2014年7月29日火曜日

死ぬほど旨かった桃の缶詰 その五





 蛭から下って来たのだが、凍った路は偉く危なかった。数年前の冬に下ったが、(今から数年前です)整備はごく良好で、全く危険は感じなかった。四時代前の当時は、数年に一人位は死人を出していて、それも至極当然と思える下りだった。変わる、変わるーよ、時代は変わる、です。
 不思議だ、いまだに桧洞丸は遠い山と思えてならない。何度登ったのだろう、一寸と待ってね。えーと、三十回位?もっとかなあ、どっちにしてもその近辺だ。
 その四時代前に一緒だったのはT、二人ともキスリングを背負った高校生だった。今は見る事もできないスタイルですなあ。
 面白い小屋だと印象に残っているのは、窓がガラスではなく、厚いビニール(?)だっ事だ。ガラスより軽かっただからだろうか?そうとは思えないけど……。割れないのが良かったのかなあ。聞けば良かったのです。
 翌朝、小屋の外で雪で顔を洗った事は、鮮明に記憶に有る。その、顔を洗っている写真が有るからだ。
 記憶とは、後から造り直す部分が結構多いのだろう。良く考えれば、そうに決まっている。都合よく再構築しなければ、辛く、悲しく、恥ずかしく、腹立たしい思い出に、日夜苛まれるだろうから。処が写真が有れば、一気に状況を思い出してしまうのは、皆さん同じだと思って間違い有るまいて。
 金山谷ノ頭から北へ伸びる尾根、例に依って(大野君の所為で)ルートになっちまったが、以前から踏み跡は有って、その頃は、詰めに一寸とザレっぽい所が有ったのだ。今は整備が成った事だろう。これも、マイシークレットルートじゃなくなってしまった。一寸と淋しい……。
 あ、大野君にはもうシャッポを脱いだのだから、恨み言は(できたら)もう二度と言うまい。
 ユーシンに車を捨て(本当に捨てたんじゃないので、念の為)、同角ノ頭経由で桧洞丸に着いた。三昔程前の秋の日だった。ピストンの積りだったが、余りに天気が良い。空は高く澄み渡り、風が爽やか過ぎる。この侭降りるには、勿体無い事甚だしい。
 (死ぬほど旨かった桃の缶詰 その六へ続く)

2014年7月26日土曜日

柄でも無い事 その四十九




 五十代後半に、シナリオの勉強で夜学に通って居た話はした。ケチョンケチョンにされた、とも書いた。現にされたし。
 其れは全く正しい。TV界で受ける事が目的の学院だから。
 あたしゃあテレビはでいっきれえ、元々見もしねえ。勿論ドラマもだ。其処に入り込んだあたしの不明だ。
 Sセンターの卒業生が、テレビ界のライターの80%近くだそうだ。そりゃああたしと意見が合わない。
 先生は現役ライターの女性。ドロドロした感情を重視する。あたしは、あっけらかんですぱっとした話が好きなので、先生には理解不能な駄作なのだ(涙)。
 唯一人、(やや)理解者が居た。CMやドラマのチョイ役をやって居た俳優さんだ。当然二枚目で有る。自分で俳優教室も開いて居た。彼は、仲間の作品の評価とアドヴァイスが極めて的確だった。ライターになるより、教師になった方が良いタイプだ。
 ブーイングの嵐の中のあたしを、(多分)無理やり良い処を見つけてくれた。「ニーズは有ると思うけど」と。
 見抜くなあ、と思ったのは「大塚さん(作品)は何時でも死に場所を探して居るんだ」との指摘。意識して無かったが、そんなものばかり書いて居た気がする。
 唯二つ受けたシナリオのうちの喜劇も、飛行機のアクシデントで死ぬか生きるかと言う話だ。彼曰く「喜劇も、大塚さんには生死に係わって居るんだ」。
 ま、TV界で受けるシナリオは、あたしには死んでも無理。じゃあ何処で受けるもんなら書けるのけえ? 何処でも受けないの!
 自分で劇団を造って、好きにやるのが間尺に合った処でしょう。だからって、観客を飽きさせたなんて事は、一度も無いからね。劇では受けた。任せて下さい! (ダメ?)

2014年7月23日水曜日

死ぬほど旨かった桃の缶詰 その四





 その尾根の東の桧洞沢にも、遥か昔に黒い破線が有った。勿論今は破線も無い。
 其処を登った時は、もう道だった跡は微塵も無かった。積まれたケルンも崩れたのであろう。ペンキのマークも消えたのだろう。秋の清々しい日に登った事を覚えている。
 分岐から右はユーシン沢だ。此処もでかい滝が無い私好みの沢である。詰め近くの藪は少々うるさかったが、こっちはマニアだ、気にもならない。其の上、上手く詰めれば(上手く詰められたので)水場に飛び出るのだから、後は踏み跡を行けば良いので、最高じゃんかさあ。
 桧洞沢の支流にザンザ洞という、厳しい滝を持つ沢が有る。桧洞丸の周りには、外にも音に聞こえた峻険な沢が、ずらーーーっと並んでいる。勿の論、金輪際絶対、死んでもそんな恐ろしい所には、私は近づかない。ふん、近づけないないんだもんねー。私が詰めるのは、またーりとした沢だけだ。
 それは何処だって?下手に真似されて、何か有ると困るから、金輪際絶対死んでも、言う訳にはいかない!自己責任って事で、調べて下さい。
 しまった、これで桧洞丸へ沢で登った話しは、できなくなってしまった。自縄自縛って、この事なんだ。
 沢も尾根も詰めたが、頂に近づくと、林相が変り、ブナ林帯そのものとなる、春ならば前章で述べた通り、バイケイ草がとても綺麗である。
 青ヶ岳山荘が頂上直下に建っている。大分老巧化が進み、一寸と傾いて居る感じだが、現役の小屋だ。
 初めて訪れたのは、四昔前の四月の頭、見事な雪景色であった。で、その時が、桧洞丸を初めて訪れた時なのだ。
 (死ぬほど旨かった桃の缶詰 その五へ続く)

2014年7月21日月曜日

休題 その百三十三




 “世界の黒沢”はアカデミー賞と縁が薄い。ソ連で撮った「デルス・ウザーラ」が唯一の受賞作だ。晩年に“名誉賞”を受賞したが、今更と言う感じだ。
 黒沢明については、此処で何回か書いた。日本でより、海外での評価が(其れも偉い差で)高いとも書いた。
 一作一作に新しい試みが有る。そして其の殆どが、世界初の試みなのだ。これって、凄く無い?? ぶりっ子は止そう。おっさんのぶりっ子は反吐が出る。
 一つ例を挙げるが、「野良犬」で最後に犯人を追う場面が有る。犯人も刑事も半死半生で走る場面だ。其処に通り掛かりの女学生達の歌う「野ばら」が流れる。当時は、緊迫シーンには緊迫音楽だった。黒沢は其の固定観念を破って、見事に成功した。
 緊迫したシーンに流れるのどかな曲。今ではよく使われるテクニックだ。尤も、下手がやるとぶち壊しになるがね。
 ハリウッドの定番、複数のカメラで撮ると言う方式も、黒沢明からの発生だ。但し使い方が違う。黒沢明はロングショットを愛す。涎が出る程愛す(様だ)。
 十数分のロングカットを、一気に撮る。さも無いと感情が乗らないと言うのが、彼の思想だ。其の考えは芝居に通じるので、不明なあたしにも充分理解出来る。
 ハリウッドは、ワンシーンを複数のカメラで撮って、グッドな絵を使う。黒沢は、ハリウッドでは考えられないロングカットを、色々な角度のカメラの映像でつないで、仕上げる。目指す処が全く違う。
 とことんの拘りで有る。あたしと正反対の手法だ。ま、あたしと比べる事自体がナンセンスなのは、承知して居るけどね。
 十数分のロングを芝居し抜く俳優は、必死だろう。一寸とでも監督のお気に召さなければ、「カット!駄目だ!」で終わりだ。スタッフの冷たい目。ヤダヤダ、出たく無い。フイルムだから、どんなに金が掛かって居るかも分かって居るんだよ。
 黒沢君(失礼!)は、撮影が終わると廃人になると言う。中期以降は入院したそうだ。作品に全身全霊を注いだのだ。
 “世界の黒沢”と言われるのは当然なのだ。