此処半年程、日曜日は妻と一週間分の買い物をし、リンガーハットへ寄ってチャンポンを食べて昼食として居る。
妻はチャンポンだったり、皿うどんだったりするが、あたしはチャンポン一筋で有る。良く飽きないもんだと、我乍ら感心する。でも、とても美味しいから良いのだ。
あたしがチャンポンを好きだと言うと、殆ど(80%位)の人は「へー」といみ不明な反応か、「あんな気の抜けてたもんが好きなのか!!(変わり者だなあ)」との反応なのはあたしも其れ程は馬鹿では無いので、手に取る様に分かる。
可哀そうな人達で有る、あんな美味しい物も分からずに、唯生きて居る。とても哀れだ。生きてる甲斐が有るのだろうか?
ま、チャンポンで人生が決まる訳では無いので、余計なお世話で有ろうとは、理解出来る。チャンポンで決まる人生が有ったら、面白可笑しくて、笑っちまう。
チャンポンは長崎発生なのはご存知の通り。当時の留学生に栄養を付けさせ様と、中華料理店が始めたのが原点だ、但し、潅水が入って居ないので、強いて言えばラーメンでは無くうどんの仲間で有る。
で、リンガーハットだけれど、殆ど田舎でャンポン提供して居る。詰まり、町田も田舎なんだよー。
長崎で此処が最高のチャンポンだと、顧客に連れて行かれた。確かに味わいが深い。海老もイカも漁りも多かった。スープも味わい深かった。
リンガーハットと長崎の専門店の差は、あたしには無視出きる範囲なので、問題無い。
そりゃあ、長崎の専門店は、味が奥深い。具も多い。
併しあたしにとっては、チャンポンなら何でも良い分野で、微妙な味わいなんざどうでも良い。あたしゃあ野人ですなあ。
2011年7月29日金曜日
休題 その六十九
2011年7月26日火曜日
閑話番外 その五十二
林道と言えば、今では地図から消えた林道を下った事が有った。三十年前、当時でも最早廃道で、黒の点線だった。
何処だったかなあ。二ノ塔の中腹だったかなあ。すっかり忘れてしもうた。
あたしは蜘蛛が苦手だが、山にはまず居ないのが救いなのだが、其の廃道に、悪夢の様に蜘蛛の巣が折り重なって道を塞ぎ、びっしりと女郎蜘蛛が取り付いて居る。其れも皆大きいのだ。
怯えて見詰めて居ても日が暮れるだけだ。意を決して枝を拾い、幾つも投げつけた。女郎蜘蛛は右往左往する。其れを観てあたしゃあぞっとする。臆病です。
で、蜘蛛を左に寄せて、右側を駆け抜けたけど、怖かった。情無かった。
あの林道はどうなって居るのだろう。朽ち果てて、雑草に覆われて居る事だろう。
2011年7月24日日曜日
クソ面倒な話 その三十五
皆さんに不愉快な核発電擁護の続きです。
正しく怖がるとは極めて大事な事で、チェリノブイリの事故の時は、意味も無く十万人の妊婦が堕胎した。
無知とは恐ろしい。放射能がやって来ただけで、十万人が殺されたのだ。確かに妊娠中に数ラド(1ラド=20センチシーベルト=20000マイクロシーベルト)の放射線を浴びれば、奇形児が生まれる。其れ以下なら、問題は無い。
此れは、その後の追跡調査と、広島、長崎の被爆者の長期にして且つ克明な調査に依り、明らかで有る。疑う人は然るべき資料を参照すれば良い。簡単なこった。
放射線(放射線を発生させる物を放射能と称する)は全て危険だと、国連科学委員会が根拠不明な侭決定したのが1958年で、21世紀になっても生きて居る。お役所とは恐ろしい。放射能と同様だ。
俗に閾値(しきいち)と言われるが、此れ以下なら問題無いと言うラインだ。あらゆるものに設定されて居る(と思う)。
醤油は普通に使う調味料だが、一升飲んだらやばい。マヨネーズも然り。塩は絶対的必需品だが、一升食べたら、多分死ぬ。
取り過ぎなければ良いので、其の線引きが存在するのだが、国連科学委員会は其れを認めず、どんな微量でも放射線は毒だと決めた。
今日の東京は0.06マイクロシーベルトで有る。此れは人類誕生以来、自然に浴びて来た放射線と殆ど変わる事は無い。福島なら0.046、危険地域は16.6。
冗談を聞いて居る様なもんだ。宇宙飛行士が聞いたら笑っちまうだろう。
微量、中量被爆は体に良い。放射線の降り注ぐ地球で生きて来た我々生命体なのだ。放射線を浴びるのは、折込済みで有る。
あたしはどんなにか非難されるでしょうね。でも嘘はつけないので本当の事を言いました。
2011年7月23日土曜日
2011年7月20日水曜日
林道歩きは嫌だけど その五
マスコミの目的は私が言うも愚か、私も愚か(はーい!)、当然経済だけど、自分の立場は明らかにすべきだろう。そうでなきゃあ、単なる卑怯者になっちまう。ま、私が何を言ってもゴマメの歯軋りですなあ(死語?)。
突然話は変わるが、車には渋滞という大敵が居る。これもYと、夏、東名で帰って来た時の事だ。厚木をITを過ぎてしばらくして、止まったきりになった。本当に、全く動かないのだ。十五分位待って諦め、エンジンを切った。
私「Y、火器を出せ、コーヒーを入れよう」
二人のコーヒーが沸いた。どの車も未だピクリとも動かない。と、何と、私のカップに大きな蛾が飛び込んだ。
私「あ、蛾、蛾が、蛾が」
Y「何をがががが言ってるの」
私「カップに蛾がはいったんだ」
Y「ぼやぼやしてるからだ、ほら、カップを寄こして」
私「ぼやぼやなんて、してないないもんね」
もう一杯沸かして飲んだ。のん気なものですなあ。あれだけの車が有っても、コーヒーを沸かしていた車は、少ない筈だ。(いねーよ!)其のうち車はやっと動き出した。減速したり加速したり、不安定に進んだが、事故でも何でもなく、横浜ITで降りる車が詰まっていたのだ。
あれには参った。どおりで、横に走っては立ち小便をする奴が多かったのだ(違う話?)。子供連れの人は、さぞや大変だっただろう。桑原桑原、夏休みに車で出かけるのは鬼門だ。
裏丹沢に車で入る方、冬の413号線(道志道)は雪が凍っている事が有る。とても危ない。ヤビツ峠越えもそうです。気をつけてお出かけ下さい。何か有っても、あくまで自分の責任ですからね。道が凍っていたがどうしてくれる、と変な訴訟なぞ起こさないようにお願いします。
2011年7月18日月曜日
閑話 その七十
面白いもので、珍しくも調べた(オーバーなんです、此のブログを逆に追っただけ)んだけども見つからないので、諦めた。
何かと言うと、モミソ沢に三度挑戦し、仕舞いにゃあ右に逃げたのに、本流の左(正確には右岸)をに下って居たと言う、どう考えても理解不能の行いを、前に書いた。妻に「あなたも衰えたわねえ」と言われたとも書いた。
やっと、やったー!!四度目の正直だ。白状すれば、最初は妻と行って間違えて、水無川を登って戸沢出会いに着き、仕方無く他の沢を登ったので、本当は5度目なのだ。
え、モミソ沢を5度目にしてやっと詰めたって?馬鹿じゃねえのか!
其の非難は甘んじて受けよう。本当にそうなんだから、文句は全く無い。
さて昨日、Yと落ち合って林道を行き、水無川へ下って、モミソ沢へ入った。初っ端から狭い沢に小さな滝が連続して居る沢なのだ。
何箇所かは、苦労した。スタンスが高く、ホールドが無い。あたしゃあ何とか登ったがYが胸近く迄脚を上げられない(腹が邪魔で)。
本当に小さな滝だけど、Yは進退窮まった。
Y「駄目だー、降りる!」
私「下れるか?」
Y「無理だよー」
サブザイルを持って居れば何でも無い。誓います。此れから沢登りに行く限りは、サブザイルを持って行きます。
結局、ベルトを伸ばして、首尾良く引き上げたけど、もう少し高い沢だったらどうしようも無い。
間違える事も無く、上手く枝沢に入って、堀山のピークにたてた。決して感動する場面では無いけど、嬉しかった。
其れにしても、何でいつも失敗して居たのか分からない。此処でも狐に化かされて居たとしか思えませんな。
2011年7月17日日曜日
林道歩きは嫌だけど その四
処が、カットしようにも車両通禁止の道が偉く多い。環境上はとても良い事で大賛成(不便だけど)なんだけど、車両通行禁止の動機が悪い。
最初に謝っておきます。以下の二例は聞いた事で、調べた訳ではありません。不精な私なので、さも有りなんと思った事を覚えていたで、事実かどうかは保証しかねます。どなたかが調べて、私の間違いを指摘されれば、素直に認めます。
さて、昔々の事、水ノ木の林だった思うが、バイクの青年が事故って亡くなった。遺族の方が、不備な道を走らせたといって訴訟を起こした。
確かに不備な道だ、林道だからね。でも本人は承知で入ったのじゃないのかな。もし知らずに入ったなら、ヤバイ道だ、舗装も無いし、と思うでしょう、普通。普通でなきゃあ話は終わり。猫を電子レンジで乾かして死なせた奴がアメリカで勝訴したが、生き物を入れてはいけないという一文がなかった為で、石を沢山呑んだら死にます、そんな事は知っておくべきだ。では何か、万が一説明書に書いてなければ、包丁で指を切っても訴訟を起こすのだろうか。
流石に飛び過ぎた。私は時々極端に走る性癖があるので、自重はしてる積もりなんだが、ここぞってえ時に出てしまうのは、誤魔化し切れないのだ。情け無くは思うけれど、本当の自分なんだから、仕方無いのです。
バイクの青年に話を戻す。
で、そんな状況では極度に注意するか、或いは引き返すかだ。その見極めもつかなけりゃ、バイクの免許を与えた陸運局が悪いのだ。(私の本心ではない。陸運局ではなく本人が悪い。其処まではっきり言うべきではなかったって?……確かにそうです)
その青年は運が悪かったか、腕が悪かったかのどちらかだったのだろう。整備が万全の国道でも、事故は無くならないのだ。ご遺族の残念な気持ちは分かるけど、誰かのせいでは決っして無いのだ……。はっきり言えば、本人のせいだ(心遣いが足らぬ文章なれど、第三者の私としては、他に言い様が無い)。
お陰で通行禁止だらけになって、木々は喜んでいる事だろう。実は私も、不自由だと言いながらも、良い事だとは思う様にして居る。
これも昔々、奥多摩(だったと思う)で、桟道で怪我した人が、近くの山小屋を訴えたとか聞いた事がある。山小屋が山道に責任を持つの?ディズニーランドじゃ無いんだ!じゃあ何か、山小屋が周りに全部責任持てって言うのか?面白い発想だ。
又もや、強弁し過ぎでした。(ペコリ)
山(林道も)は自己責任の世界だと、私は認識している。天候が悪化しようと、雪崩に埋められようと、岩から滑落しようと、落石(自然落石です)に当たろうと、薮の中で野垂れ死のうと、渡渉に失敗して流されようと、雷に打たれようと、誰のせいでもない。飽くまで己の力が及ばなかったのか、或いは運が悪かったのだ。外には勿論何も無いとしか思えない。他に何があるんだろう?CIAの陰謀かな?そんな映画は飽き飽きだ!
それが分からない者には、決して山に近づいて貰いたくない、と私は思っている。それでも近づいて来るならば、飽くまで自己責任でお願いします。
一寸と待って(プレイバック)。自己責任って言葉はマスコミに使われだしてからは、陳腐な手垢塗れの言葉になってしまった。マスコミとはあらゆる言葉の精気を奪う、もののけの神みたいな存在なのだろうか?勿論そうなんだけど。
(林道歩きは嫌だけど その五へ続く)
2011年7月13日水曜日
柄でも無い事 その三十一
見っとも無いイラストで失礼。
雪山、特に春山ではサングラスは必需品なのだ。冬山は日差しが弱いので、サングラス無しでも、何とかなる。だが、四月末から五月初めの日差しは凄い。サングラスを装備しないと、族に言う雪目暗(差別用語だなん野暮を言う事なかれ)になっちまうのだ。
閑話では無かった。
サングラスの話だが、三昔以上前はゴーグルだった。ガラスで無くプラの、何て呼ぶんだろう、あの眼鏡ならレンズに相当する奴を。兎に角、黒では無く茶色を使って居たが、消耗して仕舞った。
で、代わりを買わなくちゃならないんだけど、柄にも無く、レーバンが欲しくて、買っちまったですよ。しかも皮が付いて居て、極力光の入らない奴を。アウトドアー仕様だ。
処が重い。其れは良いとして、使うのが勿体無い。詰まり、貧乏人の発想其のもの、柄通りの話になっちまったですなあ。
実際は重い上に使い勝手が悪い。マッカーサーは山を歩かなかっただろうから問題無かっただろうが、矢張り登山用では無いって事なのだ。餅は餅屋です。
じゃあ、専門の登山用のサングラスにしたかと言うと、あたしゃあそんな甘い男じゃござんせん。
一時流行った真ん丸いサングラスに、人民解放軍の帽子(レプリカです)を被って山に行ったが、結構怪しいおじさんに見えるらしく、止めた。気に入って居たんだけど。
其れからは、プラの安物で通して来た。軽くてとても良い。其の癖UVカットだと謳ってんだから、多分そうだろう。
でも今一つ不服が有ったが、今年は大きめで丸っこく前に出て居る安物を使用した。此れは優れもの、軽いし、汗が逃げるし。
欠点は一寸とあたしに似合わない事。ふっふっふ、そりゃあレーバンの方が似合うさ。
あ、非難轟々になっちまったかな?
2011年7月10日日曜日
林道歩きは嫌だけど その三
ユーシンの大分手前に車を置いて、ユーシンへ入った事もあるので、結局全部歩いてはいるのだ、えっへん(威張る事かい?)。
其の時は、工事の為の通行止めで、途中に車を置いて、ユーシン迄の道のりを半分位歩いた。Yと一緒だった。曲がったトンネルが有って、入ったは良いが、すぐ真っ暗になり、手探り、足探りでも、どうしても前進できず、引き返してライトを取り出したら、ちゃんと通過できた。真っ暗とは、歩けないものなのだ、と思い知ったのだ。
補足すると、掘りっ放しの、でこぼこ隧道だったので困難だったのだ。今は車は通れないので、歩く人も多いだろう。渓谷美を楽しみながら行く道なので、救いが有る。それに、あのトンネルは面白いですね。(今はトンネル通行不可(平成二十一年春現在)念の為)
その点、浅瀬から地蔵平への道は、淡々として、救いが無い。一時間五十分だが、バスで来て浅瀬入り口からとなると、二時間五十分なのだ。
今でも簡易鉄道が有ったら乗るのになあ(おいおい、簡易鉄道は水ノ木行きだよ!)。造ってくれないかなあ。乗る人、月に何人?えーと、百人位かな、全然分かんないけど。造るのに幾ら掛かる?うーん、分かんないけど、一億でどう、矢張り無理?
あいよ、よーく分かったよ、我侭は言うまい、私は黙って歩くよ!全く、経済には勝てない。
しかし浅瀬までは車道で車も多い。長いトンネルが有るが、これは暗くないので、ご安心を。とは言っても浅瀬の人は歩くんだから大変だ。え、皆車だって?そうだよねえ。
神ノ川へ入るのも、ヒュッテ迄で二時間一寸とだ。全部は歩いていないが、ヒュッテから社宮司沢入り口迄は歩いた。左右の山が大きいので、多少は楽しめる道だった。でも、ユーシンへの道と比べると、ちと見劣りします。
犬越路から降りて来て、車で下っていたら、機動隊の車が十両程連なって来るのとすれ違った。連合赤軍の事件の十年以上後だから、全く無関係だろう。裏丹沢で山狩りの訓練と判断したが、ご苦労様です。
さてと、林道も西の外れに来た。
明神峠から上野(バスの始点の部落)へ下る道はモロに舗装された車道だが、広々とした展望の、とても気持ちの良い道だった。いかにも丹沢の西端らしく、御殿場を見下ろし乍ら下るのだ。難点は、車がうるさい事。下るには一時間である。
どうでも良いような事ばかり並べて、一体どうしようというんだろう。
うーん、矢張り、林道の話じゃ力が入らない。実際の処、できたら通らずに済ませたい部分なのだから。車で行けば、全部カットできるのだが、そうすると同じ所へ戻らなくてはならない。これが以外と制約になるのだ。
それに、降りてからの一杯が出来ない。それでは一体何をしに行ったのか分からなくなってしまう(おいおい、山登りだろうがよ!え、そうだったっけ……)。
(林道歩きは嫌だけど その四へ続く)
2011年7月9日土曜日
休題 その六十八
あたしが尊敬して居る作家は、吉村昭だとは、プロフィールでも明らかにして有る。カフカも並んで居るが、彼は外す事になるだろう。小説は、読めなくなったとは、他で書いので、繰り返さない。
吉村昭は小説家とは思えない。脚で書いた作品なので、殆どドキュメンタリーと言っても良いだろう。その癖、簡潔な文章の中で、人間を浮き彫りにして行く。彼を尊敬せずして、誰(作家)を尊敬すべきだろうか?
あたしの好みは置いておこう。
前にも紹介した「三陸海岸大津波」が増刷を続けて居るそうで有る。勿論此の間の津波の影響だ。我が家には昭和六十年から置いて有り、家族にも読むよう勧めて、殆どの家族は読んで居る(除く妻)。
三陸海岸の津波の恐ろしさは、嫌と言う程分かる。どんどん対策が進んで居て被害がって行くのも分かる。防波堤が物を言って、死者は劇的に減少した。
吉村昭が今度の大災害を前に亡くなったのは、良かったのかも知れない。彼が生きて居たなら、慟哭しただろうから……。
チリ津波を防いだ防波堤も、今度は役に立たなかった。スケールが違ったから。
想定外と流行り文句になったが、当たり前で(想定外と言い張る政府と企業を擁護するのでは無い)、人間とは、一切の想定はしても、大自然は其れには合わせてくれないって事なんだと思う。
詰まり、どんな想定をしても、常に其れを上回るのが、自然なのだ。
だから頭を下げて、お好きにどうぞ、と言う思想はあたしには無い。あらゆる知恵を絞って、もっと大きな次に備える事が、義務では無いでろうか。
核発電がそうだ。現に地震国トルコは、日本からの核発電購入の商談再開を望んで居る。知恵を絞りましょう。
2011年7月6日水曜日
林道歩きは嫌だけど その二
鍋割は、どうしても一時間半の林道歩きがつき物である。今は途中から大倉へ抜けられるが、三昔程前は、川沿いに真直ぐ行き、堀川に出るしかなかった。堀川から五分一寸のバスに乗るのも馬鹿馬鹿しいで、渋沢駅迄歩くのが普通だった。すると、合計二時間一寸との林道だ。
二年程前二又から歩いていると、車で拾ってくれた人がいて、喜んで乗せてもらった。私も拾われる歳になったのだ、席を譲られてショックを受ける人の気持ちが良く分かる。で、大倉への分岐点で降ろしてもらった。拾ってくれた人は、何故?と訝しがったが、何、O屋に寄りたかっただけで、考えてみれば、渋沢で飲んでも良かったのだ。でも、余程O屋で飲みたかったのだろう。完全に、癖になっているのだなあ。
拾うといえば、私は車で林道を行く時、年配者を見かけると必ず止めて声を掛けた。
「××へ行くんですか?どうぞ乗って下さい」
殆どの人は喜んでくれる。偶に「いや、歩くので」と断る人が居る。決めたルートをやり遂げたいのだ。立派で有る。
今は年配者ばっかりになっちまったんで、バスではない貧相な小型車、乗せたくとも乗せられない。若い奴は何してんだ山は君達の世界だぞ!
高校生の時、Kと表尾根を歩き、大倉へ降りて来たら、バス停が長蛇の列、人で溢れかえっていた。何時バスに乗れるかも、分からない。歩こうと決め、渋沢迄一時間を歩いた。山でバテテいただろうに、それ程長くは感じなかった覚えが有る。今なら、待って待って待ちぬいて、バスに乗ります。
当時の丹沢は、本当に人が多かった。渋沢へ歩く人も多かった。その頃は、朝の渋沢駅は人だらけで、神奈中が臨時バスをどんどん出していた。登山ブームってやつで、時代ですなあ。外に楽しみが無かった訳でもないのに、何が悲しくて、あんなに猫も杓子も、山に行ったのだろう。不思議だ。で、其の頃山をやってた皆さんが又山に戻って来た、為に中高年の登山ブームなんですなあ。
ちなみに、幾ら当時でも猫や杓子は、山歩きはしていませんでしたので、念の為。
大倉から戸沢出合い迄の一時間四十分は、通い慣れた道になった。仲間と行く時は、タクシーに乗る事もある。神奈中の車なら行ってくれる。他社の運転手には断られるので、これは“丹沢の神奈中“の意地なのだろうか。車のスプリングが違う、と聞いた覚えもある。
どっちにしろ、すごーく楽です。でも、不思議と何か後ろめたく感じるのは、私だけでしょうか?
玄倉からユーシンは約三時間。車では何度も入ったが、通しで歩いていった事は無い。ユーシン一寸と手前の雨山橋から、歩いて来た事はある。雨山峠を越えて来たのだが、中々景色が良く、長い路とは感じられなかった。
途中のダムの水が、異様に青かったが(今でもそう)、訳でも有るのだろうか。勿論有るんだろうけど。
(林道歩きは嫌だけど その三へ続く)
2011年7月3日日曜日
クソ面倒な話 その三十四
日独伊三国同盟締結に向けて、世の中は動き出したかに見える。勿論戦前の軍事同盟では無く、ドイツ、イタリアが核発電廃止を決めたので、日本も其れに倣おうと言う事。
そうなるだろうとは、思って居た。反核発電は票になると、永田町の先生方も気付き始めた。世論とは気分で有る要素が大きい。
資源、食料、エネルギーが先進国のなかではずば抜けて低い我が国が、気分で核発電を廃止したら、経済力は一気に低下するだろうとは、ド素人のあたしでさえ想像がつく。
経済力が低下しても構わないのだが、しわ寄せが社会的弱者に集まるのが、世の習い。上手く皆が貧乏になれれば良いが、そうならなければ、久しく聞かなかった餓死者も、日常の事となるだろう。
お前は、あの危険極まり無い核発電を擁護するのかって?そう、今の処他の選択肢がいから。従って三国同盟に反対する。まさか、非国民とか罵らないでしょうね?そうなりゃ戦前と全く同じになっちまう訳だ。
ご承知だろうけど、ドイツもイタリアも、核発電を廃止して不足する電力は、フランスから購入する。フランスは電力の殆どを核で造って居る、核発電大国で有る。自分の核を止めて、隣の核を買うのだから、一種のまやかしだと、あたしは思って居る。
此れも何度も繰り返すが、爆弾や潜水艦、空母としては堂々と存在するので、核は兵器に限る、と思って居るのがと、あたしには思える。もしそうならば、歪んだ思想だと言わざるを得ない。平和利用も考えるべきだ。
核発電の事故は、確かに恐ろしいし影響も大きく且つ長期化する。如何に事故を防ぐか、技術を磨き、完璧(有り得ないが)に近づく努力を続けるしか無い、と思って居る。
因みに、少量被爆は体に良い。ラドン温泉が其の例だ。そして有る程度迄の被爆は無視出来る。それについては、次回に。