2012年12月31日月曜日

休題 その百一




 此の間の総選挙では、あたしには一つの危惧が有った。社民党、共産党は当たり前だが、死に物狂いになった民主党と、策士小沢一郎(お前も悪よのおぉ)が嘉田氏に擦り寄り、一同一斉に、脱原発、卒原発と叫び始めた。
 前回の総選挙の様に、有権者が情緒(前回は欲?)に流れたら、反原発政党の大勝利となるのではないのか?
 結果が杞憂に終ったのは、目出度い。反原発の主張に逆らう事は出来ない。福島の惨状を持ち出す迄も無く、危険性を孕んで居るのだから、無い方が良いに決まってる。
 反対なのは良いが、じゃあどうする?と言うのが政治で、其れを提示しなければ、スローガンを叫んで居るだけなのだ。詰まり、日本人は二度続けては騙されなかった、と言う事だ。まだまだ棄てたもんじゃあ無い。
 野田さんも嘉田さんも、真摯に取り組むべきだった。
原発を無くせばどれだけ電気料が上がり、どれだけ庶民と企業が打撃を受け、どれだけ経済がへこみ、どれだけライバル諸国を喜ばせ、どれだけ失業率が上がり、どれだけCO2が増加し、どれだけ不安定な電気供給に生活が脅かされるかを赤裸々に語り、それでも、我々は其れに耐えるべきなのだ!!と訴えるべきだった。
 そんな行為は自殺行為だって?結果は同じだったでは無いか。真摯に訴えて居れば、或いは異なった(多少は)結果になったかも知れない。
 票を取らんが為のスローガンだと、見抜かれた訳だ。
 残念な事だが、少なくともあと十数年は、原発は必要悪とせて存在せざるを得ないだろう。でも、何時の日か、代用クリーンエネルギーが開発されるだろう。
 其の日を待つしか無いのが、現実なのだ。
 では、良いお年をお迎え下さい!!

2012年12月27日木曜日

閑話番外 その六十七






 やれ閑話だ、休題だ、番外だとうろついて、何で本文に入らないかと言うと、今度の本文はやや長めなので、どうせなら年が改まってから、と言った極めて俗な発想なので、済みません(ペコリ)。
 写真だけは新年らしく(え、未だ?)しました。
 一富士、二鷹、三なすび、何の事は無い、家康公の好物を並べたものなのだ。併し、一番に富士が来るのは、流石三遠駿の領主だったと思うべきか、気宇壮大と思うべきか。
 家康公唯一の大敗は、三方ヶ原の一戦で、武田信玄に滅茶苦茶に叩かれた事で、為に武田流を何かにつけて取り入れる様になり、結果としての信玄後継者となったとは、前述でしょう。
 甲斐攻めで武田の侍を殺しまくった信長と対照的に、家康は武田の侍は片っ端から雇い、井伊家に預けた。赤い甲冑を着けさせたのが、名高い井伊の赤備えだ。
 どうでも井伊ですね~♪
 と言う事で、皆様にも井伊お年を。え、未だ早い??

2012年12月25日火曜日

閑話 その九十三






 前回の続きになるけど(閑話九十二)、ご同好の三人パーティについて、もう一寸と語りたかったのです。本当にどうでも良いですよねえ。あたしゃあ山野次馬なんで、気になるんです。(迷惑?フン、読まなきゃ良いさ)
 分析するに、年代から見てバラバラで、足が揃って靴音高く下って行くのは、相当の経験者だから、間違い無く何処かの山岳会だろう。あたしがやっと追い掛けたのだから、そうに決まって居る。
 話が違ったって?前回は謙遜したの!あたしだって空身の時(軽いリュックの時)は、下りは結構やれるんだ、今でもさ。でも、彼等の方が上だった訳なのだ。
 先頭がリーダー、次が三十代の女性、ラストが五十代と思われる女性だった。どっちだか不明だが、女性の声が聞こえた。
女性「あ、××さんが転んだ!」
別の女性「え、初めてね!」
女性「でも、お尻を着いてない!」
別の女性「流石××さんね」
 どうです、此れだけで関係も実力も総て分かるでしょう? え、分かんないって??最早ノーコメントです!!
 転ばないリーダーがリーダーなので、転ぶ場合も勿論有るけど、普通は転ばないの。転ばなければ良いのでは無く、皆が転んでも自分は転ばないから、リーダーなのだ。処がそうは行かないのが人生で、えーと、何の話か分からなくなっちまったぜ。
 まあ、路の無い尾根を登るパーティだけの事は有る、と言いたかったのだ。併し、物好きな人達だ。え、あたしに言う資格は無いって?承知してますよーんだ!!
 実に気持の良い人達で有った。尤も、此の日出会ったあと三人、初老のご夫婦も単独の男性も同様なのだ。
詰まり、滅多に人に会わない山域で人に出会うのは、とても嬉しいのです。だからお互いに凄く好印象を抱くのでしょう。え、お前は別だって?ああ、そうでしょうとも!

2012年12月23日日曜日

休題 その百




 休題もついに百回を迎えた。とても目出度い。百回記念に愚痴っちまおうっと♪
 PCがいかれて仕舞った。立ち上げもシャットダウンも、三十分近くを要する。プログラムや記事のロードも、十分以上は待たされる。うっかり何かをクリックすりゃあ、其れで少なくとも十分は画面を睨む事になる。
 あらゆる反応が鈍い。スクロールも、暫く経ってから効いて来るので、動かないからと無闇に回して居たりすると、かくっかくっとどんどん下へ行っちまって、戻そうとすると動かないので……、以下同文。
 文字を書くのも一苦労させられる。キィを打っても反応しない。一寸として出て来る。変換も鈍い。酷い時は五分位動かない。どたまに来て連打すると、飛んでも無い結果となる。とても嬉しい。。。。。
 従って、此の愚ログをアップするにもアップアップなのだ。
 其の上文字化けする。何処迄苦しめてくれんだよ、DELLさんよ。「」は一つ横にずれて居る。()もそう。どっかに行っちゃった記号も有る。未だ探し切れては居ない。
 @の様に絶対必要なものは、探すしか無いの。で、見つけました。シフトを押して2、其れが@でした。マニュアルに書いておいて欲しいよ!!
 以上だけなら、何とか付き合い様も有る、イライラはするけれど。実は此の文を書くのは二度目なのだ。改行したら、画面が薄ブルーになって固まり、以降一切のキィもマウスも受け付けず、強制的に電源を切るしか無かったのだ。結果、打ち込んだ休題その百は、消え去った訳なのだ(涙)。
 倅は、即買い換えないと今壊れても当然な状態だ、いや、既に壊れて居る!と攻め立てる。確かにそうなんだが、たまにはスムーズに動く事も有るので、未だ行けるんじゃないかなあ、と思って仕舞う愚かなあたし。
 マイクロソフト8が出たので、其れ以前の製品は一斉に型落ちだ。買うならチャンスな上に、精神衛生上も其の方がずーっと良いのに決まって居る。CDも読まないし、プリントもしなくなったのだから。
 百回記念に相応しい泣き言、失礼致しました。

2012年12月19日水曜日

閑話番外 その六十六






 続大山の章のGパンにご用心四に、大山中腹の展望台の写真を載せた。小雨の日の写真だった。当然乍ら、誰一人居やしない。
 此の写真は、夏の日の同じ場所。晴れて、蒸して、暑い日だったの。従って、人は大勢居たのだが、日向のベンチで休みたくは無い。写真には、ベンチに向かう二人が写って居るが、まあ、相当の変わり者(失礼)なのだ。
 皆さんはどうして居たかってえと、そこらの木陰に座り込むか、東屋に入って居る。東屋もそんなに広く無く、座って十人、詰めて十五人ってとこだろう。勿論満員だった。
 あたしゃあ、木陰で休んで居た。其処へ十数人の中高年パーティが、賑やかにやって来た。先頭集団の数人が言う。
「こりゃあ駄目だ、暑くていけねえ」
 次々と仲間が来る。
「××さんは?」
「後ろでバテてるよ!」
 まあ、賑やかな事。それで良いので、元気で丈夫が一番だ。足腰立たない年寄りには、あたしも含めて、誰も成りたくはなかろうて。
 で、皆さん木陰に避難した。わーわー言い乍ら休んで居る。良い風景だ。こんなに幸せな国は、絶対にそう多くは無い!
 失礼、休題では無かった。
詰まり、元気な中高年達(含むあたし)よ、元気に山を歩きましょう!!

2012年12月17日月曜日

閑話 その九十二




 「ハイクへのお誘い 檜岳山稜」では触れなかったが、林道秦野峠への登り返しでヒーヒー言って居たら、頭上から声。見上げると五十代の男性だった。
男性「どちらへ?」
私「秦野峠です」
男性「一緒ですね」
 飛んでも無い方向から来た様だ。多分ブッツェ平からやって来たのだろう。
 登り切ると彼等の後姿が見えた。さっきの男性と同年代の女性と、三十代の女性の、都合三人のパーティだった。
 彼等は靴音高く下って行く。追いつけない。何だ?少なくとも下りは速かったんだぞ。と、過去形にしたのは、無意識な自覚が有るのだろう。昔ではないのだ、今は。
 頑張っても、等間隔に付いて行くのでやっとだ。十歳位しか違わないのだが、此の十年の大きさを、認めるざるを得ない。悲しいかって?考え方に依る。己の衰えを拒否すれば、嘘になって、嘘を通すには嘘を重ねるしか無い。だから何だってえと、悲しいよ!!
 林道秦野峠で、休憩して居る彼等に追い付いた。三十代の女性が、あたしの地下足袋に目を留めた。
女性「其のお靴は如何ですか?」
私「具合が良いですよ。唯、今みたいな下は滑りますね」
 一寸と言い訳っぽかった(恥)。リーダーに聞いた。
私「ブッツェ平からですか?」
リーダー「玄倉からです」
 彼は地図にルートを示した。玄倉からブッツェ平へ、道の無い尾根を登って来たのだ。あたしと同好の士で有った。
私「変わったとこを来ましたね(笑)」
リーダー「ええ(笑)」
 彼等と別れ、林道を下って居るとあたしと同年輩の男性に追い付いた。ん、何処から来たのだろう。檜岳は、あたしより前には人は居ない。では、ブッツェ平かい?
私「どちらからですか?」
男性「いえ、林道を往復して紅葉を見てるんです」
そりゃ良い。現に綺麗な紅(黄)葉だ。広々とした谷間の紅葉、素敵で有る。
 そんな一日だったのです。

2012年12月15日土曜日

休題 その九十九




 静岡県とは面白い県で有る。大昔は煙草の新作は静岡県でテスト販売をし、受ければ製品化したと聞いた。今はどうだか知らない。詰まり、日本人の標準的傾向の現れる県と見なされて居るのだ。
 其れも道理で有る。西日本と東日本の線引きは、大井川―糸魚川ラインと言われて居る。いや、天竜川だと言う説も根強い。どっちにしろ、静岡県内で有る。
 県内に、東日本と西日本が同居して居るので、日本の平均にもなる筈だ。
 今は聞く事も無くなった江戸弁は、静岡が起こりなのだ。チビ丸子ちゃんの言葉が、江戸弁の原型の後胤となる。確か舞台は清水だから、ドンぴたりだ。
 静岡県は広い。新幹線の駅が六つも有る。熱海、三島、新富士、静岡、掛川、浜松で有る。広いと言ったが、面積で広い県は一杯有る。文化が広い、とでも言おうか。
 昔は三国だった。伊豆、駿河、遠江(とおとおみ)だ。文化が広い筈だ。唯、北部の山沿い(南アルプス南部)を除いて気候は温暖、魚は豊富で温泉迄豊富、他県の人に言わせると、人間がぼんやりしていけない、となるが、羨ましがって居るのだろう。
 サクラエビの産地は、日本では駿河湾のみで有る。もっとも、スーパーで売ってる安いサクラエビはオキアミなのは、ご承知の通り。味が(値段も)全然違う。
 静岡の蟹と来れば、ワタリか高足だ。ワタリは身が少ないのて、汁に入れる事が多い。良いダシが出て美味で有る。高足は大味なので、殆んど食べる機会は無いだろう。あ、高足って例の、深海の無闇と足の長い巨大蟹です。駿河湾は深いので、色々な生物が生息して居る訳なのだ。
 伊勢海老と金目鯛も静岡の、と言うより伊豆名産で有る。金目は煮付けが一番だとあたしは思うが、好き好きなので、何とも言えないのですなあ。
 静岡独特のオデン種は、ナルトだ。あの、昔風のラーメンに入って居る、渦巻きのあれで有る。其れを丸ごとオデンにぶち込むのだ。食べた事は無いが、うん、良いかも知れない!
 茶臼から縦走するにも、二軒屋に入るにも、静岡駅から三時間もバスに乗らないと、其の入り口にすら取り付けない。矢張り、広い県では有りますなあ。

2012年12月13日木曜日

Gパンにご用心 その五



 

 古道なので風情たっぷりだと言いたいが、無闇と林道を越えるのが難点だ。但し道標は完璧なので、迷う事は無い。
 小雨の降る中、ご苦労にも其の古道を登った。下社からの道が合流する所で休んで居たら、初老の男性が登って来た。好き者は私だけでは無かった訳だ。ガスと雨なのに。
初老「いやあ、此れじゃ天狗が出ても当たり前ですな」
私「はっはっはっは」
初老「何も見えないし、暗いし、一寸と気味が悪くなりました」
私「雨の日はこうなんですよね」
 大山は別名雨降(あふり)山と言う。相模平野が日照りなら、雨乞いをした。霊験明らたかだったそうだ。成程雨が多い訳だ。それに天狗が売りでも有る。うっかり天狗が出て来ても、決して不思議では無い。
 前述の通り、大山東面の尾根はSとKが、散々私に引張り回された一帯だ。山神隧道から尾根に上がり、西へ登って大した藪にも会わずに、唐沢峠からの登山道へ首尾良く飛び出した事が有った。とても目出度い。
 処が此処からが笹の尾根で、両側から覆い被さって居る中をザワザワと登るのだ。ラッキーな事に前日の雨でたっぷりと濡れた笹だった。尚も良くしたもので、SはGパン姿だったのだ。
 進むにつれ三人共ずぶ濡れになった。雨具を着ければ良かったのだが、其れ程でも無かろうと、甘く見たのだ。笹から出た時は濡鼠、チューチュー言う有様。特にSはGパンが濡れて、硬くて冷たくてどうにもいけない。
 震え乍らSはGパンを脱いで絞った。「Gパンは駄目だなあ!」と呟き乍ら。それからSの装備は一新され、常に最新装備となった(と思う。遠い記憶)。
 と言う訳で、色々に楽しめるのが大山の良い処。体力に合わせてお楽しみ下さい。

2012年12月10日月曜日

閑話 その九十一






 やがて本文でも触れるが、丹沢の夏は暑い。前にも何度か書いて居るだろうから、皆さんご存知でしょう。え、覚えて無いのかって?覚えてっこ無いだろが、酔ってんだから!
 えーと、酔っ払いは自慢にならないので、忘れて下さい(ペコリ)。
 秋になったら話は違う。全く違う。だもんで、バスは臨時を出しても、大倉のバス停には人が溢れる。但し土日休日の事だそうだが、其れは昔と同じだ。もう冬になってから秋の話、相変わらずの間抜けです。
 十一月になって塔へ登ったが、汗はかくけど途中迄で、あとはらっくーに塔に登ってまった。蒸さないとは、こんなに凄いんだ!!
 空気が爽やかなのだ。空も抜ける様なのだ。皆さん満を持して、どっとお出掛けになるのは、極めて当然の現象で有る。
 其の上、稜線では黄(或いは紅)葉の真っ盛り、彩り鮮やかなシーズンと相成った。中腹のもみじは未だだけれど、其れも時間の問題だろう。
 堀山で十数人のパーティが富士を撮って居た。関西訛りが聞こえる。リーダーらしき人に声を掛けた。
私「どちらからお出でですか」
其の人「徳島です」
私「え、そんなに遠くから」
 ツアーだろう。其のリーダーらしき人がガイドと言う事だと、見て取った。遥々と丹沢へ、ようこそ!!
 あたしが塔から下って居ると、其の徳島パーティと擦れ違った。ガイド氏に声を掛けた。
私「今夜はどちらです」
其の人「蛭ヶ岳です」
私「晴れれば良いですがね」
其の人「ほんまに」
 登って居るうちに、真っ青な空に雲が広がり、頂上に着いた時には曇天となって居たのだ。折角四国から来たんだから、晴れてやってよ、と言っても聞いては貰えないだろうが、そう願わずにはおれなかった。



 結局晴れないと見極めて予定を変え、鍋割への途中の小丸から小丸尾根を下って、ひたすら林道を大倉へ向かい、O屋で一杯やったのでした。

2012年12月8日土曜日

Gパンにご用心 その四





 写真は、小雨に煙る展望台です。
 前述の通り、辺室山の帰路小沢を下って居て、枯れ木を掴んだYは枯れ木が折れて、初めて落ちた。尤も奇跡的に、落ちた途端に脚が大きな木に掛かり、落ちずに済んだ。思えばYは奇跡的に何度も、助かって居る。
 尤も、助かって居なければ、私はYの家族にどんな目に合わされて居るやら、思うだに恐ろしい。Yよ、助かってくれて有り難う。
 辺室山から更に北へ行けば土山峠で、南山(経ヶ岳・仏果山の山域)に接続する。今は土山峠の直下迄宮ヶ瀬湖の湖水が来て居る。結構驚かされるのだ。
 大山に戻ろう。見晴台から其の儘下るのが九十九曲で、前述の私が下駄で下った路だ。実際は、九十九も曲がっては居ない。桜の名所と聞いては居るが、桜の季節に行った事が無いのは間抜けな話で有る。
 九十九曲の比高四百五十mをジグザグに下るとすぐに、日向薬師へ着く。歴史を感じさせられる薬師堂で、落ち着いた雰囲気の良い所だ。バス停から僅か二十分だから、立ち寄って見たる価値は充分有る。
 雨上がりに訪れた事が有る。参道を掃いて居る人から丁寧に挨拶された。挨拶を返したが、閑静な薬師堂で有る。
 或る春の日、日向薬師のバス停に着いたら、一時間程待たねばならない。えーい、面倒だと歩き出し、其の侭伊勢原迄歩いた事が有ったが、一時間半位は掛かった覚えが有る。従って余りお勧めはしない。
 大山に登る最短ルートは、ヤビツ峠へバスで登り、其処からイタツミ尾根で一時間十分で頂上だ。あっけない程で有る。其のかわりヤビツ峠へのバスは、長蛇の列を覚悟しなければならない。私はご免だ。蓑毛からヤビツ峠へ歩く。



 一寸と変り種がお好きなら、蓑毛から入り、石灯籠の分岐を右に行き、蓑毛越から大山と言う手が有る。「ハイクのお誘い、蓑毛から大山」を参照されたい。
 (Gパンにご用心 その五へ続く)