2016年7月31日日曜日

嗚呼、中高年よ その三





 沢登りより尾根歩きの人口が多いのは昔も今と変わらない。尾根も満員状態だったのだ。昭和三十八年、私が高校一年生、丹沢に登り始めた頃ですなあ。表尾根は行列状態だった。屈強な若者がゴチャゴチャ居て、高校一年生の私は何か気押されて居たっけね。
 前述だが、土曜には丹沢号と言う臨時夜行を小田急が走らせて居た。夜通しバカ尾根を登り朝を塔で迎える。とてもじゃないが今の私には付き合えない。年寄りの出る幕なんかじゃ、全く無い次元なのですなあ。

 山も谷も若者の世界で有った。

 そして多様な楽しみが出現して若者は山から去り、小屋も次々と閉鎖して行った。山も谷も、本当の山好きの世界となって、静寂が戻った。
 誤解を呼んだかな? 本当の山好き、と書く限りは大勢押しかけてた頃の諸君は、偽物の山好き、って意味に取られるかも知れない。山好きで有る事は全く疑い無い。楽じゃないのにせっせと登るのだ。場合に依っては命を落として迄だ。
 ばってん時代の違いとね。発散、汗、ガッツ、爽快、スリル、達成感、仲間んと語らい、こいが青春ったい。 大体ですよ、金が掛からとですもんね!!
 そう、貧しかった時代なのだ。今は何が有る? スキー? カヌー? 絶叫マシン? パラグライダー? サッカー? 海外旅行? サーフィン? バギー? 外にも一杯有るだろうが、貧乏人且つ無精者の私には無縁だもんで、自分で考えて補ってちょーよ。
 かくして夫々好みの趣味を持って、山には本当に本当に本当に山が好きって奴(病気じゃないのかい?)しか来なくなったって事さ。これで納得して貰えたですよね?
 時代は昭和から平成の御世となった。変わるーかーわるうよ時代は変わるー♪ ってさ。山に人が戻り始めたのはご存じの通り。

2016年7月28日木曜日

クソ面倒な話 その八十二




 「殺すぐらいなら殺されよう 憲法9条改悪阻止 総がかり行動委員会」というポスター(?)がネットに流れた。
 じきに削除され、委員会も実在が怪しいらしい。9条墨守派の足を引っ張る為にでっち上げたものだと、あたしは見て居る。
 ポスターはインチキだったとしても、同様の発言をする人間が結構居る。それもメディアでだ。昔は「敵が来たら手を上げる」だった、「殺されよう」にまでエスカレートしたって事かな。
 簡単な考察を試みる。戦争が前提なのだろうが、戦争ならこう、其の外の異常時ならこう、と人間はとっさの行動を分ける事はしない。出来ない、と言うべきかな。従って自らの平和が破れたら、が前提となる。
 表題の様な発言をなすには、強固たる信念(宗教的信念以外には考えにくい)を持ち、自分はおろか家族の命をも進んで差し出す、筋金入りの人間でなければならない。
 それは夫々の信念だから、良し悪しを云々すべき事柄では無い。あたしにゃあ真似出来ないなあ、と思うのみで有る。
 問題なのはそれだけの信念覚悟も無く放言する輩(やから)で有る。
 それは唯、こうだと良いな、と現実と無関係な世界を描いて居る人間達に、イメージとして訴えるだけのフレーズなのだが、残念な事に夢想的な人間は少なくない。
 リアルに考えれば、家に侵入者が有って、家族が命の危険んに晒された時に、何の抵抗も試みずに、一人ずつ殺されて居るのを傍観する、という宣言なのだ。
 あたしはこの手の人間は全く信用しない。その様に行動したらその行為によって、行動が違えばその欺瞞によってだ。
 此れは戦争の話だと強弁するならば、国を守る気が無く、自分だけは助かりたい卑怯者だと断定出来る。唾棄すべき奴だと。

2016年7月25日月曜日

嗚呼、中高年よ その二




 事故者は五十六人、男性四十九人に女性七人で有る。春日氏は「沢歩きはオトコの仕事なのだろう。幸いにして、女性諸氏はおおかた軽傷程度に始終した。同伴男性群に、むろん強いいたわりの真情が動いて(ママ)いた結果に違いない」と述べて居る。
 此の場合の“真情”とは、氏ご自身の心を同伴男性達に仮託して居るのだなあ、と私には思えて仕舞う。氏は本物のフェミニストなんですから。
 さて、集計で見ると、死亡者十四人、重傷者三十五人、軽傷者四人、無事な者三人となって居る。重傷者の中の三、四人は自宅に帰ってか、或いは病院で亡くなったであろう人が居た事を、春日氏はほのめかして居る。
 此処は統計通りに死亡者十四人とすると、死亡25,4%となる。沢歩きとは何と危険な事よ!
 本には遭難者の平均年齢が記されていないので私が算出したら二十二歳一寸ととなった。如何にも若い、若過ぎる。私は間もなく六十九歳になるが、此の若者達は四十六年も早く世を去って仕舞ったのか。嗚呼。
 月に均せば一件強の遭難発生だ。勿論無事に帰ったパーティ或いは単独者の方が圧倒的に多いのだから、どれだけの人間が問題の二本の沢へ入ったか、今となっては想像不能だ。きっと、ウジャウジャ入ったのだろう。
 葛葉山荘の名称も出て来る。沢の入口近くに小屋が有った訳だ。塔ノ嶽の別名を小屋ヶ岳とも書いて有る。今は無き小屋がずらーっと並んで居たってこった。
 勿論、商売になったから小屋も建った。小屋を建てれば一財産造れた、と有る。客には不自由しなかったのだろう。
 詰まり、表丹沢だけでも、葛葉川、四十八瀬川、水無川には若者がどっと押しかけて、どんどん沢を登って行った。たまに落ちて仕舞う人間も居た訳だ。

2016年7月22日金曜日

休題 その百七十二




 アリスインワンダーランドⅡが上映中だ。どうせアリスさ、とか言い乍ら妻と観て来た。思いの外良かったのは目出度い。
 ジョニー・デップが変な扮装をして居るのは、何時もの事なので構わない。タイムトラベルなのだが、「過去は変えられない」との極めて当たり前の思想が、とても良いのだ。
 「クソ面倒な話」で何度か取り上げたが、過去に戻る事はじぇってーーに不可能だ。千歩譲って過去に戻れたとしても、過去を変える事は不可能だ。何故なら、過去を変えたら今は消え失せる。並行宇宙論の世界なら有り得るが、現に存在してる此の俺をどうしてくれるんだよー?
 「クソ面倒な話」じゃないので深入りはしない。もし興味が有るのなら、過去の投稿をどうぞご覧下せえ。
 ターミネターは、その大事なとこを良い加減にしたもんだで、ハチャメチャ、何でも有りで、結局何も無くなっちまった好例だろう。T2で終わってたのだ。
 アリスⅡは過去には行く。それは良い、アリスなんだから其れもアリス。
 親父ギャグ、ブーイングですなあ。
 過去は変えられない。もし過去に行って自分と出会って仕舞ったら、時間そのもの、詰まり空間そのものが崩壊する。
 此の設定はギリギリOKではないかと思われる。私的になんだけど、まあ、そんなとこでしょう。
 ストーリー自体も悪く無い。どうせアリスだと思って観たからかも知れないが。期待して無いだけ高得点になった感は否めないけど。
 少なくともアリスⅠよっかは面白かったですよ。期待しないでご覧になったら如何でしょうか。