2015年1月30日金曜日

閑話 その百三十七




 山頂で居並ぶ山々をToに説明したが、きっと何も分からないだろう。何処かのパーティで片っ端から見知らぬ人々を紹介された様なもんだ。
 幸いな事に風は弱い。暫く休んで下りに掛かった。未だどんどん登って来る。うーん、暮れは天気が良い事と気付いたのかな。
 前回はつりまくったToも、少々のつりで済んだのは目出度い。其の上今回はAも来る筈だったので、お客さん接待の用意が有ったのだ。ふっふっふ、抜かりは無い。
 下山途中の日溜りでコーヒーを沸かすだけなのだが、冬に暖かいコーヒー、これがすっごーく嬉しいのだ。コニャックも香りづけに用意して有る。どれも皆Yの提供だ。Yよ、有り難う!


 夏にはパーティが休んで居る定番の場所、吉沢平から下って行った登山道の横の小さな平で、コーヒーを飲んだ。美味しいかって?勿論!貴方もやって御覧なさいまし。
 下り飽きた頃、大倉へ着いた。O屋が閉じて仕舞った限りは、K門の一手で有る。Yとの忘年山行で初めて入った店だ。
 Toは初っ端から冷酒と来た。そうでなきゃあToでは無い。あたしとYはビールからだ。平凡ですなあ。つまみは味噌田楽、此れが中々いける。
 お代りは焼酎、其れだけでばっちりと効く。山帰りの酒は吸収が良い。従って安上がりだ。若い頃は違ったんだけどね。歳相応って事。
 仕上げには稲庭うどん、秋田から直送された物だそうだ。流石に美味い。丁度良く酔って店を出ると、バス停にはバス。良いタイミングだ。おまけに臨時バス迄控えて居る。矢張り其の日は人が多かったのだろう。
 ともあれ、つった騒ぎも無く(一寸とは有った)無事に塔をピストン出来た。次にToを連れて行くのは、表尾根だ。本当は其の日に行きたかったのだが、日の短い時期なので、春に回したのだ。大倉に着いたら暗くなっちまう。
 Toよ、次回は如何にも山らしいコースなので、お楽しみに。

2015年1月28日水曜日

雪山賛歌 その二




◎「あ行」

●流行り歌
☆青い山脈
 若く明るい歌声に 雪崩は消える花も咲く
☆あざみの歌
 山には山の 憂いあり 海には海の 悲しみが
 (此の二曲は、殆んど山の歌ですね。因みに青い山脈の映画は、秦野市で撮影したのだけど、今では無理)
☆明日があるさ
 いつもの駅でいつもあう セーラー服のお下げ髪
 (本当に可愛い歌でした。そして可愛い時代でした)
☆亜麻色の娘
 亜麻色の 長い髪を 風がやさしく包む
☆異国の丘
 今日も暮れゆく異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ
☆何時でも夢を
 星よりひそかに 雨よりやさしく
 (橋幸男と吉永小百合、異色のコンビです)
☆イヨマンテの夜
 イヨマンテ 燃えろかがり火 ああ満月よ
 (いよっ、古関裕司!)
☆ウイシャルオーバーカム
 We shall overcome (後は繰り返し多し)
☆歌ってよ夕陽の歌を
 歌ってよ湯日の歌を 歌ってよ心やさしく
(言う迄も無く、森山良子。ユーミンも彼女の後継者だろう、きっと)
☆踊り子
 さよならも言えず 泣いている 私の踊り子よ ああ船が出る
●民謡
☆赤いサラファン(ロシア)
 赤いサラファン縫うてみても 楽しいあの日は帰えりゃせぬ
☆朝の山道(イギリス)
 朝の山道歩いていたら 下の谷から歌声が
☆アムール川の波(ロシア)
 見よアムールに波白く シベリアの風たて
 (シベリアは本来のロシアでは無いのだが、力有るものが 獲るのが世の習い)
☆五木の子守唄(熊本)
 おどまかんじんかんじん あん人たちゃよかしゅう
☆一週間(ロシア)
 日曜日に市場にでかけ 糸と朝を買ってき
☆うるわし春よ(ドイツ)
 うるわし春よ 緑に映えて 歌声ひびく 野に山に
 (一週間以外馴染みが無い?失礼しました)
 (雪山賛歌 その三へ続く)

2015年1月26日月曜日

閑話 その百三十六




 Toと塔に登った話はした。下りでつったとも。本人が其れを(つった事)ひどく残念がって、リベンジを目指して居るとは聞いて居た。
 Toの若い頃はバスケをやって居て、偉くバネの効いた奴だったのだ。仕事はバネ造りだが、自分のバネが駄目になっては、沽券に係わるのだろう。納品したバネ迄駄目と思われちゃうもんね。え、違う?
 暮れにYと三人で塔を目指した。前回と同じメンバーだ。本来はAも来る予定だったが、都合が付かずにAは欠席となった。本人も残念がって居たが、あたしも残念だ、当日が快晴だったもんで。天気ばかりじゃ無いけどね。
 暮れにしては人が多い。毎年Yと此の時期に来て居るので分かる。若者も多かった。一寸と(本心は、凄くだ)良い傾向だ。
 登山口にボランティアの諸君が居て、石の入ったレジ袋をくれた。一本松の上に集積場が有るそだ。一つずつ貰ったが、若い頃なら十個位は引き受けるだろうにと思ったです。
 前回と同じく、Toは好調に登る。唯、暮れだと言うのに大汗をかくのはYと同じで、二人とも半袖のTシャツになった。
 外の人達はアノラックを確り着込んで居る(除く、数人)。あたしゃあ丸で、頭に障害が有る方を引き連れて行く介護人の位置付けだ。ま、其れは其れで文句は無いんだけど。Yで慣れてるから。
 若い諸君にはどんどん抜かれる。当然だ。中高年とは前後を繰り返す。此れも理の当然のこった。
 そして塔に着いた。前回は霧の中、周りは真っ白だった。今回は違う、三百六十度の展望なのだ、良かったなTo。
私「Toよ、此れが塔ヶ岳の展望だ」
To「凄い……」
 そうなの。たった三時間一寸とで此の山頂に立てるから、大倉尾根を登る人が多いのだ。大して面白くも無い尾根だが、其の価値は充分有るって事です。(続)

2015年1月24日土曜日

雪山賛歌 その一





 何時か書いたが、若い頃は山で歌った。しょっちゅう歌った。テントの外でも、中でも、小屋の外でも、焚き火を囲んでも、昼飯の時でも、歩いて居てさえも歌った。
 今は歌いやしない。ま、其れは良い。歌より酒になっちまったんだから、哀れだけれども仕方が無い。せいぜい旨い酒を飲み給え。誰に言ってんだって? 勿論自分にだ。
 若くてまともな頃は、一体何の歌を歌って居たんだろう?
 で、私には珍しく思い出して見た。何せ大昔の上に思いの外沢山有って手に負えない。仕方無く、調べたりメモったりして、分類迄しちまった。無精者の面汚しで有る。
 どうでも良いこったって?そうなんだけど、一つの時代を側面から表す企画なのだ。へへへ、格好つけ過ぎた。そんなー時代もーああったねとー♪と言う事だと思って下さい。
 驚いたのは、山の歌と言い乍ら、山の歌は余り歌って居ない。一番多いのは流行り歌だ(古い流行り歌も含む)。歌は世に連れ世は歌に連れ、の言葉通りで有る。
 流行り歌が56%、山の歌が23%、各国民謡が21%だ。民謡の中ではロシア民謡が多い。そんな時代でしたなあ。新宿の歌声喫茶“灯”に通ったもんです。ロシア民謡の大合唱でした。
 さて、あいうえお順に行くのがセオリーだろうから、そうしよう。其の中で流行り歌から行って見よう。多分、一番面白い処だろう。次が各国民謡、最後に山の歌としよう。
 あ、題名は勿論書くけども、歌詞は出だしのみとする。知ってる人は其れだけで分かるだろうし、知らない人は歌詞を全部書いても分からないだろうから。
 うん、とても理に適って居る。時々、感想や思い出、説明が入って、煩いだろうけど、何、其の位大した害にゃあなるまいて。
 (雪山賛歌 その二へ続く)