超ひも理論に敗退を重ねて居ると書いた。ここいらで反撃に転じてみよう。多分無意味なんだろうけど(全く無意味とも言える)。
超ひも理論の根っ子はビックバンで有る。やったー!!あのわけの分からない理論を元にして、ほころびを繕い繕い、インフレーション理論を編み出し、結果として超ひも理論に至った訳だ。
そりゃあ良かった!!ビックバン理論は最早終った。と言う事は、其れを基礎にして数学で組み立てた理論も終ったって事だ。あたしが理解不能なのは、当然至極、理解出来る奴が居んのか、おう!!!
済みません、急に意味も無く強気になりました。
実は意味が有って、大宇宙を数学の天才が解き明かすってえのは、役が違うとは思って居た。大宇宙を数学で解く(或いは表す)のは不可能って事なんでしょう?
大体からして、数学ってえのは道具の一つでしか無いのに、数学で説明(?)すれば、分からなくても納得するってえのは、言い直せば昔々に巫女のご宣託を全てと思う心情と何等選ぶ処は無いと言う事なのだ。
数学は数学に過ぎず、其れ以上でも以下でも無く、物事の本質を解明出来る役割(場合に依っては役立つ)を果たすのみなのだ。
11次元のプランク長を理解するなんて、所詮凡人には不可能で、第一観測も検証もな―んも出来ない世界の事だ。分からないと言って、己を卑下するのは止めた。分からなくて当たり前なのだ。
大体からして、巻き上げて有るとは言え、11次元って何さ。本当に存在すんのかい?超微小な世界では何でも有りの様だし、あたしも其れは頷くが、理解して居るのでは無く、そうなんだろうなあ、と思うに過ぎない。
繰り返しになるけど、宇宙の本質に近づけば近づく程、謎が増大して行くのが現状では?
2011年11月30日水曜日
クソ面倒な話 その四十
2011年11月26日土曜日
バテ通し病は治らない? その四
体調の所為も有ったのだろう(体調の所為だよ!)。Yは小松尾根の急登で苦しみ。雪を踏み抜き体勢が崩れると、倒れて仕舞う。
息も普段より荒い。歩も進まない。平標が近づく頃に限界を迎えた。登れなくなって仕舞ったのだ。
其れ迄は呻き乍らも(本当に、うー、うー、と呻いて歩いて居た)、ヨロヨロと進んで居たが、全く動けなくなった。哀れにもYは、唯呻くだけの存在と化した。
こうなりゃ取る手は唯一つ、其処にテントを張るだけ。丁度日白山への分岐のピークだった。私は勝手に其のピークを “呻き山”と命名した。今でもそう呼んで居る。
Yは大好物の缶チューハイも飲みきれず、喜んで私が手助けする事と相成る。夕食も食べたがらない。
おー、やった、此れは絶対本物だ。あの食いしん坊が食べたく無い、と言う。信じられない。Yもやっとバテると言う事を知ったのだろう。良かった、此れでやっと大人になった訳だ(え、違うって?)。
バテ通し病と、唯バテて居る人を見分けるのは難しい。お馴染みの大倉尾根では、其の両者が混在して賑やかだ。
登る途中で立ち止り、茫然と未だ未だ続く登りを見上げる。目には絶望の色が浮かんで居るかに思われる。凄く気の毒で有る。此の場合は、唯バテて居る人と判断出来る。私が彼方此方の山で陥って居るで有ろう行動其のものだ。とても人事とは思えない。
バテ通し病患者も見た目は同じだが、休むと元気なので、其れと察しがつく。尤も、人様の行動を克明に見るいわれは無いので、たまに気付くだけで有る。
ん、見分ける方法が有った!ノーベル賞を貰えるだろうか?
唯バテた人は、確率的に山馴れて居ない人が多い。其の根拠は?私の経験則!
一方、バテ通し病の方は確信犯だ。そんな世にも恐ろしい病を抱え乍ら、山が好きで山に通うのだ。だから、山馴れた服装、装備、動き。
(バテ通し病は治らない? その五へ続く)
2011年11月23日水曜日
休題 その七十八
写真は文章と無関係な、新雪のトレースです。
あたしは押しも押されもせぬ、保証書付のスポーツ音痴で有る、エッヘン。え、歌だけじゃなかったのかって?放っといて貰おう!
剣道や柔道は、まあまあ人並みにはやれた。球技が全く駄目だ。
一度だけ野球に出た。メンバーが足りなかったのだろう。一打席目、見事な三振、後で写真を見たら、玉とバットが30Cmも離れて居た(恥)。二打席目、うっかりバットが玉に触れ、ボテボテと内野ゴロ、舞い上がったあたしゃあバットを放り投げ走った。バットは勢い良く控えの連中に飛んで行き、一同肝を冷やしたそうだが、知ったこっちゃ無い、一塁に走りこんで、勿論アウト。
一度だけサッカーに出た。高校のクラス対抗戦だ。当然控えの選手で有る。何を間違えたか途中で出る事になった。ウロウロして居ると数メートル先にボールが転がって来た。あたしほ猛然とダッシュ、向こうからは敵方が走って来、一瞬でも速くと思いっきり蹴ったらあたしの脛で相手の脛を蹴り上げる結果となり、二人とも転倒して起きれず、退場。
何をやってもそんな按配なのだ。バスケをやればボールを抱えて走る。レシーブなんざ出来っこない。
其のスポーツ音痴が、威張って仕舞うが、手つなぎ鬼だけは強かった。脚が早い訳では無く、立派に遅い。
あれは状況判断が全てを決する。敵が増えるに従って、敵も連携して包囲を試みる。其の網の僅かな隙間を擦り抜けて逃げる。大抵最期の一人になった。
え、手つなぎ鬼はスポーツじゃなく子供の遊びだって?まあそうなんだけど、大人がやっても相当面白い事は確かだ。出来たら起伏の有る場所が良い。グラウンドではどうしても鬼側が有利になる。
どうでも良いって?失礼しました。
2011年11月20日日曜日
バテ通し病は治らない? その三
実は一人、教科書に載せたい様な典型的患者が居る。Yで有る。本来彼は短距離タイプなので、重荷を背負っての縦走タイプでは無いのだ。
従って、雪の上でも歩き出すと、すぐさま汗が吹き出る。帽子の庇からは常に汗がポタポタ落ちる。雪の積もった屋根みたいなもんだ。雪が解けて落ちる水は良い。綺麗だ。Yの帽子から滴り落ちる汗は、出来たら触りたく無い。
Yは、ゼーゼーと辛そうに歩を進める。ところが休憩ともなると元気溌剌、何やらパクパクと食べて居る。幕営地に着く時なぞ、大抵は気息延々、倒れる寸前の有様だが、テントの中では食べる事食べる事、飲む事飲む事。さっき迄のあの有様は何だったのだ?と思わされちまう。そして、此れこそが(新)バテ通し病の典型的症例なのだ。
本当にバテた時は食欲が無くなるものだ。山岳部では、新人は必ずと言う程食べない(食べられ無い)。
リーダー「喰え、喰わなければ歩けないぞ、水を掛けてかっこめ!」
新人は叱られ乍ら、泣き泣き飯に水を掛けて無理やり喉に通す。此れこそがバテたと言う状態なのだ。私だってバテた時は、本当に無理やり食事を摂る。食べ終わると、げっそりして居るもんだ。でもYは違う。喰う寝る、元気!!泣き泣き飯を食うなんて、薬にしたくても有りゃあしない。
Yが本当にバテた事が、一度だけ有った。本当に長い付き合いで、唯の一度だ!!
春の小松尾根を平標直下へ登り、西へ分岐する稜線を日白山へ辿ろうとした時だ。麓から日白山へは道が無い。勿論平標直下への稜線も道では無いので、当然乍ら春のみに許されたコースなのだ。
(バテ通し病は治らない? その四へ続く)
2011年11月19日土曜日
クソ面倒な話 その三十九
リサ・ランドーラに歯が立たなかった話は前にした。二度挑戦して二度敗退したとも書いた。多分、超ひも理論が分からないからだろうと思った。
で、超ひも理論の解説書を読んだ。竹内薫氏の「超ひも理論とはなにか」。
結論は、新たなる敗北……(涙)。10のマイナス33乗Cm(プランク長と呼ぶらしい)の世界のイメージがどうしても掴めない。
水素原子だって、10のマイナス8乗Cmなのだから、如何に小さな世界か分かるでしょう?極一部の天才以外は、誰もイメージ出来ないのでは?第一、最早物質ともエネルギーともつかない世界であろう。
そんな微小と言うも愚かな、浮世離れした世界はイメージを喚起させる事も、言葉で説明する事も不可能だとは、即分かる。記述出来るのは数式のみ。全てを数式で表す、詰まり言語は数学。
その唯一の言語、数学を使わず、人間の言葉で近似値を表す苦労は並大抵な事では無かっただろう。
残念な事にあたしには、良く伝わらなかった。竹内氏の所為では無い。明らかにあたしの脳力が衰えて、次々に展開する新しい概念と言葉に適応出来なくなって居るのだ。
歳は取りたくないもんです。と言いつつ確実に歳は取り続けて居る訳で、見る見るうちに世の中に置き去りにされるのです。え、とっくに置き去りにされてるって?全くそうだね……。
まあ、広大無辺で決してイメージの及ばない大宇宙の対極の超々々々微小世界なんだから、素人には何が何だか分からなくて当然なのだろう。
最低、重力、電磁力、大きい力、小さい力が統合される仮説で有る事は分かった。そして其処は、前述の通り、物質の世界とは見なせない事も。空即是色、色即是空。
2011年11月16日水曜日
バテ通し病は治らない? その二
とは書いたが、山渓の冗談コラムの症状とは差異が有るやも知れない。何せ大昔の事なので、記憶違いは絶対有るに決まってる(キッパリ)。従って、新バテ通し病の解説だとするしかないと気付いたので、そう思って下さい。
此の病(新バテ通し病)の救いは、幕営地なり山小屋なりに着くと、突然しゃんとして、あの重篤だった病が嘘の様に消え去る事だ。変な病では有る。
詰まり、擬似バテなのだ。本人が演技をして居る訳じゃ無いのは勿論だ。
統計が無いので(採る馬鹿は居ない)断言は出来ないが、バテ通し病患者は、どっちかと言うとお洒落な山男に多い様に、私は感じて居る。従って本人は格好良く行きたいのだろうが、病気には勝てないのが、辛い処なのだろう。思えば、気の毒な病で有る。
零細山岳会のメンバーには、幸いにも其の病持ちは居なかった。同期生には、ん、一人居た。
何を隠そう、Dで有る。でも本格的患者では無く、やや其の気(け)が有る程度の、軽症患者だった。
D「あ~、よれた」
一体全体何処の言葉なんだ?聞いた事も無い。登っているとしょっちゅうよれて居る。よれたよれた、と賑やかにバテて居る。休憩時には回復するが、此れは全く症例通りだ。Dは今でもよれて居るのかな。今度Sに聞いて見よう。
椿沢の章のMは、下りでは当り構わず泣き騒ぐが、決してバテ通し病患者では無かった。登りにはむしろ強い方だ。前述の如く歩き方が偉く下手なだけだったのだから、四足動物だったら良かったのかも知れない。でも、結局は歩き方が下手な四足動物になるだけだったりして、はっはっはっは。
(バテ通し病は治らない? その三へ続く)
2011年11月13日日曜日
柄でも無い事 その三十二
三国志と言えば皆さん御存知に決まって居る。あたしは(も、と言っても良い位かな)好きで、色々読んだ。誰と誰のをだって?そんなの忘れた。
一番面白かったのは、岩波の三国志演義、文庫で十冊だが、割と薄いので、そうは嵩張らない。
原文直訳なので、表現は荒く、細かい描写なぞ無い。人の心の襞なぞ全く表さない。其の癖読んで居る者に、登場人物が実際に現れて来る感覚を与える。簡単な表現がかえって効果を上げて居るのだろう。多分、もう絶版になった筈だ。
原文なので当然だが、孔明を神格化し過ぎて居るのと、劉備をすっかり善人にして居るのが、一寸と気に食わない。でも、そう言う物語なのだから、仕方無い。
赤壁の勝利は周ゆ(変換不能)の作戦が功を奏した訳だが、何とか無理して孔明の力として居る。それでも、一番面白い。
次に面白いのは柴田錬三郎だ。文庫では前半と後半に分かれており、前半は講談社で「英雄ここにあり」、後半は集英社で「英雄・生きるべきか死すべきか」、おのおの三冊ので計六冊、それも厚い。
流石にストーリー造りの王者、巧くアレンジしつつも、しっかり其の世界と人物を描いて居る。それに、孔明が死ぬと、後は端折ってさっさと終る物が大部分だが、柴田作品は、蜀の滅亡までを(比較的)丹念に描いて居るのは流石で有る。
併し、孔明が死ぬと後は余り面白く無くなるのは不思議なもので、矢張り孔明がスターなんですなあ。
小説が読めなくなった、とは前に書いた。しかし此れを書いていると、三国志なら読めそうな気がして来た。
あたしが、誰の作品が良いの悪いのと、柄でも無いですなあ。
2011年11月12日土曜日
バテ通し病は治らない? その一
今は使う事も無い言葉だろう。貴方は聞いた事が有りますか?“バテ通し病”。
遥か昔の「山と渓谷に」、コラムとして載って居たのだが、真面目に検証しても良いテーマだと思ったのだ。だって、実際に存在する症状なのだから。
病名(?)はバセドーシ病に掛けて居るのだろうが、今使うとヤバイのかな?そんなこたあなかろう。そうなりゃあ詰まらない洒落を言う芸人は、全員逮捕だ。それも悪くは無いか、はっはっはっは。
暴言でした、失礼。でも、大阪北のママが何時も言ってた。吉本のお陰で大阪弁が滅びた、下品な訳の分からんものになったと。同感!難波千恵子の言葉の綺麗だった事。よって、吉本の芸人全員逮捕でも、ママは納得だろう。お初天神に近いスナックだった。
私は共産主義でも全体主義でも、皆が良いと言うならば、仕方ねえなあと思うけど、思った事を素直に言ったら即逮捕ってえのは、豚のクソだ。まだまだ世界には其の手の国が存在するが、私は御免蒙りやす。
もし我国がそうなったら爆弾を抱えて中央機関に飛び込みたいけど、悲しいかな、モタモタとしか走れないから途中で射殺されるのは、分かり切った事なので、外の何かひどく汚い方法を考えて、最大の打撃を与えよう。
其れこそが大人の知恵と言うものだ。フッフッフッフ。幹部を全員ぶっ飛ばしてやろうぜ!
何のこっちゃ。お初天神あたりから何だか怪しくなった。まあ、分からない事を言うのが私の悪癖なんで、だから此処に人が来ないのですなあ。話を戻しましょう。
バテ通し病の典型的症状としては、ザックを背負って歩き出すと間も無く、汗が噴出しポタポタ垂れ、顎は上がって前かがみ、一目でバテた人になって、おまけに其れが山行中ずーっと続くと言う、世にも恐ろしい病なのだ。桑原桑原。
(バテ通し病は治らない? その二へ続く)
2011年11月9日水曜日
閑話番外 その五十七
山の報告二十二で、大倉高原で幕営したと書いた。大倉バス停へ30分とも書いた。登りでも45分位のもんなのだが、何でそんなに近い所に幕営地が有るのだろう。
しかも、丹沢の尾根筋では、唯一の幕営地なのだ(勿論、川沿いには沢山有る)。
写真はお隣さんのテントだが、彼らは我々が出発しても未だ、テントの中に居た。写って居ない洒落た三角錐のツエルトの青年は、今日は塔をピストンして来て此処で幕営し、翌日は大倉へ下る、と言って居た。我々と同じじゃん!
焦って帰らず、山で泊まってのんびり帰る、うーん、若いのに中々贅沢な諸君。確かに幕営の魅力は大きいし、酒も不思議と旨いので我々もやった訳だが、思いもよらずそんな物好きが外に3張りも居たことは、驚きでした。
2011年11月6日日曜日
山の報告です その二十二
先ずもって、山の報告って程のもんじゃ無い内容なので、お詫び申し上げて置きます。
閑話七十二で一ノ沢をトチ狂って小沢に入って、蛭に食われて来たと書いた。昨日Yと其の一ノ沢を詰めて、ふしだら千万にも大倉高原で幕営、今朝十時過ぎに帰宅したのだ。
幕営なので有る程度の荷物は有る。一ノ沢に入り、堰堤を幾つか越し、小滝と滑を行くと小さな窯を持った小滝、あたしは腿迄漬かって滝に取っ付きシャワークライム、Yは靴に水が入るのを嫌って巻きに入った。と、先ははコンクリートの壁にトンネル状の水路。林道が有ったのだ。仕方無く林道に這い登る。
又沢に降り二股、左が本流なのだが、滝がつるりとして居て、巻きに掛かるが、巧く巻けずやばいザラザラを登るのみ。どう見ても左又へ下るの一手、20mのサブザイルを使えば良いと決め、左又へ降りられた。後は気持ちの良い沢登り。
一ヶ所サブザイル使用、空身で登って荷物を引き上げ、Yも引き上げる。どんどん登ると詰め上げ寸前、岩に土が被ってる場所、最悪の登りとなり、此処でもサブザイル使用。
で、結局泥まみれの姿で稜線。いやー、怖かったけど面白かった。あたしの決まり文句「いやー、アドベンチャーだなあ!」が出た。
普通は下山して帰京だが、こちとらそんな真面目じゃ無い。大倉高原で幕営、山(?)の一夜を楽しみ、飲む。テントは外に三張、皆さん若い衆だったが、同好の諸君と見た。
テント場の係員は暗くなって現れ、名簿記入、下山先はO屋と書いた。Yは酔ってんでとか言い訳して居たが、事実を書いたのみ。
思いっきりのんびりし、夜雨音を聞き乍ら夜中の宴会、今朝ゆったりと下ると、う、う、O屋が未だ開いてない、どうしてくれるんだ。仕方無くD屋で一杯飲んだが、バスに乗る頃O屋に明かりがついた。
膝は、お蔭様で何とか保ちました。写真は今朝の、霧の大倉です。
2011年11月2日水曜日
無敵の縦走路 その九
小振りだが綺麗な小屋で、空いて居るのがとても良い。其の状況は小屋には良くないだろうとは分かって居ます、でも私達には有り難くて、済みません……。
腹に物が収まれば元気溌剌、霧氷を愛で乍ら塔へは足取りも軽やかに。尊仏山荘を覗きはしなかったが、寒い日が満員なのは決まり事、塔迄来たら、表で震えての昼飯になった事だろう。真昼間迄霧氷の残る、それはそれは寒い日だったのだ。目的地の一寸と手前ってえのは、狙い目なのです。
塔への最後の登りは、案外楽に登れる様な気がするが、そんな筈は無いだろう。気のせいに決まって居る。
大倉からでも、ヤビツからでも、簡単にヒョイヒョイとは来れない(中高年にとっては)のだ。塔を下り始めれば良く分かる。擦れ違う人達は、殆どが気息奄々、やっと脚を運んで居る。気の毒で有る。ま、さっきの私の姿なんだけどね。
塔から見渡す表尾根も絶景で、横に控える大山とのバランスも絶妙だ。其の先には相模湾が光って居る。
多分表尾根は、丹沢の一番人気だろう。季節が良ければ人の絶え間が無い。大倉尾根も人の絶え間が無いが、帰路か往路で通って居る人が殆どだと思う。ま、中には私が様なピストンの物好きも居るけど。表尾根を歩く人達は表尾根が目的で(多分、殆どが)来て居るのだ。
植林が少なくて自然が豊富、岩場も有れば赤土、ザレっぽい所も有って変化に富み、展望も見事に利き、おまけにヤビツ迄バスが行く様になって楽ちんとなりゃあ、最早最強無敵の縦走路なのです。
万が一、丹沢に登った事が無い人に、最初はどのコースが良いかと聞かれれば、私は躊躇う事無く、表尾根を勧めるでしょう。