2021年5月31日月曜日

閑話 その三百五十六


  雪のない春山から一月弱、休みの日は天気が悪いを繰り返し月末となった。二十九(土)三十(日)は天気が良さそうなので、を誘って塔に行く事にした。堀山迄幕営具を担ぎ上げ、其処からアタックザックでピストンって予定だ。

 例に依ってあたしはより三十分位遅いバスで追いかける。八時八分のバスだが、列が長く伸びている。と、八時前なのにバスが来た。臨時便だと言う。これ幸いと乗る。五月の丹沢は一番人出が多いと聞いていたが、そこは神奈中バスも充分心得ている。

 暑くはない日だったが、蒸す。汗がポタポタ垂れる。こちとら荷物が大きいので、ひたすら抜かれる。多くは若者だから、荷物がなくても抜かれまくったかなw

 駒止階段は効いた。うっへーと言う感じである。ここは頑張り処だ。登り切れば程なく堀山だ。そこで荷物とはお別れさ。

 その堀山に着きました。シークレット幕営地への下り口に荷を降ろし、アタックザックを背に歩き出した。と、向こうからが来る。もう塔から下って来た? いや時間的にあり得ない。良く見ると大きなザックを背負っている。ははーん、行き過ぎたんだな。

 そうでした。あれ、これは違うと気付いて戻って来たのだ。汗だらけになって碌に頭も働らなくなった、との弁である。気の毒なので下り口迄一緒に戻り、改めて出直した。

 堀山の家前で休み、吉沢平迄だな、と考えた。も相当バテている様子だ。のバスは満員に詰め込んだので五分以上遅れたと言う。その後ろには臨時バスが待っていたと。登山者満載状態ですなあ。

 写真を撮るのでに先に行って貰い、追いかけた。吉沢階段で追いついたが、やっと登っている後ろ姿だった。たまにふらついたりもしている。こりゃあ嫌でも(嫌じゃないけど)吉沢平でストップと決まりだ。(続)

2021年5月28日金曜日

休題 その三百六十三

 

 令和二年二月二日、コーラス仲間が品川のカラオケ屋で四期に亘るメンバーが二十人以上集まって歌った。丁度良いタイミングだった。それから暫くで武漢肺炎騒ぎが本格化して、集まりどころじゃなくなった。

 OBが集まれないのは構わない。気の毒なのは、コーラスと言う活動ができなくなったって事で、あたしは何処吹く風だが、コーラス仲間の一部には違うのだ。

 NHは大学OBグリークラブの発表会ができない。練習もできないのだから発表会もできない。至極当たり前ですなあ。

 一期下のTMも同じだ。彼女は千葉県の木更津市住在なのに練馬のコーラスグループに所属し、幹事迄務めていた。練馬に住んでいた時に入って、水準の高いグループなのでその侭続けていたのだ。それにしても、木更津から練馬に通うって、旅行じゃないかよ。

 あたしの同期の女性にも、三~四人程コーラスグループに所属して歌っている様だ。女性同士で「今度コンサートがあるんだ」とかチラシを渡しあっている。

 三期下には、自分でグループを主催して指揮者をやってる者迄いる。尤も彼は指揮を執るより歌う方が好きだそうで、指揮者は外部に頼む事も多いらしい。その同期にもコーラスを続けている者がいる。

 その全員が練習すらできなくなっちまった。ね、滅茶苦茶に気の毒でしょう? 趣味の中心だったものがごっそり奪われたんだから。場合によったら趣味の域を超えて生き甲斐だったかも知れない。

 あたしゃあ山好きで良かったよ。一人でもできるんだから。それが二人でも三人でも、取り合えず山なら問題にならない。三密とは真逆な世界だからだ。混んだ山小屋は一寸と危ないかもですねw それ以外は無関係。

 早くワクチンが行き渡って、コーラスができる日を待ち望みます。皆の為に。

2021年5月25日火曜日

休題 その三百六十二

 



 大分前に舩坂弘氏が自書「激闘二百三高地」で乃木将軍は名将だったと力説していると紹介した。舩坂弘氏はアンガウル島の生き残りで、三省堂の創始者である。小説家が自分の好みで乃木将軍を貶めていると。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の事だ。

 日露戦争は、半藤利一氏が三冊の作品を、児島襄氏が八冊の作品を書いている。それを読んでも、乃木将軍は満州総軍の作戦に従っていたと理解できる。

 児玉源太郎参謀長が旅順に乗り込んで新作戦を展開し二百三高地を陥落させたのは事実だが、それ以前の大損害は満州総軍の責任であろう。まあ、ここは山場ですから児玉源太郎を主役にしたいのも無理からないけど。

 色々詳しく事実関係を追った作品を読むと、無能だったのは満州総軍の方だったのでは、と疑問を持ってしまう。

 戦争に錯誤は付き物で、錯誤の少ない方が勝つと言われるが、敵将クロパトキンのお陰で勝てた様なものだ。

 奉天会戦でも満州総軍は現状を把握せずに無理な命令を頻発している。乃木将軍はその命令を無視して的確な作戦を実行している。児島襄氏は、クロパトキンは殿(しんがり)軍の位置に来て撤退を自ら指揮しているが、満州総軍は安全な後方を動かなかったと、多少の苦言を匂わせている。

 司馬遼太郎氏は小説を書いたので、戦記を書いた訳ではない。多分乃木将軍が嫌いだったのだろう。それにしても随分な書かれ方だと思う。明治を代表する将軍とは絶対に思いたくなかったのだと推察する。

 児玉源太郎の、位下の総軍参謀長を自ら買って出た男気は心地良いエピソードだ。だからと言って、彼を持ち上げすぎて乃木さんを貶めるのは如何なものだろうか。

 「坂の上の雲」は大好きだし名作だとも思っている。その一部分に苦言を呈しました。