2020年10月31日土曜日

山の報告です その百三

 


写真は入山日に幕場から見たものです。 その日がアタック日だったら良かったのに(涙)。

  下りは地図上で二時間だが、メロメロのあたしは三時間かける覚悟である。着ければ良いってこってす。情けないけど、それが現実なのだ。

 決めた通りに三十分で休む。絶対に休む。そんな塩梅だから何人も抜いて行かれる。爺さんが休んでやがらあ、と思って通り過ぎて行くのだろう。ああ、その通りだよ。

 河童橋に着いたのは十五時過ぎ、矢張り三時間近くかかっていた。荷物を置いてバスターミナルへ行き、翌朝の一番バスの予約をする。ガラガラに決まっているのだが、念の為である。

 小梨平でチェックインをしたら、幕場も炊事場もトイレも制限されている。食糧は夜飯意外は食糧庫に入れろと言う。ゴミもテントに置かずにゴミ箱へ捨てろ。熊にテントが襲われて、レトルト食品に至る迄盗られたらしい。テントには単独の女性がいたが、十針縫う怪我をしたとの事。物騒ですなあ。

 その面倒は未だ良い。良く無いのはペラペグだった事だ。岳沢は岩場なので眺めのペラペグに岩を乗せて抑えればテントは安定する。小梨平は3Cm程の土で、その下は砂交じりの土となる。従ってプラペグは刺さらない。アルミペグなら入るのだがどう仕様も無い。

 辛うじて立っているペグに張り綱をかけるのだから、一寸と引っ張られると抜ける。ツェルトは潰れる。鬱陶しいですなあ。

 此の夜は冷えた。予備のセーターも出してセーター二枚を着込んで丁度良かった。翌朝通り掛かった女性が「寒かったでしょう」と言う。みすぼらしいツェルトを見て気の毒に思ったのだろうね。

 今世最後の穂高と思ったが、もう一度やらなきゃ収まらない気持ちになって来ました。景色が壮大に広がったなら、或いは普通に登降できたらそれで良かった。両方ダメだったのだから、リベンジですよ。

2020年10月27日火曜日

山の報告です その百二

 

 大腿四頭筋が頼りにならない急な下りは恐ろしい。いっそ岩稜が続いて欲しい。手が使えるからだ。え、それはもう書いたって? いやあ直ぐに忘れるもんだで、ゴメンネ。

 よらつき乍ら下る。前面はガスが晴れ、岳沢が綺麗に開けている。


  そして稜線もはっきりと見えて来た。それが冒頭の写真。何だよー、普通は朝晴れていて、昼近くになるとガスが湧くもんだろう、これは真逆じゃないかよお。ゆっくり出発したもん勝ちなのかよお。と、悔しがっても無駄ってもんだ。天気は運。晴れるもガスるも運次第。一つ間違えれば転落死していたのだから、景色如きでブーブー言うべきではありませんなあ。

 やがてヒュッテの屋根が大分下に見えた。取り敢えず嬉しぃ。いや、とても嬉しぃ。自分の足が信用できないのだから、大いに喜んで然るべき状況である。

 未だ昼前だ。岳沢であのべったりとくっついて来るツェルトで暮すには早すぎる。と言っても上高地へ下るには、頼りない足が心配だ。何だか西穂の時も同じ事で悩んだ覚えがある。あたしの永遠のテーマかいw

 決めた。先ず幕場で大休止する。それからゆっくり下るが、三十分に一度は休む。強制的に休む。これなら何とか下れるだろう。小梨平キャンプ場は河童橋から直ぐだ。よし、そうしよう。

 幕場で休んでいるとぽつぽつと登山者が降りて来る。多くは若者だ。ガレを越えてヒュッテに向かうが、皆さん今日中に帰宅なのだろう。爺さんとは全てのペースが違うのだ。

 空は綺麗に禿げ上がった。晴れ上がったって書きたくない気分なのだ。ブツブツ言わないって決めたのに、未練ですなあ。

 荷物を纏めてガレを渡りヒュッテに着く。数人がのんびりしている。あたしはのんびりしてられない。眦を決して下りに掛かる。オーバーですなあw(続)

2020年10月24日土曜日

山の報告です その百一


  ほぼ膝が笑った状況で岳沢への下りが始まった。両手がフル活動である。足に任せていられないのだから仕方ない。まあ、両手で下ってる様なもんですな。

 それでも緩んだ所は歩く。四つん這いで行くのも何でしょうが。すると中年男性が追い抜き乍ら「靴紐が緩んでます、大丈夫ですか」と問う。あたしはダラダラに緩んでも平気なので「大丈夫です」「この下りは事故が多いから気を付けて下さい」「有り難う御座います」。

 思えば、如何にもヨタヨタ頼りなく歩いて見えたのだろう。あいつ大丈夫か、と思わず声を掛けたのだろう。あたしがやりそうな事をやられちまった。其れ程あたしはダメに見えたのだろう。

 全くそうでした。次の緩んだ所で左膝が効かずに、左斜面の這い松帯に転げ落ちた。あっと言う間で訳が分からなかった。頭を下にして、仰向けに這い松に引っ掛かった。足を降ろして体制を整え、這いあがった。

 見て居た登山者が「逆じゃなくて良かったですね」と言う。あたしが落ちたのは55度の這い松斜面、逆側は80度位の岩崖だった。そっちに落ちたら唯々落下するのみ、多分終わりだっただろう。左右が命を分けたのだ。

 何度か中高年の遭難を取り上げたが、滑落死の多くはこんな感じで起きたものだろう。何も考える間もない出来事だ。

 外にも何人かが見ている。気恥ずかしいものである。膝が効かないで転落するなんて、見っとも無い事夥しい。人目を気にしてる場合じゃないのは分かってるんだけど、つい良いかっこしいの地が出ちまう。

 恰好を付ける場合ではない。慎重にも慎重を期して下るのみ。それでももう一度転んだ。登山道の上に転んだので大過なかったが、ダメだこりゃあである。

 見ると稜線が姿を現している。クッソー、景色も出たかも。上の写真がそれです。(続)

2020年10月20日火曜日

山の報告です その百一

 


 長い鉄梯子を登り切り、マーカーを頼りに岩稜を登る。休んでいると中年女性が抜いて行く。歩き出すと直ぐに彼女が休んでいる。てな感じで相前後し乍ら頂上迄一緒だった。

 肩に相当する紀美子平に着いてもガスの中。そこに関西弁の女性が追い付いて来た。前穂のピークへの途中で彼女に抜き去られた。速いおばさんである。

 頂上は矢張りガス。なーんにも見えない。華麗な穂高の写真でこの章を飾りたかったが、全くダメ。関西女性が「昨日登った人は凄い景色だと言ってはった」そして笑い乍ら「畜生」と言った。同感ですよ!

 一服点けて万が一の晴れ間を待つが、ダメな様だ。あたしはカメラも出さずに、登って来る人に頼まれて標識を入れた姿のシャッターを何枚か切る。「本当なら槍ヶ岳をバックなんでしょうがね」なぞと言い交わしつつである。割と可哀そうな台詞ですなあ。

 寒いだけなので下山に掛かる。途中で最初に会った女性を抜く。その侭抜き返されなかったので、あたしの抜いた唯一の人だ。彼女は下りを非常に慎重にしていたから。そしてそれは大正解なのだった。

 紀美子平に降り着くと賑わっていた。奥穂からと岳沢からの人達が到着していたのだ。此の時少しガスが切れて奥穂方面が見えた。上の写真がそれ。

 思いがけない事が有った。あたしの足がガクガクなのだ。思えば岩稜歩きは暫くしていない。数年前の西穂高以来だろう。西穂は前穂程のアルバイトはなかった。従って、登山道歩きでは使わない筋肉を酷使したのだろう。前日の岳沢への負担も残っていたのかも。何せ朝トイレに行くのでガレ沢を渡る時、凄くバランスが悪くて困ったのだから。

 いずれにせよ、ガクガクの足で岩稜下りをしなければならない。多くの場所は手も使って下るので良い。良く無いのは変に緩んで足だけで下る場所だ。大腿四頭筋が言う事を効かないので、偉く困るのだ。(続)