2011年9月27日火曜日

休題 その七十四


 あたしゃあ怒って居る。何にって?例えば愛知県日進市。福島産の花火は、放射能が怖いから打ち上げない事にしました。大文字焼。放射能が怖いから福島の木材は使用しない事にしました。

ざけんなよ、てめー!!!

 外の自治体もそうだ。物産店は住民の反対でキャンセル。何人が反対したんだい、公務員さんよ?其の癖、頑張れ東北、とか恥ずかしくも無く、言ってるんでしょう?
 あたしゃあやっと今になって(詰まり、歳を取って)、卑しい人間とは居るものだと実
感した。例えば京都市長とか日進市長とか、文句をつけた誰か(ろくな奴じゃ無いのは保証する)とか、それでうろたえて(確信犯かもしれない)中止を進言した地方公務員とか。
 心根の卑しい人間とは、お前は豚と言われりゃ豚が怒る。豚は言うだろう、俺は豚だが
心根の卑しい人間程汚くは無い!
 豚の立場に立って見ました。

 今、手元に資料が無いけど、うろ覚えで言えば、京都のマキも日進の花火も、どれだけ
の被害をおよぼすかと言うと、ほほ零なのだ。「ほぼ」を付けたのはサービスで、実際は零で正しい。
 では何で騒ぐ?無知だからだ。前に書いた
通り、東欧で十万人が全く無用の堕胎をした様に、無知は罪だ。従って、各自治体のクレーマーと役人と首長は罪が有る。
 だから卑しい奴等と言ったのだ。

 その卑しい諸君に提案が有る。死んでも、東北頑張れなぞ言わず、寄るな、あっち行け、
うつすな東北人!と公言しポスターも貼りまくる。此れなら首尾一貫して居るし、誰にも分かり易い。如何に下らない奴等かがだ。
 お前ならどうするって?福島の野菜を食っ
て、米を食って、魚を買います。

2011年9月25日日曜日

無敵の縦走路 その一



 表尾根については既述だが、何せ表丹沢の花形、語り足りないので補足の章です。
 有利になったのはヤビツ峠へバスが入る事
で、昔の様に蓑毛から登らないで済む事だ。此れで一時間近く違う。
 登りの一時間って大きいですよ。荷物にも
依るので、一応20Kgとしたら、登りの一時間をカットできるならば二千円は払うだろう。え、生活水準が低すぎるって?そうねえ、確かにYなら一万円でも払うに決まって居る。
 私は相変わらず蓑毛派だが、単なる物好き
のおっさんなので、まともな皆さんはバスを利用する。至極当然だ。何を好んで柏木林道をセッセと登る必要が有るんだ。
 満員のバスで、カーブの連続ってえのが余
り好きじゃ無い上に、バスが蓑毛から峠迄二十分位(そんな掛からない?)掛かった覚えが有るので、じゃあ歩いちまおう、となって仕舞うのだ。
 ヤビツ峠は賑やかだ。バイクの諸君、自転
車の諸君、そして登山者が集まる。自転車で登って来る単独、或いはグループの諸君は、マゾか???あ、済みません、考えれば登山者も全く同じだなあ。
 暫く林道を行くのだが、やがて冨士の見え
ない富士見山荘が右手に現れる。其処から左に入り、一寸で林道から確りした登山道に踏み込めば、直ぐに(一寸とオーバーです)二ノ塔そして三ノ塔に立てるのだから、こんな有難い話は無い。大倉から登れば、そうは行かない。嫌になっちまう程登って、やっと三ノ塔だ。
 大倉から三ノ塔を目指すとなると、植林の
登りがやけに長くて、嫌だなあと、どうしても思うものだ。下っても変にダラダラしてて、とても嫌だ。それに、途中から林道になっちまうし、全く風情が無い。
 お分かりの通り、私はダラダラした登りも
下りも好きでは無い。勝負が早いのが好きだと、何度か書いたのは、そう言う事だ。
 (無敵の縦走路 その二へ続く)

2011年9月24日土曜日

クソ面倒な話 その三十八


 今朝の新聞一面は、ニュートリノ「光より速い」名大など測定。相対性理論と矛盾。と、大きく扱われて居る。
 730Kmの距離を、ニュートリノは光より1億分の6秒速く到着して居た事が判明、
三年掛け、16000回のデーターから算定した、と有る。
 実験チームは、結果が科学全般に与える衝撃の大きさから拙速な結論や物理的解釈をす
べきでは無い、と述べた由。
 そうでしょうとも。最新の研究で相対性理
論と無関係なものは、医学や農業の様な一部を除いて、有り得ないのだから。最新研究の理論の根底が揺らぐ恐れが有る訳だ。
 あたしは前から明らかにして居た様に、相
対性理論が絶対だ、と言う風潮に意義を唱えて居たのだから、今回の結果も当然でしょう、としか思わない。
 前述だが、相対性理論は光速を基準として
理論を組み立てており、超光速の物体には適応し得ないと言う事で、無理に適応させれば理論が破綻するだけで有る。
 ところが世の中の専門家にも、そんな当た
り前な事も分からん仁が居るのが面白い。東大のM(新聞に実名が出て居るのだから遠慮は無用なんだけど)宇宙研究機構長は、現代理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果だ。本当ならタイムマシンも可能になる、とコメントして居る。
 ほーら来た。一応一流の科学者と評価されて居るであろう人間の発言とは思えない。タ
イムマシンは可能にならない!
 適応されない数式で説けば、とんちんかん
な解が得られる。それだけの事だ。M氏にそんな重責を任せて宜しいのですか、東大さん?
 前にも説明したが、四角形の面積から一辺の長さを計算すると、マイナスの値も出て来
る。其れは無視する。-5mは存在しない。時間のマイナスも全く同じ事で有る。

2011年9月23日金曜日

閑話番外 その五十五


 またもや新撰組血風録で、済みません(ペコリ)。
 ほんの一寸と調べたら、原作者の司馬遼太郎氏は作品のテレビ化を渋って居たそうだが、栗塚旭が挨拶に行ったら、氏の土方歳三のイメージにぴったりだったので、快諾した由。
 原作でも資料でも、土方は役者にしたい様な良い男、となって居る。時代劇俳優の評論本も、なかなかに本質を突いて居た訳だ。
 因みに、放送はテレビ朝日でした。

2011年9月22日木曜日

クソ面倒な話 その三十七


 たかだか10数年位前迄は、宇宙コロニーの建設が真面目に考えられて居た。場所はラグランジュ点、月と地球を結んで底辺とし、正三角形を描いた時の頂点で有り、5箇所存在する。重力的に安定しており、其処に造られたコロニーは漂流しない。
 計画は壮大だ。直径6.4Km、長さ32
Km、床面積1300平方Km、自転によって重力を発生させ、数百万人が生活出来ると言うものだ。
 今となっては誰も口にしない。理由は簡単
で、経済だ。途方も無い費用が掛かるだろうとは、想像出来るでしょう?地球の直ぐ傍の国債宇宙ステーションでさえ、参加して居る16ヶ国は経済負担に苦しんで居る。
 今迄に人類が一番遠く迄行ったのは、言う迄も無く月で有る。宇宙コロニーは其の距離
に造られる訳だ。月へは三人の人間と其の生存に必要な物資、それに月面と宇宙船を往復する小型艇だけだったが、それでも大変な費用と危険を要した。
 詰まり、理論的には可能でも、現実的には不可能と言うやつで有る。やればやれるかも
知れないが、やるだけの甲斐が有るの?と言う事だ。
 スケールは滅茶苦茶に小さくなるが、有人火星探索船も、其のお仲間だとあたしは思っ
て居る。
 オバマ大統領は火星へ行く、とぶち上げた
が、実現は難しいだろう。経済は置いておく。先ず放射線に二年以上晒される。其れも核発電所労働者に定められた許容範囲を遥かに超えて居る。おまけに半年に一度発生する太陽フレアの爆発(重ね言葉だったかな?)と出会えば、命は保証出来ない。二年以上の旅なのだから、何回かは遭遇するに決まって居る。
 あの月旅行でさえ、成功率は50%で、ケネ
ディは弔辞の用意をして居たのだ。
 宇宙好きのあたしにしては夢が無いですな。

2011年9月19日月曜日

休題 その七十三


 前回うっかり書いちまった「新撰組血風録」の続きです。え、嫌だって?年寄りは労(いたわ)りなさい!
 もう探索の山崎も富士山丸で死亡した。詰まり鳥羽伏見の戦は既に敗れた訳だ。同じく
乗船して居る沖田の命もあと僅かだろう。
 全七枚のDVD、一巻目は二話、あとは四
話入りだ。CMを除くから一話で四十五分と一寸と、四つ観るとごっちゃになっちまう。勿論、飲み乍ら観て居るからなのだが、内容も必ず悲劇なのだから、酒の所為だけでは無いと言い張りたい……。
 それがとうとう、あと一枚を残すのみとな
った。もうじき全て観終わるのだ。寂しい。
 倅が覗いて言う。

倅「昔は不器量でも俳優になれたんだな。皆不器量じゃないか」。

 自分の不器量に気付かずにのたまって居るのが情無いが、確かにそうだ。よってたかっ
て不器量で有る。土方は男前だが、斉藤一なんざジャガイモみたいだ。沖田は文献に有る通り、鯰んごたある。でも、そうだったのだ。
 其れが正しい。幕末の写真を見ると、此れ
でも人か!と思わされる写真が非常に多い。併し、不細工だががっちりと逞しい。
 色男ばかり集め始めてから、日本の映画は堕落したのでは?

 男は見掛けでは無い。特に新撰組は、だ!NHKで新鮮組を、何年か前に大河ドラマと
して上映(?)した。一寸と観て、吐き気を抑えて逃げた。あんな馬鹿なもんを良くぞ放映したし、良くぞ観たもんだ。
 どんなにか非難されるだろう。ても、本当の事だから言う。あんなもん喜
んで観て居たとしたら、そいつはアホじゃ!!
 新撰組血風録は違う。不器量で良いのだ。
より真実に近いのだ。観て居るうちに不器量なんて気にもならなくなって来る。
 役者の不器量の話?違う、作品の素晴らしさを、酔っ払いがくどくど言ってんでした(ペコリ)。

2011年9月17日土曜日

山の困ったちゃん その六


 もう一つの例の、頭の不自由な人も其れを分かるのかって?分かりっこ無いだろう、だから頭が不自由なんだよ!
 一部に不適切な表現が有った事を、お詫び
致します。
 携帯電話も、高みでは通じる。ボンヤリし
てる間に、何と恐ろしい世の中になって仕舞ったのだろう。便利になったとは思えない、異様になったんだ、と感じるのは勿論年の所為です。
 世の中に置いて行かれたおじさんの繰言は
どうでも良い。焼酎でも飲み乍ら、「こうなっちまったら、擦れ違いのラブストーリーなんざ、成立しねえぜ」と甚だしく時代とずれた事を、一人でぶつぶつと言ってなさい。
 良く無いのは、文明のだか悪魔のだかの利
器を、乱用する奴が湧いて出て来る事だ。何だか、ボウフラ扱いですなあ。きっと私の気に食わないのでしょう。
 山のSOSが急増した。それはそうだろう、
携帯電話を掛ければ良いのだから。仲間の命を救う為単身ラッセルを続け、麓に着いて人に会っても、消耗の余りに後ろを指差し意味の無い呻き声しか発せなくなる様な、感動的な緊迫感は全く無い。
 簡単に助けを求める。中には、本当に危な
い処を携帯のお陰で救われた例も、大分有るだろうが、方法が簡易なだけに、安易なSOSも相当有る筈だ。
 受けた警察だか消防署だかは、偉い迷惑だ。
放って置いて、本当の遭難で死人でも出たら責任問題だ。一々対応しなければならない。
 閑話にも書いたが、SOS携帯に「ヘリは
有料ですが」と言うと「じゃあ、結構です」と切る例も多いらしい。ふざけるな!!
 山を抱える自治体は、ヘリは有料にすべき
だと思う。本当の遭難者なら、安いもんでしょう百万円位。保険も有る事なんだし。

2011年9月14日水曜日

閑話 その七十二


 閑話七十一の続きです。
 先ずあたしがローソクに火を点ける。バー
ナーが青い炎を吹きコーヒーを沸かす。出来たコーヒーに焼酎かウイスキーがドボドボと入れられる。そして最高の夜の宴会の始まりで有る。(のが続きますなあ。こんな文を書いてちゃいけない)
 残って居る酒は全部飲んでも構わないのだ
から、豪気なもので有る。何せ明日は里へ下っちまうのだ。
 カップの蓋にナッツをあけ、イカなぞ出し
てワイワイやる。周りは真っ暗なだけで、誰一人居ないのだから騒ぎ放題なのだ。
 あ、説明が必要ですね。春山は殆ど人に会
わない。増してやテントが近くに有る事なぞ無い。夏や冬も、先ず人の来ない様な所に張るので、我々だけのテントがポツンと有るのが常なのだ。
 此の開放感は堪らない。明日歩く距離が短
かければ短い程、開放感は大きい。従って最近は、最終日の行程を極力短く設定する様にして居る。堕落だって?違う、歳なのだ。歳を取る事を堕落するとは言わない。
 不思議なもので、焼酎や日本酒やウイスキ
ー、場合に依ってはチューハイ迄が何処からとも無く出て来る。二人共、最期の酒はしっかりと確保して有るのだ。
 かくして二から三時間に亘って宴会は続き、
明日が有るからと、お開きとなり寝直すので有る。
 贅沢とは此の様な事を指す言葉だろう。あ
たしは寝る前に小用をたしに表に出る。満点の星の事が多い。振り返るとテントがローソクの明かりで照らされて居る。フライが被って居るので入り口だけだけど。
 寒さにブルッと奮え、テントに戻る。Yは
凄い。あっと言う間に寝て仕舞う。Yの鼾を聞き乍らあたしもウトウトと眠り、携帯のアラームが、最期の朝の到来を知らせる。
 良い朝で有る。

2011年9月11日日曜日

山の困ったちゃん その五


 どうでも良い、とは書いたが、思い出したら腹が立って来た。勿論、彼等は私に文句をつけてるんじゃ無いんだけど、Rさんや、小屋で働く諸君の気持ちになると、「ざけんなよ、てめー!文句があんならとっとと出て失せろ!!」と言いたくなる。
 其の手の諸君は、多分中年を迎えてから初
めて登山を始めたのだろう。だから物事が分からない。さもなくば、頭が不自由な人なのかな?
 どっちかだろうけど、どっちにせよ暗くな
って小屋から追い出す訳には行かない。そんな奴が小屋の外で、たとえ夏でも、一晩を無事に過ごせるかどうかは分からないので、追い出すのは無謀で有る。(構わないんじゃないの?)
 其の点、南アルプスの小屋の親父達は、う
っかりそんな奴が居たら、頭から凄い勢いで怒鳴りつけて、はい以上、で終了。だから、南アルプスの親父達を嫌う人も、結構居る訳なのだ。私には嫌う気持ちが分からない。
 あ、全部じゃ無いですよ。南アルプスの親
父が全員怒りん坊で乱暴者って事は無く、南アルプスの南部には、そう言う親父が多いかなって事なんです。
 で、里と山の区別のつかない、で有ろうと
思われる人は、私の見た限りでは、一目でエリートだろうなと分かる人なのだ。其れは至極当然な事だ。
 今迄、里でチヤホヤされて、何の苦労も無
く、何の因果でか山に登る事になって、余りの生活の変わりように唖然とし、小屋の従業員に怒りをぶつける。ふっふっふ、元来が聡いのだから、直ぐに分かるって。
 大体からして良い歳して、登山を始めよう
ってえのが偉い!ほかにも楽しい事は五万と有るだろうにさ。ゴルフとか海外旅行とか宇宙旅行とか(其れはねえべえさ)。
 よりによって登山を選ぶとは、取り合えず
今は嫌な奴だが、本質的には貴方は立派だ。やがて経験を積んで、良い登山者になれるからね!(貴方が、人の気持ちの分かる人ならばだけど)
 (山の困ったちゃん その六へ続く)

2011年9月10日土曜日

閑話 その七十一


 Yとの長い山旅で出来上がった素晴らしい習慣が有る。何、馬鹿みたいな話なんだけど、山行最終日の真夜中の宴会だ。
 何日間の山旅でも関係ない。兎に角最終日
の夜中にゴソゴソと起き出して、宴会が始まるので有る。
 一泊の時も同じ事なのだ。詰まり、一泊の
時はせっせと登ってテントを張って、宴会をして翌朝降りて来るのだ。え、だらしねえ奴等だって?済みません……。
 縦走中は早寝早起き、六時前には歩き出し、
出来たら(出来ない事も多い)午後二時迄には行動終了、設営に掛かると言う生活なので、酒も程々にして寝て仕舞う。あ。今の時間取りは冬春・夏で、秋・冬だと起きるのは一時間程遅くなる。冬はY連れの時は丹沢のみだけど、丹沢の冬も馬鹿にゃあならない。
 で、季節に依らず寝る時間は大差無い。何
てって明日が有る。「あしーたが有るーさ明日が有る♪」って楽しいもんでは無く、相当なプレッシャーなのだ。
 しかし最終夜は違う。気分が全く違うの。
確かに明日の行程は有る。しかし其の一日だけだし、多くの時間は東京へ向かう乗り物の中だろう。従って前夜は、早くも心は解放されて居るのだ。
 最終夜だって寝る時間は何時もと同じ、六
時頃(やけに早いって?良いの、疲れ果てて居るんだし、さっき書いた通り朝は何たって早いんだから!)、それで一眠りすると、どちらからとも無く起き出す。
 多くの場合は、Yがヘッドランプで何か食
べて居るので、あたしが目覚める。彼は大食いの部類なので、明日の心配が無くなると、急に腹が減るのだ。うーん、何と無く分かる気がしないでも無い。
 それで飢えたYが、ガサガサとレジ袋をか
き回し、煩くて目覚める訳だ。
 下らない話は続きます。

2011年9月7日水曜日

山の困ったちゃん その四


 処が、たまにそうでは無いらしい人に出会う。結構迷惑なのだ。ラジオをぶら下げて、放送を流しっ放しにして居る。其の人と前後すると、静寂な世界は音楽と、パーソナリティのおしゃべりで、何処か彼方へと消え去って仕舞うのだ。

 ?????

 其の手の人は、間違い無く全員が単独行なのだ。一人じゃ寂しいのでラジオなのかな。じゃあ、山に来なけりゃあ寂しく無いでしょう。町に居れば人がウジャウジャ居るし、友達も居るでしょうが。
 演奏中のコンサート会場の、隣の席でお煎
餅をバリバリ食べて居る人と同じ、とは言わないけれども、やや似ては居る。
 やり過ごすか、(出来ればだけど)追い抜
いて離れれば済むので、余り害は無いのだが、どう言う都合か上手く行かず暫く前後すると、うんざりさせられちまう。
 ラジオをどうしても聴きたいなら止めない
が、他人に迄無理やり聞かせずに、イアホーンを着ければ良いのにと思うのだが、そうして居る人には一度も会った事が無い。番組を振り撒いて歩いて居る。非常に不思議な感覚の持ち主達で有る。
 似たものに鈴の音が有る。チリンチリン、
と耳について、邪魔な事此の上無しなのだ。熊避けの為なのだろうが、丹沢やアルプスや八ヶ岳は北海道では無い。本州にはヒグマは居ない!!
 あとは、山と里の区別の付かない人。私に
は別に迷惑でも無いのでどうでも良いが、山小屋にとっては、大変迷惑な筈だ。
 主脈の章で、Rさんのランプの小屋の頃、

「ビールがぬるい、此の小屋には冷蔵庫も無
いのか!」と喚いたおじさんや、酔っ払って書いちゃったの章の、芯の有る飯に文句をつけるおじさんの、同類達の事だ。
 (山の困ったちゃん その五へ続く)

2011年9月4日日曜日

閑話番外 その五十四


 困ったちゃん三の写真は言う迄も無く、塔の尊仏山荘で有る。で、上の写真は其の内部だ。困ったちゃんとは違う時の撮影では有る。
 冬は皆さん逃げ込んで来るので、満員とな
る。中はストーブが赤々と燃えて暖かい。従ってビールなぞ注文する御仁も多い。あたしも偶にやる。
 窓から表の雪景色を眺め乍ら、ビールを
飲むのだ。そりゃあ幸せなものなのだ。

2011年9月3日土曜日

山の困ったちゃん その三


 面白いもので、今回も大阪人が犯人、但し三十代の青年だ。私と同年代のセンスの良い夫婦が居た。皆で話し乍ら穏やかに楽しく夕食を摂って居た。
 其の旦那が全共闘上がりだと、話の中で分
かって惨劇は幕を開けた(オーバーです)。大阪の青年も何等かの活動家らしく、旦那に絡み始めた。当時の闘争路線の半端さを、しつっこく批判し、仕舞いには旦那への個人攻撃になって行った。
 あのなあ、路線闘争は里でやってくれ、山
に下らない話を持ち込むんじゃ無い。ったく、良い歳して山を汚すんじゃない!
 始めは絡む青年を適当にあしらって居た旦那も、悪し様に非難されるうちに本気になっちまって、二人の怒鳴り声が深夜迄続いた。奥さんは必死に止めようとして居たが、そうなりゃあ止まりっこ無い。
 他の諸君は白け反って寝て仕舞ったが、怒
鳴り合うのが煩く、多分ろくに寝られなかっただろう。私もそうだし。
 唯、偉いなあ、と思ったのは、誰も「煩い!
」と叫ばなかった事。尤も、怒鳴りあう二人が怖くて、言えなかっただけかな。え、其れはお前だろうって?はい、そうです。
 朝になったら、大阪の青年は消えて居た。
流石に、皆と顔を合わせられなかったのだろう。暗いうちに、荷物を纏めて母屋へ移ったものと思われる。
 私に言う資格が有るかどうかは微妙なのだ
が、酒は程々に、人様の迷惑になる様な飲み方は止すべきだ。

はい、分かりましたでしゅ!!

あ、思わず返事をしちまった。一応自覚が有るもんで、つい。
 私は山に、自然を求めて登る。日常には無
い静寂な世界を求める。多分殆どの人もそうだろう。人工(或いは文明と言おうか)を求めるなら、山登りは不適格だ。酒を買いに本屋へ入る様なものだ。
 (山の困ったちゃん その四へ続く)