2011年7月29日金曜日

休題 その六十九


 此処半年程、日曜日は妻と一週間分の買い物をし、リンガーハットへ寄ってチャンポンを食べて昼食として居る。
 妻はチャンポンだったり、皿うどんだった
りするが、あたしはチャンポン一筋で有る。良く飽きないもんだと、我乍ら感心する。でも、とても美味しいから良いのだ。
 あたしがチャンポンを好きだと言うと、殆
ど(80%位)の人は「へー」といみ不明な反応か、「あんな気の抜けてたもんが好きなのか!!(変わり者だなあ)」との反応なのはあたしも其れ程は馬鹿では無いので、手に取る様に分かる。
 可哀そうな人達で有る、あんな美味しい物
も分からずに、唯生きて居る。とても哀れだ。生きてる甲斐が有るのだろうか?
 ま、チャンポンで人生が決まる訳では無いので、余計なお世話で有ろうとは、理解出来る。
チャンポンで決まる人生が有ったら、面白可笑しくて、笑っちまう。
 チャンポンは長崎発生なのはご存知の通り。当時の留学生に栄養を付けさせ様と、中華料理店
が始めたのが原点だ、但し、潅水が入って居ないので、強いて言えばラーメンでは無くうどんの仲間で有る。
 で、リンガーハットだけれど、殆ど田舎でャ
ンポン提供して居る。詰まり、町田も田舎なんだよー。
 長崎で此処が最高のチャンポンだと、顧客に連れて行かれた。確かに味わいが深い。海老も
イカも漁りも多かった。スープも味わい深かった。
 リンガーハットと長崎の専門店の差は、あたしには無視出きる範囲なので、問題無い。

 そりゃあ、長崎の専門店は、味が奥深い。具も多い。

 併しあたしにとっては、チャンポンなら何でも良い分野で、微妙な味わいなんざどうでも良
い。あたしゃあ野人ですなあ。

2011年7月26日火曜日

閑話番外 その五十二


 林道と言えば、今では地図から消えた林道を下った事が有った。三十年前、当時でも最早廃道で、黒の点線だった。
 何処だったかなあ。二ノ塔の中腹だったかなあ。すっかり忘れてしもうた。

 あたしは蜘蛛が苦手だが、山にはまず居ないのが救いなのだが、其の廃道に、悪夢の様
に蜘蛛の巣が折り重なって道を塞ぎ、びっしりと女郎蜘蛛が取り付いて居る。其れも皆大きいのだ。
 怯えて見詰めて居ても日が暮れるだけだ。
意を決して枝を拾い、幾つも投げつけた。女郎蜘蛛は右往左往する。其れを観てあたしゃあぞっとする。臆病です。
 で、蜘蛛を左に寄せて、右側を駆け抜けた
けど、怖かった。情無かった。
 あの林道はどうなって居るのだろう。朽ち
果てて、雑草に覆われて居る事だろう。

2011年7月24日日曜日

クソ面倒な話 その三十五


 皆さんに不愉快な核発電擁護の続きです。
 正しく怖がるとは極めて大事な事で、チェリノブイリの事故の時は、意味も無く十万人の妊婦が堕胎した。
 無知とは恐ろしい。放射能がやって来ただけで、十万人が殺されたのだ。確かに妊娠中に数ラド(1ラド=20センチシーベルト=20000マイクロシーベルト)の放射線を浴びれば、奇形児が生まれる。其れ以下なら、問題は無い。
 此れは、その後の追跡調査と、広島、長崎の被爆者の長期にして且つ克明な調査に依り、明らかで有る。疑う人は然るべき資料を参照すれば良い。簡単なこった。
 放射線(放射線を発生させる物を放射能と称する)は全て危険だと、国連科学委員会が根拠不明な侭決定したのが1958年で、21世紀になっても生きて居る。お役所とは恐ろしい。放射能と同様だ。
 俗に閾値(しきいち)と言われるが、此れ以下なら問題無いと言うラインだ。あらゆるものに設定されて居る(と思う)。
 醤油は普通に使う調味料だが、一升飲んだらやばい。マヨネーズも然り。塩は絶対的必需品だが、一升食べたら、多分死ぬ。
 取り過ぎなければ良いので、其の線引きが存在するのだが、国連科学委員会は其れを認めず、どんな微量でも放射線は毒だと決めた。
 今日の東京は0.06マイクロシーベルトで有る。此れは人類誕生以来、自然に浴びて来た放射線と殆ど変わる事は無い。福島なら0.046、危険地域は16.6。
 冗談を聞いて居る様なもんだ。宇宙飛行士が聞いたら笑っちまうだろう。
 微量、中量被爆は体に良い。放射線の降り注ぐ地球で生きて来た我々生命体なのだ。放射線を浴びるのは、折込済みで有る。
 あたしはどんなにか非難されるでしょうね。でも嘘はつけないので本当の事を言いました。

2011年7月23日土曜日

おまけ


 ユーシンから玄倉の間に、真っ青な湖(人造湖)が有ると書いた。其の写真です。
 唯、水を中心としたのでは無いので、青さ
が伝わらないかも知れない。済みません(ペコリ)。

2011年7月20日水曜日

林道歩きは嫌だけど その五


 マスコミの目的は私が言うも愚か、私も愚か(はーい!)、当然経済だけど、自分の立場は明らかにすべきだろう。そうでなきゃあ、単なる卑怯者になっちまう。ま、私が何を言ってもゴマメの歯軋りですなあ(死語?)。
 突然話は変わるが、車には渋滞という大敵
が居る。これもYと、夏、東名で帰って来た時の事だ。厚木をITを過ぎてしばらくして、止まったきりになった。本当に、全く動かないのだ。十五分位待って諦め、エンジンを切った。
私「Y、火器を出せ、コーヒーを入れよう」

 二人のコーヒーが沸いた。どの車も未だピ
クリとも動かない。と、何と、私のカップに大きな蛾が飛び込んだ。
私「あ、蛾、蛾が、蛾が」

Y「何をがががが言ってるの」

私「カップに蛾がはいったんだ」

Y「ぼやぼやしてるからだ、ほら、カップを
寄こして」
私「ぼやぼやなんて、してないないもんね」

 もう一杯沸かして飲んだ。のん気なもので
すなあ。あれだけの車が有っても、コーヒーを沸かしていた車は、少ない筈だ。(いねーよ!)其のうち車はやっと動き出した。減速したり加速したり、不安定に進んだが、事故でも何でもなく、横浜ITで降りる車が詰まっていたのだ。
 あれには参った。どおりで、横に走っては
立ち小便をする奴が多かったのだ(違う話?)。子供連れの人は、さぞや大変だっただろう。桑原桑原、夏休みに車で出かけるのは鬼門だ。
 裏丹沢に車で入る方、冬の413号線(道
志道)は雪が凍っている事が有る。とても危ない。ヤビツ峠越えもそうです。気をつけてお出かけ下さい。何か有っても、あくまで自分の責任ですからね。道が凍っていたがどうしてくれる、と変な訴訟なぞ起こさないようにお願いします。

2011年7月18日月曜日

閑話 その七十


 面白いもので、珍しくも調べた(オーバーなんです、此のブログを逆に追っただけ)んだけども見つからないので、諦めた。
 何かと言うと、モミソ沢に三度挑戦し、仕
舞いにゃあ右に逃げたのに、本流の左(正確には右岸)をに下って居たと言う、どう考えても理解不能の行いを、前に書いた。妻に「あなたも衰えたわねえ」と言われたとも書いた。
 やっと、やったー!!四度目の正直だ。白
状すれば、最初は妻と行って間違えて、水無川を登って戸沢出会いに着き、仕方無く他の沢を登ったので、本当は5度目なのだ。
 え、モミソ沢を5度目にしてやっと詰めた
って?馬鹿じゃねえのか!
 其の非難は甘んじて受けよう。本当にそう
なんだから、文句は全く無い。
 さて昨日、Yと落ち合って林道を行き、水
無川へ下って、モミソ沢へ入った。初っ端から狭い沢に小さな滝が連続して居る沢なのだ。
 何箇所かは、苦労した。スタンスが高く、ホ
ールドが無い。あたしゃあ何とか登ったがYが胸近く迄脚を上げられない(腹が邪魔で)。
 本当に小さな滝だけど、Yは進退窮まった。

Y「駄目だー、降りる!」

私「下れるか?」

Y「無理だよー」

 サブザイルを持って居れば何でも無い。誓い
ます。此れから沢登りに行く限りは、サブザイルを持って行きます。
 結局、ベルトを伸ばして、首尾良く引き上げ
たけど、もう少し高い沢だったらどうしようも無い。
 間違える事も無く、上手く枝沢に入って、堀
山のピークにたてた。決して感動する場面では無いけど、嬉しかった。
 其れにしても、何でいつも失敗して居たのか
分からない。此処でも狐に化かされて居たとしか思えませんな。

2011年7月17日日曜日

林道歩きは嫌だけど その四

 処が、カットしようにも車両通禁止の道が偉く多い。環境上はとても良い事で大賛成(不便だけど)なんだけど、車両通行禁止の動機が悪い。
 最初に謝っておきます。以下の二例は聞い
た事で、調べた訳ではありません。不精な私なので、さも有りなんと思った事を覚えていたで、事実かどうかは保証しかねます。どなたかが調べて、私の間違いを指摘されれば、素直に認めます。
 さて、昔々の事、水ノ木の林だった思う
が、バイクの青年が事故って亡くなった。遺族の方が、不備な道を走らせたといって訴訟を起こした。
 確かに不備な道だ、林道だからね。でも本
人は承知で入ったのじゃないのかな。もし知らずに入ったなら、ヤバイ道だ、舗装も無いし、と思うでしょう、普通。普通でなきゃあ話は終わり。猫を電子レンジで乾かして死なせた奴がアメリカで勝訴したが、生き物を入れてはいけないという一文がなかった為で、石を沢山呑んだら死にます、そんな事は知っておくべきだ。では何か、万が一説明書に書いてなければ、包丁で指を切っても訴訟を起こすのだろうか。
 流石に飛び過ぎた。私は時々極端に走る性
癖があるので、自重はしてる積もりなんだが、ここぞってえ時に出てしまうのは、誤魔化し切れないのだ。情け無くは思うけれど、本当の自分なんだから、仕方無いのです。
 バイクの青年に話を戻す。

 で、そんな状況では極度に注意するか、或
いは引き返すかだ。その見極めもつかなけりゃ、バイクの免許を与えた陸運局が悪いのだ。(私の本心ではない。陸運局ではなく本人が悪い。其処まではっきり言うべきではなかったって?……確かにそうです)
 その青年は運が悪かったか、腕が悪かった
かのどちらかだったのだろう。整備が万全の国道でも、事故は無くならないのだ。ご遺族の残念な気持ちは分かるけど、誰かのせいでは決っして無いのだ……。はっきり言えば、本人のせいだ(心遣いが足らぬ文章なれど、第三者の私としては、他に言い様が無い)。
 お陰で通行禁止だらけになって、木々は喜
んでいる事だろう。実は私も、不自由だと言いながらも、良い事だとは思う様にして居る。
 これも昔々、奥多摩(だったと思う)で、
桟道で怪我した人が、近くの山小屋を訴えたとか聞いた事がある。山小屋が山道に責任を持つの?ディズニーランドじゃ無いんだ!じゃあ何か、山小屋が周りに全部責任持てって言うのか?面白い発想だ。

 聞きたいのだが、海の家が、水死した人間に責任が有る訳?交通事故は道路管理者(国か地方自治体)の責任って事ですか?それでは、貴方の家の前でたまたま死んでいた人は、貴方の責任だ!
 又もや、強弁し過ぎでした。(ペコリ)

 山(林道も)は自己責任の世界だと、私は
認識している。天候が悪化しようと、雪崩に埋められようと、岩から滑落しようと、落石(自然落石です)に当たろうと、薮の中で野垂れ死のうと、渡渉に失敗して流されようと、雷に打たれようと、誰のせいでもない。飽くまで己の力が及ばなかったのか、或いは運が悪かったのだ。外には勿論何も無いとしか思えない。他に何があるんだろう?CIAの陰謀かな?そんな映画は飽き飽きだ!
 それが分からない者には、決して山に近づ
いて貰いたくない、と私は思っている。それでも近づいて来るならば、飽くまで自己責任でお願いします。
 一寸と待って
(プレイバック)。自己責任って言葉はマスコミに使われだしてからは、陳腐な手垢塗れの言葉になってしまった。マスコミとはあらゆる言葉の精気を奪う、もののけの神みたいな存在なのだろうか?勿論そうなんだけど。
 (林道歩きは嫌だけど その五へ続く)

2011年7月13日水曜日

柄でも無い事 その三十一


 見っとも無いイラストで失礼。

 雪山、特に春山ではサングラスは必需品なのだ。冬山は日差しが弱いので、サングラス
無しでも、何とかなる。だが、四月末から五月初めの日差しは凄い。サングラスを装備しないと、族に言う雪目暗(差別用語だなん野暮を言う事なかれ)になっちまうのだ。
 閑話では無かった。
 サングラスの話だが、三昔以上前はゴーグ
ルだった。ガラスで無くプラの、何て呼ぶんだろう、あの眼鏡ならレンズに相当する奴を。兎に角、黒では無く茶色を使って居たが、消耗して仕舞った。
 で、代わりを買わなくちゃならないんだけど、柄にも無く、レーバンが欲しくて、買っ
ちまったですよ。しかも皮が付いて居て、極力光の入らない奴を。アウトドアー仕様だ。
 処が重い。其れは良いとして、使うのが勿体無い。詰まり、貧乏人の発想其のもの、柄通りの話になっちまったですなあ。
 実際は重い上に使い勝手が悪い。マッカー
サーは山を歩かなかっただろうから問題無かっただろうが、矢張り登山用では無いって事なのだ。餅は餅屋です。
 じゃあ、専門の登山用のサングラスにした
かと言うと、あたしゃあそんな甘い男じゃござんせん。
 一時流行った真ん丸いサングラスに、人民解放軍の帽子(レプリカです)を被って山に
行ったが、結構怪しいおじさんに見えるらしく、止めた。気に入って居たんだけど。
 其れからは、プラの安物で通して来た。軽くてとても良い。其の癖UVカットだと謳っ
てんだから、多分そうだろう。
 でも今一つ不服が有ったが、今年は大きめ
で丸っこく前に出て居る安物を使用した。此れは優れもの、軽いし、汗が逃げるし。
 欠点は一寸とあたしに似合わない事。ふっふっふ、そりゃあレーバンの方が似合うさ。

 あ、非難轟々になっちまったかな?

2011年7月10日日曜日

林道歩きは嫌だけど その三


 ユーシンの大分手前に車を置いて、ユーシンへ入った事もあるので、結局全部歩いてはいるのだ、えっへん(威張る事かい?)。
 其の時は、工事の為の通行止めで、途中に
車を置いて、ユーシン迄の道のりを半分位歩いた。Yと一緒だった。曲がったトンネルが有って、入ったは良いが、すぐ真っ暗になり、手探り、足探りでも、どうしても前進できず、引き返してライトを取り出したら、ちゃんと通過できた。真っ暗とは、歩けないものなのだ、と思い知ったのだ。
 補足すると、掘りっ放しの、でこぼこ隧道
だったので困難だったのだ。今は車は通れないので、歩く人も多いだろう。渓谷美を楽しみながら行く道なので、救いが有る。それに、あのトンネルは面白いですね。(今はトンネル通行不可(平成二十一年春現在)念の為)
 その点、浅瀬から地蔵平への道は、淡々と
して、救いが無い。一時間五十分だが、バスで来て浅瀬入り口からとなると、二時間五十分なのだ。
 今でも簡易鉄道が有ったら乗るのになあ(
おいおい、簡易鉄道は水ノ木行きだよ!)。造ってくれないかなあ。乗る人、月に何人?えーと、百人位かな、全然分かんないけど。造るのに幾ら掛かる?うーん、分かんないけど、一億でどう、矢張り無理?
 あいよ、よー
く分かったよ、我侭は言うまい、私は黙って歩くよ!全く、経済には勝てない。
 しかし浅瀬までは車道で車も多い。長いト
ンネルが有るが、これは暗くないので、ご安心を。とは言っても浅瀬の人は歩くんだから大変だ。え、皆車だって?そうだよねえ。
 神ノ川へ入るのも、ヒュッテ迄で二時間一
寸とだ。全部は歩いていないが、ヒュッテから社宮司沢入り口迄は歩いた。左右の山が大きいので、多少は楽しめる道だった。でも、ユーシンへの道と比べると、ちと見劣りします。
 犬越路から降りて来て、車で下っていたら、
機動隊の車が十両程連なって来るのとすれ違った。連合赤軍の事件の十年以上後だから、全く無関係だろう。裏丹沢で山狩りの訓練と判断したが、ご苦労様です。
 さてと、林道も西の外れに来た。

 明神峠から上野(バスの始点の部落)へ下
る道はモロに舗装された車道だが、広々とした展望の、とても気持ちの良い道だった。いかにも丹沢の西端らしく、御殿場を見下ろし乍ら下るのだ。難点は、車がうるさい事。下るには一時間である。
 どうでも良いような事ばかり並べて、一体
どうしようというんだろう。
 うーん、矢張り、林道の話じゃ力が入らな
い。実際の処、できたら通らずに済ませたい部分なのだから。車で行けば、全部カットできるのだが、そうすると同じ所へ戻らなくてはならない。これが以外と制約になるのだ。
 それに、降りてからの一杯が出来ない。それ
では一体何をしに行ったのか分からなくなってしまう(おいおい、山登りだろうがよ!え、そうだったっけ……)。
 (林道歩きは嫌だけど その四へ続く) 

2011年7月9日土曜日

休題 その六十八


 あたしが尊敬して居る作家は、吉村昭だとは、プロフィールでも明らかにして有る。カフカも並んで居るが、彼は外す事になるだろう。小説は、読めなくなったとは、他で書いので、繰り返さない。
 吉村昭は小説家とは思えない。脚で書いた作品なので、殆どドキュメンタリーと言って
も良いだろう。その癖、簡潔な文章の中で、人間を浮き彫りにして行く。彼を尊敬せずして、誰(作家)を尊敬すべきだろうか?
 あたしの好みは置いておこう。

 前にも紹介した「三陸海岸大津波」が増刷を続けて居るそうで有る。勿論此の間の津波
の影響だ。我が家には昭和六十年から置いて有り、家族にも読むよう勧めて、殆どの家族は読んで居る(除く妻)。
 三陸海岸の津波の恐ろしさは、嫌と言う程
分かる。どんどん対策が進んで居て被害がって行くのも分かる。防波堤が物を言って、死者は劇的に減少した。
 吉村昭が今度の大災害を前に亡くなったの
は、良かったのかも知れない。彼が生きて居たなら、慟哭しただろうから……。
 チリ津波を防いだ防波堤も、今度は役に立たなかった。スケールが違ったから。

 想定外と流行り文句になったが、当たり前で(想定外と言い張る政府と企業を擁護する
のでは無い)、人間とは、一切の想定はしても、大自然は其れには合わせてくれないって事なんだと思う。
 詰まり、どんな想定をしても、常に其れを
上回るのが、自然なのだ。
 だから頭を下げて、お好きにどうぞ、と言
う思想はあたしには無い。あらゆる知恵を絞って、もっと大きな次に備える事が、義務では無いでろうか。
 核発電がそうだ。現に地震国トルコは、日
本からの核発電購入の商談再開を望んで居る。知恵を絞りましょう。

2011年7月6日水曜日

林道歩きは嫌だけど その二

 鍋割は、どうしても一時間半の林道歩きがつき物である。今は途中から大倉へ抜けられるが、三昔程前は、川沿いに真直ぐ行き、堀川に出るしかなかった。堀川から五分一寸のバスに乗るのも馬鹿馬鹿しいで、渋沢駅迄歩くのが普通だった。すると、合計二時間一寸との林道だ。
 二年程前二又から歩いていると、車で拾っ
てくれた人がいて、喜んで乗せてもらった。私も拾われる歳になったのだ、席を譲られてショックを受ける人の気持ちが良く分かる。で、大倉への分岐点で降ろしてもらった。拾ってくれた人は、何故?と訝しがったが、何、O屋に寄りたかっただけで、考えてみれば、渋沢で飲んでも良かったのだ。でも、余程O屋で飲みたかったのだろう。完全に、癖になっているのだなあ。
 拾うといえば、私は車で林道を行く時、年
配者を見かけると必ず止めて声を掛けた。
「××へ行くんですか?どうぞ乗って下さい」

 殆どの人は喜んでくれる。偶に「いや、歩
くので」と断る人が居る。決めたルートをやり遂げたいのだ。立派で有る。
 今は年配者ばっかりになっちまったんで、
バスではない貧相な小型車、乗せたくとも乗せられない。若い奴は何してんだ山は君達の世界だぞ!
 高校生の時、Kと表尾根を歩き、大倉へ降
りて来たら、バス停が長蛇の列、人で溢れかえっていた。何時バスに乗れるかも、分からない。歩こうと決め、渋沢迄一時間を歩いた。山でバテテいただろうに、それ程長くは感じなかった覚えが有る。今なら、待って待って待ちぬいて、バスに乗ります。
 当時の丹沢は、本当に人が多かった。渋沢
へ歩く人も多かった。その頃は、朝の渋沢駅は人だらけで、神奈中が臨時バスをどんどん出していた。登山ブームってやつで、時代ですなあ。外に楽しみが無かった訳でもないのに、何が悲しくて、あんなに猫も杓子も、山に行ったのだろう。不思議だ。で、其の頃山をやってた皆さんが又山に戻って来た、為に中高年の登山ブームなんですなあ。
 ちなみに、幾ら当時でも猫や杓子は、山歩
きはしていませんでしたので、念の為。
 大倉から戸沢出合い迄の一時間四十分は、
通い慣れた道になった。仲間と行く時は、タクシーに乗る事もある。神奈中の車なら行ってくれる。他社の運転手には断られるので、これは“丹沢の神奈中“の意地なのだろうか。車のスプリングが違う、と聞いた覚えもある。
 どっちにしろ、すごーく楽です。でも、不思
議と何か後ろめたく感じるのは、私だけでしょうか?
 玄倉からユーシンは約三時間。車では何度
も入ったが、通しで歩いていった事は無い。ユーシン一寸と手前の雨山橋から、歩いて来た事はある。雨山峠を越えて来たのだが、中々景色が良く、長い路とは感じられなかった。
 途中のダムの水が、異様に青かったが(今で
もそう)、訳でも有るのだろうか。勿論有るんだろうけど。
 (林道歩きは嫌だけど その三へ続く)



2011年7月3日日曜日

クソ面倒な話 その三十四


 日独伊三国同盟締結に向けて、世の中は動き出したかに見える。勿論戦前の軍事同盟では無く、ドイツ、イタリアが核発電廃止を決めたので、日本も其れに倣おうと言う事。
 そうなるだろうとは、思って居た。反核発電は票になると、永田町の先生方も気付き始めた。世論とは気分で有る要素が大きい。
 資源、食料、エネルギーが先進国のなかではずば抜けて低い我が国が、気分で核発電を廃止したら、経済力は一気に低下するだろうとは、ド素人のあたしでさえ想像がつく。
 経済力が低下しても構わないのだが、しわ寄せが社会的弱者に集まるのが、世の習い。上手く皆が貧乏になれれば良いが、そうならなければ、久しく聞かなかった餓死者も、日常の事となるだろう。
 お前は、あの危険極まり無い核発電を擁護するのかって?そう、今の処他の選択肢がいから。従って三国同盟に反対する。まさか、非国民とか罵らないでしょうね?そうなりゃ戦前と全く同じになっちまう訳だ。
 ご承知だろうけど、ドイツもイタリアも、核発電を廃止して不足する電力は、フランスから購入する。フランスは電力の殆どを核で造って居る、核発電大国で有る。自分の核を止めて、隣の核を買うのだから、一種のまやかしだと、あたしは思って居る。
 此れも何度も繰り返すが、爆弾や潜水艦、空母としては堂々と存在するので、核は兵器に限る、と思って居るのがと、あたしには思える。もしそうならば、歪んだ思想だと言わざるを得ない。平和利用も考えるべきだ。
 核発電の事故は、確かに恐ろしいし影響も大きく且つ長期化する。如何に事故を防ぐか、技術を磨き、完璧(有り得ないが)に近づく努力を続けるしか無い、と思って居る。
 因みに、少量被爆は体に良い。ラドン温泉が其の例だ。そして有る程度迄の被爆は無視出来る。それについては、次回に。