2015年5月27日水曜日

休題 その百四十五




 前に“七人の侍”の虚構部分(黒沢明は知っていての確信犯だと思う)を二カ所指摘した。其の二カ所程の圧倒的虚構ではないが、良く有る間違いなので、取り上げよう。間違いとは言っても、此れも黒沢明は確信犯的になしていると、あたしは見ている。
 野武士達の武装は、甲冑を着け乗馬、槍か弓をメインの武器としている。そして志村喬が一番恐れたのが三丁の種子島だ。
 ふっふっふ、黒沢君、分かってるじゃんかさあ。七人のうちの四人が死ぬが、稲葉義男の死因は不明で(忘れた……)、残り三人は種子島に打ち取られている。
 何度も書いたのでくどい繰り返しになるが、合戦の武器は弓、投石、槍、棍棒だ。後期は種子島、詰まり鉄砲が主力武器なのだ。刀なんぞの出番は無い!
 処が、百姓には竹槍を持たせるが、侍達は刀を振り回している。現実的に見れば滑稽(失礼!)なシーンで有る。
もしも刀で鎧武者を倒せるなら、誰が好き好んであんな重い甲冑を身に着けるんだ。フンドシ一丁の方が身軽で良かろうが。
 此れも江戸時代の風潮を取り入れたのだろう。幕末にひたすら切り合った武士達の台詞に有る。「飛び道具とは卑怯な!」。
 戦いが止んで二百年半、過酷な戦国の記憶は失われたのだろう。刀が武士の象徴となったからには、武士は刀で戦うって事だ。
 実際は飛び道具こそが戦いに勝つのに必須な存在なのだ。現に外国と闘う為には大砲だ、と反射炉を造った訳だ。そして大砲を造ってお台場に設置した。
 最後の決戦の日には、志村喬が野武士の弓で矢を射る。あれが本来なのだ。外の諸君は槍、或いは棒(鉄にイガイガが付いている帯を巻いて有れば尚良い)を構える。そうでなくっちゃさあ。
 それも分かってたんだろうけど、今の合戦シーンに迄(ひょっとすると)影響を及ぼしていたとしたら、一寸と拙い。
 それはない。“隠し砦の三悪人”では、槍と鉄砲が主力だ。うーん、憎いね黒沢君。でも、一寸と不服だな(又もや失礼!!)。

2015年5月24日日曜日

閑話 その百五十八




 翌朝も快晴。茶臼岳までに前後した単独行者とはこの先ずーっと一緒だったと有る。覚えてない……。茶臼からは一望の展望(変な言葉)だった。
 聖平に幕営。一面のテントで小屋は満員、ビールも売り切れだった。さぞやがっかりした事だろう。救いは空一杯の星。
 翌日も快晴。ラッキーだ。聖を越え小兎を越え、大沢岳はカットして百間洞に下って幕営。ビールが売り切れるのを恐れたのだ。小屋番は不在。居合わせた宿泊者に代金を預け、ビールをテントに持ち帰る。
 この判断が良かった。すぐにビールは完売、テントの諸君は皆ビールにありつけなかった。あたしは聖岳を見ながら美味しいビールだ。何だか、ビールが目的の縦走の様相を呈して来た感が有りますなあ。
 翌日も快晴。どのテント場も一杯だと言うのに、稜線には殆ど人の姿が無い、と驚いている。南アは大きいのだ。頂上には人がいるんだけどね。
 赤石岳は賑わっていた。大パーティが雪渓の雪で氷あずきを造っていた。「売るか」と冗談を言ってが、買いたいと思った、と有る。
 赤石岳で縦走終了、下りに掛かる。うんざりする程長い下り。此の時に擦れ違ったカップルに声を掛けられた。前年此の尾根を一緒に下った人達だった。世の中は広い様で狭い。
 椹島では風呂に入り、ビールを飲む。もう登りも下りもないのだ。翌朝、マイクロバスに乗り込めばいいだけ。幸せだなあ。
 茶臼岳から赤石岳を、テントを担いで四泊四日でやった訳だ。今なら倍は掛かるんでないかい。四十歳は凄い。と言うより、今は情けないってこってす。(続)

2015年5月21日木曜日

雪山賛歌 その十二





●民謡
☆レッドリバーの谷(米)
 住みなれしこの谷を 君は今去り行く
☆ローレライ(独)
 なじかは知らねど 心わびて
●山の歌
 (該当無し。しりとりだって「ら行」に追い込めば絶対に勝ちだ。無いのだ「ら行」は)

◎「わ行」
 (「ん行」は存在しないので、ラストです)
●流行り歌
☆若者達
 君の行く道は果てしなく遠い だのになぜ歯をくいしばり
 (散々歌った。我が青春の歌ですな)
●民謡
☆別れ(独)
 さらばさらばわが友 しばしの別れぞ今は
●山の歌
 (該当無し)
さて、以上とは言ったものの、此の章の題名が出て来ない。行に関係無く、大取りにと思って居たのだ。
 曲はアメリカのいとしのクレメンタイン、京大山岳部々歌として詞を付けたのが、此の歌で有る。山の歌の代表格なので、私の好きな一番、四番、五番を、繰り返しは除いて全部書いちまおう。ヘッヘッヘ、例外です。
☆雪山賛歌
 雪よ岩よ われらが宿り おれたちゃ町には 住めないからに 
 朝日に輝く 新雪ふんで 今日も行こうよ あの峰こえて 
 さよならお山よ ごきげんよろしゅう また来る時にも 笑っておくれ 
 (天候に恵まれなかった時は、「また来る時には」、と変えて歌う。其れは、一寸と悲しい状況では有るのだ)

 以上、山で歌った歌でした。今はもう歳 誰も歌わぬ山~♪ ってね。唯々飲むだけなで、どうし様も無い親父になっちまったぜ。
 それでも、知らないうちに歌を口ずさんだりはして居る。此の章で挙げた歌のどれかを。多少は人間らしさも残って居るのでしょう。

2015年5月18日月曜日

閑話 その百五十七




 大忙しの五月の後の六月は寺ノ沢のみで、八月に飛ぶ。塩水川に車で入り、続いた雨の為増水した本谷を渡渉、桶小屋沢を登った。
 滝も無闇と増水し飛沫を浴び続ける、と有る。三段の滝が三つ連続したが、三つ目は飛沫(と言うより水)が強すぎて登れなかった。
 そして雨が降り出し、震えが来て雨具を着けた。飛沫の後は雨で有る。夏には持って来いの話だ。唯、冷たさの為、筋肉は固まったらしい。嬉しい……。
 詰め上げのガレは手強かったらしい。誰も登らない(であろう)沢には、良く有る事だ。
登山道にはやっと立った様だ。普通は其れを下る。平成元年の頃のあたしゃあ普通じゃない(詰まりそれ以前も)。廃道を下って最後は蛭だらけになっちまった。其の件は本文にも書いた。
 二十ケ所以上も喰われて、車が血だらけになったと言うあれで有る。雨の八月の本谷流域なのだから、至極当然な事なのだ。詰まり、自業自得ですなあ。
 さて、お盆の休み。南アルプスに行った。十一日新幹線で静岡、畑薙ダムへのバスは超満員で座れず。キスリングに腰掛けていた。ま、腰掛けていただけ増しだ。立ちっぱなしの人も多かったのだから。
 併し、三時間四十分のバスは長い。うんざりしてもお釣りが来る。何が悲しくてそんな思いを、皆さんなさるのだろう。
 其の日のうちに横窪沢小屋迄登っている。若者よ(四十なんだけどね)! サウナの様だったと有る。当時は耐えられたのだ。テントを張ってから、小屋番の爺さんからビールを買ったと書いて有る。六百円は安い、と感動している。担ぎ上げるんだもんねえ。
 「夜中目覚めて小便に出ると、谷合の為鼻をつままれても分からね闇、瀬音のみ高い」と書いて有る。そうだった、横に小さな流れが有るのだ。(続)