2011年12月31日土曜日

ベヘレイは美味しいですよ! その五


 うっかり白状しちまったぜ。人造湖なんざ出来ても嬉しくも無いの。水が溜まってるだけで、大きな橋が架かって、夜も無闇と明るくしちまって、あの素朴な山と谷と、其処に点在する部落の風情を、どうしてくれんだよ、ってえのはあくまで私の個人的好みだとは、自覚しては居る。
 あ、誤解しないで欲しいんだけど、私は決
してダム否定論者では無い。必要な物は感情論では無く、絶対に必要なのだ。ダム建設には大きな金が動くので、不正も有るだろう、有ってはならないのだけどね。
 でも其れと関係無く当時の丹沢の、殺風景
に山と谷だった景色が、私の貧弱な脳に刷り込まれて居る訳で、其処に近代的な風景が割って入って来た事に、一寸と戸惑いを感じる、位の処なんです。
 自然の湖(変な表現!)で好きなのは、日
光の中禅寺湖。え、俗な奴だって?ふっふっふ、今頃分かったのかい。
 で、俗な奴に言わせりゃあ、日光は俗の塊、
俗の親玉。日光を見ずに結構と言うなだって?日光を見て「もう結構」と言うのが本当だろう。はっはっは、そうか、そう言う意味だったんだ(違うって!)。
 東照宮の何処が素晴らしいのか分からない。
あんなゴテゴテした建築物、日本の恥だ。日光は中国じゃ無いんだぞ、うざってえよ!
 あくまで私の好みでした。前言撤回、失礼
しましたです。
 処で日航は自然死すべきだったと私は思う
のだが、政治とは難しいもので、日本経済に及ぼす影響を思えば、そうもならないのだろう。そこいらで真面目にやってた会社(小さい)は、税金で助けてはくれない。
 論旨が逸れた。にっこう、だけが共通点。

 日光は俗だが、奥日光の自然は俗では無い。
中宮じ(変換出来ない)の町が有るのに、中禅寺湖は大自然其のものなのだ。横には男体山が聳えて居る。
 (ベヘレイは美味しいですよ! その六へ続く)

2011年12月28日水曜日

おまけ


 本文で湖を取り上げて居る。
 丁度昨日迄の三日間、箱根に行って居たの
で、観光地とは言え立派なホンマモンの湖芦ノ湖にお目に掛かった。富士山と芦ノ湖が定番だが、不精なあたしはそんな事はしない。
 何時も通り、見た物を其の侭撮るのみ。詰
まらない写真だって?だから、仕方無いの!

2011年12月24日土曜日

閑話 その七十五


 年末の23日近辺に、今年最後の山に行く習慣が出来たのは此処10年程だろう。勿論Yと一緒だ。日帰りも泊まりも有る。
 今年は、此の間の山行、大倉の僅か30分
上で幕営する魅力に取り付かれ、やっちまったぜ。ふしだらですなあ。とは言っても幕営地では無く、堀山の山頂に張ったのだ。でも、大倉へ1時間で下れるので、似た様なものだ。
 違法行為なので、書いてはいけないのだろ
うけど、道から見えない所にひっそりと張り、勿論ゴミ一つ残して来なかったので、大目に見て下さい(ペコリ)。
 23日に出発、林道を1時間、モミソ沢出
会へ下降して、堀山の植林の末端へ取り付こうとしたのだが、大分下流へ下る様で、渡渉を繰り返すのが嫌になり、モミソ沢へ入って幾つか滝を越え、適当な斜面に取り付いた。
 此れが大間違い。例の脆い岩と土の混合で
ろくな手掛かりも無く、傾斜は増しても今更戻るに戻れず、冷や汗をかき乍ら、根っ子や岩角を必死に掴んで這い登って行く。植林帯を登る積もりだったので、偽トレッキングシューズを履いて行ったのが、最大の失敗。
 偽トレッキングシューズとは、見た目は確
りして居るが、防水能力ゼロで柔らかいゴム底、蹴り込んでも足場は造れず、岩角に爪先を掛けても、グニャリと外れて仕舞うのだ。
 地下足袋の方が遥かに強力で有る。で、悪
戦奮闘、気付けば手は血だらけ(素手だったので。馬鹿です、軍手を嵌めるのがセオリー)の有様、どうにか尾根に這い上がって見下ろして、Yと共にゾーっとした。文字通りの崖だった。ああ、怖かった。
 と言う訳で堀山に登り着いたらくたくたで、
此処で良かろうとなった次第。
 テントの中で霰の音を聞き乍ら、飲みまし
た。夜中にも恒例の夜の飲み会、朝下って、O屋で又飲むと言う、文字通りの忘年山行、さっき帰った処。テントのフライは凍って居ました。

2011年12月23日金曜日

ベヘレイは美味しいですよ! その四


 ブルーガイドに拠ると、茶店がなん軒かあり、注文すれば沢ガニの塩ユデを出してくれる、となって居るが、知らなかった。食べたい方、もう手遅れです。
 中津渓谷に水を溜めたらたっぷり貯まるだ
ろう、と言う発想だったのだろう。結局、早戸川方面と中津川方面にも湖は延び、土山峠直下迄水が来て居るのは凄い。
 湖には大きな橋が架かり、主脈からも良く
見える。三ツ峰を行くと、湖に向かって下るのは既述の通りだ。悪い眺めでは無い。
 しかし立派な道が有って、車がどんどん通
って居るので、全く山深い感の無いのは、残念だが、其れが人造湖の宿命だろう。
 前出で失礼。妻と晩秋の北八ツに行った時、
中山峠からミドリ湖へ下った。天狗岳は薄っすらと雪だったが、麓は紅葉真っ盛りの時期だった。紅葉の中を歩いて居るとミドリ湖が姿を現す。
 勿論車道なぞ無い自然の真っ只中、綺麗さ
に息を呑む思いで湖畔に立ったが、ちゃんと一軒茶店が有って、甘酒を飲んだ事は書きましたね。うーん、自然の湖は素敵だ。妻も、此処でゆっくりスケッチをして見たい、なぞとのたまわって居た。
 でも、あの茶店は商売になるのだろうか。
私達以外に峠から降りて来た人は居なかった筈だ。そうか、バス停からミドリ湖を見に来る人達を相手に商いをしてんだ。わざわざ見に行く価値は、確かに有るのだから。
 ひょっとして、狐に化かされて、訳の分か
らない物を飲まされたのかな?
 宮ヶ瀬に戻ろう。絶好の展望席は地図で見
る限りは高取山だろうが、湖が出来てからは登って居ないので、保証外なのです(ペコリ)。
 三ツ峰を下るか、主脈北部から眺めれば、
先ず外れは無い。遠くに見えるのも良いもんなのです。いや、遠くだから良いのだ。
 (ベヘレイは美味しいですよ! その五へ続く)

2011年12月21日水曜日

柄でも無い事 その三十三


 石川県と言えば九谷焼、とはあたしの勝手な思い込みで、珠洲焼きとか大樋焼きとか、色々有るのは流石加賀百万石、幕府をはばかり、武を棄て文に生きるとの強烈なメッセイジを発信した訳ですなあ。あ、珠洲焼は古窯でしたので、前田家とは関係無いのでした。
 大体からして間違えて居るのは、石川県と
言えば兼六園や近江町市場や片町や能登を思い浮かべるのが、世の常で有ろう。あたしゃあ相当間違えた人間だ。
 行きました、寺井へ、小松からバスに乗っ
てはるばると。寺井が九谷焼の本拠地なので有る。勿論僻地、バスなんざ一日に何本有る事やら。
 資料館も有れば卸売り団地も有る。次のバ
ス迄時間はたっぷり有るのが、良いのか悪いのか。此の際は良かったんだけどね。
 徳田八十吉で代表される現代九谷も大好き
だが、どちらかと言えば、吉田屋風の古九谷柄が好きだ。何、人間が古くなっちまったから古い柄が好きなのさ。
 もっとも、彼の(かの)廬山人が古九谷を
絶賛して、世界に通用する日本の焼き物だと保証して居たそうだから、矢張り良いもんなんだろう。あたしも棄てたもんではないんじゃないかと思ったりして……。
 九谷三色で埋め尽くし、偉くモダンなデザインと色彩で創り出す古九谷の世界は、圧倒
的で有る。
 古九谷は有田で焼かれたと言う説も出て居
るが、あたしにはどうでも良い。古九谷は古九谷で、産地が金沢でも有田でも構わない。唯、有田に古九谷は無いので、石川県に行くしか無いと言う話だ。
 寺井では徳田八十吉風の徳利を購入したが、玄関に飾って置いたので、落ちて割れた、う、
う、……割れるのが焼き物の定め。
 枯れるが故に花は美しい。

 写真は片町で買った徳利です(安物失礼)。

2011年12月18日日曜日

ベヘレイは美味しいですよ! その三


 はっはっは、ロマン溢れる廃線の旅、は有得ても、廃道の旅は有得ない。涙こぼれる廃道の旅なら、正解だろう。
 前述の通りに私の廃道の定義は、最早通行
不能と此れを認む、なんだから、下手をすると路だった痕跡すら無い。
 で、其の時もそうで、初っ端は痕跡すら無
い。ガレを下りザレをトラバースし、強引に下るうちに踏跡に出て、後は直ぐに林道に降り立った。程無く玄倉の部落だ。気分の良い集落で私は大好きだ。住んで居る人はどうなんだろう。住んで居るんだから、良い所だと思って居るのでは。余計な事?失礼しました!
 朝一番のバスで登って来た事が有った。面
白かったのは、各部落で新聞を受け取る人が待って居て、バスが着くと新聞の束を持って行くのだ。勿論、バスの入り口には新聞の束が幾つも積んで有る。各新聞の混載の束だ。
 当番制なんだろう。配達少年は居ないもん
ねえ。もし居ても、走り回る距離と比べれば余りにも部数が少ないから、解雇の憂き目を見るだけだ。生活の知恵を見て、成る程と偉く感心したのです。流石に中川温泉の束が、一番大きかったのだ。客にも読んで貰うからだろう。
 どうでも良い事だって?私はそう言うどう
でも良い事が大好きなの!
 最近の事、宮ヶ瀬にダムが造られ、宮ヶ瀬
湖が誕生した。小田急電鉄は大喜びで、宣伝にあい努めて居る。観光スポットが増えたのだから目出度い。丹沢湖より大分大きい。倍以上有る。
 悲しいのは中津渓谷が湖底に沈んだ事だ。
昭和四十九年のブルーガイドブック丹沢には、日本観光百選渓谷の部に入選有名となり、交通の便に恵まれてコースも完備し、家族づれのハイキングには好適な地である、となって居る。
 私も何度か歩いた。一時間強で抜けられる
一寸とした散歩道だが、確かに深い渓谷はなかなかのもので、休日は人が多く、偉く賑わって居た。
  (ベヘレイは美味しいですよ! その四へ続く)

2011年12月16日金曜日

休題 その八十


 黒澤明の遺作となったのは「まあだだよ」だが、映画館で観た時は、ふーん位の印象だった。興行的にも失敗したと記憶して居る。
 見直してみた。淡々とした名作で有った。音楽が2箇所しか使われて居ない。

 戦後のあばら家で夫婦が季節を送るシーン此処でビヴァルディが流れる。何故か泣けて来る様な名シーンで有る。

 そしてラストからエンドチェックへ。これも同じ曲で有る。

 何たって此のラストが凄かった。若い時(比現在)には全く気付かなかった。若いと言
う字は馬鹿いと言う字に似てるのー♪
 主人公内田百間(本当は門構えに月だが変
換不能)がパーティで倒れ、内田家に泊り込んだ幹事四人が一杯やり始める。
「先生はどんな夢を見るんだろう」
「夢も金無垢さ」

 説明が必要だろう。内田百間が教師を辞める日に生徒の一人が言う。

「父は先生の事を、まじりっけ無しの金無垢だと言って居ます」

 其の生徒の父が幹事の一人なのだ。
 其の夢なのだが、浴衣姿の子供の頃の内田
百間がかくれんぼをして居る。何度も「まあだだよ」と答え乍ら、隠れる場所を探す。
 「もういいよ」で終ると思いきや、其の子供は突然隠れるのを止め、空を見上げる。そ
してビヴァルディで有る。
 心臓を掴まれた様な衝撃を受けた。

 成る程、並じゃ無いとはこういう事かと、しみじみ思わざるを得ない。

 黒澤明はベタに音楽が流れるのを嫌ったと言う。此処、と言う時のみに流す。その代り
鼓や擬音は多用した様だ。
 流石、世界の黒沢の遺作に相応しい作品で
した。あたしが全く分からなかっただけなのです。

2011年12月14日水曜日

ベヘレイは美味しいですよ! その二


 セオリーだと、大野山と其の北東に延びる尾根だろう。ちゃんとした登山道だ。湖のほぼ全景を目に出来る。秦野峠分岐から湖に降りて行くのだ。うーん、悪く無い。
 私の好みだと、不老山の東の番ヶ平からの
展望だ。此れもちゃんとした登山道で有る。権現山をバックにした湖の姿が良い。ん、最近は行って無いから、展望は利くのかな?多分大丈夫だろう、二昔前は切り開きだったのだから。二十年経てば木も伸びるって?そう言われりゃそうだね。もし展望が無くなって居たら、御免なさい。
 でも、其の付近にどっかしらは見える所が
有らあな。保証は出来ないけど……。
 伊勢沢ノ頭近辺からも、悪く無い。向こう
の方に湖が長く延びて居る感じも捨て難いのだ。樹木が邪魔するので、適当な場所を探す必要が有る。お暇な方は挑戦する甲斐は有る筈で、檜だつか山稜を歩けるだけでも、無駄には決してならないだろう。
 檜だつか山稜は余り人が入らない。藪山と
思われて居るのかも知れないが、そんな事は無く、多少迷いやすいけど確り路が有る(駄目だよ、こんな訳分かんない事書いてちゃ。はい!)。
 昔は確かに藪山だった。秦野峠からの下り
も(そして登りも)分かりにくかった。どちらかと言うと物好き向けの山だったが、もう違うのでご安心を。秦野峠からの下りも林道をとっとと行くだけなので、間違い様も無い。
 うーん、詰まんないなあ、昔の方が、あっ
ちだこっちだと騒げて面白かった。
 変人趣味は置いておこう。

 昔々、Yと秦野峠から玄倉へ向かって下っ
た事が有った。あれ、変人趣味に戻っちまったぜ。ま、良いだろう、どうせ変人ブログなんだから、首尾一貫してらあね。
 昔々よりもっと昔々には、玄倉への路が破
線で有った。其れをやろうとしたのだ。詰まり、ロマン溢れる廃道の旅。良いキャッチコピーだ。分かんない客が付くかも知れない。
 (ベヘレイは美味しいですよ! その三へ続く)

2011年12月11日日曜日

閑話 その七十四


 テント生活にマットは欠かせない。とは言っても、昔の木のポールで綿布のテント時代には、マットなんざ無かった。適当なもの、そうねえ、予備のセーターとか新聞紙とか、片っ端から敷いてマット代わりにして居た。
 もっとも、冬はどうだったのだろう。綿布
以外にはフェルト位しか思い浮かばないが、そうだとしたらさぞや重かっただろう。
 ウレタンのマットの登場は嬉しい驚きだっ
た。軽くて熱の遮断(この際は冷気の遮断)も充分で有る。
 とは言ってもあたしの購入した暑さ2
Cmのマットでは、冬の冷気は遮断出来ず、無いよっかは余程増しだが、シェラフの中が寒いのでは無く、冷たいのが辛かった。
 或る歳の山で、素晴らしいマットを持って
居るパーティと擦れ違った。上越の春だった。其のマットは常識を覆して、キャタビラ状の厚いマットだった。
 わ、凄い、ありゃあ冷たくなかんべさ。早
速購入した。あんなウレタンにしちゃあ高価だが、仕方無い。Yも買った。
 凄い威力だった。冬山でも冷たいけど、レ
ベルが違う。Sの言う通り、山は金(かね)だ。認めたくは無いけど、其の通りだ。
 でも、あたしが様な山は想定外に造って有
るのは至極当然。なにせキャタビラ状なんだから、かさばるのでザックの外に括る。ザックのなかになんか入れられない。
 其の状態で藪に突入すれば、結果は明らか
で、藪に傷められボロボロになるので、現にボロボロになっちまった。
 でも、使える。登山者(一寸と特殊な)は
ホームレスに似て居る。生きられば良い。
 表現に難有りだって?おい偽善者、あたし
と山を登ってから言え!!突き落とさないから安心してね(多分)。
 どんどん良い道具が出るけど、お陰で山を
舐める風潮に近いものを感じるが、危険です。

2011年12月10日土曜日

ペヘレイは美味しいですよ! その一


 昔々々々は、丹沢は山と谷のみ、湖なんて無かった。西の外れに行けば山中湖が足元に広がるが、山中湖は丹沢山中とは言い難い。従って水辺としては、震生湖と名付けられた池が、唯一の売りだった。後述だが、表丹沢を見渡す絶好の展望台で、ボートも有るし、良い所では有るが、誰が見ても湖では無い。決して無い。
 或る日、三保で大工事が始まった。部落の
家も移動を始め、学校も高台に建てられて、丹沢湖が誕生したのだ。
 其の頃箒沢へ向かうバスは、工事現場の横
の迂回路を登ったが、車窓から見ての大工事、何の騒ぎなんだと思ったけど、ダムに決まってんだ。
 バスに乗って居ると、学校前から子供達が
乗って来る。皆、運転手に挨拶をして乗って来る。降りる時も挨拶をする。良い子達だ!
 彼方此方の停留場で子供は降りる。中川温
泉迄は点々と人家が続くのだ。其の先は箒沢迄家影は絶える。住んで見たい。住めば都。でも、飲み屋が無いのが、一寸と辛い。
 丹沢湖の回りは絶好のランニングコースの
様で、何時でも走って居る人が居る。丹沢湖マラソンも定着した行事となった。
 釣り人も多い。ブラックバスがお目当てら
しいが、丹沢湖には意外な魚が居る。ペヘレイと言う南米産の魚で、ボラの仲間らしい。
 アルゼンチン語で、魚の王様の意味。此れ
が淡白且つ味わい深く(矛盾ですなあ)、美味しいのだ。刺身しか食べた事が無いのだが、無闇と美味しい!是非一度お試し下さい。決して期待を裏切らない事は保証します。中川温泉なら、注文出来るでしょう。
 さて、折角出来た(良し悪しは別として)
湖だ、湖面に映る山々や緑を愛でるのも悪く無いが、矢張り見下ろしましょうよ。
 (ベヘレイは美味しいですよ! その二へ続く)

2011年12月7日水曜日

休題 その七十九


 前に何度か書いたが、朋友にYnと言うヤクザにしか見えない男が居て、電車の中を歩き乍ら、脚を組んで邪魔なら其の脚を蹴っ飛ばして通ると言う、あれで有る。
 住まいは北区の下町なので、まあ、不良の巣窟の様な所だろう(多分)。
 で、Ynが昔々彼の倅の通う中学で、PTAの副会長となった。理に適った人選だ。毒をもって毒を制す、此れが世の摂理で有る。
 前述の通り、学区は不良と暴走族の天下(多分)、PTA副会長としては、放置し得る問題では無い。即、改善に向けて動き出した。
 うーん、流石にやる事は早い。因みに我が朋友達は、やるべき事が有れば迅速に行動を起こす。なかなか(その点は)立派な諸君で有るのだ。
 Ynは急所を見抜いた。不良や暴走族の親は、不良かヤクザに決まって居る。先ず親から締め上げよう。
 流石Ynの面目躍如、校門に立ってニコニコと生徒に声掛けなんて甘ったるい事はやらない。いや、思いも付かないのだろう。
 Ynは悪ガキの家へ行き、靴の侭上がり込み、親を恫喝する。
「馬鹿野郎、てめえのガキに勝手させてんじゃねえぞ、こらあ!何とかしろ、良いな!!」
 どっちがヤクザか分からん。
 あっちこっちで其れをやり、やがて学区は静かに落ち着いたと言うのだから、結果オーライの見本其のもので有る。
 倅が卒業しても、特に乞われてもう一年副会長を務めたのだから、学校からも余程頼りにされたのだろう。
 と書くと、Ynが如何にも乱暴者に思えるだろう。実際そうなんだが、人情に厚く、不正を嫌い、お年寄りには大変優しく、孫には目が無い。決して屑では無い。保証する。
 見た目とは大違いなのだ。人は見掛けによらない見本でも有るですなあ。

2011年12月4日日曜日

閑話番外 その五十八


 写真は、前日迄の降雪で真っ白く雪を鎧った阿弥陀岳で有る。トレースを外すと腰迄もぐり、とてもじゃないが、単独でラッセルして阿弥陀に向かうのは無理だった。
 結果、他パーティのトレースに乗って赤岳
へ登って仕舞ったとは、前に書いた。
 因みに、ガスが湧いて居る様に見えるのは、強風に煽られ舞い上がる雪で、俗に言う雪煙(せつえん)で有る。
 八ヶ岳にしては珍しい豪雪だったので、ご
紹介致しました。

2011年12月3日土曜日

バテ通し病は治らない? その五


 どうです、見た目でも一発で分かるでしょう、えっへん。え、其れはお前の事かって?? ……そうか、全く気付かなかった……。
 ヤバイ、一瞬迷っちまったぜ。違うのだ、
断じて違うのだ。私はバテ通し病ではなく、唯のバテたおじさんなのだ。其の根拠は、私がバテた時は、休憩中でもテントの中でも、確りと立派にバテているからだ(自慢する事かって?仕方無いでしょう、本当の事なんだから!(涙))。
 前にも何かに書いたけれど、私がバテるの
は単独行の時と粗(ほぼ)相場が決まっていて、パーティの時には有得ない。
 言い切って良いのかなあ?うん、良い!も
し有ったとしても、多くても二、三度だ。3500なら2%以下、無視しても良い確率だ。宇宙へ飛び出そうってんじゃ無いんだからさ。従って、私はバテ通し病では無い。
 あ、決してバテ通し病を差別してるとか、
偏見をもってるとか、軽蔑してるとかでは無いんですよ。そんな書き方に感じられたら、私の表現力不足って事です。
 でも、もしバテ通し病が感染するなら、あ
くまで私にとっては、エイズより遥かに怖い病で有る事は、否定できない。
 矢張り差別しているんだって?だから、感
染しないので、全然怖く無いの!(意味が通って無い?)
 バテ通し病を軽蔑?何を仰いますか、逆な
んです。バテても山が好きで山に行き、バテても山の技術を身に付け、バテてもお洒落に気を配る。偉い、(バテ通し病の)貴方は偉い!
 私なんかより、よっぽど人様が共感できる
登山者なのです。