済みません、前章は冗談なのだが、思いの外長くなったので、章として生かしてしまいました。(ぺこり)
丹沢の東に山が有る(変な言い方、丹沢の山なんだから)。大山から大山三ツ峰を経て、土山峠で繋がっている。昔は南山と呼んだそうだが、丹沢の南に位置しているからではないだろう。大体からして、東北に位置しているのだ。何処の南なんだろう?
丹沢山塊の東に、くっついているように見える山々であり、新幹線の車窓からも、それと良く分かる。最近はメジャーになった。宮ヶ瀬湖ができから。従って路も良くなり、展望台も造られている。小田急のパンフレットでも紹介されるようになった。
昔はひどかった、それはそれはひどかった。高校の頃Tと登った。バスを降りても取り付き口が分からず、土地の人に聞いて、教わった山道に分け入った。コースは経ヶ岳から仏果山だ。
因みに当時の其のあたりの人は完璧な“だんべ言葉”で聞き取るのが一苦労だったのだが、今は標準語のみである。隔世の感が有るとはいえ、一寸と私には詰まらないのだ。
藪っぽい路が続いた。大した藪ではなかったが、私の装備が悪かった。半袖に短パンだ。常に引っ掻かれながら歩くのだ。痛かったかって?当たり前だ!経ヶ岳から仏果山もボサっぽい。唯々痛い稜線歩きで、景色なんざ記憶のかけらも無い。下りも唯々痛いだけだった。Tは長袖長ズボン、いかにも痛くなさそうで羨ましい。
帰宅して風呂に入って驚いた。両手両足、ミミズ晴れが折り重なり、合間にしっかりした傷が走っているのは、棘に引っかかった痕だろう。手足共に腫れ上がり、その夜から熱迄出てしまったのだ。傷跡は、確りと三月は残ったという間抜けな話。
余計なお世話でしょうが、マイナーな山に行く時は、長袖長ズボン、軍手も必携品。さもなくば、ひどく忘れ難い思い出の山になってしまうのだ。フッフッフッフ……。
それから三十年近くたって、S、Kと出かけた。奇しくも同じルートだ。な、何と、藪なんて無い。何処にも無い。道標迄しっかり完備、あの苦労をどうしてくれんだよう!半袖短パンでも充分歩ける立派な路になっていた。メジャーになると、世の中が変わるのですなあ。
半原越に来たら、クマン蜂が数匹唸りを立てて飛んでいる。怖いよ本当に。蜜蜂の十倍位の大きさなんだ!(そう見えた、へっへっへ臆病なので(恥))クマン蜂の飛行という曲が有るが、私が作曲家なら、もっと恐ろしげな曲にするに決まっている。
私とKは立ち竦んでしまった。だって、一度刺されてもOKなのだが、二度目には、一回刺されて出来上がっている抗体が反応して、死ぬのだ。(何の為の抗体だろう?)尤も、そんな事は無いという説もある由だが、例に依っての無精者の私、調べもしないので分からない。 (ハエの話? その二へ続く)