2014年10月31日金曜日

追っかけよう その六




 ハイクへのお誘いで、屏風岩山と権現山は紹介した。畦ヶ丸以外は、結構マイナーな所だ。畦ヶ丸は人気の山なので、季節を問わず人が入って居るだろう。とても良い山で有る。前章に書いたばかりだ。
 さて、主稜線はモロクボ沢ノ頭から西へ向かう。大界木山(1246)で鳥ノ胸山への尾根を別け、南西に方向を変えれば城ヶ尾峠に下る。世附から道志へ抜ける、古道で有る。
 とは言っても、誰が通ったのだろう。どちらも山深い地域だ。たまに商人が通るのか、相模の隠密が甲斐を探りに行ったのか。色々想像すると面白い。余程の用が無ければ、絶対誰も通らない、と言える峠なの。
 峠から西へ、中ノ丸、ブナ沢ノ頭(1229)を越えると、西丹沢の盟主、菰釣山(こもつるしやま1348,2)にご到着。大室山から地図上で六時間二十分。チョチョイとでも無いが、そう遠くも無い。
 菰釣山の南面は、大栂、織戸峠、椿丸、等々が控えて居て、私には偉く楽しい区域なのだが、先を急ぐので菰釣山の章に任せよう。菰釣山の章が何で有るのかって?有るからだ。
 主稜線は、方向としては西南へ続く。ブナノ丸、樅ノ木沢の頭(1306)、西ノ丸から大棚ノ頭(1268)だ。大棚ノ頭から北西へ下ると山伏峠(山仲間は、やんぶしとうげと呼ぶ)で御正体山(1681,6)を盟主とする、道志山塊と接続する。
 俯瞰して見ればそっちが主稜線なのだが、あくまで丹沢の主稜線を追うのだから、此処は更に進んで高指山(1174,1)へ行こう。もう山中湖西の丘陵で有る。山中湖の向こうは、バーンと富士山。丹沢らしからぬ風景となる。但し、東の相模側は深い谷だ。
 南下すれば切通峠から鉄砲木ノ頭(1291)、そして三国山(1320)で有る。大室山から此処迄が神奈川と山梨の県境で、昔から相甲国境線と呼ばれて居る。
 三国山から西進するのが相駿国境線で、明神山、湯船山、世附峠を経て不老山に至るのだ。此の稜線からの景色は、見慣れた丹沢とは大分変って見える。勿論、単に見る方角が違うからなんだけど。
 (追っかけようその七へ続く)

2014年10月27日月曜日

休題 その百三十七




 休題百三十六の枕に、朋友連と旅行へ行った話を書いた。毎年の行事だが(二十年位かな、もっとかも知れない)、一寸とした博打が恒例になって居る。
 博打ったって可愛いものだ。普通なら破産する程負けても、三千円一寸とだ。今迄其処迄負けたのは、二、三人しか居ない筈だ。
 Emが大負けしたのは覚えて居るが、後は忘れた。あたしは飲みながらやって居るので、良くは分からないの。仕舞にはベロベロなんだもん。
 其れで良く博打が出来るなって? いや、負けない事を第一にしてるので、多少負けても傷は浅い。面白味の無い、との非難も有るけれども仕方無いでしょう、性分なんだから。
 何故Emの負けだけは覚えて居るかってえと、其れ以来彼女は千円の元金を用意して、其れをすったら止める、と決めたからだ。
 博打とは言い過ぎですなあ。では、其れは何かと言うと、初めは花札。奥ゆかしいでししょうが、平安時代からの遊びですぞ。
 聞いた事有るでしょう、花札は女が強い。全く其の通りで、Anの女房のNbの独走態勢。同じ女性のEmは、どうだったんだけなあ?ま、そこそこだったかなあ。
 最初一回はコイコイ、次からはバカッパナ。青たん赤たん猪鹿蝶(いのしかちょうKjはいのぶたちょう、と叫んで居た)のあれ。其れでもNbの独壇場なのだ。
 三年程負け続けて、花札は駄目だと悟った。AnはNbの亭主だが、財布は別な様で、必死に女房に勝とうとしても勝てない。
 朋友と言えども家計の事は知らないけど、財布は全く別の様だ。「母さん、貸して」「××円貸しですからね」とのシビアなやり取りは散々見て居る。
 此れは八百長では無い。従って花札を外に変える事にはAnも賛成したのだ。勿論、男性全員異議は無い。女性だがEmも。ん、Emも勝っては無かったんだ。続きます。

2014年10月24日金曜日

追っかけよう その五




 テシロノ頭の手前で南東に尾根が分かれる。同角ノ頭、大石山からユーシンへ下る。同角ノ頭は遠くからでも、其の尖った姿が見分けられる。多分丹沢で一番鋭く見える頂きだろう。とても小さいんだけどね。
 主稜線は北東へ続く。熊笹ノ峰(1523)小こうげ(変換不能 1288)、そして犬越路だ。此の間はアップダウンが多く鎖や梯子も有って、中々面白いし苦労もさせられる。前に書いた通りなので、何やってんだろう?
 気持ちの良い峠、犬越路から上り詰めれば大室山(1587,6)だ。どっしりした山で、大変見栄えが良い。其の代わり、中々頂上に着かない。あそこが頂きかと思うと違って、ガックリする事を繰り返す。唯、犬越路からはそんな思いは無しで行ける。嬉しい。
 蛭から大室山は、地図上で七時間五分だ。大した距離では無いのに、結構時間が掛かるのは、其れなりのアップダウンが有る所為だ。
 檜洞丸から大室山が、ハイライト其の三だ。如何にも縦走と言う爽快感や、樹林や熊笹や景色の見事さは、以上三カ所のハイライトに集約されて外には無い。残念だけど。でも、其れとは別の良さが、先には有るのだ。尤も、好みの問題も有る事は、否めない。
 大室山から東へ行けば鐘撞山を経て道志川だ。此処は登りに取ると苦労させられて、嫌になる。其れなのに、トレイルの諸君は駆け上るのだ。おいおい、膝を壊しても知らない
よ。私みたくなっちゃうからね。
 主稜線は西へ向かう。破風口へ下って加入道山(かにゅうどう 1418,4)へ登るのだ。此の間の黄葉は美しい。ブナ林が黄色く染まり、空気迄色付く気がする程なのだ。
 加入道から南下すると直ぐに白石峠だ。其の先は水晶沢ノ頭、シャガクチ丸(1191)を経てモロクボ沢ノ頭に至る。此処がジャンクションで、南東へ行くと畦ヶ丸から屏風岩山、そして権現山への山稜となる。
 (追っかけよう その六へ続く)

2014年10月22日水曜日

休題 その百三十六




 毎年朋友達と旅行に行く事は書いた。今年は大仁へ出掛けた。唯、Ynは仕事の都合で参加出来ず、五人で行ったのだ。
 帰りに伊豆長岡の近辺で食事をしたり、お茶を飲んだり、買い物したりでブラブラして居た。如何にも老舗と言う宿が有った。
An「黒沢明が此の宿に籠もって脚本を書いたってさ」
 如何にも其れらしい宿だ。此処からが本題で有る。
 黒沢は殆どの作品で、複数の脚本家と組んで本を仕上げて居る。一人の力の限界を知って居た訳だ。一つのシーンを複数の人間が書いた中から選択する。どれも不服なら、皆で知恵を絞る。
 “隠し砦の三悪人”で、国境の橋を渡るシーンには、酷く困った様だ。どうしても渡れない。宿に籠もった一同(黒沢外二名だったと思う)は頭を抱えた。やがて一人が叫んだ。「出来た!!」
 其れがあの橋のシーンとなった。貪欲と言っても良い程作品に拘り続けた黒沢明の、面目躍如で有る。
 其の代わり、チームに入ったら大変だった様だ。缶詰になるのは良い。承知の上だろう。良く無いのは注文が物凄く厳しい事だ。ま、当たり前では有る。黒沢以上の物を要求するからこそ、複数体制を取ったのだから。
 初めてチームに加わった脚本家が、敵の城への夜襲シーンを書いて居ると(一斉に書き始めるらしい)、黒沢が「出来た!」と叫んだ。
新人は未だ半分位しか書けて居ない。黒沢は「君のを見せろ」と脚本をひったくり、ざっと目を通すと「何だ、こんなもの!」と投げ捨てた。新人は悔し泣きに泣く為に隣の部屋へ入った。
 いやはや大変ですなあ。余程の腕と根性が無ければ、務まらない。
 本が仕上がると、皆で大宴会となる。其の時、世界の黒沢がポツリと呟いたそうだ。
「君等は良いなあ。僕は此れから撮らなきゃならないんだ」
 そして撮影が済むと、廃人の様になって仕舞う。一作一作に命を込めて行ったのだ。