2014年2月28日金曜日

休題 その百二十八




 又もや前々の文を引き摺ろう。あたしは確信犯なのだろう、きっと。
 夏彦氏の事だ。あたしは紹介が下手なので、彼がバッサリと無情な人と思われたかも知れないからなのです。
 彼が一番嫌うのは、正義を売り物にする事だ。そして何時でも、正義を売り物にして居る人間が、世の中の主流になって居る、と諦めて居る。
 詰まり、戦時中に人をチェックした国防婦人会と、現在平和を訴える人々とは、全く同じ人間なのだと、はばかりも無く指摘する。
 嫌われますなあ、実際そうだから。あたしゃあ十代は左翼(?)だったが、段々分かって来た。だって、話が違って来る。何と?事実とだ。
 あたし(段階野郎)の世代が、現実に戦場に居た人間が極めて身近に居た世代だろう。でも、戦場に居た叔父や父は余り話そうとはしない。侵略戦争の兵士と言う位置づけをされて居たからだ。誰がした?GHQだ。
 でも、やがて口を開き始める。其れを聞き取った訳では無いが、多少は耳に入る。本も出版される。民生の友人の話とは、全く違って居た。
 自分の事はいい、夏彦氏に戻ろう。彼は言う、十五年戦争の間は真っ暗だったなぞ大嘘だと。人はそんな暗黒には耐えられない。戦争中は飢えて居たのも、二十年に入ってからで、其れも都市部に限られて、地方は飢えてなかったと。
 生き証人の話だ。外に其の事実を言う者が居ないので、彼は強調するのだろう。七平氏の言う処の「空気」に反発するのだ。
 「空気」に支配される我が民族のうちで、こんなに貴重な存在は居ない。
 「平和な時の平和論」「茶の間の正義」、夏彦氏の嘲笑って止まない処だ。
 命を懸けて平和を語る場合で無ければ、誰でも平和を語る。其れが陳腐で我慢出来ないのだ。政策にどんなに異議を唱えても何でも無い。其の人たちが、中国や北朝鮮に居たのならどうしますか、って事なんでしょう。全く同感です。

2014年2月25日火曜日

思い違いは世の習い その一




 何かに書いたが、山好きの人間が海に興味を持つと、(ほぼ)決まってヨットだ。自然相手と言う共通点がものを言うのだろう。
 そうは言い乍ら、山とヨットを優雅にこなして居る人間は、少なくとも私の周りには見当たらない(スキーとヨットなら居る)。きっとどっか、私の知らない所に居るのだ。
 で、山好きの人間には一定の特徴が有ったが、其れは昔の事なのだ。今は時代が変わり、登山者も変わった。では、現在の本当の姿を明らかにして、皆さんの思い違いを解いておこうと言う訳だ(え、余計なお世話?)。
 え、枕と何の関係が有るんだって?フン、全然無いね。そんなもんなんだよ「丹沢と共に」はさ。読んでりゃ直ぐ分かるでしょうが。頗る良い加減なんだからさ~♪

☆思い違いその一 「登山者は寡黙だ」
 確かに、そう言う人間も多々居る。特に、命懸けの山に挑む奴は、当然そうなる。併し今は昔じゃ無い。無酸素でチョモランマに登れる奴は、滅多に居ない。でも其処迄しないとスポンサーも付かないのが、現実だ。
 寡黙では、スポンサーを説得出来ない。雄弁こそが冒険者に求められる素質(?)なのでは無いのかな。まるでアメリカ見たいで、嫌な渡世だぜ。
 スポンサー不要で、好きに国内のヤバイ所を登る奴(済みませんね、さっきから奴だなんて。レベル違いでも登山者同士なんで方(かた)は無いと思って、此の章は敢えて奴と書きます)は寡黙だろう、多くはね。
 でも人に依るんだと思う、酒飲んで大騒ぎしても至極当然だろう。私の知ってる限りは、決して寡黙では無い。狭い範囲の事だから、保証は出来ないけどね。
 (思い違いは世の習い その二へ続く)

2014年2月22日土曜日

休題 その百二十七




 二週続けて大雪が降った。二度目の雪は観測史上トップだった。甲府で1m以上、え、山ん中かい?と言う世界だ。
 都心で30cm近く降ったんだから、大騒ぎに決まってる。でも、雪国の人々に言わせりゃあ大笑いだろう。極く日常の世界だから。
 併し十数名の死者を出し、彼方此方の町や村が孤立するとなると、矢張り大事で有る。山梨県は、県そのものが孤立した。
特に関東の平野部は普段雪に不慣れなだけに、とても困る。車もろくに走れない。
 先ず、立体交差で渋滞が起こるのが決まりだ。ノーマルタイヤの車(東京では殆ど)が登り切れなくなる。スリップを続けるのみとなるのだ。勿論後ろには車が続いて並んで居る。従ってバックで下る事も出来ない。
 結局運転手は、キイを掛けて車は放置し、去る。同じ事が、アップダウンの有る道で起こる。246は坂だらけだから、点々と放置車両が並んだそうだ。
 雪国ならば、スタットレットは常識で、おまけにチェーンも装備して居るだろう。青森の友人が、雪道で事故を起こすのは、まず間違い無く関東から来た人間だ、と言って居たが、慣れとは凄い事で有る。
 二度目の雪は、一度目の粉雪と異なり湿気を含んだ重い雪で、おまけに途中から雨に変わった為に其の雨をも含んで、凄く重くなった。為に、格納庫や体育館や駅の屋根の崩落相次いだ。此れも雪国では有り得ない。
 怪我人も数百人に及んだ。殆どが転倒だ。無理も無い。慣れない雪道では、余程注意しなければ滑って転ぶ。いや、Ynの話では、近所の登山が趣味の男性も転んで骨折したと言うから、少々の慣れでは駄目なのだろう。
 此の連続降雪は、色々な被害をもたらした。だが、除雪用スコップが売り切れたのでも分かる様に、自然に対する危機意識が向上した事は事実だろう。
 強いて良い面を探せば、其の位だろうか。あ、矢張り雪景色は美しい。雪掻きや行動の不便さを考えなければ、白く静まる町並みは、良いもので有る。うーん、我乍ら能天気ですなあ。

2014年2月19日水曜日

閑話 その百二十




 さて、大階段の下りだが、三分の一は階段が出て居て、残りは固い雪だ。そんな調子が続く。堀山を越えても、雪の階段や斜面を下って行くのだ。写真は頂上直下。下の写真は、お汁粉だ。此れには抵抗出来なかったですよ。

 
 何時もの事だが、今回は其れがずーっと続く。大雪(除く丹沢)の前に相当積もって居た訳だ。状況は三本松を過ぎても変わらない。
 三十代初めの男性が、アイゼンを着けずに下って居る。滑ると、すーっと靴で滑って下る。あたしも良くやったが、今では出来ない。バランス感覚が悪くなって居るのだ。
 滑らない様に、力を込めてストップを繰り返して居たら、ギュッと太腿がつった。足を伸ばすとつるので、しゃがみ込む。後から来た男性に声を掛けられた。
男性「どうしました」
私「腿がつったです」
男性「どうしたかと思いました」
 人に心配を掛けちまった。意地を張るのを止めて、軽アイゼンを着けた。あとは楽チンで有る。ガシャガシャ下れる。もっと前で着ければ、何の苦労も無いものを。馬鹿とは仕様の無いもんです。
 アイゼン無しで下って居た男性に追い付いた。其処は傾斜が強い所だ。彼は慎重を期して居る。あたしは「お先に」と横を下って行く。侮り難し軽アイゼン。
 麓に近づくに連れ新雪となるが、半分融けて雪水になって居る。アイゼンを外して、水を蹴立て乍ら下る。今迄の仇を討つ勢いだ。
 大倉で装備の土を洗って居ると、バスが来た、行きの事が有るので、何でも乗れと乗り込んだ。失敗だった。走り出すと、直ぐ臨時バスと擦れ違った。其れから間も無く大倉行のバスとも擦れ違った。
 しまった、ダイヤが復活したのだ。だったらO屋で一杯やったものを。後の祭りで有る。
 町田は未だ、一面の雪だった。変わった経験をしたもんだ。街や麓は大雪、山は雪が無い(古い雪はたっぷり)。山中でも「雪はどうしたんだ」と言う声を、何度も聞いた。此の日表丹沢に入った諸君、お互いに残念でした、又の機会を楽しみに!!