2017年2月27日月曜日

閑話 その二百二十




 裏に回ると表尾根と塔が目の前だ。ゆったりとした丹沢山の向こうに、一際白い蛭ヶ岳も覗いている。
 雄大な景色とは実に此の事だ。スケールが小さいと言われればその通りなのだが、丹沢命のあたしとしては「文句有りますか?」ってところなんで、それは決して喧嘩を売ってるんじゃないのです。
 話を戻せば、見ごたえがあるので、こうして急遽予定を変更変更して来た訳なので、だから何を言いたいのか、良く分からなくなっちまったで、下りに掛かるとしよう。
 一応写真は撮ったのでカメラは斜めに肩に掛ける。滑って尻餅をつくかも知れないので、斜め前に位置して置く。
 履いて来た靴は見た目がトレッキングシューズだが、その実態は安物の偽物。底にはブロックなぞ無く、殆ど平らに近い。雪には弱いのでは? あた棒よ、ツルツルだぜ!
 何でそんな物を履いてるかと聞かれれば答えよう。安かったから買ったのだ。何度も書いている様に、安物買いの銭失い。決して自慢にはなりませんなあ(忸怩)。
 でもですよ、安物を何とか使いこなすってえのがポリシーでもあるのだ。変なポリシーと言われるのは承知の上なのだ。確信犯の安物買いってこってす。うーん、確かに変な奴ではありますなあ。一種の病気だと思って頂ければ、ほぼ正解だろう。
 雪の大山下りでは、其の病気が苦労の元になったとは、当たり前過ぎて説明の必要も無いかと思われる。詰まり、滑るので偉く苦労をしたって事で、自業自得を絵に描いた様だ。
 下り始めるとどんどん登って来る。皆さん、確りした装備だ。あたしだけ偽靴で空身、カメラを斜めに掛けている。
 同じ様な年代の男性が「曇っちゃったなあ、仕方無いよな」と言って擦れ違う。出発時は快晴だったのだろうからね。続きます。

2017年2月24日金曜日

閑話 その二百十九




 二月九日に雨が降った。寒い雨、山は雪だろう。よし、雪の大山に登ろう。天気予報も晴れだと言ってるし、S、Kと乗ったケーブルカーを使えば簡単だ。
 朝出発前に天気をチェックすると、朝は晴れだが直ぐに曇り、十五時からは雪になっている。何だよ、話が違うじゃないかよ、と慌てて12Kgのリュックに替えて、バタバタと高取山コースに変更した。
 伊勢原で栗原行きのバスを待つがド快晴である。こんなに良い天気なのに、高取山からだと大山は樹木に隠れて見渡せない。えーい、行っちめえ、と大山行きのバスに飛び乗った。
 登山者が六人程乗っていた。迷っているうちに前のバスは出てしまったので、一番のケーブルに間に合うだろうか?
 12Kgが物を言って、駅に着いた時に目の前で一番ケーブルは出発した。二十分待って下社で降りた。切符は往復券、楽ちんだぜ。
 こうなりゃ12Kgは邪魔なだけだ。下社の樹の下にリュックを置いて、カメラだけぶら下げて歩き始める。新雪の山を見たい為に来たのだから、此れで良いのだ。
 雪は3Cm位、先に行った諸君の足跡がはっきり付いている。段差の大きい岩道に雪が乗っている状態だ。
 思いの外急な登りが続く。此の道を登るのは三十数年振りになる。こんなに大変だったっけ、と思うのも無理からぬ。観光客にはちと無理だろう。
 稜線に出てからは傾斜が緩む。雪は少々深くなる。鳥居をくぐればもう頂上だ。空身の強みで有る。12Kgだったらヒーヒーになっていた事は疑い無い。
 海側から雲が広がって来ている。幸いな事に丹沢方面は未だ晴れている。併し富士山は雲に隠されて仕舞っていた。
 雪は20Cm強、裏に回るにもトレース頼りである。続きます。

2017年2月20日月曜日

日本の山っていいなぁ♪ その四





 雪を楽しめるってえのはどうだろう。丹沢でさえ、一晩に1m積もる事も有るのだからね。何せ世界一の豪雪地なのだ。尤も其れは脊梁山脈なんだけど。
 何だか前章と同じ流れになっちまった。丹沢も日本の山なんで、仕方ないって事にしよう。
 中山帯で雪山を楽しめると言うのも、多分世界中にもそうは無いのでは、と思われる。丹沢で不足なら、上越国境に行けば間違いなくモロに豪雪ですぞ。
 更に高山に入れば雪雪雪、嫌って言う程雪が楽しめる。Nの話ではないが、一日頑張ってラッセルして、やっと数百メートルって世界だ。ねえどう? うーん、余り希望者は期待できないみたいだ。日本人で余り嬉しく無いってか? 其のお蔭でアルプスの独特風景が出来たのだから、我慢して貰いましょう。
 では、四季折々の山が楽しめる。此れは山に限った事では無いけど、ほぼ日本独特と言っても良いだろう。
 尤も高山の冬期に入れるのは、限られた人間達になるけど、其の外のシーズンなら多くの人が楽しめる。そして、夫々綺麗さが違う。残雪、新緑、一斉に咲く花、濃い緑、高山植物、鮮やかな紅葉、新雪。
 相当変化に富んで居る。低山から高山迄、四季の移り変わりが見事で有る。高山になる程夏は短くなるが、自然の摂理なので仕方無かろう。其の代わり冬は長いのだから。
 外国の山にも四季は当然有るだろう。でも、日本の四季は際立ってはっきりして居ると言われて居る。では、山だってきっとそうだろう。へっへっへ、外国の山を知らないもんでどうしても、きっと、とか、だろう、になっちまう。
 私には似合わない話題を取り上げたってこってす。前に書いた山の風景の研究者の本が頭に残って居て、本文でも一度取り上げたいと思ってたもんで、つい。
 でも、這松、お花畑が日本独特の景色だとは、カルチャーショックでしょう? そうでもないって? 私は驚いたですよ、そして日本人で良かったと思ったですよ!
 (此の章終わり)

2017年2月17日金曜日

柄でも無い事 その六十




 前の閑話で妻と山中で待ち合わせて里湯へ行ったら、男湯が混んでいたと書いた。一月の晦日に一人で高取山から里湯へ行ったら、もっと混んでいた。
 ロッカーの一番下段が幾つか空いているのみだった。今迄にこんな騒ぎは無い。下段を使ったのも、勿論初めてだ。湯船は広い癖に人で一杯、カランも順番待ちの有様だった。
 二月初めの土曜日に又々同コースを行ったが、里湯は避けて久し振りに梵天荘で入浴した。去年の十一月末以来である。
 例に依って12Kgを狭い玄関に置き、声を掛けると脳梗塞の爺さんが現れた。「初めてですかーあ」と言われても、もう驚かない。「何度か来てますから」と答えて石段登って風呂場へ向かった。
 湯殿の戸を開けたら、目隠し板のひし形の小窓から陽が何条も差し込み、其れが湯気の為に見事に光る線となって湯船に注いでいた。
 「おーー!」と言う光景だ。小さな宿ならではの事だろう。湯船が小振りなんて何て事もない。何せ独り占めなんだから。光の筋の中の入浴は心地良いものだ。湯の中にも光が差し込むんだから。
 風呂から出てフロントへ行くと、今度は女将が出て来た。パートのおばちゃんもいたので、予約客がいるのだろう。その諸君は渋い所を狙ってるのだろうね。普通は陣屋か大和だろう。駅から近いので。
 尤も物好きは、あたしみたくわざわざ12Kg背負っても行く訳なんでね。
 女将が「一寸と待って」とボールペンを取り出した。梵天荘の名前入りである。しかもライトも付いている。ライトは不要だと思ったが、其れは言わないで有り難く頂戴した。
 小さな宿を不自由な足で経営している。立派なものである。宿には申し訳ないのだが、人が来ないで静かな侭でいて欲しいけど、其れはあくまであたしの我儘ですなあ。