2018年5月31日木曜日

閑話番外 その百三



 巻機山の報告は終わったけれど、雪の積もり方について一寸と触れておきます。
 今回の巻機山からの写真は斑な雪稜ばかりで寂しい。「何で?」と思う方は次の写真と比べて頂こう。一枚だけ出すけど、大体昔は毎年こんな感じだったと思う。


 最近になって雪の少ない年や、雪が早々と溶ける年が現れた様に思われる。勿論、統計を真面目に取っている訳でも無い単なる素人の感想だが、雪の有る無しで地獄の思いをさせられるのだから、記憶には刻まれている。
 「山の報告 白砂山Ⅰ」の様に無残な経験は、少なくとも二十年前の上越の山では有り得なかった。そして「山の報告 平標」の様な異常事態もだ。
 日白山には何度も登っている。登山道が無いので積雪期のみ登山可能な山だ。二十年前には雪庇を辿って雪原迄登れた。最近は藪と雪庇を半々に行かなければならない。一昨年だったら雪の欠片も無く撤退だっただろう。
 今回の巻機山でも、下りの時に幾つものパーティに雪の様子を聞かれた。雪が現れないのを訝しく思っているのだ。三十年前になるが、降りて来た時も、翌年登りに取り付いた時も駐車場を越えれば雪だった。
 地球が温暖化していると言う説に異論が出てるらしいが、ここ三十年から六十年を見れば暖かくなっているのは疑いない。上越の山を見なくとも、桜の開花時期でそれと知れる。
 昔は入学式の時に桜は満開だった。今では三月中に満開を迎える事が多いんじゃないかな。彼方此方の桜祭りも大外れで困っている事だろう。
 何十年なんて地球的に見れば一瞬に過ぎないので、単なる一時的揺らぎかも知れない。そうなら良いのだが、もし本当に温暖化に向かっているのならば、春山の楽しみを奪われてしまう。
 詰まらない冗談でした、済みません。人類の存亡にかかわる事です。

2018年5月27日日曜日

休題 その二百十九



 朋友のYnが竹富島へ移住した話はした。今年もモズクを送ってくれた。ずっしりと重い荷物である。
 販売されているモズクはほぼ養殖だそうで、天然ものは貴重だそうだ。因みに産地は沖縄が90%強、あと鹿児島と福岡で少々だそうだ。Ynのモズクは本場物、おまけに養殖じゃない天然物なのだ。
 「浜で拾って来るのさ」とYnはのたもう。太くて新鮮、スーパーのモズクなんかとは全く訳が違う。潮が引いた浜で拾うって言うのだから、おとぎ話の様な島なのだろう。
 低カロリーで栄養価と食物繊維が豊富だそうで、ダイエットと美容には最適な様だ。尤もあたしはダイエットと美容は無縁なのでどうでも良いのだが、免疫力を高める効果があるのは嬉しい。
 どっさりとくれたので夫婦二人ではとてもじゃないが食べ切れない。三軒程にお裾分けして、それから我が夫婦は毎日モズクである。中型の器にどっさりと入っている。食べ方は酢で味付け、極めて一般的な方法だ。
 一般的じゃないのは切らずに其の儘出て来る事だろう。沖縄天然モズクは太くて長い。従って蕎麦を啜る様にして食べる事になる。最初の日は妻も「切らなかったからねえ」なぞと言っていたが、一向に切る気配はなく、蕎麦の様にモズクを食べているのだ。
 ま、客に出す訳でもないし、豪快にぶっといモズクを啜るってえのも滅多にできる事ではないので、良しとしましょう。
 「スーパーで買ってたあれ、何だったんだろう」と夫婦で毎日の様に交わす会話である。別物と言えるだけの違いがあるのだ。歯応えや質感や質量が全く違う。グターっとのびたうどんと、生きの良い讃岐うどんの違いと言えば、多分分かって貰えるだろう。
 Ynよ有り難う。自然に恵まれた原始人の様な生活で日本言を忘れない様にね。

2018年5月24日木曜日

山の報告です その六十八



 下りは楽だ。あっという間に六合目に着いた。気を付けて見たが幕営可能な場所は何処にもなかった。我々が張った場所が唯一可能な場所だったのだ。極めてラッキーであった。
 六合目から雪の広い斜面をマーカーを頼りに下り行くと、やがて雪が消えた。詰まり其処が、やっと雪が有ったと喜んだ場所だ。
 あとは夏道を下るのみ。早い単独行者がやって来た。雪はどうかと問うので、此の先からは雪だと答える。皆さん雪が無いので戸惑っている様だ。
 新緑の中の路になる。一パーティが登って来た。皆さん若い。避難小屋かと聞かれテントだと答えると張れる場所が有ったのかと不思議がる。有ったんですよ♪
 更に下り続けるとYが大分参り始めて、ぐんと歩みが遅くなって来た。勿論大汗をかいている。矢張り山中二泊は正解だった訳です。だらしない奴等と思われようと、歳相応の登り方を(そして下り方を)したのだ。現に駐車場に着いた時にはもうYはメロメロ寸前、やっと歩を進める有様だったのだ。
 清水部落に入って「山菜蕎麦」の幟を横目にバス停に着くと、何と十五分後にバスが有る。慌てて装備を外しているとバスが来て、三人が降りる。一人は単独、三十代のカップルは朝日へ向かうと言う。北側だけ雪の有る稜線の様子を説明する。
 バスを塩沢で降りるとノータイムでJRが来た。うーん、スムーズですなあ。越後湯沢で驚いた、去年は殆ど廃止された「谷川」が復活していた。おまけに駅蕎麦迄開いている。去年は十一時からだったので食べ損なったのだ。大慌てで山菜蕎麦を食べ、谷川に飛び乗って十四時には家に帰れたのでした。
 後からYと悔やんだ。何であんなに慌てたんだ? 一列車でも二列車でも遅らせて、ゆっくり温泉に入って来るべきだった。コーヒーの一つも味わえば良かった、と。(終)

2018年5月20日日曜日

山の報告です その六十七



 急斜面は下り終えた。目出度い。又パーティが登って来る。今迄出会った登山者はいっても六十代、多くは中年以下で、多分あたしが最高齢者だろう。 威張る事ではないのだが、何だか嬉しい。エッヘン、年寄りなんだぞ!ってバカみたくはありますなあ。
 暫く緩んだ斜面を下って行くと、我が家(テント)が見えた。帰り着くと十一時半、日差しが強くてペグが浮いている。Y  は早速補修に掛かり、あたしは雪を採る。この役割分担はもう二十年以上にもなるのだ。
 前日に続いて昼前には「ご苦労様」の乾杯だ。未だ登って来る人がいるのにこれだから、一寸と忸怩たる思いは無いでは無いが、実際問題として今から撤収して下山するのは、相当にキツイだろう。
 やってできなくはないが、そんな無理をする必要が何処に有るのだろう。何せ我々は(多分)最高齢パーティなのだ、エッヘン。
 飲み乍らワイワイやって早めの夕食とする。夕陽がぼやけているのは、徐々に天候が崩れて行くと言う事だ。好天が三日続いたのだから、当然の変化なのだ。
 一眠りしてゴソゴソ起きだし、恒例となった夜中の宴会を始める。あとは下って帰るだけと言う解放感が堪らないのだ。周りには勿論人っ子一人いない。月明りが雪面を照らすのみである。幾ら騒ごうが誰の迷惑にもならない。雪のテント生活はその意味でも天国だ。
 お開きとなったらYはあっと言う間に寝付く。つくづく羨ましい事だ。あたしもそうだったら随分山も楽ちんだろうに。ウトウトも三泊目ともなると結構辛い。寝不足なのに眠れないとは、此れ又随分間抜けな状態である。
 そして朝を迎えた。今朝も晴れだが、前日迄のド快晴ではなく、一寸と雲がある。でも登山には影響なさそうだ。
 コーヒーと朝食、そしてさっと撤収、清水部落へ向け下り始めました。