2009年5月23日土曜日

生まれる路、消え行く路 その二

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 うん、あの尾根は前に歩いたけど、良い所だったよ、ほら、此処も歩いた事が有るんだぞ、とか孫(未だいない)に話せなくなったってだけです。ルートの赤線が付いちゃったら、仕方ない。私の単なる我侭なのです。後戻りはできないのが、世の常である。エントロピーは増大するのみなのだ。
 博士の異常な愛情という映画をご存知ですか?キューブリックの作品。私の大好きな映画の一つなのだが、誰でもが、何とか無くさなければならないと思っている核兵器でさえ、どうする事もできない。パンドラの箱を開けたら最後、もう飛び出た物は戻せない。
 ちなみに説明すると、実際のロシアの核報復システムは、映画のように滅茶苦茶なものでは無く、被核攻撃を探知して、大統領からも参謀総長からも、あとの誰か(軍事大臣だったけ)からも、何の指示が無い時に(詰まり政府と軍の首脳部が全滅した時に)作動する造りだそうだ。
 でも、未だに解除されていないので、安心して人類滅亡を心配して下さい。
 はい、話があっちへ行きました。地図は核兵器ではありませんでした。
 あららら、世附権現山から浅瀬入り口への尾根にも破線が有る!いかん、狙ってはいたが、未だ歩いていないのだ。大野久君に先を越された……。
 権現山へは寺の沢から登った。雨の日だった。増水した滝は、飛沫を浴びるどころではなく、モロに水をかぶって登った。胸のポケットに入れた煙草が、濡れて吸えなくなったのが辛かった。それ以来、タバコとライターはビニール袋にしまい、予備のマッチは二重に包装してしまうようになった。その習慣は後で生きる事になる。(後述)
 大滝峠から屏風岩を越えて二本木峠へも、破線になった。フン、好きにしてくれ、踏み跡が有るとこはどんどん破線になっちまえ。(ま、自棄にならないで)
 増えた路も有れば、消えて行く路も有る。はっはっはっは……。(何喜んでんだか)
 焼山から鳥屋へ下る路は昔はメインルートだった。今は破線に落ちぶれて、やがては地図から消えるのでしょう。多分昔は鳥屋にしかバスが行かなかったからじゃないだろうか。もっとも今は、東野へも一日に数本しかバスが行かないそうで、主脈もやりにくくなったものである。
 高校生の頃、Tと鳥屋へ下った。変なルートで来たので(おいおい、またかよ)林道に降りたときには日暮れが迫っていた。鳥屋の方向は分かるのだが、林道をどっちに行って良いのかが分からない。ウロウロしてたら日が暮れた。幸い給油所のような小さな建物が有ったので、軒下にシェラフを広げて寝てしまった。二人共変なルートで疲れ果てていたのだろう。
 我が家に、心配したTの母親から電話があり、子供が帰って来ないが警察に連絡しようと、言って来たそうだ。当然だ。遭難の(若い人の)多い時代に高校生が二人帰って来ないのだから。 (生まれる路、消え行く路 その三へ続く)

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