鍋割は、どうしても一時間半の林道歩きがつき物である。今は途中から大倉へ抜けられるが、三昔程前は、川沿いに真直ぐ行き、堀川に出るしかなかった。堀川から五分一寸のバスに乗るのも馬鹿馬鹿しいで、渋沢駅迄歩くのが普通だった。すると、合計二時間一寸との林道だ。
二年程前二又から歩いていると、車で拾ってくれた人がいて、喜んで乗せてもらった。私も拾われる歳になったのだ、席を譲られてショックを受ける人の気持ちが良く分かる。で、大倉への分岐点で降ろしてもらった。拾ってくれた人は、何故?と訝しがったが、何、O屋に寄りたかっただけで、考えてみれば、渋沢で飲んでも良かったのだ。でも、余程O屋で飲みたかったのだろう。完全に、癖になっているのだなあ。
拾うといえば、私は車で林道を行く時、年配者を見かけると必ず止めて声を掛けた。
「××へ行くんですか?どうぞ乗って下さい」
殆どの人は喜んでくれる。偶に「いや、歩くので」と断る人が居る。決めたルートをやり遂げたいのだ。立派で有る。
今は年配者ばっかりになっちまったんで、バスではない貧相な小型車、乗せたくとも乗せられない。若い奴は何してんだ山は君達の世界だぞ!
高校生の時、Kと表尾根を歩き、大倉へ降りて来たら、バス停が長蛇の列、人で溢れかえっていた。何時バスに乗れるかも、分からない。歩こうと決め、渋沢迄一時間を歩いた。山でバテテいただろうに、それ程長くは感じなかった覚えが有る。今なら、待って待って待ちぬいて、バスに乗ります。
当時の丹沢は、本当に人が多かった。渋沢へ歩く人も多かった。その頃は、朝の渋沢駅は人だらけで、神奈中が臨時バスをどんどん出していた。登山ブームってやつで、時代ですなあ。外に楽しみが無かった訳でもないのに、何が悲しくて、あんなに猫も杓子も、山に行ったのだろう。不思議だ。で、其の頃山をやってた皆さんが又山に戻って来た、為に中高年の登山ブームなんですなあ。
ちなみに、幾ら当時でも猫や杓子は、山歩きはしていませんでしたので、念の為。
大倉から戸沢出合い迄の一時間四十分は、通い慣れた道になった。仲間と行く時は、タクシーに乗る事もある。神奈中の車なら行ってくれる。他社の運転手には断られるので、これは“丹沢の神奈中“の意地なのだろうか。車のスプリングが違う、と聞いた覚えもある。
どっちにしろ、すごーく楽です。でも、不思議と何か後ろめたく感じるのは、私だけでしょうか?
玄倉からユーシンは約三時間。車では何度も入ったが、通しで歩いていった事は無い。ユーシン一寸と手前の雨山橋から、歩いて来た事はある。雨山峠を越えて来たのだが、中々景色が良く、長い路とは感じられなかった。
途中のダムの水が、異様に青かったが(今でもそう)、訳でも有るのだろうか。勿論有るんだろうけど。
(林道歩きは嫌だけど その三へ続く)
2011年7月6日水曜日
林道歩きは嫌だけど その二
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4 件のコメント:
本当に、いまどきの若いもん 山に登らないで何やってんだ!!! 怒るぞ!!!まったく山に代わるものなんか あるわけないだろうに 何やってんだ!!!ですよー。
さ、酒なんてどうでしょうか……。
自分で書いておいて此の返事、済みません!!
TAYLOR AKIKO さんに同感です。マリンスポーツもヨットに打ち込もうとする若者が減っています。若いクルーを育てたいのですが結構、きついスポーツなので候補者が少ないのです。
サーフィンやオートバイみたいな乗り物は増えているのですが、安直に走りがちなのですね。
怒りはしませんが嘆いてます!!!
悪戯っ子さん
ヨットでは 去年オーストラリアの16歳の女の子ジェシカ ワトソンが単独ヨット世界一周を9ヶ月かけて成功させたとき、学校側が、勉強が遅れてしまうから止めなさい と言い、警察も危ないから中止しなさい と。だけど、世論は「よし、行って来い!!!」というイケイケドンドンの雰囲気で、送り出され、無事帰ってきました。政府はさっそく「国民栄誉賞」をあげて、みな喜び合いました。若いチャレンジャーがいると、嬉しくなります。それを助長する国民性も。
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