2015年10月31日土曜日

暑さの夏は避けるが常道 その七





 夜は恒例の大宴会、貸し切りの山小屋で飲み放題。酒ならあっど!!
 さて下山の日は、当たり前だが下るだけ。リラックスしてモーニングコーヒーを二杯も飲んで、ゆっくりと出発する。きっと前夜の酒も残って居たのだろう。(ま、言う迄も無いってこってす)
 檜洞丸から犬越路迄は、思いの外にアップダウンが有る。確りしたピークが三つ、細かいのが一杯だ。おまけにラッキーにもド快晴で、朝っぱらからガンガン日が差すのだ。やけに嬉しい状況だ。其の上に、素晴らしい事に風が無い。
 詰まり、爽やかな朝を抜きにして、突然無風の昼間になっちまったと思ってくれれば、ほぼ正しい。で、装備は幕営装備だ(小屋を当てにして無かったので)。
 日陰は殆ど無い、風も無い。変な岩のアップダウンを繰り返すのみ。汗は流れる身は細る。Yのみならず私も汗だく、丹沢の夏はこんなにきついのか、と改めて思い知らされた次第。二日酔いも、ものを言ってんだけどね。鎖場に来るとYは言う。
Y「犬越路は未だ遠いの?」
私「……そうだな、もうじきだよ」
Y「さっきも、そう言ったよ!」
 責めてくれるなYよ。私だってつらいのは一緒だ。違うのは体重のみだ。Yよ、さぞやつらかろう!(Yは私よっか20kgは重い。身長は同じ位なのに。少し痩せろ!)
 犬越路の笹原が見えた時は、ホッとして走り下った(比喩で有る。走れないのだ)。でも、普段は涼しい犬越路も暑かった。ま、此処迄下れば、後は野となれ山となれ、何とかならあな。現に何とかなったし。
 そんな暑さも、八月末ともなれば急速に和らぎ(東京は真夏でも)、ナナカマドも色付き始めて、一気に秋の気配が漂って来、空も雲も見る見る高く高くなって行くのだ。そして、丹沢は秋になるのです。
 秋は、ひっそりと訪れるのですよ、シャム猫の様に。

2015年10月27日火曜日

休題 その百五十四




 最近は月に四、五度は温泉に入って居る。結構リッチな生活で有るのだ、エッヘン。威張る程の事では無いのだが、矢張り温泉は良い。物凄く良い!
 先月も今月も三度弘法山から鶴巻温泉へリハビリに行って居る。勿論市営の里湯か大和屋旅館で入浴する。それが楽しみなのだから外す筈は無い。
 其の合間に相模原の日帰り温泉へ出掛ける。車で二十分から三十分、道の混み具合に依っ違うが、滅茶苦茶遠い訳では無い。
 此処は東京独特(相模原なのに)の黒い温泉だとは前に書いた。本当に黒くて、全く見通せない。湯船に入る時は恐る恐るなのだ。全然足元が見えないから。
 但し温泉は露天風呂のみで、内湯は温泉では無い。それが一寸と寂しくは有る。私は露天も良いが、広い内湯が好きなのだ。
 其の点弘法の里湯は全て温泉だ。元は“一の湯“と言う旅館だったので、木の桶には一ノ湯と書いて有るのがご愛嬌だ。
 二階に上がれば広い食堂が有って食事も出来る。おつまみも揃って居る。嬉しい事に自販機でビールでもチューハイでもハイボールでも買えるのだ。
 週に一度休館になるのが玉に傷で、市営なんだから市民サービスに徹したらどうだ、なぞと秦野市民でも無いあたしがブツブツ言っても始まらないですなあ。
 休館なら休館で宜しい。大和屋旅館と言う手が有るのだ。露天風呂は無く内湯も小さいが、我が家の風呂よっかはずーっと広い。当たり前だって? そうだよね。。。。
 古い旅館で有る。如何にも温泉にやって来たと思わせてくれて、あたし的には好みだ。今月初旬に訪れた時は、男性が二人入浴しており、出る時に女性が二人風呂に向かって行った。あたしが見なかっただけで外にも客は有りそうだった。
 前回の様な混雑では無いが、そこそこ商売にはなって居るのだろう。大和屋旅館が無ければ里湯休館の時は茫然としちまうだよ。頑張ってけろ、大和屋旅館。
 詰まんない事を書きなぐって、失礼こきましただ。

2015年10月25日日曜日

暑さの夏は避けるが常道 その六




 分かり易い例を挙げる。世界各地の砂漠をがっちりした車で走破するレースが有るとしよう。ランクルが強いかな、いや、パジェロかな? こら、勝つ車なんて何でも良い!
 問題なのは、砂漠では無くてなだらかな草原を、其れも舗装道路を走るレースが同列に扱われて、下手するとプリウスなんかが優勝だと言われる事だ。
 あのー、砂漠で強い車のレースだったのでは? 其の通りだ、それをゴッチャにしてはいけない!統計とは、編集次第で何とでもなるって事なのだ。
 えーと、話が偉くずれたので、夏の沢に戻りましょう。
 沢なら良い。特にシャワークライムには、持って来いの季節だ。幾ら水を被っても、心地良いだけだ。滝を登り乍らどんどん水を浴びようじゃないか! 此れは皆さんお気に召す筈だ。
 尤も水の流れが有るうちは良い。天国だ。水が消えると、後は暑さの涸沢歩きとガレ歩きと藪こぎが待って居る。結果として手も泥と傷だらけになるが、今迄と違って洗う水は無い。俗に言う地獄だ。
 処が、そうなると状況が結構きついので、暑さを感じて居る暇が無いのが、救いと言って良いのか悪いのか、微妙なのだ。物事とは、面白いもので有りますなあ。地獄が地獄で無くなる。あんまり嬉しくは無いけど。
 真夏に檜洞丸から、犬越路へ歩いた事が有った。気の毒にもYも一緒だった。こうなりゃあいっそ、良い気味にもYも一緒だった、と書く方が分かり易くない、ね、どう?
 前日は彦右エ門谷を詰めて、頂上直下の青ヶ岳山荘に泊まった。其の日は無人小屋だったので、宿泊費として一人五百円ずつ缶に入れた。偉いでしょう?当たり前だって?はい、失礼しましたです。
 前日は、一応沢を詰めたので、前記の理論(?)に従って、暑いという印象は無かった。とても目出度い。
 (暑さの夏は避けるが常道 その七へ続く)

2015年10月22日木曜日

閑話番外 その八十四




 死に掛けて入院して、一月近くも居ると、とことん病院に居たくなくなるもので、囚人と変わらないであろう思いに悩まされる。
 これは余りに多くの人が体験して居るであろうから、今更あたしが書く必要は無いのだが、つい書いてしまう訳だ。
 飯が不味いとは、そうなんだが言わない。生きて居て食事が出来るだけでも上等だ。一日が長い。これは困る。やる事は薬を飲むかガーゼを変えるか点滴をするか血を採るかしかないのだ。
 その癖体は思う様には働かないので、何をするにもまどろっこしい。管が取れてからはなるべく歩く様には心掛けたが、病院の中を歩いても何も面白く無い。
 詰まらないテレビを見て居ても詰まらないだけだ。お蔭でテレビの詰まらなさ下らなさを再認識出来たのはごく少ない収穫の一つだろう。
 唯一つの楽しみは妻が訪ねて来る事になったのは、如何にも情けない限りだが事実だから仕方無い。
 別に妻の顔を見てもどうと言う事は無い。何時もと変わらぬやかましいおばさんで有る。普段はやかましい訳では無いのだが、場合が場合だけに医者の手下の様にやかましい。
「暖かかくしてなきゃ駄目よ」
「梅干しなんか塩分が心配でしょう!」
「足が冷えてるじゃないの」
 子供じゃ無いんだから、そんな事は先刻承知だ。
 妻も毎日来れる訳では無い。本人の用事が有る。そんな日は味気無く一日を過ごすのみなのだ。哀れでは有る。
 何を言ってるかってえと、結局苦しい時に頼るのは伴侶だって事で、余りに当たり前の話で失礼しました。