蛭から下って来たのだが、凍った路は偉く危なかった。数年前の冬に下ったが、(今から数年前です)整備はごく良好で、全く危険は感じなかった。四時代前の当時は、数年に一人位は死人を出していて、それも至極当然と思える下りだった。変わる、変わるーよ、時代は変わる、です。
不思議だ、いまだに桧洞丸は遠い山と思えてならない。何度登ったのだろう、一寸と待ってね。えーと、三十回位?もっとかなあ、どっちにしてもその近辺だ。
その四時代前に一緒だったのはT、二人ともキスリングを背負った高校生だった。今は見る事もできないスタイルですなあ。
面白い小屋だと印象に残っているのは、窓がガラスではなく、厚いビニール(?)だっ事だ。ガラスより軽かっただからだろうか?そうとは思えないけど……。割れないのが良かったのかなあ。聞けば良かったのです。
翌朝、小屋の外で雪で顔を洗った事は、鮮明に記憶に有る。その、顔を洗っている写真が有るからだ。
記憶とは、後から造り直す部分が結構多いのだろう。良く考えれば、そうに決まっている。都合よく再構築しなければ、辛く、悲しく、恥ずかしく、腹立たしい思い出に、日夜苛まれるだろうから。処が写真が有れば、一気に状況を思い出してしまうのは、皆さん同じだと思って間違い有るまいて。
金山谷ノ頭から北へ伸びる尾根、例に依って(大野君の所為で)ルートになっちまったが、以前から踏み跡は有って、その頃は、詰めに一寸とザレっぽい所が有ったのだ。今は整備が成った事だろう。これも、マイシークレットルートじゃなくなってしまった。一寸と淋しい……。
あ、大野君にはもうシャッポを脱いだのだから、恨み言は(できたら)もう二度と言うまい。
ユーシンに車を捨て(本当に捨てたんじゃないので、念の為)、同角ノ頭経由で桧洞丸に着いた。三昔程前の秋の日だった。ピストンの積りだったが、余りに天気が良い。空は高く澄み渡り、風が爽やか過ぎる。この侭降りるには、勿体無い事甚だしい。
(死ぬほど旨かった桃の缶詰 その六へ続く)