2009年5月31日日曜日

閑話番外 その三

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 前述のIT氏(此のブログに目を通す、稀種と言おうか、兎に角有難い人)と先日飲んだ時、IT氏曰く。
「あんたのブログは考え過ぎだ、何処の国が資源も無い日本に触手を伸ばすんだい。大体、日本に核攻撃を喰らわせた其の国は、完膚無き迄叩かれて廃墟になっちまうぜ」
 えー、博識無類、物が分かり過ぎる程分かって居るIT氏にして此の言有り、此れは聞き捨てならんと、一章設けます。彼の発言は普遍的問題を包括して居ると思えるのです。
 発言を整理すると二つの趣旨に分かれるので、別々に考えたい。
1 資源も無い日本に触手を伸ばす国は無い。
 気付かれた方も多いだろうけど、IT氏の根本的間違いは置いて於いて、額面道りに取ると、遥か太古から現在に至る迄、侵略された或いは戦争を仕掛けられた国は、全部資源の(多分鉱物とか希少金属とか作物とか化石燃料とか)有る国となる。
 違う。アフガニスタンはソマリアはエストニアはフィリッピンはグルジアはフィンランドはボスニアはチベットはフォークランドは、切が無いのでetc。何処に何の資源が有りますか???
 資源の無い国は侵略されないなぞと、誰に教わったのですかITさん、吹き込んだ奴は確信犯か馬鹿者ですぞ!!!
 で、此の命題の根本的間違いは、資源はとは鉱物とか希少金属とか作物とか化石燃料とかだけで無く、経済、技術、ノウハウ、そして人(本当は地政学的要素が大きいのだが、日本は其の要素はモロに大きいのであえて触れない)。
 首領様の国から見れば、侵略の結果日本の経済力が半分以下になっても未だ遥かに富んだ国でしょう?尤も自由経済を失えば、極貧になるだろうけど。それでも世界一流の技術は涎が出る程欲しいでしょう?(首領様の国で無くてもです)
 Mr.IT what do you sei.
2 日本に核攻撃を喰らわせた其の国は、完膚無き迄叩かれて廃墟になる。
 誰が完膚無き迄叩くの???
 勿論アメリカしか無いんだけど、其の時は日本も立派に廃墟で、其の前にそうなると思ったら誰も核攻撃を日本に喰らわせない。安保条約を前提とした核の傘の事だろうけど、あたしゃあそんなものは、日本が廃墟になって初めて効果が有る(首領様の国の核を無力化する大義名分を得て)としか思えない。日本が核攻撃を受ける段階で米国がどっかの国を攻撃してくれるのですか?
 敬愛するITさん、貴方の考えこそを平和呆けと定義するのだ。理由は簡単で、先進国の中で我が国だけが(奇跡的に)六十数年戦争をして居ないので、其れが当たり前との前提に立って居るから、流石の慧眼も曇って仕舞ったのでしょう。(他国はリアルです)
 目覚めよ、IT氏。嘘八百に耳を貸ず、真実を見よう!!!
 偉そうに失礼しました。本当の事は本当なんで、歴史とか出来事を調べて下さい。反論大歓迎ですよ。

2009年5月30日土曜日

生まれる路、消え行く路 その四

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 処で、何であんなに林道を造るのだろう。治水工事の為?それは分かる。林業の為?成り立つのだろうか?山仕事は、年寄りしかしないと聞いているし、現に山仕事場で珍しく若い人間を見かけると、決まって営林署の監督なのだ。
 まさか、林道を保守する為に林道を造るのでは無いでしょうね?知っている人がいれば教わりたいです。山を削って自然を痛めつけ、それでも必要な植林と林道なのかをです。
 話が飛んでしまった、戻ろう。昔の人はタフだ。地蔵平からは二本木峠を越えろと書いて有る。詰まり峠を三つ越えろと、それも平然と書く。
 昔二本木峠を越えた時は、結構荒れていた。もっともっと昔は普通の峠道だったのだろう。だって今では、仕事車は皆大又沢の林道を通るが、当時は歩いて二本木峠を越えて地蔵平に入っていただろうから、当然良く踏まれた峠道だった筈だ。
 金山谷の頭から南に下る尾根の黒破線も、桧洞沿いの黒破線も、完全に消えた。両方共昔々の檜洞丸へ登る定番ルートだったのだ。当時は車を使う時代では無い。雨山峠を越えてユーシンに入るのが普通だった様だ。南アルプス並みに前山越えが有った訳ですなあ。金山谷の頭へのルートについては、後の章で触れます。
 大棚ノ頭から、西丸、東丸を下る路(昔々も黒の破線だった)も消えた。これは一度試みて失敗、沢に追い落とされてしまった。沢を下って林道に這い上がったら、銃を持った男が立っていた。
男「危ないな、撃つところだったぞ」
 危ないのはお前だろう、馬鹿!ハンターは自分の楽しみで、鳥や獣の命を奪う。まさかマタギじゃなかっただろう。マタギは生活の為なので仕方ないが、ハンターはどうしても好きになれない。決まって目つきも悪いのだ。(ハンターさん、読んでないですよね?ふん、読んでっこ無いって)
 日高から三角沢ノ頭を通ってオバケノ沢へ下るルートも消えた。黒い破線の頃に一度下ったが、変化の有る楽しい下降路だった。最後は滑(ナメ)を下って行く。アドベンチャーだなあ、という感じで、大いに喜んだものです。
 てな事で、消えた路を古い地図から探し出し、それを辿るという楽しみが、変わり者達には出来た訳で、目出度いと言うべきでありましょう。
 一つ残念なのは、新しい地図が五万図になって仕舞った事だ。前は四万図だったので、割とヒダが読めた。五万図では全くヒダは読めない!
 そしてまたまた困るのは、鉄塔の記載が無くなった事(本当に困る)。ルートを定めるには、鉄塔は完璧な目標物だったのだ。仕方が無い、久し振りに二万五千図を買いに行かねばならないが、ま、その位良しとしましょう。物好きに迄付き合っていたら、昭文社も経営が成り立たないもんね。

2009年5月28日木曜日

休題 その十五

店 023

 

 暮れの風物詩と言えば何を置いても、べートーヴェンの交響曲9番合唱付。日本だけの習慣の様で、何だ馬鹿みたい、と思う人も居るのだが、あたしはバッチリ嵌って居る。
 十年程前、四年続けて聞きに行った。初年度は妻と二人で、日比谷高校OBを中心とするやつ。次年は矢張り妻と二人で東京フィル。三年目は、夫婦に次女が加わりN饗。四年目は夫婦に長女、次女、長男で同じくN饗。
 切符を取るには十二月では間に合わない。A席とかS席しか残らない。安くて良い席を取るには十一月初めから探して抑えて置く、此れがセオリーです。
 何で四年で終ったかと考えたら、其の頃から父のアルツが激しくなって来たと思い出した。詰まり呑気に第9を聞きに行く余裕を失ったのです。其れからは疾風怒濤の日々となるのだが、其れは別の話。 良い物は良いので、子供達も感動してくれたは嬉しくも有る。勿論N饗は文句無しで、東京フィルは指揮の歯切れが滅法良く、あたしは一番気に入った。
 で、一番面白かったのは初年度の日比谷高校OB中心の作品で有る。弦楽器とコーラスは見事で、素人とは思えない出来、「流石日比谷、よっ!」と大向こうから声を掛けたくなっちまう。
 考えたのだが、コーラスや弦楽器は家庭でも練習可能だが、木管、金管(詰まりラッパ)は練習する場所が限られて仕舞う。当然だ、部屋でラッパを(減音器を装着しても)吹き鳴らしたら、包丁を握った男がドアを蹴破って乱入して来るだろう。
 (以上はあたしの想像だけど)結果吹奏がヤバくて、初っ端からプハ~~と来るからこっちはビクッとする。おい、大丈夫か、頼むぜ、と手に汗を握る。
 自分が演奏しるんじゃ無いのに、ビクビクして聞いて居る。あ、音を外した、かすれた、と気を揉む。プハ~~と来ると息も荒く力が入り、確り頑張れ!と目を剥く。最早演奏者と完全に一体で有る。
 と、ビオラかベースが譜面台を倒した音が響き渡った。……。シナリオにしたらブーイングだろうけど、現に有るんです、そう言う事って。
 すっかりやつれて(感覚として)会場を後にしたが、今思えば最高に面白かった。日比谷高校OBの皆さん、怒らないで文を良く読んで下さい。好意を抱いているんですよ。(け、読んで無いや)
 演奏会は好きで,生の迫力はCDで再現は不可能。メーカーは再現をうたっているが、無理ですね(きっぱり)。
 演奏会で気に入らないのは、アンコールがしつっこい、あんなに何度も出て来るなよ、何か演奏してくれるなら別だけど。
 あたしの劇だってカーテンコールは一回きりで粋なもんだ。何度もやったら客が逃げ散るって?ご尤も!

2009年5月26日火曜日

生まれる路、消え行く路 その三

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 ははははははははと笑い。
 冗談です。母は、はははははと笑い、大丈夫ですよ、と答えた由。
 翌朝、明るくなると分かるものだ。あ、あっちだ。で、鳥屋に着きました。不思議なもので、未だに鳥屋は落ち着いた良い集落との印象が強い。余程辿り着いた鳥屋が、少年の私には素敵に見えたのだろう。
 織戸峠、富士見峠越えの道は、完全に消えた。前の、前々の、その前々の地図からも消えていたから、大昔に消えたのだ。古い案内書を当たって見て驚いた。昭和三十八年のマウンテンガイド、朋文堂の”丹沢“が最後の案内だ。
 失くしてしまった丹沢案内書の、何故だか一枚だけ残っていたページが有る。其処に何と、世附川沿いの簡易鉄道の写真が有る。小さな機関車が材木を積んだ簡易貨車を引いているのだ。遊園地ごたある。(九州弁?はい)
 その簡易鉄道が今も健在なら、世附の長い林道歩きがカットできるのになあ。乗車券が千円でも安い、二千円でも絶対買う。
 織戸峠には三度立った。一度目は法行沢を詰めて着いた。路の痕跡も無い樹林の中で、何故織戸峠だと分かったかと言うと、織戸峠と書かれた札が樹に打ち付けてあったからだ。(何とアバウトな奴!)一応地形も検討しての上ですよ!ま、アバウトな奴という評価は、外の面では否定できないけど……。
 二度目は大栂から下って来た。篠竹の滑り台でとちったリベンジに成功したのだ。やったね、失敗ばかりじゃ無いんだ(威張るのも恥ずかしい)。
 三度目は富士見峠に立ったついでに立ち寄って、造り掛けの水ノ木の林道へ出て、世附の林道へ下った。そして長い林道歩き、前述の簡易鉄道が有ったらなあ。
 三十八年の案内書によると、富士見峠を下ったら地蔵平の集落に入る、となっている。古い五万図を見ると学校も有る。
 今訪れると、川の合流する、何も無い寂しい平地だ。学校に通っていた子供達は何処に行ったのだろう。子供の帰りを待っていた親達はどうしてしまったのだろう。多分地蔵平の名前の由来となっただろうお地蔵様が、道より高く祭って有る。何時その前を通っても、花が供えられている。当時学校に通っていた子供達が、今でもお地蔵様をお守りしているのだろうと、私は一人勝手に思っている。
 富士見峠への廃道は二度、藪を書き分け通ったが、今は林道が通っている。それも歩いて見たが、確かに楽だが詰らない。書きながら感じた。私は完全に病気だ、そんな所の林道迄、歩いていたのだ……。
 処で、何であんなに林道を造るのだろう。 (生まれる路、消え行く路 その四へ続く)

2009年5月24日日曜日

休題 その十四

店 022

 

 古い朋友にANが居る。休題八で、ドア横に立って居て反吐の飛沫を浴びた二人のうちの一人で有る。もう一人はKJ、其の時の唖然とした二人の顔は未だに忘れない。ふっふっふっふ……。
 メタボの王様AN、は~どすこい男(失礼!)になって仕舞ったが、昔はキリリとしていた。諸行無常は世のならい、ですなあ。
 ANは柔道三段、それも講道館だった。ANに言わせると町道場の五段には相当するそうで、さも有りなんと思わされたのは、悪ふざけをして居た友人の一人が胡坐を掻いて居たANに襲い掛かった瞬間、一間程飛ばされて大の字に倒れており、ANはすっくと立って居る。
 何時立ったのか、何時投げたのか、見て居たのに全く分からない。目にも留まらぬ早業とは此の事、流石講道館三段と偉く感心し、ANの言葉が嘘では無いと知ったのだ。
 今は無理だろう、体を運ぶだけでも大儀そうなのだから。ANよ、体も身のうち、少し否うんと痩せようよ。(ちっ、読んで無いか)
 ANの御長男の婚礼に招かれて朋友連のYA(前出の一見ヤクザおじさん)、EM、あたし、KJは勤務の都合上代理に奥さんの四人、七年前位だったかな。
 朋友連にはもう一人NBが居るのだが、NBはANの奥方なので、此の日は主催者側で有る。
 何の間違いだろうか、我々のテーブルは新郎側の上座で、同席者は御長男の大学教授と高校の先生。後でANが言うには、「仕事関係は呼ばなかったので」、それにしても釣り合わない事夥しい。白鷺二羽に烏が四羽だ。
 案の定、酒が入った途端四羽の烏が騒ぎ出した。
YA「ね、皆で会社でも造らないか」
EM「会社ねー」
私「葬儀屋だな」
KJの奥方「良いかも知れない。此れから需要が増えるよ」
EM「ご祝儀が付き物よね」
YA「葬儀でもご祝儀ってえのか?」
私「そう、ご祝儀出さない奴には、焼き場で半焼きで引き出してやんだ」
一同「はっはっはっは」
 とてもじゃないが結婚式の会話とは思えない。ずーっとこんな調子で続いたのだ。同席の先生お二人もさぞ呆れた事だろう。ま、仕方無いさ、済んだ事だから良しとしよう。(勝手に?)
 AN夫婦はお孫さんに夢中と見受けられる。あたしなんざ未だ一人も居ないのに、羨ましい限りで有るが、夫婦揃って、は~どすこい(失礼)なので何とか生活を改善して、マトモな人になって欲しいのです。
 ANは昔から温泉好きで、平気で二時間は入って居た。今じゃ三十分で上がって仕舞う。体がもたないのだろう。この侭じゃ年上のあたしが二人の葬式に出席する事になっちまって、順序が狂うので良く無いですぞ。

2009年5月23日土曜日

生まれる路、消え行く路 その二

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 うん、あの尾根は前に歩いたけど、良い所だったよ、ほら、此処も歩いた事が有るんだぞ、とか孫(未だいない)に話せなくなったってだけです。ルートの赤線が付いちゃったら、仕方ない。私の単なる我侭なのです。後戻りはできないのが、世の常である。エントロピーは増大するのみなのだ。
 博士の異常な愛情という映画をご存知ですか?キューブリックの作品。私の大好きな映画の一つなのだが、誰でもが、何とか無くさなければならないと思っている核兵器でさえ、どうする事もできない。パンドラの箱を開けたら最後、もう飛び出た物は戻せない。
 ちなみに説明すると、実際のロシアの核報復システムは、映画のように滅茶苦茶なものでは無く、被核攻撃を探知して、大統領からも参謀総長からも、あとの誰か(軍事大臣だったけ)からも、何の指示が無い時に(詰まり政府と軍の首脳部が全滅した時に)作動する造りだそうだ。
 でも、未だに解除されていないので、安心して人類滅亡を心配して下さい。
 はい、話があっちへ行きました。地図は核兵器ではありませんでした。
 あららら、世附権現山から浅瀬入り口への尾根にも破線が有る!いかん、狙ってはいたが、未だ歩いていないのだ。大野久君に先を越された……。
 権現山へは寺の沢から登った。雨の日だった。増水した滝は、飛沫を浴びるどころではなく、モロに水をかぶって登った。胸のポケットに入れた煙草が、濡れて吸えなくなったのが辛かった。それ以来、タバコとライターはビニール袋にしまい、予備のマッチは二重に包装してしまうようになった。その習慣は後で生きる事になる。(後述)
 大滝峠から屏風岩を越えて二本木峠へも、破線になった。フン、好きにしてくれ、踏み跡が有るとこはどんどん破線になっちまえ。(ま、自棄にならないで)
 増えた路も有れば、消えて行く路も有る。はっはっはっは……。(何喜んでんだか)
 焼山から鳥屋へ下る路は昔はメインルートだった。今は破線に落ちぶれて、やがては地図から消えるのでしょう。多分昔は鳥屋にしかバスが行かなかったからじゃないだろうか。もっとも今は、東野へも一日に数本しかバスが行かないそうで、主脈もやりにくくなったものである。
 高校生の頃、Tと鳥屋へ下った。変なルートで来たので(おいおい、またかよ)林道に降りたときには日暮れが迫っていた。鳥屋の方向は分かるのだが、林道をどっちに行って良いのかが分からない。ウロウロしてたら日が暮れた。幸い給油所のような小さな建物が有ったので、軒下にシェラフを広げて寝てしまった。二人共変なルートで疲れ果てていたのだろう。
 我が家に、心配したTの母親から電話があり、子供が帰って来ないが警察に連絡しようと、言って来たそうだ。当然だ。遭難の(若い人の)多い時代に高校生が二人帰って来ないのだから。 (生まれる路、消え行く路 その三へ続く)

2009年5月21日木曜日

休題 その十三

店 021

 

 冗談映画の最高傑作は、マーズアタックとスターシップ・トゥルーパーズだと勝手に思っている。 マーズアタックに説明は不要だろう。誰が見ても冗談その物で、次女の学校の先生は「何だ、あのふざけた映画は!」と大変なご立腹だった由。
 先生、怒らないで下さい、冗談なんだから。大金掛けて(豪華な出演者のギャラだけでも)ふざけて居るのは立派で、その癖良く見ると大変確り出来た映画なのだ。単なるおふざけとは訳が違う。
 キャラは立っているし、ストーリー展開も自然(?)で、皮肉、エスプリもたっぷりと効かせて有る。と言うより全篇此れ皮肉。
 あたしが一番感動したのは、タイトルバックの安っぽい音楽が流れる中、基地から次々とブリキ細工の様な円盤が浮上し、地球へ向かうシーン。「おー、こう来なくっちゃ」と涙が出る(本当にです)情無さ。
 処で、タイトルで涙が滲んだのはあと一作有って、此れがスターウォーズ。あの宇宙空間に流れて行く、ロングロングアゴーから始まるオープニング、それで泣かされるあたしゃあきっと馬鹿なんでしょう。(ひょっとして鋭い感性?違う!と叫ぶ声が聞こえる)
 スターシップ・トゥルーパーズを冗談映画だと言うと異議が出そうだ。飽くまであたし流の解釈なので、此処は堪えて下さい。
 機動歩兵が主役だが、何処が機動歩兵なのだろう?確かに星に下りる迄は機動力が有るが、後は走っている。武器を手に唯々走る。
 現在の機動歩兵でも、戦闘兵員輸送車か装甲兵員輸送車で移動し、会敵して下車戦闘に移るのだ。あれでは丸で大東亜戦争の日本兵で有る。
 おまけに、本日の戦死者二十万(だったっけ?)と来ては笑うしかない。あれ程科学の進んだ状況で生身の歩兵を走らす必要は全く無く、空爆や特殊無人兵器で戦えば至極簡単に事は済むが、それでは描きたい事が描けないので、ああせざるを得ないのだろう。
 ね、冗談映画でしょう?
 誤解無き様お願いするが、あたしゃ二作共大好きでDVD迄買って仕舞った。
 世に言う冗談映画は、殆どがおちゃらけ映画で、此の二作の如く本気に力一杯造ったとは思えないし、此の二作の如く物を鋭く見据えているとも、とてもじゃ無いが思えない。マーズアタックとスターシップ・トゥルーパーズが物を鋭く見据えてるって?あたしにはそう見える。但し、相当捻りを効かせて居る。
 疑問を持たれる方は他の冗談映画と見比べると良いかも知れない。そうねえ、ゴーストバスターズとか、エボリューションとか、MIBとか、何でも良いや。
 成る程、確かに違うぞ、と思って貰える事請け合いです(パーハップスです)。

2009年5月19日火曜日

生まれる路、消え行く路 その一

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 新しい地図を買って来たのだ。えっへん。君子豹変す、と言うでしょう。勘違いが多いのは、君子と思ってた人が突然悪人に変わると言う意味だと思っている事。違う、君子は豹の様に素早く己を改めるという意味なんです。大人(たいじん)虎変(こへん)す、と言うのが君子の上で、小人その表(おもて)を改める(詰まり改めた振りをする)、と言うのが、一番下にある。そう、私なんざその、表を改める、の口です。事実だけに、残念ですなあ。(忸怩たるものが有ります)
 前章で反省して、改めるには憚り無し、早速買いました(ま、此の件だけは君子の行動ですな)。執筆者は大野久氏、本来写真家だけあって、付属の小さな案内書の写真も偉く素敵である。どうして私の撮る写真と、こんなに差があるんだろう?(あのねえ、腕の差だって!)
 地図を開いて驚いた。路だらけで、真っ赤になっており、ポイント説明も克明である。大山北尾根も路(破線だが)になった。後で触れるが、懐かしい尾根なのだ。
 何と、辺室山にも路ができている。確かに前から路は有ったが、はっきり記入されたら、辺室山は唯の蛭の多い低山になってしまって、ロマンが失せてしまう。あんまりだ。
 おお、ユーシンから臼ヶ岳への尾根にも、破線が付いてしまった。私の勝手な好みで言うと、そっとしておいて欲しかったのだけど。全く、しようが無いなあ。
 大界木から鳥ノ胸山(とんのむね)へもルートができちまった。確かに前から踏み跡は有った。入り口が不明で、隣の尾根に入り込み、ごそごそと正しい尾根に這い上がった事があったが、今では入り口もはっきりしているのだろう。お、こんな尾根の先に、路も無い変わった名前の山が有るぞ、是非行こう!と思う人の楽しみは、これで奪われてしまったのだ。大野君、変わり者の恨みを買うぞ。
 ややっ、大野山から秦野峠へも破線が有る。ブッツェ平を越えて峠へ向かう時は、ルートを外さず辿る楽しみでワクワクしたものだが、これからの人は、その楽しみは味わえないのだ。とてもお気の毒です。(え、気の毒じゃないって?)
 秦野峠の林道も完成して、遠い峠だという印象は消え失せてしまった。峠に辿り着けずにすごすごと引き返した私は、丸で阿保になってしまう……。
 その秦野峠からシダンゴ山へも破線が……。路ができたら、一応独立峰扱いされていたシダンゴ山が、唯の尾根末端の低山に落ちぶれてしまうじゃないかさあ。それじゃ余りにも哀れだ。
 金山谷ノ頭から広河原へも破線が付いてしまった。マイシークレットルートだったのに。こんな所を好んで通る奴は、放っておいて欲しいよ。詰めに一ヶ所ザレっぽい所が有ったが、整備されちゃったんでしょうなあ。
 これは決してケチを付けているのではないのだ。できてしまった路は仕方ない。私が勝手に寂しがっているだけだ。(でも、どこかで私に会ったら背後に気をつけた方が良いですよ大野君、ふっふっふ……) (生まれる路、消え行く路 その二へ続く)

2009年5月17日日曜日

休題 その十二

店 020

 

 十一の続きなので、嫌いな方はスルーして下さい。
 その十五で突然カルタゴの故事を出されても困ると言われても困るので、簡単に説明すれば、フェニキア人の子孫が現在のリビアあたりにカルタゴという国を創り、ローマ帝国と地中海の覇権を争った事が有った。
 ハンニバルって名前はご存知でしょう?カルタゴの将軍で冬のアルプスを越えてローマに迫った男。迎え撃つローマ軍は八万二千の正規兵、ハンニバル軍は五万の寄せ集め軍。
 カンナエで激突したが、未だに各国軍事大学(日本なら旧陸軍大学)で必ず学ぶカンナエの殲滅戦、数に劣るハンニバル軍の完全勝利だった。それ以来欧米ではハンニバルの名は忌むべきもので、羊達の沈黙の超悪役もハンニバル・レクターなのではないだろうか。
 カルタゴは良いとしよう。
 テリー・伊藤なんざ訳の分からん奴だと思っていたが、何処かで「我々は加害者なんですよ、被害者面は変だ」と言ってるのを読んで見直した。詰まり彼は、日本人の享受している(世界的に見れば、滅茶苦茶に)豊かな生活は、貧しい諸国の犠牲の上に成り立って居る、との意見で全く異議無し!分かってるね、見直したよテリー君。
 憲法の前提は諸国民の善意に期待し、だったっけ?似た様な文句だ。でも、其の前提は本当に正しいの?
 東アジアに限れば、何処も(中国、南北朝鮮、『除台湾』)日本を友好国と扱ってはいない。日本の教科書には抗議をするが(おいおい、其れを内政干渉って言うんだ)、自国の教科書なんざ反日一色、有る事(此れは仕方無い)無い事(此れが困る)書き放題。日本の政府もマスコミも、揃って羊達の沈黙。
 で、ノドンを何百基も並べて日本に標準を合わせて居る現実が有るのだし、場合に依ったら核搭載も有り。どうしよう?
 我が国が唯一台風に襲われた国と(無理にでも)考えよう。貴方は、二度と台風の被害は起こしません、と祈る人ですか?それとも台風が来た時の為に堤防を築き、遊水地を造り、防備体制を整えようとする人ですか?
 はっきり言って、祈る人はいらない。堤防の強化に手を貸してくれる人が欲しい!
 何故諸外国の様にビルに核シェルターを造らないのだろう?先進国(含中国)では法制化されて居るらしい。
 広島、長崎こそ、完璧なシェルターを造るのが道理では無いのだろうか?放っておいてくれ、余計なお世話だ!そう言われりゃ沈黙。
 核兵器は政治的兵器となって(長距離ミサイルが有るので)、使えない兵器となったのはその通りだが、戦略でなく戦術面で言うと、恐ろしい事に核保有国は核を威力の大きいウエポンの一つと認識しているのだ。
 首領様もそう思っているかもですよ。やり様に依っては核の被害も最小限に抑えられる事を、自由に話せるべきだと、思います。

2009年5月16日土曜日

閑話 その二十一

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 メイ・ストリームという奴が有る。文字通り五月の嵐で、急速に発達して通り過ぎる低気圧のなせる業なのだが、連休中に襲って来て大きな遭難事件を何度も引き起こしている、恐るべき自然現象で有る。
 大昔、白馬(はくば、で無くしろうまです)で五、六人の死者を出したのもそれ。装備劣悪の時代には、此れにバタバタとやられた。当時は未だ富士山にレーダーは無く、天気予報も余り当てにならなかった。
 当時の確りしたパーティには気象係りが居て、テントの中で気象概況を聞きながら天気図を書き上げる。例の「石垣島では南東の風、風力3、晴れ、1006ミリバール」です。
 因みに我が零細山岳会「山浪」には、気象係りは存在せず、空を見上げては、「まあ、良かんべさ」といったおおらかさ。(と言うより、おろかさ?)
 二昔半前、四月末に爺ヶ岳へ登って、と言っても夏道は雪の下だから南尾根を直登する訳だが、雪のひだが有って結構苦しんだ。
 閉まっている冷の小屋横で幕営、夕から風雨となって朝を迎えたが、残念ながら未だ風雨治まらず、一人で憂鬱に考える。此の日の予定は針の木岳だった。
「駄目だな。停滞するか……」
 風が天幕を揺する。
「明日も駄目かも知れない。今日降りるか。でも、爺に登り返すのも嫌だなあ」
 それ程風雨は強かった。停滞も嫌、風雨の下山も嫌、To be or not to be.不細工なハムレットで有る。
「ま、どっちにしろ、もう暫く待とう」
 こう言う時の自問自答には切ない物が有る。
 寂しくコーヒーを飲んで居ると鳥の鳴き声、風雨が急に弱まった気配に、天幕から顔を出すと、お!雨は止み雲に切れ間が出来ている。
 焦った。何故でしょう?
 詰まり、行動可能となった以上は一刻も早く行動を起こさなければ、又悪天候が来るかも知れないから。
 凄い勢いで天幕撤収、歩き始めた時は晴れだった。右下に黒部ダムを見ながら稜線を辿る。晴れて居るのは有り難い、道は無くとも(雪なので)迷う事無く針の木の冬季小屋に着きました。勿論此の山域は私一人が歩いただけで一人占め、シメシメで有る。で、何と無く幕営せず無人の小屋に入ったのがラッキーだったのだ。
 夜からメイ・ストリーム、小屋は揺れ、壁の板の僅かな隙間から、雨が飛沫となってシャワーの様に吹き込んで来る。小屋ごと飛ばされると思える一夜だった。幕営なら間違い無く天幕ごと吹き飛ばされていただろう。
 翌朝は風雨少し弱り、一気にブロック落下の痕跡だらけの針の木雪渓を走り下りました。のんびり下る場所、状況では無かったので。
 ダラダラと思い出話、五月真っ盛りなのでやっちまったのです、ご容赦。

2009年5月14日木曜日

休題 その十一

 核兵器の話なので、嫌いな方は此の章を飛店 019ばして下さい。
(あたしだって、好きな訳じゃ無いんです)
 非核三原則、持たず、造らず、持ち込ませず、だったかな。ま、似たような処だろう。
 持ち込ませず、は欺瞞其の物、嘘八百だとは皆の知る処だが、臆面も無く政府は言い続けていて、咎められる事も無い。やーい、政府の嘘つき!
 日本で良かった、中国ならヤフーかグーグルにちくられて、あたしゃあ即逮捕。北鮮なら良くて強制収容所、悪けりゃ銃殺。
 非核三原則を守ろうとすれば、安保を破棄せざるを得ないので、嘘をつくしか無い。安保破棄は、あたし的には当然考えても良い事柄なんだけど。
 非核三原則なんて甘い、今は非核四原則、議論せず、が加わる。つい此の間、核武装に触れた閣僚が詰め腹を切らされたが、言論圧殺は文明国としては恥ずべき事で、戦前の日本と何ら変わる処が無い。山本夏彦氏の言う通りで、「此の戦時下に派手な服を着て!」と叫んだ国防婦人会と、「戦争に備えるなんて飛んでも無い、戦争をしたいの!」と叫ぶ平和団体とは全く同じ人。
 日本は唯一の被爆国なのだから、再び(三たびかな)被爆を避けるのは当然ながら、被爆した時の備えを考えて実行するのが、正しい行動だ。え、被爆は有ってはならない、そういう考えが平和を乱すだって?
 明けましておめでとう御座います。貴方様のご多幸をお祈り申し上げます。
 テポドン発射で大騒ぎをしたが、あれはアメリカへのメッセージで、日本へは百基から二百基のノドンがそれぞれ目標を定めてスタンバっている。東京、大阪、名古屋、仙台、博多、札幌、そして広島と長崎、ETC。
テポドン程大掛かりじゃ無いので、手軽に発射可能。下手すると、ノドン搭載可能な小型核爆弾も持っているかも。最悪でしょう?
北鮮の高官が日鮮会談で、二度程「広島に又原爆を食らわせてやろうか」と凄んだ由。
何で広島県人は怒らないのだ?此の過ちを繰り返しません、と言うからには繰り返しちゃあ駄目なんで、「ふざけた事を言うなら、徹底制裁だ!」と来るのが当たり前でしょう?
 平和が一番、原爆が郷土で破裂なんざあ真っ平と考えるのは当然で同感だが、国際関係には必ず相手が有って(戦争は国際関係其の物なのだ)、自分だけが反省して(何を?)波風立てなければ平和が守れるのでは決して無い事は、歴史が証明して居る。
 カルタゴはローマと和平を結び、莫大な献上金と人質を差し出し平和を願ったが、カルタゴを滅ぼすと決めたローマは、有りとあらゆる難問を突きつけてカルタゴを追い詰め、やっとローマの本心に気付いたカルタゴが、ローマに闘いを挑んだ時は既に手遅れ、滅んで仕舞った故事を思い起こすべきです。
 続きは休題十六で。

2009年5月12日火曜日

デートコースは雲の上 その四

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 頂上で次女がおしっこと言う。下でして来いと言って行かせた。済みません、私は古いタイプなんで、未だに野蛮な気風を持っているんです。滅びゆく種族なので、大切に見守ってやって下さい。だって、出物腫れ物処嫌わず、なのです。(死語の世界?)
 次女は使用済みのティッシュを持って戻って来た。山にゴミを捨てちゃ駄目と言ってあったからだ。
 はっはっはっはっは……。笑ってしまったが、今思えば、次女の行為は正しかったのだ。ティッシュは溶けない。何処の山小屋でも今では、ティッシュは別に集めて焼却するようになっている。勿論そのティッシュはゴミ袋に放り込んで、次女をほめてやりました。
 鍋割も何時でも混んでいる。或る時一人でコーヒーを沸かしていると、ぞろぞろと山馴れない(と見える)団体が上がって来、あちこちに座り込んだり、寝転がったりして喘いでいる。何だ?どうした、と山ヤジ馬の私は興味を持つ。
A「ハアハア、部長は?」
B「……だいぶ下だって」
C「ハアハア、大丈夫なのか?」
A「係長は」
B「もう行ったって」
 皆さん読めましたね。どこかの会社のどこかの部の、レクレーションの幹事が山好きで、部の皆さんが偉くひどい目に会ってるんだと。はっはっはっは……。こういうのは大好きです!どんどんやって下さい(但し事故が無ければだけど)。
 私が社内旅行の幹事を命じられた時、(命じる人間が間違っている)上高地を選んだ。だって、社内旅行と言いながら、幹部の皆さんの目的はゴルフなのだ。じゃあ勝手に行けば良いだろう、止めないから。だから、ゴルフができない上高地にしたのさ。フッフッフッフ。幹部以外の皆さんには大好評の社内旅行でした。
 でも、流石に私も会社の人間を鍋割に引っ張っては行かない。余程ハチャメチャな幹事だったのだろう。大きい声では言えないけど、事故さえ無ければ面白い企てだ。一寸と危ないけれども。
 たとえば部長が急に体調を崩し死んじまったとする。寿命ですな、と平然とできれば良いけど、そうは行かないだろう。生活習慣病です、自業自得ですよ、ははははは、とは、私は言えない。勇敢な幹事君、君のやった事は、私は大好きだけど、気をつけ給えよ。
 鍋割りで夕日を見た事が無い。と言う事は一度泊まった事が無いのだ。我ながら驚いた。そう言えば、紅葉でも新緑でも雪でも、常に昼間だった。
 朝日も夕日もさぞ見事だろうと想像するのです。

2009年5月10日日曜日

山の報告です その三

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 二の続きで、写真も無関係で失礼。
 ラッキーにも大岩に沿って雪が細々と残っており、其れをビクビクと踏みつつ大岩通過、少し行くと鞍部が見える、やったー!と雀躍りしたいが、バテて居て踊れない。「Y、見えるか、あそこが西沢ノ頭とジャンクションの間の鞍部だ、テントを張るぞ」。
 既に十五時半を回っていた。Yはよろめきつつ、気の毒にも、たまに腿迄雪に突っ込み乍ら鞍部へ向かう。
 腿迄雪に突っ込むと言うのは、雪の下には空洞が出来て居る事が有り、其処へ体重が掛かるとズボッと踏み抜き、動きが取れなくなる事だ。酷い時は、爪先が枝や笹の下に入り込み、ピッケルで掘り出すのも一苦労なのだ。楽しいので是非一度やって見ましょう。
 あたしはすっかり安心した。現在位置が明白になった以上は、喩え明日から視界を失っても、地図と磁石を頼りに苗場スキー場のピークの筍山には着けるし、後はスキー場を下れば良いのだから、無事に帰れるのは確実だ。
 翌四日も幸いにも視界は利いた。ジャンクションを越え燕山を目指すが半分近くは薮だ。
 あたしの靴はプラブーツなので雪には強いが薮には弱い。第一プラブーツは薮を突破する事を想定していない!従ってメーカーが悪いのでは無い。嫌なら地下足袋で登れば良いのだ、天候が悪化すれば足の指が落ちるけど。
 全く曲がらないのでスキー靴で山登りして居ると思えばほぼ正解。大変かって?当たり前だ!特に苦しむのが笹を登る時で、何故かと問われれば答えましょう。
 冬中雪に押しつぶされて居た笹は皆下向きに地べたを覆って居る。プラブーツはツルツル滑るだけなので、両手で掴んだ笹を頼りに歩を進める(腕を進めるかな?)。泣きたくなるが、意地でも泣かないもんね。
 燕山を越えて右が岩稜、足元は傾斜した笹床を通過した。「Y、右方注意」と言ったあたしが見事に滑った。畜生、プラブーツの馬鹿!
 フッフッフ、其処で滑落して葬式ってなヤワな親父じゃ無い。尤もそうだったら此の文は書いて無い訳か、威張るだけ野暮でした。
 確り両手は笹を掴んで居たので滑落は無し、(それは残念だって?誰だ!)丹沢の薮歩きは無駄では無かったのだ。唯立ち上がるのに偉く苦労をしちまった。足元はツルツル、頼るは掴んで居る笹のみで足掻くが駄目。Yが大丈夫?と聞いてくれるが、「助けて」と言ったらあたしの沽券に関わる。
 見栄?ピンポーン、見栄です!
 男は見栄と痩せ我慢、其れ捨てちまったら何が残るの?貴方がどんなに金持ちでも、OILが入って来なくなった瞬間お札は紙切れ。
 何言ってんだか分かんなくなったので話を戻すと、あたしゃあ何とか立って筍山に着き幕営出来て目出度い。
 翌日はスキー場を下ってバス停に向かうのだがYはやっと辿り着いた様で気の毒。良いのさ着けたんだから、他に何の望みが有りますか?
 越後湯沢で飲んだビールの美味さは分からない人には分からない!
 来年リベンジを誓います。

2009年5月9日土曜日

デートコースは雲の上 その三

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 いやー、皆さん動けず燕に停滞、或いは私の様にコースを変えてやって来るパーティで超満員、色取り取りの、見事な天幕村でした。私は、その如何にも落っこちそうな、雪の端で暮らしたのだ。あぶねえあぶねえ。
 天幕を張ったら、雪を取らなければ水が作れない。で、コッヘルの蓋で雪を取って、一寸っと置いたら、蓋が、すと動いた。え、と思う間もなく、雪を乗せた蓋が滑って行ってしまった。燕沢に、さーっと滑って見る見る消えて行った。新品だったあの蓋にはもう二度と会えないのだ……。
 それから二十数年、アルミ鍋の鍋蓋を、コッヘルの蓋にしている。全然不自由を感じた事は無いもんねー。私の装備は大体安物か、やけに年季の入ったものか、間に合わせ物だ。それでも立派に使いこなして冬山でも何とかやっている。(何威張ってんだか)
 Kは違う。安物以前で話にならない。たとえば、リュックは非常持ち出し袋。
私「何だ、それは」
K「おう、安かったんだ」
S「そんなの使えるのか」
K「充分だよ」
私・S「……」
 それで、案の定安物の持ち出し袋の負い紐が切れて大騒ぎする。何時でもそれだ。“安物買いの銭失い”、以前の事だ。“違う物買いの困り者”。大体持って来る物が間違っているのだ!
 滅茶苦茶なNに連れられて行った前述の冬山。Kの重いザックにはエアーマットが入っていた。え、海水浴か?その上、空気が漏れるのだ。間違えている奴はひどい。人に迷惑かけっぱなし。Kが、おう、大変だ、と叫ぶから(叫ばなくても、大変だと分かる)、ザックでも、予備セーターでも、スパッツでも、何でもかたっぱからKに敷かせて、事なきを得た。本当にKには……。
 S夫婦、Kと塔には寄らず、金冷やしから左に折れて鍋割へ向かった事が有った。大丸に取り付く迄思いの外下らされる。Kが文句を言う。
K「おう、大塚、何でこんなに下るんだよ」
 一瞬絶句し、何で下るかを考えてしまった愚かな私。
私「そうなってんだよ!」
 地図の話は、まあ、そんな奴の仲間なんだなと、思って納得して下さい。
 鍋割に次女を連れて行った。小学生の低学年だった。新緑が鮮やかな頃。馬鹿な父親は、後沢乗越への道を失って(え、どうすれば失えるの!!!)、強引にボサを分けて尾根路に出たのだ。原小屋の水場で迷った人を責められなくなっちまった……。

2009年5月6日水曜日

山の報告です その二

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 ただ今。昨日(五日)帰って来ました。
 写真も無いので、今回とは関係無い上越の写真でご勘弁下せえ。
 白砂山と稲包山をやる積もりで、一日の夜越後湯沢に入って駅の外で寝て、一番のバスで苗場プリンスへ、其処から小一時間歩いた西沢出合いから右岸の尾根に取り付いて、楽しい春山が始まった訳なのだ。嗚呼……。
 嫌な予感は有った。毎年ならバス通りだって日陰には雪が溜まって居るのだが欠片も無く、見える低山が皆黒々として居るのは初めての事で、ひょっとすると藪に苦しむかな。
 出合からは唯々藪、でも其れは何時もの事だが、普通は十~二十分で雪となる。処が一時間たっても藪、二時間たっても藪、其の内石楠花こぎも始まって、笹と樅と石楠花をガサガサ掻き分け何時果てるとも知れぬ苦労。思わず(?)俺は幾つ迄こんな事をして居るんだと思う始末。
 一応説明すると、普段の五月初めなら或る程度の藪なら雪に埋まり、埋まらない薮や樹林は尾根の左右に残る雪面を歩けるので、何でも無いのだ。其れが今年は無い!
 此の日はセバトノ頭迄との予定だったが、夢の又夢、やっと雪の小ピークに立った時には十四時半を過ぎており、しかもあたしもYもクタクタのボロボロで設営。
 二箇所でサブザイルを使用したが、雪が有れば単なる雪壁で登れるものを、岩、土、枯れ木のギャップと来ちゃあ20Kgのザックを背負って登るのは無理で、空身で登ってザイルを下ろすのでやけに時間を食う。
 ピ-クで薮の間から先を見ると黒い三角ピークが二つ重なり其の先に白い山。は~、とうんざりするのはあたしだけじゃ無い筈で、きっと貴方も溜息を吐きます。だって明日も藪が待って居るんだから、楽しみでしょう?
 で翌日、流石に雪が増えて初日程の苦労が無くなったのは御同慶の至り。雪を拾い乍ら極力薮を避け、一つ目の三角を巻き二つ目の三角へ登り続けると大岩が行く手に聳え、左へ回れば岩に当たらないだろうと雪と薮を交互に登り目出度く大岩は遥か下、万歳!
 それがですよ、頼みの雪が切れ其の先は樅、石楠花、笹が密生し枝を絡ませ断固我々の侵入を拒否して居るのが一目で分かる。試みなくても完璧に分かる。
 Yを残しあたしゃあ空身で小一時間偵察に歩き回った、枝を掻き分け木を跨ぎ登ったり下ったり行ったり来たり、結論、此の先は無い。戻ってYに宣言「結論は此のルートは前進不能、目的を切り替え白砂山は捨てて無事に帰る事を最優先する。大岩の下迄下って右から巻いて見て、其れで駄目ならバックだ」。
 Yにも嫌も糞(失礼)も無い。唯大岩の下迄降りるのは内心悲しかっただろう。一生懸命登って来たのだから。仕方無いんだけど。
 大分下ってから右にルートを変え登る。あたしゃあ出来たらバックは嫌だ。完敗になっちまう、乾杯なら文句無いが完敗は避けたい。
 Yも登って来た嫌な所を下るのは、矢張り嫌な様だ。ヒヤヒヤして登って来たもんね。
 長くなったので、続きは報告三で。