぞを運んで居た。
主脈の章で使った旧蛭ヶ岳山荘の写真を再掲した。平静21年の1月だから、丸3年前なので、誰も覚えちゃ居るまい、と言う訳では無いので、誤解の無き様にお願いします。
バイケイ草を前景にした姿だが、横からなので、窓も入り口も見えない訳の分からない物に見える。
原小屋跡方面から登って来て、いよいよ頂上だと思うのは、小屋が見えて来てからだ。本当に懐かしい小屋なのです。
2012年1月22日日曜日
最高峰に乾杯! その三
そして造り上げた県営の小屋は、荷揚げ(水もだ!)もゴミ降ろしも全てヘリ使用で、すっごーく楽になったから、退職した職員から小屋番を募ったらしい。剣道高段者が採用されたが、二ヶ月もったっけ?分かり切った事だろうけど、剣道と山は違う。柔道と海程違う。え、分かりにくい喩えだって?好い加減慣れて下さい!
一人で小屋番を勤めるのは、辛い人には滅茶苦茶辛いようだ。客が年中来る小屋なら別だが、蛭ではそうは行くまい。私は酒さえ有れば何の問題も無いけどね。
昔々々、正月の千丈岳に登って、北沢峠のテントでもう一泊するのが何だか嫌になって(何、又寒い夜を過ごすのが嫌になったんです)、テントを撤収して其の侭下って、丹渓山荘に泊まった事が有る。今調べると丹渓山荘は無い様だ。
シーズン中はバスが北沢峠へ入る様になったので、積雪期しか客は無い訳で、経営困難と言うも愚かでもはや経営不能、仕方無い、時代の流れです。
其の時親父に聞いた話。
親父「夏に上の小屋(甲斐駒側)にバイトを雇ったんだ。慶応の山岳部員だったがね、其の年は天候が悪くてよ、客はねえずら。倅を見に行かせただね」
私「どの位たってました」
親父「半月かな。行くと歌が聞こえるがね。学生は屋根に上がっちまって、大声で歌ってるってよ」
私「ほう」
親父「倅が見ると目が変だったで、飛んで帰えって来て、学生が変だって言うずら」
私「寂しくて狂ったの?」
親父「そうらしい、やっと降ろしただがね。暫く入院してたそうずら」
山岳部員でも半月でそうなって仕舞う(場合も有る)。山馴れない人は当然逃げても責められない、剣道高段者だろうとレーサーだろうと物理博士だろうと、全く関係無い事なのだ。向き不向きで有る。
(最高峰に乾杯! その四へ続く)
2012年1月21日土曜日
閑話 その七十七
此の間(11日)、馬鹿尾根で堀山ピストンをして来たが、膝の故障以来四度目の堀山で有る。こうなりゃあ殆ど病気に近いが、未だ心配で塔迄足を伸ばす自信が無い。当日は良いが、翌日どうなるか、と不安なのだ。
で、其の堀山で撮った面白くも無い写真を晒したのだが、説明したい。
広葉樹林帯では、秋から冬は足が埋まる程の落ち葉で路さえ不明になる有様だ。処が秋を迎える頃にゃあ、古い枯葉なんざ消え失せて居る。それは、茸や諸々の菌が枯葉や枝や木を分解して土を造って居るのだ。其れも、極めて上質の土だ。
何度も同じ事を書いて、御免なさい。併し、大事な事は繰り返さないと分かって貰えないのだ。嘘を本気で繰り返されたら、そっちに負けちまうのが、世の中だ。
で、一月の平日のやや遅めの大倉行きのバスに乗り込む登山者なんざ、あたしの外には1、2パーティで有る。其の代り、地元の人が結構乗り降りして、休日の登山バスとは全ったく異なる顔を見せるのが面白い。
山道も閑散として居る。何たって堀山だから直ぐ着くし、直ぐ下りれる。
えーと、何の話だったっけ?あ、枯葉だ。
広葉樹林は山の土を再生し、確り水を確保し、根張りが強力なので山の地盤も支える。共生する茸を始めとする植物、動物、豊かな大自然を造り出す。そして其の恩恵は海に迄およぶ。
前述失礼。山が死ぬと海も死ぬ。山が植林の杉、檜で覆われると、湾内から魚影が消える。従って漁師達が資金を出し合って、植林を買い取り、楢やクヌギを植えて居る。
あらあ、休題の内容になっちまった。まあ良いさ、山関係なんだから。
下山したのは12時過ぎ。無人販売所の大根が50円、ホーレン草が100円。感動ものでした。勿論O屋で一杯です。
2012年1月18日水曜日
最高峰に乾杯! その二
(写真は前出失礼。正月の北岳です)。
ところが、尊仏山荘では異議を唱えた。曰く、冬には凍って壊れるので、計画見直しの要有り。専門家の意見と言うべきだろう。
塔ノ嶽と北岳の違いで有る。北岳に冬登って来る者は極僅か(比夏季)なので、冬は小屋は閉めて有り、トイレの水も抜いて有る。塔ノ嶽は冬でも登山者が多く、小屋も当然営業しているのだ。従って公衆トイレも営業中なので、凍る、割れる、パーになる。
お役人に幾ら説明しても、造るの一点張りで、造るのは県なんだから、仕方無かろうと見ていたら、案の定パーになった、と言うお粗末な話。
私は神奈川県に税金を払って無いから良いが、払ってる人が知ったら、きっと腹が立つ事だろう。
説明は以上。蛭に戻ろう。
結局神奈川県が乗り出して、新しい小屋を建て、運営する事に決まった(らしい)。何たって前の小屋は並外れてボロかった。嵐が来れば屋根が飛ぶ。それなりの良さは勿論有りました。それは泊まり勝手が偉く良かったからなんです。それと、あの強力なマキストーブ。
或る日、神ノ川ヒュッテに車を置き、広河原へ向かおうとすると、広場に作業員が十人程立っている。お、何だ?Yと一緒だった。するとバタバタと爆音、ヘリが降りて来て半分程乗せて飛び去る。新しい蛭の小屋を建てる作業員の空輸だったのだ。
聞くと、登りはヘリで下りは自力との事。Yは乗せて欲しいと、顔中で表している。羨まし気に見る口からは、涎が垂れそうな按配で、流石に気の毒にはなる。
私「一万円なら乗るかい?」
Y「勿論!」
私「馬鹿は休み休み言おうね、さ、檜洞へ登ろう」
Yよ、大体行き先からして違うのだ。
(最高峰に乾杯! その三へ続く)
2012年1月15日日曜日
休題 その八十四
「サヨナラダケガ人生ダ」とは川嶋雄三監督の台詞だが、彼の代表作「幕末太陽傳」が日活創立100周年事業としてデジタル修復して上映したので、妻と此の正月に観に行って来た。
勿論単館上映で有る。あの単館の雰囲気は独特で、シネコンでは決して味わえない。モギリ嬢(死語?)が切符を売るのは昔の侭。
昭和32年封切りだが、今でも新しい。テンポの良さには改めて驚かされた(前にも観て居たので)。あの品川の風景、此れは今で再現可能だろうが人々の動きは、多分再現不能だろう。
細部に迄考証が行き届いて、見事に当時を表して居る。流石、100日本映画を募ったら、第5位になった作品で有る。因みに1位は「7人の侍」だった。
笑わせる中にも哀愁が漂い、フランキー堺はこんなに名優だったのか(名優だよ!)、と驚かされる。
彼演じる処の、落語の居残り佐平次より借りた主人公佐平次、手八丁口八丁、抜群の頭の回転で難問をどんどんさばいて行くのが痛快だが、ラストに出て来る、頑固な田舎者には歯が立たないのが面白い。
其のラストだが、余りに有名な逸話なので改めて書くのも何だけど、ひょっとして知らない人が居るかも知れないので書いておく。
佐平次は座敷牢から、主人の倅と其の愛人(?)を逃がし、自分も逃げるのだが、川嶋監督は撮影所の鉄扉を開いて、其処から現在(昭和32年当時)の街を走って逃がすつもりだったのだが、スタッフ、出演者の全員が理解出来ずに反対し、為に普通のラストになった。
そうでしょうとも。あたしが10歳の年だ。川嶋監督のセンスが進み過ぎて居たのだ。後年、フランキーは監督の案にしとけば良かったと悔やんだそうだが、後の祭りとは此の事。
2012年1月13日金曜日
最高峰に乾杯! その一
蛭ヶ岳については主脈の章でたっぷり書いたつもりだが、何と言っても丹沢の最高峰、章を設けなくては申し訳が立たない様な気がして、立てました。大体からして、私が大好きな山なんだし(勝手な奴!)。
尚、掲載の写真は此の愚ログ二回目の投稿、平成十八年十二月の時にも使用した物だが、厳冬期の蛭ヶ岳らしい写真だと勝手に思って居るので再度の登場です。左端の山が蛭ヶ岳です。
Rさんが還暦を迎え、引退を決意したら困った。私じゃなくて、神奈川県だ(私も困った、と言うより悲しかった)。あんな不便で儲からない山小屋の引き取り手が居ない。至極当然、当たり前田の何とやら、山小屋でもボランティアでは無い、商売で有る。
しかし主脈のど真ん中、主稜を分けるキーポイントの小屋を廃止するにはリスクが大き過ぎる。現に相当の数の人が蛭の小屋に救われているのが実情だった。
流石にものの訳が分からない(失礼!)神奈川県でも、遭難者は出したくないだろうし、県警や遭難者からの報告では、Rさん、或いは蛭の小屋の貢献度が高いとは、分かって居たのだろう。
大体、一年中、どんな天候でも営業して居ます、と書き且つ言って、実行して居たのだから、Rさんは無闇と偉いのだ。
ものの訳が分からない神奈川県、と書いた限りは説明の義務が有る。さもなくば単なる中傷になっちまう。それは決して私の本義では無い。
尊仏の番頭さんから聞いた話だ。ソースを明かして大丈夫かって?真実なんだから、何の問題も有るまいて。
県の指令で小屋の脇に水洗便所を作る事になった。文化県神奈川の面目躍如で有る。何せ、北岳山荘だって水洗便所なのだから、山梨県に負ける訳には断じて行かない。
(最高峰に乾杯! その二へ続く)
2012年1月11日水曜日
閑話番外 その五十九
丹沢のダムの話が終って良かった。何が良かったと言うと、丹沢にダムが造られるのが丹沢の渓谷破壊で嬉しく無いからだ。
でも、本文でも言ってる通り、あたしはダム絶対反対論者では無い。必要な物は必要なのだ。ダムを造る必要は、感情論では無い。
そう言い乍ら、一寸と引っ掛かってんだけどね。其れは、あくまで、あたし個人の好みで有って、必要(或いは必然)の前では無力なのだ。世の中は綺麗事では無い、ご存知でしょう?
もし、知らない人が居たら、そうねえ、自分が恋人と飲んで居たら、からんで恋人に暴力をふるう奴が居て、そいつを殴っって怪我させたら逮捕され起訴され、有罪になる様なもんだと、思って下さい。
理不尽でも、現にそうなんだから。
従って、反ダムを掲げて当選した(今は失脚)T知事なぞ、豚が避けて通る人非人だと思って居る。
まあ、いらないダムはいらないんだから、丹沢にはもういらないんじゃ無いの?分からないけど……。
2012年1月9日月曜日
閑話 その七十六
Sは夏だと、小屋に寄ってビールを買い、グビグビ飲んで歩き出すと、前に書いた。
実はあたしも、ピークの小屋なら、其れをやる。流石に、Sの様に登る途中では出来ない。あくまで後は下るだけ、と言うタイミングなので、Sとは比べるべきも無いだらしなさなのだ。
言う迄も無い事ながら、美味い、其れも凄く美味い!!ご同輩は結構多く、小屋に入って来るなりビールを注文する。そして美味そうに飲み干す、あたしは仲間だなと、ニヤッとして見て居る。パーティでドヤドヤと入って来て、一斉にビール、と言うのも良く有る。
350mlで400円~500円、担ぎ上げる苦労を考えれば、安いものだ。大体、酒場で飲んでもそんなもんなんだから、環境を考えれば極安と言っても宜しい。え、そんな安い飲み屋にゃ行かないだって?ああそうかい、安酒場で悪かったな!!
此れは夏の楽しみでは有るが、偶に冬もやる。小屋は冬でもビールを凍らさないで保存して居るので、可能なのだ。自分のザックに放り込んで持ち上げても、凍って仕舞って飲めない。
ストーブがガンガン燃えて、体の冷たさが完全に去ると、急にビールが欲しくなる。そして夏に劣らず、美味いのだ。
此れは丹沢の小屋の特権なのだろうか。昔、正月の北沢峠で、単独で幕営してた時、滅茶苦茶寒いのに、何故かビールが飲みたくなって、わざわざ靴を履いて小屋に行き(正月だけは営業して居る)、「ビールを下さい」と言ったら呆れられた。
「日本酒なら有りますけど」
結構ですと答えて凍て付いたテントに戻ったが、当然です。ビールが有っても氷の塊だ。でも、八ヶ岳の赤石鉱泉や行者小屋ではビールが有るんだから、丹沢と、麓の小屋の特権ですな。特権は、フルに活用させて貰います、ふっふっふ。
2012年1月6日金曜日
ベヘレイは美味しいですよ! その六
男体山を登るのは、景色的には余り楽しく無い。ジグザグに登るので、景色が変わらないの。段々高くなって行くだけで、未だ登るのかよー、と文句の一つも出て仕舞うのだ。私だけ?そうかなあ……。
頂上に立てば文句は消える。我乍ら現金なものだ。ぐるりの大展望だ。足元は勿論大きな中禅寺湖。一番奥には、関東以北の最高峰白根山がどっしりと構えて居る。其の右手前が、前章で長男が泣き叫んだ太郎山。裏には女峰の連峰だ。
中禅寺湖を貸しボートで往復した事が有る。三昔以上前。菖蒲ヶ浜から対岸を目指したのだが、あの大きさの湖だと、小さいけど波が有り、舳先が宙に浮く。バッシャンバッシャンと進むのが面白いが、スピードは出ない。
料金をケチって一時間以内で戻ろうとして、全力で漕いだ。必死に漕ぎまくって、一時間で戻れたのは目出度い。でも、お尻の皮が擦り剥けました。
澄み切った冷たい水を湛えた湖を、唯々慌てて漕ぐばかりとは、例に依って立派な阿保です。勿体無いとの見本でした。
湯元の先に行くと、切込湖、刈込湖と言う変わった名前の湖、と言うより池が有る。歩いてしか行けないので全くの自然、神秘的ですら有る。光りコケが鈍く光って居るのも見つけられるのだ。
丹沢がどっかに行って仕舞った。
元々湖の無い山なのだから、人造湖で我慢しよう。従って、湖に深山の趣が無いのは、致し方無い事で有る。
その代り丹沢には、立派な山と藪、綺麗な渓谷とガレが、数え切れない程有るのだから、文句無く上等だ。小粒でも、強い個性の持ち主なのだ。
ん、ペヘレイも居る。当然外でも放流してるだろうけど、寡聞にして知らない。若しペヘレイの文字を見かけたら、躊躇う事無く注文して下さい。美味しいのです!(くどい?)
2012年1月3日火曜日
休題 その八十二
ガス抜きの絵本の章です。勝手に書くので嫌な方はスルー願います。
あ、其れと時節柄ハッキリしておく必要が有るのは、あたしはシーシェパードは認め難いと言う立場(考え)です。
南氷洋の大海原を夫鯨と妻鯨が泳いで居ます。前になり、後ろになり、二頭は餌を取りながら大自然の中を悠々と楽しく泳ぎます。
たまに息を吐くと、高く水飛沫が吹き上がり太陽の光にキラキラ輝くのです。
去年産んだ子鯨は立派に独立して、今の二頭は次の出産迄の、一番ほっとした時期です。
妻鯨は、平らべったい大きな氷山の下を潜ります。夫鯨は心配そうに見て居ますが何の心配も無く妻鯨は氷山の向こう側に出て大きく息を吐きました。
其の瞬間に背中に銛が打ち込まれました。キャッチャーボートが狙って居たのです。妻鯨は背中に焼き付く様な痛みを感じたと同時に、体を引っ張られました。
妻鯨は必死に逃げようとしましたが、銛は体の中で開いて外す事なぞ出来ないのです。妻鯨は気付きました、捕鯨船に捕まった、此れで終わりだ……。
夫鯨が血相を変えて近寄って来ます。妻鯨は叫びました。「早く逃げて!貴方も撃たれる」でも、動転した夫鯨には聞こえません。夫鯨は妻鯨の周りをオロオロと回って居ます。妻鯨は何度も叫びました。「早く逃げて!貴方も撃たれる!」
夫鯨の背にも銛が打ち込まれました。流石男鯨です、猛然と暴れますがキャッチャーボートが上手で、ロープを緩めたり引き寄せたり、暴れれば暴れる程夫鯨は弱って行きます。
妻鯨は自分の痛さ辛さも忘れ、夫鯨に何とか近寄ろうとしますが、出来ません。銛は確りと食い込み、其の上妻鯨が夫鯨に気を取られて居るうちに、三本も銛を打ち込まれて居たのです。
それでも夫鯨に近づこうと必死に虚しい努力をしましたが、叶う筈は有りません。でも、どうしても死ぬ前に夫鯨と言葉を交わしたかったのでした。
暴れる夫鯨にも更に銛が撃たれて居ます。一瞬空中に飛び上がった夫鯨と目が合いました。夫鯨は憤怒と悲しみと慈しみの目をして居たと妻鯨には分かりました。何か叫んで居たけど、残念にも聞き取れません。
夫鯨は其の侭引きずられて、見えなくなりました。妻鯨も意識が消えかけて居ます。
妻鯨はたった一言を夫鯨に伝えたかったのです。自分が死ぬのは仕方有りません。夫鯨が死ぬのも仕方有りません。此れは生有る者の必然です。状況はどう有れども、そう言うものだと妻鯨は本能的に知って居るのです。
妻鯨が夫鯨に伝えたかったのは「さようなら」の一言だったのです。
妻鯨の意識は其処で途絶えました。氷山は何事も無かった様に、日の光に輝いて居ます。
絵本にしちゃあ暗いって?うーん、あたしの中では違うんだけど……。