2018年7月31日火曜日

閑話 その二百六十五



 さてヤバいと思っていると左の同じ部位がつった。両足やられた訳だ。其処で暮す訳にもいかないので、伸ばさなければ良いのだから、膝を曲げた状態で下り出した。その侭騙し切ったが、凄い汗をかいた所為かなあ。汗は夏ならビショビショにかくのだから、立派に七十歳だって事でしょう。
 その後は何とかたったと下って大倉へ着いた。七時に登り始めて十二時着。五時間丁度であった。まあまあだが、バテた。標高差1200mだから良しとしよう。
 「あ、地下足袋」とか「靴が良いですね」とか「地下足袋ですか!」とか、普段より声を掛けられた。六、七人だったかな。妻に話すと「半ズボンだったから目立ったのよ」と言う。言われればそうだ。
 大分下の方では三十代の女性が「お仲間ですね」と言う。その日はゴアの靴だったが、普段は地下足袋愛好者だそうだ。なかなかやるもんである。見た目は軽やかだが足裏の痛さは途轍もないのだ。尤もその日の新地下足袋は底のゴムが厚いので、その苦労はなかったのだ。彼女も同タイプの足袋かもです。
 バスに乗ったら急に眠気に襲われて、渋沢に着いた時にはフラフラ状態。あと三十分程走っててくれよお、って感じだった。矢張り相当の負担が掛かったって事だろう。七十歳なんですなあ(くどい?)。
 鶴巻温泉で途中下車、里湯へ向かう。日曜なんだから絶好のチャンス、梵天荘へ行けば良いのだが、一寸と遠いのが駄目だったのだ。つくずく情けないあたし。
 今年に入って二度目の塔である。前回は雪を踏んで登った。こう間を開けちまうと筋肉も衰えるのだろう。高取山は何たってリハ向けの山だ。塔ピストンは、丹沢を真面目にやったと言えるだけの負荷がある。
 リハばかりで安心してると、両足つったりガックリ来たりする訳です。精進します。

2018年7月28日土曜日

閑話 その二百六十四



 下りになると何時も不思議なのは、あんなに苦労して登ったのに、あっと言う間に馬の背(鍋割への分岐)に着く事だ。下りは楽って事なんですけどもね。
 花立を越えて下りに掛かると、ビーサンの若者が下っていた。普通には下れないからだろう、ストップの効く目標を定めて斜めに走って、目標地点で停まる。どうやらそれを繰り返しているらしい。息はハーハーだ。
 気の毒ではあるが何でも経験だ。あたしの下駄ばき大山下りは、止せば良いのに日向薬師へだった。十一月だったので霜解けのグチャグチャ路だった。それよっかは増しだろう。でも、彼は何時になったら降り着くのやら。
 大階段を下り始めると「速いですね」と声が掛かった。見ると「もう一杯だ」と言っていたカップルである。いえいえそちらこそ、もうそこが花立小屋ですよ!
 ゆっくりで良い。歩き続ければ着くのだ。ここいら迄来ると擦れ違うのは中高年が中心になる。若者は大体登ってしまっているのだ。其処へ十人位の学生パーティが登って来た。日曜日はこうでなくっちゃさあ!
 何を喜んでいるかってえと、学生パーティには平日はお目に掛かれない。中高年パーティのオンパレードだ。学生達が昔と違って、綺麗な服と装備で来るのを見るのは、ジジババ(失礼!)が大挙やって来るのを見るとは大違い。喜ぶ訳、分かって貰えましたか?
 吉沢平を越えても未だ若者とは擦れ違う。その諸君は大分バテている。若くても強いと決っている訳ではないのだ。二人の若者は登山道の横で眠り込んでいた。
 あたしなりに速めで降りて来ていたが、堀山あたりから甲から脛にかけてツリ気味になって来た。お、ヤバい兆候だと思いつつ駒止階段を下っていたら、右太腿内側がつった。
 来た、と思ったが、足を真っ直ぐ伸ばせない。伸ばすとキューッとつるのだ。(続)

2018年7月25日水曜日

閑話 その二百六十三



 その吉沢階段(吉沢平へ登る階段。この呼称はあたし以外には使わない)の途中で主導権を失った。何の事かと言うと、ピッチを少し抑えるかなとか、もう一寸と速めるかなとか、自分の思う様に歩を運べなくなったと言う事なのだ。
 抑えるも速めるもない。足を出せれば上等って事で、分かり易く言えばバテ始めたってこってす。そして大階段に取り付くのだから、恨み言の一つも言いたくはなりますなあ。
 花立山荘の前で休憩、パンを食べるのは何時もの事だ。若い女性二人が登って来て「わ、かき氷が有るわよ」と小屋へ入って行く。バテてなんかいない。羨ましい。。。。
 例に依って昔は直ぐそこだと思ってた花立のピークへ一生懸命登る。空は青いが雲と霞で視界はいまいちだ。若者と中年が何人か抜いて行く。もう二十人程には抜かれただろう。抜いた人は数人かな。
 花立からが山である。この言葉は真実だ。やっと山中に在るってえのにバテてるのが残念だ。でも、此処まで来ればあと一息、這ってでも塔へは着けるのだ。
 辿り着いた山頂は人影まばら。まあそうでしょう、あたしの前には二十人位しかいないんだから。あたしを抜いた同年輩は弁当を食べていた。こっちは数枚写真を撮ったら即下山なのだから、もう会う事もないのだ。
 思えば此処何年も塔の頂上でゆっくりとした覚えがない。何時でも、着いた、はいさようならなのだ。昔は尊仏山荘でコーヒー(美味しいのだ!)を楽しんだものなんだけど。今は早く下って一杯やりたい、なのでしょう。
 処で登ってる時に一人ビーサンの若者が登っていた。夏の塔だからどうって事はないだろうが、相当に苦労をするだろう。登りは良い。あたしも大山を下駄で登った。下りが大変なのだ。鼻緒が喰い込んで痛いし歩きにくいし、偉い思いをする事になる。(続)

2018年7月22日日曜日

閑話 その二百六十二



 通販で買った地下足袋が来たので、七月一日に塔へ行って来た。梅雨も早々に開けたので久しぶりの塔にしたのだ。地下足袋に関しては番外で触れよう。
 日曜日一番のバスに乗り込む。長い列が出来ていて、その最後尾に着いた。バスに乗り込む段になって驚いた。知らない間に後ろに三十人程が並んでいる。バスは見る見る満員になり十人以上が乗り切れない。係員が運転手に「時間通りに出して、臨時が出るから」と指示している。
 大倉に着くと既に六人程が身支度をしている。車で来たかタクシーで来たかなのだろう。あたしの乗ったバスからゾロゾロ降りているのに臨時バスが着く。二十人位しか乗ってない。しまった、臨時にすれば良かった。
 ほぼ一番に歩き出す。単独行の強みだ。行動が早い。でも歩くのは遅いのでどんどん抜かれる。勿論想定内だ。バスの中も七割近くが若者なんだからね。
 カップルが多い。一本松の大分下で休んでいたカップルの男性が「もう行こうか」と声を掛けると女性が「うん」と答える。若々しい「うん」である。あたしの妻ならこうは行くまい。「え、もう行くの」ってなとこだ。
 例に依って堀山小屋迄ワンピッチで行く。駒止小屋を越えれば堀山小屋は直ぐだと思っていたが、何の何の、相当歩かされた。歳を重ねて分かる事もあらあね。ま、この場合は体力が落ちたってだけなんだけどね。
 一服つけていると中年のカップルがやって来た。旦那が「俺だってもう一杯だよ」と言っている。え、此処で一杯じゃあ先が辛いぞ。此処からが本番なんだから。
 吉沢階段を登っていると後ろに人がついた。路を譲ったら同年輩の男性だった。「ゆっくり行きたいんですけどねえ」と言いつつ抜いて行ったが、差はジリジリと広がる。速い人は速いのだ。あたしでは敵わない。(続)