今本文は蛭ヶ岳だが、主脈の章でも相当に蛭ヶ岳について書いたのは、本文に有る通りで、特に旧蛭ヶ岳山荘と、其の主人のRさんは力を入れて書いたつもりだ。
幾ら褒めても褒め切れない人だったと、少なくともあたしとYは思って居る。小屋はボロでも心は錦~♪で有る。
あたしは小屋のボロさも気に入って居た。あの土間が良い。山小屋はそうでなくっちゃさ。今の小屋は、床張りで土間が無い為、休憩するにも一々靴を脱がなければならない。冬なら、スパッツを外したり装着したりで、面倒な事夥しい。
収容人数が多かったので、混む時は、急に常連さんが頼まれて、手伝いなぞやらされて居たが、頼まれた人も嬉しそうに、「いやあ、急に頼まれちゃってさ」なぞと聞かれもしないのにのたもうて、イソイソと食事なんぞを運んで居た。
主脈の章で使った旧蛭ヶ岳山荘の写真を再掲した。平静21年の1月だから、丸3年前なので、誰も覚えちゃ居るまい、と言う訳では無いので、誤解の無き様にお願いします。
バイケイ草を前景にした姿だが、横からなので、窓も入り口も見えない訳の分からない物に見える。
原小屋跡方面から登って来て、いよいよ頂上だと思うのは、小屋が見えて来てからだ。本当に懐かしい小屋なのです。
2012年1月25日水曜日
閑話番外 その六十
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