2020年11月30日月曜日

閑話 その三百四十

 


 十七時には寝る。異常な世界が常態になってしまいましたなあ。夕飯の仕度を始める時間でしょう、普通は。何時からこんな習慣ができたかのかなあ。忘れてもうただw

 Yは例に依って、即グーである。一、二、グーだから恐れ入る。何時でも即座に眠れる、何時でもパクパク食べられる。最強の登山者の資格持ちだが、エンジンと空冷装置に難があるのだ。残念!

 そして二十時頃にはろくに寝られなかったあたしが起き上がる。で、夜の宴会だ。結構飲んだ。二十二時半位迄だが、完全にフラフラになって、小用をたすのも大変だった。

 翌朝は曇り。さっさと食事を済まして七時には出発。何せあの嫌な所が待っている。やがて其処に着き、そろりそろりと下る。大昔にYと幕営具を背負って下った事がある場所なのだ。その時は何の問題も無く下った。道はもっと悪かった筈だ。踏み跡程度だったのだ。筋力とバランスが衰えてるので、嫌な所になっちまったと言う事。この下りでYは相当筋肉を酷使した。段差の大な下りなのでね。その結果がどうなるかはお分かりですよね。

 鐘撞き山には着きました。後は小一時間も下れば車が待っている。標高600mだが、標高差は300m一寸とだろう。チョロいもんだぜ、普通はね。あたしらは普通じゃなかったのだよ。

 登りの逆だから直登の逆の直降から始まる。これでYの痛めつけられていた筋肉が止めを刺された。凄く気の毒である。

 膝が笑うを通り越した状態となった。下り始めて十分程でだ。膝を曲げて降りれなくなったのだ。じゃあどうすんだ? ストックを思いっ切り突っ張って、やっと足を降ろす。段差が無ければ問題無い。でも直降だから段差の連続である、それも割ときつめに。

 さて、倍の時間でも駄目だな。兎に角下り切れば良いのだと覚悟した。(続)

2020年11月26日木曜日

閑話 その三百二十九

 


 前回Yと山に行ったのは一件屋避難小屋を目指し乍らも、十人からの大沢登りパーティを見て避難小屋に泊まると決めつけて、歩き始めて三十分にして幕営したので、山に行ったとは勘定できない。依って今回の大室山は、Yにとっては一年半振りの山行だったのだ。

 三連休の最終日の二十三日、自粛なんざ知らねえよってな塩梅で町田で合流、車で神ノ川へと入る。と、通行止め、歩行すら禁止になっている。柵は歩行者も遮断する為か、横に大きく張り出している。突破はできるが、そこ迄の気も無い。

 丁度鐘撞き山の登り口だ。撞き山に登って稜線伝いに何時もの三叉路へ行き、其処で幕営としよう、大室山へは遠すぎる。

 カメラは持って行ったが、そんな塩梅なので撮るものも大して無く、唐松の黄葉なぞもあったがその時は写真処ではなかったので、アップした写真は無関係なものです。

 鐘撞き山の登りは植林帯のダラダラが続く。こんなんで良いのけえ、と思っていると直登になって、ひょっこり頂上に着く。行手に稜線が立ちはだかり、Yは「屏風じゃないか」なぞとのたもう。予感があったのかな?

 登り始めはまあ良い。緩みがあってからの登りに、長くはない区間だがザラザラな急登があって、根っ子や岩角を頼りに登り乍ら、ここを下るのは嫌だなと思っていた。

 其処を越えれば唯登るのみ。どうしてもYは遅れる。あたしは振り返って待つ。従って汗一つかかない。Yも頑張ってるのだが、一年半のブランクは大きいってこってす。

 それでも十三時には三叉路に着いた。丁度四時間かかった。早速テントを張る。前穂の時のツェルトと何と違うんだ! 丸で豪邸である。アライの三、四人用は最高ですぞ。

 テント内を整理したら先ずは乾杯、まあ、書く迄もない決まり事なんだけどね。この為に登って来た、とも言えるんだから。(続)

2020年11月22日日曜日

休題 その三百三十七

 


 あーあ、やっちまうだな。GOTOトラベル見直し、地域に依り一時中止だそうだ。武漢肺炎の患者が増えたからだそうだが、GOTOトラベルの所為ではあるまい。実施時期の利用者四千万人、感染者は百七十六人だ。これって、無関係って事だ。

 その無関係な物を何故規制するか。政府としても何か対策を出さざるを得ないからだろう。中止論が根強く続いているGOTOあたりを規制すれば、取り敢えず納得する人間が多いと踏んだのだろう。

 ユーチューブで東京の医師が、東京医師会がGOTO中止を勧告した事に怒っていた。医師会長の個人的見解として発表するのは構わないが、医師会として発表するのは間違いだ、相関関係はないのだから、と。

 今の処地域時期は未定である。やるとしたら東京は駄目だろう。又もや町田も駄目になるのけえ? もっと新宿に近い神奈川はOKなのに、何でだよお(涙)。

 甲斐無き嘆きは止そう。何かしなけりゃ収まらないのだろうから。この収まるは武漢肺炎じゃなく世論の事だ。

 世論に異議ありですなあ。何度も書いてるがインフルエンザと変わりないじゃないか。持病持ちの高齢者には危険極まりないが、それはインフルエンザだって同じなのだ。

 マスコミが煽り立てるので皆が怖いと思わされる。実際怖くはあるのだが、普通に対処すれば良い。それを増えた増えたとはしゃぐ。はしゃぐ、は言い過ぎだって? 騒ぐネタが出来たとはしゃいでいるとしか思えない。死亡者数のグラフも出せば良い。ほぼ横ばいである。患者が増えても無関係なのだ。

 無意味に怖がる必要はないのにそうは言わない。怖がってテレビを見てくれれば良いのだろう。マスコミも商売だもんでね。これで経済が停滞すれば自殺者が増える。武漢肺炎で死ぬ人より多くなるのだ。ね、間違ってるでしょうが。

2020年11月19日木曜日

休題 その三百三十六

 

 量子コンピューターと言う言葉を良く見掛ける。量子をビットとして扱うのだが、並列計算の威力がすざまじくて、解読不能な暗号の作成および解読もやってしまうらしい。一つの量子の状態を読み出せば、外の量子の状態も一気に決定される量子力学の原理を応用させたものなんだろう。

 講談社の科学シリーズにブルーバックスがある。新書版で「科学をあなたのポケットに」が謳い文句である。昔から随分お世話になって来た。そのブルーバックスで「量子コピューター」を見つけて買った。

 著者は竹内繁樹氏、分かった気分にさせる書物でなく或る程度分かって貰う、のが趣旨だと書いてある通りに、結構真面目に書かれている。その内容に全くついて行けなかったのだ。年々バカになってるのは自覚しているが、全くのバカになっていたんです。分かった気分にさせる本の方が良かった(涙)。

 論理回路のノットゲートや排他的論理和ゲート迄はオタオタとついて行った。量子のスピンや傾きになるともう駄目。あたしの量子力学の理解は二十世紀の侭なのけえ。

 重ね合わせの概念は分かるが、解をどう重ね合わせるかが理解出来ない。その一つが判明した時、どう外の量子が振舞って全体の解を取り出すかが理解出来ない。

 有体に言えば、量子コンピューターが理解出来ない、となる。駄目だこりゃあ。頭が固まって、全く違う概念が分からないのだ。歳は取りたくないもんだ。

 少し安心したのは、理論的には可能だが実現には未だ相当時間が掛かると言う事。「私のPCは量子よ」「俺もそうさ」なんて時代は生きている間には来なそうだ、ほっ。

 超弦理論に打ちのめされたが、量子コンピューターにも打ちのめされた。これから出る新しい理論には、皆打ちのめされてしまうのでしょうなあ。バカ爺さんですよ。