2009年5月30日土曜日

生まれる路、消え行く路 その四

FH000008

 

 処で、何であんなに林道を造るのだろう。治水工事の為?それは分かる。林業の為?成り立つのだろうか?山仕事は、年寄りしかしないと聞いているし、現に山仕事場で珍しく若い人間を見かけると、決まって営林署の監督なのだ。
 まさか、林道を保守する為に林道を造るのでは無いでしょうね?知っている人がいれば教わりたいです。山を削って自然を痛めつけ、それでも必要な植林と林道なのかをです。
 話が飛んでしまった、戻ろう。昔の人はタフだ。地蔵平からは二本木峠を越えろと書いて有る。詰まり峠を三つ越えろと、それも平然と書く。
 昔二本木峠を越えた時は、結構荒れていた。もっともっと昔は普通の峠道だったのだろう。だって今では、仕事車は皆大又沢の林道を通るが、当時は歩いて二本木峠を越えて地蔵平に入っていただろうから、当然良く踏まれた峠道だった筈だ。
 金山谷の頭から南に下る尾根の黒破線も、桧洞沿いの黒破線も、完全に消えた。両方共昔々の檜洞丸へ登る定番ルートだったのだ。当時は車を使う時代では無い。雨山峠を越えてユーシンに入るのが普通だった様だ。南アルプス並みに前山越えが有った訳ですなあ。金山谷の頭へのルートについては、後の章で触れます。
 大棚ノ頭から、西丸、東丸を下る路(昔々も黒の破線だった)も消えた。これは一度試みて失敗、沢に追い落とされてしまった。沢を下って林道に這い上がったら、銃を持った男が立っていた。
男「危ないな、撃つところだったぞ」
 危ないのはお前だろう、馬鹿!ハンターは自分の楽しみで、鳥や獣の命を奪う。まさかマタギじゃなかっただろう。マタギは生活の為なので仕方ないが、ハンターはどうしても好きになれない。決まって目つきも悪いのだ。(ハンターさん、読んでないですよね?ふん、読んでっこ無いって)
 日高から三角沢ノ頭を通ってオバケノ沢へ下るルートも消えた。黒い破線の頃に一度下ったが、変化の有る楽しい下降路だった。最後は滑(ナメ)を下って行く。アドベンチャーだなあ、という感じで、大いに喜んだものです。
 てな事で、消えた路を古い地図から探し出し、それを辿るという楽しみが、変わり者達には出来た訳で、目出度いと言うべきでありましょう。
 一つ残念なのは、新しい地図が五万図になって仕舞った事だ。前は四万図だったので、割とヒダが読めた。五万図では全くヒダは読めない!
 そしてまたまた困るのは、鉄塔の記載が無くなった事(本当に困る)。ルートを定めるには、鉄塔は完璧な目標物だったのだ。仕方が無い、久し振りに二万五千図を買いに行かねばならないが、ま、その位良しとしましょう。物好きに迄付き合っていたら、昭文社も経営が成り立たないもんね。

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