くどいですが、昭文社の地図を頼りに今日迄来たのです。最初に紙を棄て、今の素材(何て呼ぶのだろう?)に変えた時は衝撃的だった。其れ迄は、雨の山行の後で地図を買い換える(昭文社、五万図を問わず)のは普通の事だったのだ。
何でだって?雨に濡れた紙は、印刷されたものを不明にしてしまうのだから。等高線なんざ真っ先に消える。それに破けるし、くちゃくちゃになるし。
雨の中で地図を開ける。今では当たり前だけど、当時(大昔)は有り得なかった。そんな事した瞬間、地図が死ぬ。従ってマップケースを持って居る諸君も結構居た。要するに地図を濡らさない為のケースだが、大昔の事だから出来が粗雑で、濡れて仕舞う事が多かったのだ。と言うより、どうしても雨の中(其れも山の雨)では、何でもかんでも濡れて仕舞うので、仕方無いのでした。
其の頃(何時だよ)、加藤剛が主演で冬山を舞台にしたテレビ番組が有った。何て題名だかは、聞くだけ野暮ってもんで、死んでも覚えてっこ無い。
本当に雪山で撮影した作品だったので、感動ものだった。加藤剛も必死にラッセルをし、其の点迫力満点だったのだが、加藤剛がマップケースをぶら下げてラッセルをして居る。当然、在り得ない。誰もマップケースをぶら下げて冬山へは行かない!!
どうでも良い事を勝手に思い出し、一人で興奮しまして、失礼しました。地図に戻りたいと思います。
従って、昭文社は革命を起こしたのだ。其ればかりでは無い。五万図を頼りにして居た時代に四万図が提供されれば、こんな有難い話は無い。其れを昭文社がしてくれたのだ。凄く偉い!!
いや残念な事に、昔は偉かった、と過去形にせざるを得ない。
前にも嘆いた通り、最近は皆五万図にしてしまってくれて、お陰で細かいヒダなんざ読めっこ無いし、其の上完璧な目標の送電線も鉄塔も記入されて無いし、濡れても良いだけの地図になっちまった。ま、其れだけでも助かるんだけどね。
此処は決して、昭文社を責める章では無いのだった。
遥か前にアップした「消え行く路」で、昭文社への恨み言は、確りと述べて置いた(何の意味も無いけど)から、もう良い。責めても甲斐が無い。
主題は、地図を必死に読む時の話で有る。
ま、どう考えても、碌な状況では無いでしょうな、地図を必死に読むってえのは、はっはっはっは。
前述、後述、何でも有り放題、割り箸割り放題、って事にして下さい。さも無いと、此の話はもう掲載したかな?此れは、此れから掲載するんだったけな?と、調べるのが面倒だし、大体からして調べない。理由は私の不精+アルコール。
(地図でも濡れ放題~♪ その二へ続く)
2010年11月28日日曜日
地図でも濡れ放題~♪ その一
2010年11月27日土曜日
閑話番外 その三十八
2010年11月23日火曜日
クソ面倒な話 その二十五
その二十二でUFOに触れた。ETIの地球訪問の全面否定は放棄するとも書いた。
混同し易いのは、UFOとETIの地球訪問は別の問題で、UFO即ETIでは無い。
UFOについては、数カ国の政府が詳細に調査したが、大体95%以上は錯覚だと判明しており、残りの数%のうちの多くも、何の錯覚か特定出来ない、位のものの様だ。
ほんの一寸と、何とも説明不可能な事例が残る訳だが、此の広大な大自然の中、説明不可能な事だって有らあな。一々騒ぐには及ぶまいて。
従って、UFOは有っても良いし、無くても構わない、とあたしは考える。飛行機を落としたり、街を焼き払ったりする訳でも無くUFOフアンを喜ばせるだけなのだから。
問題はETIだ。ETIの地球訪問の全面否定を放棄するのは本当だが、肯定した訳では無いのは勿論だ。全面否定するに足る証拠、或いは根拠が無いからに過ぎない。疑わしきは有罪とせず、と言う事。
ETI(と思われる)何者かに依る、被誘拐者の研究レポートがあたしの考えを多少変えたのだが、前述の通り、モロに疑っては居るのだ。催眠療法に依って記憶を辿るケースが多いが、其れがそもそも怪しく感じられる。
明確な記憶が有る場合も有る。しかも複数の人間が同時に誘拐されて居たり、複数の目撃者が居たりする。確かに不思議だ。聞き取りでは、状況も同じなのだから、何者かは存在したのだろう。
しかし、あたしゃあどうしても、其の何者かをETIと結び付けられない。理由は既に述べたので繰り返さない。
では、実在したとしたら、其の何者は何だろう。地球外文明からのロボット?ETIと同じ理由で却下。
狐に化かされたってえのはどうです。ふざけるなって?え、モロ本気なんですよ!
2010年11月22日月曜日
閑話 その六十一
あたしはツエルトを二張持って居る、とは前に書いたかも知れない。灰色の奴は通気性抜群で、冬山でも氷の花が殆ど咲かない。蒸気も逃げて仕舞うのだ。其の代り水も通す。従って雨の時はびしょびしょになっちまう。
二十代の後半で購入したので、四十年弱前の骨董品で有る。しかし、未だに現役で働いてくれて居る。此のタイプは、あたしの以外は見た事も無い。とっくに杯盤なのだろう。
もう一張はグリーンの薄手で、前出のイラストだが、右のがそうで、三十代半ばの購入だから三十年弱前の、此れまた骨董品だ。
詰まりあたしは、実用的骨董品に囲まれて生きて居るのですなあ。
こちらは通気性が無い。冬には氷の花が満開となる。其の代わり雨には強い。
驚いた事に未だに現役で、山でも見かけるし、店でも売って居る。成功した一品と言う事だろう。何せ軽いし小さくなるし、不時の為のツエルトとしては、申し分無い。現役なのは至極当然なのだ。
何で其のベストセラーのツエルトを買ったかと言うと、灰色のツエルトをIに貸して、其れっきりになったからだ。アイゼンとピッケルも、其の時Iに貸した。勿論Iは全て持って居るが、後輩用だ。
私「I、ピッケルはどうした」
I「あああれか、切り詰めて使ってる、便利してるよ」
切り詰めた?畜生、岩用にしやがったな。
私「アイゼンは?」
I「消耗した。役立ったよ」
消耗した?もう無いって事か!
私「ツエルトは」
I「ツエルト?さて、どうしたっけな」
け、どうせ消耗したんだろうよ。で、必要に迫られグリーンのツエルトを買った後で、見つけたと見えて返して来たので、二つになったのだ。
Iを酷い奴だと思いますか?アイゼンもピッケルも駄目にして、結局あたしは買い直したのだから。決して安くは無いのだ。
登山道具とはそう言う物なのだ。使われて居ない時は必要な者が使う。結果として消耗して仕舞う事も有る。
Iに貸した時は、丁度あたしがアイゼンもピッケルもツエルトも使用しない十年弱だったので、そんな事になったのだ。
グリーンのツエルトにはオプションでポールが付いて居た。鉄の重い奴だ。買いました。此れで完璧な簡易テントだ。でも、重くっちゃツエルトの役を果たさないんじゃ無いの?
グリーンのデビューは晩秋の(詰まり初冬の)甲武信岳、寒かった!ツエルトはテントでは無い。其の上ポールがやけに重くで苦労だった。カーボンのポールを売って居たので買った。これで軽く使えるぞ!
う~ん、最後迄勘違いだなあ。
何十年も働いてくれるツエルトよ、有り難うね。
2010年11月20日土曜日
雪山の喫茶店 その六
ハーハー言い乍ら鹿島槍のピークに立ったが、残念、一瞬雲の方が早く、ガスのピークで有った。従って白一色、何も見えやしない。う、う、私がもう少し速ければ、白馬迄一望だったものを(涙)。
嘆いても仕方無いので下る。暫く下るとガスから出る。でも、北側はピークの向こうなので見えない。とても悲しい。
小屋の前迄戻った。急ぐ必要も無い。此の章の題名は「雪山の喫茶店」だから、題名に副って行動しよう。ん、因果関係が破れて居るぞ、ま、書いてる奴が雑な頭なんで、良いとして下さい。
雪の階段を下ってアイゼンを外し、小屋に入ってテーブルを前にした椅子に座る。バイト君が顔を出すので、コーヒーを注文する。するとコーヒーが運ばれて来る。客は私のみ。煙草をくゆらし、コーヒーをすする。当たり前の風景で有る。
処が全く当たり前じゃ無いのだ。場所は後立山稜線上の冷小屋、季節は春。
残念にも窓からは雪の壁しか見えないが、一歩外に出て見れば雪山のど真ん中なのだ。其処へ立ち寄って飲むコーヒー、何て素敵なんだろう!!
私が、誰かから其の話を聞いたとしよう。
私「良いなあ、俺もやりたいよー!」
絶対言うに決まりきった台詞だ。
贅沢?一寸と違う。うーん、矢張り“素敵”としか表現出来ない。素敵って、こんな場合の為の言葉かも知れない。
当時は素敵とは思わなかった。小屋が開いてて時間が有た、コーヒーでも飲むか、ってな調子で唯コーヒーを飲んで、アイゼンを着けて爺を越え、テントへ帰っただけの事なのだ。
今になって、堪らなく素敵な状況だと思うに到ったのは、もう簡単には飲めないコーヒーだったんだ、と気付いたからだろう。
やって出来ない事では無い。よし、やってやろうじゃないか、と決めるのは簡単なんだけど、雪の尾根を、こぶを越え越え登るのは、決して楽では無い。当時でも辛かったんだから、今ならどうなっちゃうんだろう?
日数を増やすしか無い。三日掛かった山なら四日掛ける。機会が有ったらやって見ましょう(本当けえ、逃げ腰じゃないのか?……まあね)。
後からシミジミ思うもの、唱の文句じゃ無いけど、若くて動けるうちは、どんな状況なのかも分からず、いや、気にせずに好き放題歩き回って居たって事ですなあ。
いけねえ、完全に爺さんの文章になっちまってるぜ。反省(ペコリ)。
何、行ける山へ行けば良いので、其処は其処の良さが有るに決まって居る。
とは言いつつも、再度訪れるかどうかは別にして、雪山の喫茶店でコーヒーを飲む経験をしておいて、本当に良かった。だって、滅多に出来ないですよ。
2010年11月17日水曜日
柄でも無い事 その二十五
実はあたしゃあ和服が似合う(と思って居る)。
へっへっへ、自分で書いてて恥ずかしい(汗)。でも此処は柄でも無い章なんだから、ピッタリ看板には合ってんです。
浴衣で歩く事も、たまにゃあ有る。粋なんだ、此れがさ、あ、何て事をシャーシャーと書いてんだ(汗又汗)。
理由は簡単なんで、和服ってえのは日本人の体型に合わせて造り上げられた物なんだから、あたしは典型的日本人の体型って事だ。
詰まり、胴長短足。全く其の通りなんで、否定をする気も無いし、必要も無い。
胴長短足なら全ての人が、和服(或いは浴衣)が似合うって訳では無い。
此れは和服に限った話では無いのでは?どんな高級な服(俗に言う洋服)を着て居ても様(さま)に成る成らないは、有る筈だ。いや、絶対に有るに決まって居る。
ヨーロッパ人からアメリカ人を見れば、そうだろう。アメリカ人からニュージーランド人を見れば、又そうだろう。詰まり、文化の深さなんですなあ。
で、あたしが和服が似合うってえのは、着こなすって事で、暑い時は袖をまくって裾をからげるのだが、皆さん、そんな事を知らない。大体帯を腰骨で巻いてる人も少ない。バカボンみたく、ウエストに巻いて居る。何だそりゃあ、浴衣を知らないのかい?
馬鹿利口と関係無い。文化の問題だ。
自国の文化伝統を伝えるのが、大人の役割なのだが、大人が文化伝統を失って居る。従って、後には伝わらない。
大体、粋って感覚が無くなってきた。代わりとしてクールが近いかな。
いや、粋とクールは矢張り違う。濃さが違う。文化の無いアメリカに影響を受ける事が大なのだが、一寸と立ち止まって考えて見よう。え、立ち止まってる暇も無い?そんなんじゃ駄目だ!
忙しい世の中になった。何時頃からだろう?誰でも、何時でも、忙しがって居る。携帯の普及と共にか、もう一寸と前からか、いずれにせよ、良い傾向とは思えない。全体で仕上げる仕事が増えて居る訳でも無さそうだし。
忙しいとは心偏に滅びると書く。余り忙しがって居ると、知らぬ間に心が滅びるって事でしょう。
何の話だか、分からなくなっちまった。例に依って何時も事だ。何を語りたかったか忘れちまうのだ。椿沢のMもそうだった。多分今もそうだろう。
浴衣が似合うだの、粋だのって、のっけから人を驚かしてどうしようってんだ、一体。
詰まり、そのお、普段作業着で臆面も無く電車で通勤し、一見して分かる現場(げんじょう)作業員としては、違う姿も有るんだぞ、と言いたかったんでしょう、多分。
我乍ら、そう思うと哀れですなあ、はっはっはっは(涙)。
2010年11月14日日曜日
雪山の喫茶店 その五
で、肩に目出度くテントを張って、翌日は鹿島槍ピストンだ。前年は天候不順で追い返されたが、今年は行けそうだ、シメシメ。今年って何時?当然の質問です、二昔前の春だと思って下さい。
朝が来た。読み通りの晴。何の読みかってえと、夜半からやけに冷え込んでバリバリと凍りつくからだ。雲が無いので温度(?)が空に逃げて行くので、晴れる朝は冷え込む事になって居る。
テントから顔を出すと満天の星。わー、やった!!!
え、何をやったの?私は何もやって無いのは当然で、天気が良いのを喜んでんです。だって、やっと二回目に巡り会ったチャンスなんだから。
余計な説明をしよう。嫌だって?そうでしょうとも!
前の年か、其の前の年か忘れたけれども、同じルートを行って幕営し、結局天候に恵まれずにテントで丸一日暮らして、結局スゴスゴ下ったのだ。冷たい雨に打たれ乍ら硬い雪をを踏みつつ下ったのだが、思いの外意外と(馬から落ちて落馬して)悲しいのだ……。
良くしたもんで、そんな時には一つもテントなんざ有りゃあしねえ、間抜けな私のだけがポツンと有って、雨に打たれ、風に吹かれて居る訳だ。
で、此の年は他に二つテントが張って有った。皆さん確りと天候を読んで居ますなあ。私も一応読んでは居たのだが、何処かに「何とかならあな」と言う気持ちが有ったのだろう。は、そんな気持ちは無い。薬にしたくとも無い。
大慌てで食事を済ます。前述だが快晴の朝は心がせく。くわえ煙草で準備を進める。ボヤボヤなんざあしてられない。たって勝負は、晴れて居るうちなんだから。
二つのテントの諸君は、未だ準備中の様だがこっちは単独の強み、身軽が売りなのでトップに飛び出る。昔々だから、爺には簡単に立てる。今なら此れだけで一苦労、二十年とは、文字通り世の中を変える長さなんです。あっと言う間なんだけね。
振り向けば、針の木から延々と続く主稜線、槍が頭を出し其の後ろには真っ白な穂高。右に眼を転ずれば、薬師から立山、剣。そして進行方向には秀麗な鹿島槍。贅沢な環境此の上無しなのだ。唯、一寸と霞んで居るのが気掛かりだ。
ゆっくりとはしてられない。天気は下り坂、目的地は鹿島槍なのだ。冷に一気に下る。勿論今なら、ノロノロと下る事になる。
お、小屋が開いて居る、流石五月の連休だ。小屋は半分雪に埋まって居るので、玄関周りを掘り出して、雪の階段で下るようになって居た。尤もあたりには人影なぞ無かったが、泊り客はとっくにお出掛けなのだろう。
横目で小屋を見乍ら歩を進める。変な雲が湧いて来たのだ。山の天気は変わり易い、雲と競走になっちまった。
(雪山の喫茶店 その六へ続く)
2010年11月13日土曜日
閑話 その六十
関東以北の最高峰は、日光白根山で、2578mの標高だ。
三昔前の秋の日に登った事が有る。奥日光の湯元温泉スキー場から取り付いた。一番当たり前なルートで有る。
何たって大昔だから、殆ど覚えちゃ居ないのだが、紅葉の真っ盛りだった覚えは有る。微かな記憶では唐松が多かったので、黄葉が正しい訳だ。
避難小屋泊まりの二日行程だったが、誰にも会わなかった。ん、初日は曇り、二日目は時々雨だったんだ。誰も登って来ないのは無理も無い。
天候不良の黄葉の山を独り占め、豪華ですなあ。こうなりゃあ天気なんざどうでも良くて、一人の山を楽しむのだ。
どうやって楽しむのかって?頂上で小雨を楽しんだり、何も見えない景色を楽しんだり、濡れて滑り易い急な下りを楽しんだり、色々楽しみ方は有るもんなんです。そんな微妙な問題は放っといて欲しいですなあ。(何其れ)
でも、雨の色付く山は、掛け値無しの幽玄さで、あたしは好きなんです。一寸と変態っぽいって?違う、行って見れば分かるって。
日光白根は、四昔前の春に、雪に登山靴を蹴込み乍らピッケルも持たずに、五色沼を見下ろす地点まで登った事が有る。其処からは傾斜が増すので、其処で引き返したが、白銀の奥日光の山々は素敵だった。流石北関東の山々で有る。
積雪期に登った奥日光の山は、日光白根だけなのだ。本当は彼方此方にお邪魔すべきなのだろうが、上越に関わりあって長いので、そっちに眼を向ける余裕が無かった。
併し、上越の山ももうじき区切りが着く。そうなりゃあ、奥日光か会津の山々へ眼が向くのだろう。尤も眼が向くだけで、体が向くかどうかは、分からないと言うのが、情無い事に現状です。
上越の山に区切りを着けるとは、終ったと言う意味で、全部歩いたとしようと決める事なのだ。決めるって何?
其れは、上越国境線の東端は、景鶴山を通って尾瀬へと続いて居るのだが、入山禁止の景鶴山を登る気はあたしには無いので、景鶴山は上越の山から意識的に外して居るのだ。
上州、詰まり群馬県、越後、詰まり新潟県。其の県境を分ける長大な山の連なりを、上越の山と呼ぶ。やがて詳しく説明しましょう。
其の上越の山と会津の山は親戚見たいなもんで、双方共豪雪地帯、簡単に入れないのも共通して居るのだ。(最近は違う見たいだが)
其の入り口が日光、或いは尾瀬。
大分前から会津の山を睨んでは居たのだが、もうじき入れるかも、知れない。上越が済むんだから。
とは言っても、他にも行きたい雪山が目白押しなんだし、其の上毎年体力は落ちるのだ。
会津には行かずに死ぬのだろう、きっと。
写真は、無断の借り物で(ペコリ)、会津の山からの日光白根方面です。
2010年11月10日水曜日
雪山の喫茶店 その四
男女の仲とは、山の実力とは何の関係も無いって?全く其の通りです。道理です。でも、男前でも無いNがなあ。人間的魅力がものを言った、と言う事なんでしょう。
男女の仲の機微が分からないのは私の売りで、四の五の言うだけ己のアホを晒して居るのだから、此処で引っ込みましょう。
片手に入る人だった、と過去形にしたのは、病を得てリタイアしたからだ。さも無ければ、田部井さんの様な存在になって居ただろう。
ん、Nの奥さんはマスコミに乗るのを嫌うかな。多分嫌うだろう(私の思い込みが入ってるんで、保証はしかねます)。だから、もしも現役で居ても、知る人ぞ知る、の人だろう。(そう言う人で有って欲しいと言う私の欲なんで、無視して下さい)
Nが、私と冬の赤岩尾根から鹿島槍に入る言った時の奥さんの言葉が流石だ。
奥さん「爺ヶ岳南尾根をラッセルした方が、余程為になるわよ」
此の鬼妻!!
Nも私も、人生の厳しさの「為」を知りたいんじゃ無くて、冬の鹿島槍に登りたいんだよ!良いじゃ無いか、其の位のプチ冬山を、 亭主が古い友人と共に楽しんだってさ。
でも、流石女房相手に熟練したNは、何だか分からん事をもにゃもにゃ言って、話を終らせた。とても良かった!とことん突っ込まれてたら、とても勝ち目は無い場面だった。
すると、胸迄のラッセルをNとする羽目になっちまうので、爺ヶ岳には何時着けるんだろう?
ラッセルには持って来いとNの奥さんの言う其処の尾根を、を私が春に何度か登った訳だ。サイン曲線(喩えですよ。くどい?)が有っても、ラッセルが無いだけ、確かに遥かに増しだ。あ、違いました、滅茶苦茶増しだ!
思えば、地獄の石楠花漕ぎを初めて経験したのも南尾根だった。冷の小屋へ行く道から始まるのだが、直ぐ雪で進めなくなるので、尾根へ逃げるのだが、踏み跡を見逃して川原沿いに進んで、雪に阻まれて気付いた。外したぜ。尾根への入り口を見逃したんだ。
右に登れば南尾根だから、無理やり雪と石楠花の斜面に取り付き、力任せに登って行ったのだが、粘りの有る石楠花の威力を嫌と言う程思い知ったのだ。しかも、滅茶苦茶急斜面を雪を蹴って石楠花を漕ぐんだから、決して楽では無かったのだ。
それでも、足元が雪で良かった。這松だったら、登らない。引き返して登り易い所を探す。這松と石楠花の連合軍を相手にするなんざ、キチガイ沙汰だ。
2010年11月7日日曜日
休題 その五十三
本文の雪山の喫茶店で、山とは全
く無関係な、ニューギニア戦線での人肉食に触れたが、あたしは人肉食を否定しなかった。人でなし!と思った人も居るだろう。多分其のは、飢えを知らない人だろう。
本文でもお断りした通り、あたしも飢えを知らない。唯、知識として極限の飢えを幾つか読んだに過ぎないのだが、あらゆる理性やモラルや其の仲間を吹き飛ばし去る猛威が、飢えには有るらしいなあ、と思って居る。
飢えとは、人をして人で無くする存在らしい。俗に言う緊急避難の状態が、何時迄も続くのだと思うのはどうだろう?
余計な説明だろうけど、緊急避難とは、緊急の場合人に害を与えても罪に問われない、と言う規則だ。たとえば海中で一つしか無い救命具を誰かと争って自分が勝ち、結果として相手が溺死しても、無罪と言う事。
自分の心に残る傷は別にして、法律で裁くべき問題では無いとの意味だろう。至極当然で有る。黙って相手に救命具を渡して沈んで行くのも良し、あくまで戦って勝ち取るも良し、其れを裁けるのは、少なくとも人間としての存在では無い、と思う。
で、人肉食に戻ると、無補給で一ヶ月戦った大隊では、「俺が死んだら皆で喰ってくれ」と言う言葉が交わされて居たらしい。
常にやって来るのは銃爆撃と砲撃。息をつく間も無い。たまに生身の敵兵が現れれてくれれば、武器弾薬と水と食料の補給だ、とあたしなら思う。引き付けて撃ち殺し、火事場の馬鹿力で壕に引き吊り込んで(仲間も手を貸すだろう)、……後は言わない。
其れを、人間として許せない行為だとのたまって処刑するなんざ、何を思い上がってんだよ!としか言い様が無い。貴方が裁いた相手は、人間として生きる事を拒否された一つの(或いは幾つもの)命で有って、人間として許せない行為と言う概念が当て嵌まらない存在だったと、あたしは思う。
本文とダブるけど、人間を人間で無くする状況に追い込んだ軍参謀部の責任だとしか思えないので、刑場の露と消えるべきなのは、参謀殿、本来は貴方なのです。
人肉食で許せない事例も有る。グアムで兵士が民間人(日本人)を殺害して食べた件。フイリッピンやビルマで多発した、単独の友軍を襲って喰う件。ニューギニアでも同様の例は幾つか報告されて居る。
へー、敵なら食っても良いが、味方は駄目なのか、緊急避難じゃ無かったのか?
こう答えよう。ニューギニアの部隊は戦い続けねばならず敵を食料とした。己の保全の為に味方を襲い殺して喰う奴とは、動機とやり方が全く異なる。味方を襲う(増して民間人を)奴らは畜生以下で有る。ハンガーデスは当然だ。
動機が異なれば、罪も異なるだって?そう、全くその通りなのだ!!
2010年11月6日土曜日
雪山の喫茶店 その三
あらあ、内容がモロに休題になっちまったぜ。少なくとも「丹沢と共に」の本文なんだから、らしく有るべきだ(って意味分かんないって?うーん、そうねえ、一応丹沢を中心とした山のブログなんで)。
此のぶっ飛んじまった話の続きは休題でって事で、納得して下さい(ペコリ)。
さて、春の北アルプスに戻ろう。
前出だが、一番入り易いのは爺ヶ岳で、雪のヒダが酷い時以外は、何とか爺ヶ岳の肩に辿り着く。ヒダが酷い時は、一寸と苦しまされるかも知れない。
ヒダってなあに?当然の疑問です。お答えしましょう。サイン曲線をザーッと長く描いて下さい。X軸は100位迄使いましょう。其れが雪の凸凹だと(無理にでも)思って下さい。スケールは、X軸の一刻みが5mってとこでしょう(好い加減な勘なんだけど)。
其の表を45度に傾けます。連続する曲線こそが、雪のヒダです。一つ一つ垂直に登って乗り越える。下手すっとオーバーハングになってる事も有る。其れはひどく邪魔だって?当たり前だろが!
済みません、分かってる人にはとっくに分かってるだろうけど、サイン曲線を出した時点で、目茶苦茶オーバーな喩えなんで、本当にサイン曲線を傾けたのなら、蟻や蝿しか歩けなくなるんです。外の小さい虫も歩けるだろうけど。
詰まり、邪魔な雪の壁が有る時は(其れも幾つも)大変な思いをするんだ、と言ってるだけの、「だから?」と私でさえ訊きたくなる様な無意味な繰言(くりごと)なんで、出来たらば忘れて下さい(じゃあそんな事書くなって?ご尤も!)。
爺の肩は、幕営には持って来いの地形で、大抵一つか二つはテントが張って有る。或いは、前後したパーティがテントを張る。
何度か登ったが、毎年様子が異なる。楽な年はスイスイのぼれる。楽で無い年は、サイン曲線状態(前述、出鱈目な喩え)の雪の壁が連続するので、ヒエー、勘弁してよー!と悲鳴をあげる。此れは私だけでは無い筈だ。誰かに確認出来たら、して下さい。
尤も最近は、雪の量が減って居る様なので、昔の様な苦労はしない見たいだ。其れは、一寸も嬉しく無い!
滅茶苦茶なNの奥さんは、日本の女流登山家として片手に入る人だった。Nを知る人は殆ど居ないに決まって居るが、奥さんの名を言えば、殆どの登山家(私は登山家では無いので、知りませんでした)が知って居るらしい。其の世界は其の世界なのです。
不思議なのは、何でNが其の彼女をゲット出来たのだろう?其の山岳会のマドンナだったのに(Nがニヤついてそう話してくれた)。
2010年11月3日水曜日
クソ面倒な話 その二十四
科学とは絶対では無いけど、信頼に足ると 誰もが思って居る。本当けえ?(失礼、Mの 口調になっちまった)。
言い直す。科学を疑う人間に出会った事は マレで有る。勿論、キチガイやカルトの一員 やアルツや馬鹿は除く。 酷い(ひどい、です。むごいでは無いのです)言い方だって?正確に言うとそうなるので、ご容赦を。
科学的とは簡単な事で、或る仮説を立てたら、其れが検証出来る事。実験でも観測でも可。そして、其れが再現出来る事。
大分前に常温核融合が成功したと大騒ぎになったが、あれは其の後誰が追実験しても失敗したので、インチキだとバレた例だ。
仮説が実験で実証されれば、取り合えず真理と認められるが、絶対では無い。何故かと言うと、仮設がより大きな仮説の一部を成して居て、たまたま其の件(実験した対象)には有効だった可能性が有る。
其れがはっきりしたら、すぐさま教科書は書き換えられる。従って、科学とは変化して行くものなのだ。今日の真理が明日の真理とは限らない。
そう、科学とは、真理がどんどん変化して行くものだ。でも、其の様な存在は真理とは呼ばないのが普通では?
実験出来る対象は良い。量子力学は多分、もう実験不能な領域に踏み込んだのだろう。大金を注ぎ込んで如何に巨大な加速器を造ろうと、クオークは取り出せないのだから、残るは数学の力での推論しか無い。
宇宙論も、実験出来ない。従って数学と観測に頼らざるを得ない。量子力学も宇宙物理も、結構危ない橋を渡って居るんだろう、とあたしは思って居る。
背景輻射、3Kだったっけ3,5Kだったっけ、ビッグバンの強力な照明と言われて居るけど、外の所為かも知れないじゃない。たまたま、だとか。え、あたしの頭が雑だって?知ってます!
日本は別にして、ビッグバンは終った。ホーキング自身が、ほぼ認めた。宇宙の大規模構造の説明が、完璧に不可能なのだ。
遥かに巨大か微小な世界には、人間は踏み込めても、解き明かせないんじゃ無いかな。人間の領域では無いと言う事で。
量子力学だって、如何にも尤もらしいけど、電子の軌道は整数値の飛び飛びで有り、エネルギーを失うと下の軌道へ降り、其の時一定の波長の電磁波を発生する。其れは良い。そうなんだから。
でも絶対に電子は一番下の軌道からは落ちない。で、造った理論は、其れが一番エネルギーを失わない軌道なのだ。
外の軌道からは落ちる。一番小さい軌道は違う。そう決めただけの事で、何の説明にも証明にもなって無い。有るが侭を言っただけじゃんさあ。