2011年2月26日土曜日

クソ面倒な話 その二十八



 超ひも理論と言うのが有るが、正確には超弦理論と呼ぶ。物質の究極を解明出来るとされて居るが、未だ定説には至って居ない。発展途上理論で有る。
 此の理論だと、重力の説明も可能な為、夢で有った力の大統一が出来るかも知れない。唯、理論成立の為には、十次元或いは十一次元の時空を必要とするので、複雑怪奇となる。
 あたしには四次元を、実感は愚か、想像する事も出来ない。四次元とは、一点で四本の直線が直交出来る空間と定義して、間違えては無い筈だ。そんなん有り???
 十次元とは、其の直線が十本になる事で、直感の入り込む余地は無い。詰まり、何が何だか分からない(少なくともあたしには)。
 尤も、超弦理論では、紐の振動方向に関係の無い次元は巻き上げられて居るので、意識する必要は無いらしい。とても良かった。
 紐の大きさは10の-35乗
mだそうで、此れも最早あたしの感覚を遥かに超えて、どっかの遠い世界へ行って仕舞って居る。感覚的に其の大きさを掴める方が居ますか?
 其の大きさになると、観察、実験、共に不可能なので、仮説を実験で確かめる、と言う科学的手法は当然取り得ないので、思考と、言語としての、数学で組み立てるのだろう。
 こうなると、形而上の問題となるので、哲学と変わる事が無い。面白い事に、宇宙論も同じ水準に突入したかの様で有る。実験は不可能でしょう?
 極大も極小も、人間をあざ笑うが如く、形而上の世界へと導いて行く。
 あたしゃあ能天気なので(知ってるって?ああ、そうかい!)、所詮人間如きが、宇宙の全てを知る事なんざ出来っこ無いさ、と思って居る。ニュートンが「私は砂浜で一握りの砂を手にする子供だ」に近い発言を残して居る。大自然は途轍も無く偉大なのです。
 分かったふうな言い方でした(ペコリ)。

2011年2月24日木曜日

どう切り分けよう その三


 併し、犬越路はどう見ても重要なポイントなので、区切りとせざるを得ない。何と言っても、中川川(変な呼称ですなあ)の詰め上げなんだから。
 ん、考えて見れば中川川の詰め上げは白石
峠だ。犬越路が要視されるのは、神ノ川と中川川を結ぶ位置で有るからだろう。よし、先入観を捨て去ろう。元々どうでも良い、誰も興味を持たない話なんだから、思う通りに行っちまおうぜ!
 訂正、中央丹沢は前記に大室山と加入道山
を加え、白石峠迄とする。
 ん、未だ半端だ。沢屋(沢登り専門の諸君)
がきっと文句を言うだろう。絶対読んでっこ無いけどね。
 中央丹沢と称する限りは、丹沢の核心部で
有るべきだ。面白い事に丹沢の名だたる滝は、中川川と玄倉川に其の多くが有る。要するに、険悪な沢の巣窟なのだ。すると、畦ヶ丸を抜かす訳には行かない。
 よし、持ってけ泥棒!無責任にも思い切っ
て、中央丹沢はモロクボ沢の頭迄とする!
 力んでも意味無いですなあ。元々無意味な
んだから、虚しいと言えば虚しいです。でも続けよう。男は志だ(何の?)。
 モロクボ沢の頭とは、相甲国境線上の小さ
なピークで、東南東に畦ヶ丸へ通じる尾根を分けるジャンクションなのだ。そんなの知ってるって?失礼しました!
 再度訂正、中央丹沢は前記に畦ヶ丸と、南
へ続く尾根、すなわち屏風岩山、権現山(世附)、そして東へ向かう尾根で権現山(中川)をも含み、モロクボ沢の頭迄とする。
 やったね、此れで完璧だ。文句無く、何処
から見ても間違い無く、中央丹沢だ。
 蛭ヶ岳を下り始めて、臼ヶ岳や金山谷乗越
しを越え、檜洞丸に登ってから、大コーゲ小コーゲを過ぎて笹の犬越路に至り、大室山、加入道を踏んで相甲国境線を行き、モロクボ沢の頭から畦ヶ丸に至る。核心部其のものではないか!
 (どう切り分けよう その四へ続く)

2011年2月21日月曜日

休題 その六十一


 その六十で、時の総理大臣を馬鹿の象徴なぞとほざいたのは、流石に反省しました。お詫び申し上げます。
 勿論、菅総理はあたしとは比べるのが既に変と思われて当然で、頭の出来が違うのだ。
 でもですよ、あたしと一国の総理の立場は死ぬ程違うのだから、あたしよりまともな頭だけでは、いけないって事でしょう。
 総理があたしから見て、馬鹿としか思えないなら、立派に馬鹿なのだ。立場なのだから。
 馬鹿と言って居るけど、頭が良くなければいけないのは、国の指導者として当たり前の大前提なので有って、特別に馬鹿に導かれたいと思う変態マニアは除く。
 民主主義とは、コストと無駄が、無闇と掛かるものだ。あたしの考えでは無く、多くの哲学者が言って居る。
 失礼を、詫びようと思って書き始めたのだけれど、失礼とは思えなくなっちまった。酒の所為にしておこう。(そうなんだし)
 総理が高杉晋作を尊敬してるだって?
 高杉晋作が聞いたら激怒するぞ、総理の馬鹿がよ!
 いいか、良く聞け、高杉晋作は当時の清国の惨状を知って、国を守る大切さを知り、見事に実行したのだ。君に、そんな気概と力量が有るのかい??
 いいか、良く聞け、高杉晋作は武力こそが外交で有り、国内に於いては政治力のバックだと見抜いた。だから奇兵隊を造ったのだ。そんな事が分かってんのかい??
 もう終って仕舞った君を責めて居るのでは無いが、高杉晋作を出さないで欲しい。あたしだって尊敬してる人物なんだから。
 お詫びだと言い乍ら、馬鹿の事をを馬鹿だと言っちまったぜ。ま、嘘を吐くよっか遥かに増しなんだよね。
 国を守れない政府を選ぶ国民(あたしは違うと言いたいが、同じ事)。パラドックスです。

2011年2月19日土曜日

どう切り分けよう その二


 本に依って分岐線は異なるものの、大雑把に主脈で東西に分けるのが昔の通例だったのだが、地図を見れば一目瞭然、主脈では東に偏り過ぎて居る。此れでは丹沢のほぼ三分の二が西丹沢の領域となり、到底適切だとは思えない。
 案内書の中には、丹沢と言えば沢登りと言
う立場で、川の流域ごとに章を設けて居るものも有るが、私は稜線で区分けをしたいのだ。
 何故だって?其の方が私には分かり易いん
だもん。多分、貴方にも。
 大山から始まり。ヤビツ峠、塔ヶ岳、鍋割、
桧岳、秦野峠へ続く稜線、そう、小田急の車窓から見渡せる連なりを、表丹沢とする。
 あ、此れはあくまで、私の勝手な区分けで
有るので、何の根拠も無いのです。唯の勝手な素人の考察なので、気にしないで下さい、本気にしちゃ駄目ですからね。
 此の区分は如何にも表丹沢で有る。文字通
りとは此の事だろう。華やかで、しかも堂々と正面へ押し出して居る。此処を表丹沢と名付けずして、何と名付けよう。
 秦野峠から大野山、或いは高松山、そして
松田山、シダンゴ山への稜線は、前衛の山としたい。従って弘法山、仏果山及び経ヶ岳の南山、鐘ヶ岳や日向山、辺室山等も前衛の山でる。
 大山三ッ峰、大山北尾根は東丹沢と
しよう。
 さて、其の東丹沢で有る。ペッペッペ(手
にツバを付ける音)。つい、いらぬ力が入るのが悪い癖だ。大山からの、北へ向かう二つの稜線と、塔から焼山への主脈、勿論丹沢三ッ峰、其れに袖平から風巻への尾根も入ると言う豪華版だ。
 此れこそが東丹沢、如何にも丹沢と言う区
域で有る。東京方面から眺める丹沢の連なりこそ、此の東丹沢なのだ、えっへん(私が威張ってどうすんだ)。
 実は表丹沢と東丹沢が、丹沢を代表して居
て、訪れる人の数も圧倒的に多い筈だ(例に依って調べてません)。余り丹沢に登る事の多く無い人は、丹沢と言えば表丹沢と東丹沢を思い浮かべるだろうと思う。
 稜線の営業小屋も、檜洞丸を除いて此の区
域に集中して居るのも、尤もな事なのだ。何せ、丹沢登山とは、殆どが表丹沢と東丹沢(再びお断りしておきますが、私の勝手な規定です、為念)が対象なんだから。そして、其処は確かに素晴らしい山なのです。
 だからって、外が詰らないと言う訳では無
い事は、断るのさえヤボってもんで、訪れる人の数はガクッと減るものの、ちゃんと、立派に、厳として、其の二地域以外の丹沢も、立派に丹沢なので有る。
 蛭ヶ岳から檜洞丸を経て犬越路迄を、中央
丹沢とする。石棚山稜と同角尾根も含むのは勿論だが、其れでも非常に狭い範囲で有るのは確かだ。
 (どう切り分けよう その三へ続く)

2011年2月16日水曜日

休題 その六十

 馬鹿になった自分に驚く。前は利口だったと言いたい訳では無い(現に違うし)。あくまで比較の問題なのだ。
 写真は、馬鹿の象徴として載せた。え、失礼だって?間違いなくそうなの!!
 四十代迄は手帳を持った事が無かった。正確に言えば、五十代初め迄は、だ。当時営業をして居たあたしは注文を受ける。
客「
KENZABUROUはん、○○を幾つ、××は幾つ、△△は幾つ、◎◎は幾つや。センターへ送ってや、期日は■月□日やで」
私「了解しました」
客「書きなはれ」
私「大丈夫です、覚えてますから」
客「え、アホな。ほな、書いたるわ」
 で、客がメモを書き、印鑑迄押してくれる。間違えられるのが不安だったのだろう。
 五十代半ばとなったら、全く駄目。メモを取らなければ、相手の会社を出た時には、既に注文内容は朧になって居る。数なんざ分からん。期日も不明だ。駄目だこりゃ。
 名前も覚えられなくなった。覚えても、すぐ忘れて仕舞う。詰まり、馬鹿になったのだ。
 記憶だけでは無い。咄嗟の知恵が出ない。我乍ら恥ずかしいので躊躇ったが、真実なので書く事にしよう。
 あたしの仕事は、間抜けにも一日中ゲンチャリで走り回る事なのだが、魔が差して警報機が鳴り始めた小さな踏み切りへ、強引に入った事が有る。
 遮断機は閉まった。押せば出れると思ったのが大間違い、鉄製のがっちりした奴で、押せども引けども、ビクともしない。京王さんよ、何考えてるんだ!
 昔のあたしなら、バイクを倒して引きずり出して、はい終わり。それが、馬鹿になっちまってるもんで、呆然と近づく電車を見て居るのだ。何やってんだ馬鹿!!
 だから、馬鹿になったあたしって言ってる訳なの……。
 其の小さな踏切に若い男が居た。彼が見かねて声を掛けて呉れた。
彼「バイクを倒して下さい」
私「はい」
 倒したバイクを彼が引っ張って呉れた。あたしも押して、自分も踏切から這い出した。そして電車が通過して行った。私「有り難う御座いました、お陰で助かりました」
 彼が居なかったらどうなってたんだ?多分、あたしだってバイクを倒して押し出して居ただろう。さもなくば、鉄道事故になっちまうんだから。下手すりゃあ、死んじまうんだ。
 悲しいのは、咄嗟に考えもせずに行えるべき行為が、行われなかった事。彼のアドバイスで、やっと起動した事。
 って事は、起動せず、呆然と鉄道事故を起こして居た可能性は(低いけど)有ったのだ。
 馬鹿になっちまった。多分、あたしだけじゃ無く、似た年代には多発してる筈だ。
 自覚してるあたしは、増しって事かな(涙)。

2011年2月13日日曜日

どう切り分けよう その一


 前にも書いたかな?ダブッても構うまい、どうせ誰も覚えてっこ無いんだし。其の前に、こんなアホなブログは読んでっこ無いに決まってるし(涙)。
 泣くのは止めよう笑っちゃおー♪あ、こり
ゃこりゃ❤
 いい年こいて自棄になるのは止めよう。見
っとも無いだけだ。
 西丹沢と言う区分けが有る。今でも有るだ
ろうし、現にバス停にも其の名前が有るのだから、概念としては存在するのだろうが、最近のガイドブックは、西丹沢と言う区分けを設けなくなった。
 一面賛成で、一面不同意で有る。

 何年が分岐点だかは、例に依って面倒臭い
ので調べないが、昔は東丹沢と西丹沢と区分けした。
 とか言い乍ら、一応見てみたら、平成四年
の岳人カラーブックス「丹沢山塊」では、概要で東西丹沢の説明が有った。もっと細かく、五つの区域に分ける考えも紹介されて居る。但し、コース案内には東西の区別は無い。
 では、もっと新しい処ではどうだろう。平
成二十年の山と渓谷社版「丹沢」では、東丹沢、西丹沢、裏丹沢と三区域に分けて案内して居た。
 いやー、調べて良かった。区分けしないガ
イドブックもる、が正しいのだ。惚けた頭の記憶なんぞを頼りにするもんじゃない。アブネエアブネエ。
 因みに創元新社のハードカバー版、現代登
山全集「冨士 丹沢 三つ峠」では金山谷と檜洞沢を結ぶ線で、あっさりと東丹沢と西丹沢を分けて居る。詰まり、檜洞丸を分岐点にして居るのだ。
 尤も、此れは極めて珍しい区分で、殆どは
主脈を境に、東西を分けて居る。平成二十年の「丹沢」でも同じで、其れに神ノ川流域の裏丹沢を加えて居る。
 勘違いからだが、「東西の区分けを設けな
くなったのは、一面賛成で、一面不同意で有る」と何故書いたかと言うと、主脈を境に東西を分ける考え方に反対なので、最近区分けがされない事に賛成で、正しい区分けは必要だと考えて居るので、最近区分けがされない事に不同意なのだ。
 我乍ら呆れ返る。どうでも良い事を無闇と
分かりにくい文章で書いて、一体どうしようってんだろう。誰がこんなもん読みたがると思ってんだろう?
 でも、始めた限りは初志貫徹、最後迄やり
遂げよう。
 本当に大した話じゃ無くて、其の丹沢の区
分けなんで、どうでも良い!と言われて当然です。従って、興味の無い方は此の章は飛ばして下さい。ったって、誰がそんな事に興味が有るの?ひょっとしたら、私だけなんじゃ無いかな?変態の章って事?多分当ってると思う……。認めるのが一寸と悲しい。
 (どう切り分けよう その二へ続く)

2011年2月11日金曜日

閑話番外 その四十三



 弘法山で、またもや引っ張っちゃうんだけど、本当に久し振りに登ったので、つい拘って仕舞って、御免なさい(ペコリ)。
 写真は言う迄も無く大山だが、本文にも有る通り、大山から南下する長い尾根は、善波峠で弘法山と繋がっており、あたしは勝手に大山南尾根と呼んで居る。
 三昔以上前には勿論、地図に道の記載は無かった。で、面白半分に登って見たのは、本文の通り。
 今では、一級国道並みの扱いで、道が記載されて居る。善波峠から四時間弱で大山へ登れる。が、長い。下った方が宜しい、とも本文で書いた。
 下りに使えば鶴巻温泉へ下れて、温泉にも入れると言う特典が有るのです。

2011年2月6日日曜日

クソ面倒な話 その二十七


 日本人のUFO目撃証言を集めた本が出た様だ。やっとか、と思う人と、何だそりゃあと思う人が居て当然なんで、あたしは何度も書いて恐縮至極乍ら、UFOを否定する根拠を持たないので、有っても良い派だ。
 日本でも、軍用機民間機を問わず、パイロットのUFO目撃は当ったり前過ぎて、話題にすらならない、らしい(オーバーなのでは?)。
 欧米では昔からそうだとは、何かで読んだ事が有るが、日本でもそうだったとは知らなかった。
 尤も、本に書かれて居れば正しいなら、教科書は正しい事になるし、飛んでも本も、正しい事になる。従って、本を信じるのは、極めてヤバイ冒険なので、本は参考にして、自らが考察するのが、お薦めです。
 教科書は正しい事になるしって、何の事だ?当然の疑問です。あたしはへそ曲がりなので、教科書を信じない。時代に依って教科書の内容もどんどん変わって居る筈だ。此の間迄神国日本が、今は正反対。僅か数十年で根付いたのだ。
 理数系は違うだろうって?二十年後の教科書は凄く変わって居ると思う。ビッグバンは消え去って居る筈だし、相対性理論だって、どうなって居る事やら。
 大正時代の教科書と今のとは無闇と違うのだろとは、想像出来るでしょう?では、教科書が正しいと思い込んで居たら、其の人は危ない人だとあたしは思うのだけど、その考えは変かな?一般的には、一寸と変ですなあ。
 UFOの話に戻ろう。これもくどくて申し訳無いのだけれど、UFOとETIをあたしは分けて考えて居る。詰まり、UFOは異星人の乗り物とは考えて居ないのだ。何度も聞いたって?御免なさい!
 ではUFOは何なんだろう?目撃者が嘘を吐いて居ないなら(多分嘘では無いだろう)、存在する訳だが、実態は霧の中。
 一番簡単な考え方は、高度な文明を持った異星人の乗り物なのだが、あたしは其れを否定するので、ハタと行き詰って仕舞う。否定しなけりゃ簡単なのにさ。
 いい年こいてるんだから、考えを変えて見ようか。あたしがどう考えを変えたって、何の影響も無いのだから。
 技術的に恒星間飛行は不可能なのだが、其れは地球の技術であって、かの星では全く違う技術が有るとしよう。勿論、重力も制御出来るし、光速だって平気で超すのだろう。
 公式に姿を現さないのは、未だ人類に受け入れる心の準備が無いから、と散々言われて居る説を、とりあえず認めよう。
 すると話は簡単で、チラホラ姿を見せつつ、人類の覚醒を待つって事なのか。それも五十年以上に亘ってだ。その間UFOには何の進歩も見られない。世にも珍しい話だ。世の中はこんなに変わったってえのにさあ!
 ちっ、最後にゃあ又もや疑っちまったぜ。

2011年2月5日土曜日

休題 その五十九


 山本夏彦氏のエッセーに、「死ぬの大好き」と言う章が有って、直ぐにでも死んで良い様に書いて有った。
 実際は、癌が発見された時に大いに狼狽したそうで、全くそうだろうと、偉く共感を覚えて仕舞った。
 山本夏彦氏にしてさえそうなのだから、あたしなんざあ、何時死んでも良いなぞと思っては居るが、其の時になったらどんなに慌て騒ぐ事か、我乍ら見もので有る。
 昔、と言っても其れ程遠い話では無く、あたしが子供の頃は、六十を過ぎれば立派な老人で有った。五十代でも半老人の感が有った。さざえさんの波平君は、あたしより若く、五十代の筈だ。
 処で、週間視聴率が発表されると、余程の事が無い限り、さざえさんはベストテンに入って居る。たまにはトップになったりする。笑点、また然りで有る。
 他番組のプロデューサーは、さぞや嘆いて居るだろう。どんなに知恵を絞り、達者な人間を集めても、さざえさんには勝てないのだ。首を吊りたくならないだろうか?
 話が飛びました。
 六十過ぎても、今は老人とは思えない。現役で働いて居る人も山ほど居る。昔は五十五で定年、六十一寸とでお葬式が一般的だった。時代の変化と言うのが適切かどうかは分からないけど、変わったもんですなあ。
 昔だったら、あたしにはそろそろお迎えが来る訳で、それなりになって居るのだろう。実際は、まだまだガキ見たいなもんだ。ん、其れはあたしだけで、外の人はちゃんとしてんのか?いや大丈夫、少なくとも、
SKもあたしと似た様なもんだ。ほっと安心。
 尤も江戸時代ならもう死んで居る歳だ。縄文時代なら、とっくのとおだ。
 明日の事は分からない。さて、何時お迎えが来ても良いだけの気持ちを持てるかな?

2011年2月2日水曜日

ああ、空よ その五


 周り中で立て続けに光る。その度に天幕内が明るくなる。すぐ隣で光っているのだ。落雷しても、電流は天幕の表面を流れるから、大丈夫?それとも天幕をぶち破る?私の天幕は金属製ではないので、多分、ぶち破るが正解だろう。従ってとても怖かかったです。天幕の中央で小さくなっていました。
 どんどん積もる霰がトレースを消して、明
日の下山ルートが不明瞭になる事も不安で、悲しい夜を過ごしました。翌朝は新霰(?)が20㎝以上も積もっていて、朝日に煌いていた。新霰を踏みながら何とかルートを外さず、無事に下れました。
 里道に入った時に擦れ違った土地の人が、
「ご苦労様でした」と声を掛けてくれて、何だか凄く嬉しくなって、心がぽっぽと温かくなってニコニコしてしまったのは、良い思い出である。
 最近は年のせいで、夜一度は用を足しに起きる。春なら天幕を出ると、雪は硬く凍っている。寝ぼけていると滑り落ちるので、気を付けよう。落ちたらとても不幸だ。大体登り返して来るのはウンザリだ(おいおい、無事でいるつもりなの?)。
 見上げて見よう、上手くすれば満天の星で
す。寝るのが、勿体なくなる時もある。そう

いう時はついコーヒーを沸かしてしまうのだ。

それについては、冗談の一ノ倉岳の章に詳しく書きました。
 夏なら天の川が一際(ひときわ)印象的で、
白鳥座が川遊びをしており、両岸には彦星と織姫が鎮座まします。
 秋の星空は寂しい。目立つ星座が無い。で
も空気は澄み渡っているので、星は綺麗に瞬くのだ。
 冬は残念ながら、余りの寒さに、空を見上
げてもちらっとだけで、天候確認するだけ。本当は一番綺麗な星空なんだろうけど、だらしない私には、其れを楽しむ資格無しって事です。
 空と雲のとどめは、秋の鰯雲が夕日に映え
る景色だろう。此れは幻想的に美しい。尤も山でなくても見る事はできるのだが、周りの山々との相性が抜群なのだ。それにピークだと視界を遮るものが無い為、空が全部見えるのだ。此れは大きい利点だ。
 運が良ければ、塔ヶ岳から、富士山と夕映
えの高い高い雲を見る事ができる。秋に塔ヶ岳に泊まった人の特権で有る。
 山は駆け抜けるばかりが、能ではない。年
相応の楽しみ方が有るものだと、しみじみ思います。平成十七年の秦野署管内の山の事故は十三件。厚木市、松田町、山北町、清川村、道志村は別にしてです。内死亡者五人、多くは登山中体調を崩し死亡、とある。
 中高年の皆さん、どうぞゆっくりと、ご自
分のペースで山を楽しんで下さい。ま、ぽっくり逝けて良いや、というさっぱりとした考え方も有るだろうけど、他人と家族に、多大な迷惑をかけますよ。