2019年11月30日土曜日

休題 その二百七十一



 「12年の長い夜」と言うウルグアイ映画を観た。ネットフリックス製作だから、勿論ネットフリックスで見たのだ。モロにネタバレだから、此れから観る予定の方は読まない方が宜しいでしょう。
 ウルグアイの軍事政権下、三人の政治犯が収容された、その十二年に及ぶ監獄生活を描いた事実に基づいた作品だ。監獄と言うより拷問部屋に近い環境だ。その辛く苦しく希望のない生活を、淡々と描写している。
 従ってあたしにはちっとも面白くない。映画の評価も高くなかった様だから、多くの人にとっても、鬱陶しくて面白くない作品だったのだろう。
一寸とだけ、「ショーシャンクの空に」に似た部分が出て来る。看守の軍曹の手助けをするだけだ。転々と軍刑務所を移動させられて、またその軍曹に再会する。軍曹は「私に何が出来る」と聞き、主人公のホセ・ムヒカと仲間の一人を昼間の広場へ出してやる。軍曹の好意だけではなく軍事政権の弱体化も背景にはあるのだろう。
 そのあたりから流れるサウンドオブサイレンスが凄い。サイモンとガーファンクルが歌うのではなく女性が歌っているのだが、辛さ苦しさを一気に集約した感が有り、思わず泣けて来た。このシーンは圧巻である。
 軍事政権が倒れて解放される処で映画は終わる。字幕だけでフセ・ムヒカがやがて大統領になる事を伝える。
 フセ・ムヒカ、覚えている方もいるかも知れない。世界で一番貧しい大統領と呼ばれた人物だ。大統領に就任しても、実に質素な暮らしを貫いた人物だ。来日した時の言葉。
 「貧しい人、かわいそうな人というのはコミュニティがない人であります。一番大きな貧困というのは孤独です」
 多少意訳しました。その偉人の十二年の苦難、お奨めはしませんがとても重厚な映画であります。

2019年11月26日火曜日

休題 その二百七十


 ネットで、外国からの旅行者が日本を絶賛している番組がよく有る。日本の一番良い処は、ゴミ一つない清潔さと言う人が多い。
 うーん、確かに見た処清潔ではあるけど、朝の原町田(町田市の繁華街、ローカルで失礼)なんざゴミだらけだ。ペットボトルや空き缶は転がってるし、吸い殻、紙ゴミ、コーヒーの紙カップやレジ袋と何でも有りだ。
 シルバーで月に一度、住宅地の掃除ボランティアをしている。住宅地でも結構ゴミは集まる。数量が多いのはダントツで吸い殻だ。煙草の箱も捨ててある。
 あたしは煙草吸いだが、煙草吸いが嫌われ差別(?)されるのも無理からないと思う。
公徳心に欠ける人間が多すぎる。煙草の害云々の前に、常識を持たぬ人間は煙草を吸うな、と言いたいですなあ。
 ゴミの話だった。日本人はゴミを捨てない、は大間違いだ。場合に依っては捨て放題だ。ハロイン後の渋谷なんざ、そりゃあひどいもんらしい。日本人の公徳心が高いとはとてもじゃないが言う気になれない。ゴミを平気で捨てる人間は、外国と比べて比率的にはそれ程差はないのじゃないかい。
 じゃあ何故日本は清潔だ、と驚かれるのだろうか。それは掃除をする人(対外国比)がが多いからだろう。朝、家や店の前の道路を掃いている人は当たり前にいる。ボランティアでゴミを拾って回る人も見掛ける。そして朝の原町田も見る見る綺麗になって行く。
 詰まりですよ、汚す人間より掃除する人の方が勝っているので清潔なのです。
 汚す人間が少し増えて、掃除する人が少し減ったら、どうなるかは分からない。現在は巧くバランスしてると言える。思えばあたしが子供の頃は不潔だった。ゴミも吸い殻も捨て放題だった。
 移植足りて礼節を知る、高度成長以降、日本の社会も成熟したって事ですな。

2019年11月24日日曜日

休題 その二百六十九



 台風については前にも書いたが、再びです。
 先の台風で二子玉川が浸水した。大した被害が無かったのは何よりだが、地下の店舗や私設は致命的な被害を受けただろう。それと、二子玉川と言うブランドに少々傷がついたかも知れない。
 民主党時代のレンホー大臣が、仕訳でスーパー堤防事業をカットした。優先順位の問題だったので、決して滅茶苦茶を言っている訳ではない。
 ただ、その発言の中で、二子玉川を視察したが堤防はできている、その上のスーパー堤防は又の話だ、と発言している。実際は堤防は完備していなかった。その不備な部分から越水したのだ。
 レンホー大臣は専門家では無いので、一回の視察で不備を見抜くのは無理だろうとは理解するが、この件についてマスコミが一切触れないのが腑に落ちない。お得意の発言切り取りで責め立てれば面白いのにw
 ユーチューブにレンホー大臣の発言がある。下がそのアドレス(?)です。
 確かにスーパー堤防迄必要な状況ではなかった。レンホー大臣が見落とした不備な所が管制していれば、問題無く済んだだろう。
 何故管制しなかったかと言うと、地元の住民に反対者がいたからで、世田谷区は土嚢を積んで補っていたらしい。何故反対したかと言うと、自然と景観を守りたかったのだが、家屋や財産は守れなかった事になる。
 レンホー議員、お言葉ですがこれからはスーパー堤防の完備は是非とも必要になるでしょうね。災害が激甚化しているのは、流石にお分かりですよね?
 何十年掛かっても宜しい。何十兆円掛かっても宜しい。治水が国家の役割の、それも大きな部分だ。「コンクリートから人」ではなく、「人を守る為にコンクリート」ってなとこでしょうかね。

2019年11月20日水曜日

休題 その二百六十八


 NHKは国民の受信料で反日的放送を行っているとあたしには思える。勿論視聴率を気にしないで済むので、時間と経費をかけた優れた番組も多いとは聞いている。災害時には強力な情報源である事は言う迄もない。
 それでも反日報道に加担する気はない。微塵もない。抗議しても無駄だろうから料金支払いをやめる事にした。反日放送をする為の資金提供をお断りするのだ。
 先ずは引き落としをやめた。これは極簡単だった。コンビニの振込用紙を送って貰う様に変更すれば良いので。そして二ヶ月に一度送られて来るのを踏み倒せば良いのだ。
 踏み倒しを続けると集金にやって来るだろう。これは冷たく「払いません、お帰り下さい」と突き放せば宜しい。もし帰らずに騒いでいたら警察を呼ぶ。不退去は犯罪なのだ。
 この下りが面倒だったり怖かったりすろ核心部になるだろう。反日放送には加担しない、との強い決意が必要だ。負けて堪るか、と腹を据えたのだ。
 年に二度程、合計請求書が届く様だ。合計請求書を送り続ければ時効が成立しないから。N国の立花氏は五年で時効だと言っているが、それは無理だろう。十年踏み倒せば二十二万円以上の額になる。
 NHKが其れを取り立てるには裁判を起こすしかない。これも面倒っちくて嫌な事柄になる。でも考えても御覧なさい、あたしが訴えられる確率は1%もないのでは? 山勘だけどねw
 もし訴えられたらどうする。裁判に負けるだけだ。簡単な事である。その為に、支払わないがその額は積み立てておく。
 あたしは裁判に負けても支払わない。NHKは差し押さえの訴えを起こさなければならない。そしてやっと支払いを受けられる。
 とことん手間を掛けさせる決意だ。もし訴えられなければ、積み立て金で豪勢に寿司でも食べます。

2019年11月16日土曜日

休題 その二百六十七



 NHKの偏向がひどいとはよく聞く。世に言う慰安婦問題も如何にも強制的であったかに匂わすそうだ。あたしはテレビは見ないが、妻が見るので受信料は払っていた。
 職員の平均年収が千八百万円でも構わない。犯罪を犯す職員が多いのも構わない。大きな企業なら色々あるだろうし、高額な給与もあってしかるべきだ。
 ただベースが、朝鮮を植民地にし、先の戦争は日本の侵略で、日本軍は悪逆無比で、未だに充分な反省と保証がなされてない、と言う事らしいのは全く納得できない。
 朝鮮は合併したので、植民地ではない。欧米の植民地とは全然違う。日本軍は侵略されて植民地になっていた諸国に攻め込んだので、本当の侵略者はアメリカ、オランダ、フランス、イギリスではないか。日本軍が悪逆無比ならば、シナ軍や欧米軍やロシア軍の悪逆無比と比べるべきだ。日本軍の規律正しさが浮き彫りになるからやらないだけだろう。反省と保証は済んでいる。それらをNHKが知らない筈がない。
 NHKの海外向け放送がある。あたしは横文字に弱いので見た事も聞いた事もないが、韓国をホワイト国から除外して揉めている件も、日本の経済制裁に韓国が反発し云々、と放送していたそうだ。
 経済制裁ではないだろうが。核兵器製作に必要なフッカ水素の30%もが行方不明なので説明を求めても、何の回答も無いので特別待遇をやめて、普通に輸出検査を行う様にしただけだ。
 海外メディアは、一応日本の公共放送とされているNHKの英語版から情報を得る筈だ。それが韓国側の主張に立って放送をしているのでは、偉く誤った判断を下してしまう。
 それだってNHKには分かっている事だろう。分かってやってるのは確信犯って事だ。NHKは日本の立場を悪くしたいのだろうかね。(続)

2019年11月13日水曜日

柄でも無い事 その七十七



 JR新宿駅南口構内、小田急線との連絡改札口近くに昔から立ち食い蕎麦屋がある。三十年近く前に入ったが、お決まりの湯通ししたダラーとした蕎麦だった。店員もおっつぁん達で、当時の典型的な駅蕎麦屋だった。
 それからは、しょっちゅう前を通るのだが一度も入った事はなかった。妻も八年程前に入って、余りの不味さに驚いていた。「そうだろう、昔の駅蕎麦そのものさ」と説明した。“あじさい“の別バージョンですなあ。
 三年位前にリニューアルした。一寸と洒落た感じになったが、どうせ不味い蕎麦だろうと思って入る事はしなかった。
 でも通る度に気になってはいて、つい先日思い切って入って見た。店の名前は「そば一」だ。券売機で職権を買うのは変わらない。変わったのはフロントが若い女性になった事と、スタッフも若くなった事だ。あと、店内が綺麗になった事かな。
 ポットに入った蕎麦湯があった。お、生蕎麦になったか! やっと時代に即した店になったのだ。結構感動である。
 蕎麦はちゃんとしていた。JRに高いショバ代を上納しているだろうに、なかなかである。何せ人で溢れている一等地、数で勝負できるのだろう。美味しくなったのだから絶対客は入るし。
 やればできるんですなあ。“味災”はJRの子会社なんだから、その気になれば簡単にまともな駅蕎麦を提供できるのに、その気が無いからダメなんだ、と断定されるのも無理からぬ処だ。だから味災なぞと書かれるのだ。
 ネットに“あじさい”を独禁法違反で訴えられないか、と質問があった。無理だと言ううまともな意見と共に、無視しろ、そもそも入るのが間違い、不味い物を無理して喰うな、等の意見が並んで笑ったw
 駅蕎麦は進歩している。前に甲府の蕎麦の話をしたが、生蕎麦が主流になって行くのだろう。蕎麦好きには嬉しぃ話ですなあ。