2018年7月25日水曜日

閑話 その二百六十三



 その吉沢階段(吉沢平へ登る階段。この呼称はあたし以外には使わない)の途中で主導権を失った。何の事かと言うと、ピッチを少し抑えるかなとか、もう一寸と速めるかなとか、自分の思う様に歩を運べなくなったと言う事なのだ。
 抑えるも速めるもない。足を出せれば上等って事で、分かり易く言えばバテ始めたってこってす。そして大階段に取り付くのだから、恨み言の一つも言いたくはなりますなあ。
 花立山荘の前で休憩、パンを食べるのは何時もの事だ。若い女性二人が登って来て「わ、かき氷が有るわよ」と小屋へ入って行く。バテてなんかいない。羨ましい。。。。
 例に依って昔は直ぐそこだと思ってた花立のピークへ一生懸命登る。空は青いが雲と霞で視界はいまいちだ。若者と中年が何人か抜いて行く。もう二十人程には抜かれただろう。抜いた人は数人かな。
 花立からが山である。この言葉は真実だ。やっと山中に在るってえのにバテてるのが残念だ。でも、此処まで来ればあと一息、這ってでも塔へは着けるのだ。
 辿り着いた山頂は人影まばら。まあそうでしょう、あたしの前には二十人位しかいないんだから。あたしを抜いた同年輩は弁当を食べていた。こっちは数枚写真を撮ったら即下山なのだから、もう会う事もないのだ。
 思えば此処何年も塔の頂上でゆっくりとした覚えがない。何時でも、着いた、はいさようならなのだ。昔は尊仏山荘でコーヒー(美味しいのだ!)を楽しんだものなんだけど。今は早く下って一杯やりたい、なのでしょう。
 処で登ってる時に一人ビーサンの若者が登っていた。夏の塔だからどうって事はないだろうが、相当に苦労をするだろう。登りは良い。あたしも大山を下駄で登った。下りが大変なのだ。鼻緒が喰い込んで痛いし歩きにくいし、偉い思いをする事になる。(続)

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