2010年7月31日土曜日

酔っ払って書いちゃった その三

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 いや、酔っ払いの章は酷いですなあ。でもね、最初からそうお断りしてますので。
 やがて地球的規模で、食料難と水不足が襲って来る(此れだけは、保証します)。其の時に芯の有る米に、あんたが文句を付ける姿を見たいのです♪。
 私は煙草吸いで、迫害されて滅び行く種族なのだが、煙草を止める気は更々無い。若いチェーンスモーカーだったが、今では一日十本位に減らした。癌も持ってるし。
 JRさん、田舎の吹き晒しの駅で全面禁煙って、遣り過ぎなんじゃ無いのかなあ。ま、其れは良いでしょう。
 今は凄く減ったのだが、たまに山で吸殻を見掛ける。だから、喫煙者が厳しい眼で見られるんだよ!何考えてんだ、吸った煙草をそこいらに棄てるんじゃねえよ、ターケ!!
 てめえの煙草を棄てて羞じない奴は、てめえのケツも碌に拭けて無いに決まってらあ。そいつのけつを見て確認する気は無い!でもそうに決まってる。けつに蛆でも湧かせてやがれ!!併し、流石に蛆が湧いたら驚くだろうな、はっはっはっは。反省して煙草の吸殻を棄てるのを止めるかな?
 何度も言い訳するけど(汗)、下品で荒っぽい章なんで、済みませんねえ(ペコリ)。
 吸殻では忸怩たる思い出が有る。前出の空木岳で幕営した時では無く、其の数年後にも頂上直下で幕営した。幕営禁止らしく、避難小屋は有るのだが、一人でノビノビしたいので(外には二人しか居なかったんだけど)規則を破って幕営したのだ。
 大体からして其の行為自体がいかん。偉そうに何か述べる癖に、我侭な私は、我侭なんです(全然意味を成さない文章だ!)。
 テントを張る時に一つ吸殻を見つけた。後で片付けようと思ってテントを張って、炊事の準備をして居たら、監視員がやって来た。うーん、監視員を空木岳頂上に送る長野県は、立派だ。ボランティアだろうけど、其の組織力は、流石信州です。
監視員「済みません、幕営禁止なんです」
私「あ、済みません」
監視員「今回は良いですがね……、あ、吸殻、駄目だろう棄てては、何やってんだ!」
 言い訳なんざしなかった。私が見つけて直ぐに片付けなかったから、誤解されたのだから、当然の報いだ。元々違反の幕営だし。
 でも此れだけは言って置こう。山に吸殻を捨てたお前、そんな心掛けでは今後碌なこたあ無いからな、良く覚えて置けよ。
 仕舞いにゃあ、呪いの言葉を吐きましたなあ。あー、酔っ払いは嫌だ嫌だ(ペコリ)。
 で、此の章は何だってと、訳分からん奴が山に来るんじゃねえ、死んでも来るんじゃねえ山が迷惑してらあ!って事で、極当然の章でした。え、酔っ払いがほざいて居る章だって?その通り、最初からそう言ってるでしょうが!

2010年7月27日火曜日

閑話 その五十二

店 055

 

 最近のあたしの装備に、欠かせない物が出来た。ストックで有る。昔はスキーで使ったが、今は多くの登山者が使用して居る。
 NHKの試してガッテンで、登山に於けるストックの効果を実証したそうだ。あたしゃあテレビに縁が無いので見ては居ないが、見た人から聞いたのだ。
 ストックを上手く使う事に依って、脚の負担が三割減少されるそうで、何と素晴らしい優れ物なんだ!
 面白いもので、其の優れ物ストックに行き着く迄のストーリーが、ちゃんと有る。あたしゃあ、散々見て来たのだ。生き証人ですなあ。
 先ずは木の枝を杖として使う事から始まる。登りの苦しさで、目に付いた枝を拾って杖にするのだ。ん、こりゃあ楽だ!杖って馬鹿に出来ないぞ、と気付く。ファースト・コンタクトで有る。
 山頂に着くと、ポイと棄てる。今までお世話になった枝を、無情にも棄て去る。責めては居ない、棄てちゃえ、棄てちゃえ、どうせ拾った枝だからー♪の世界だ。古い歌で失礼。
 でも、気付けばストックを持った登山者が居る訳で、あれは良いなあ、となるのだろう。
 で、今や殆どの登山者がストックを使って居る。勿論全員では無い。枝を頼りの人もたまに見掛ける。やがてストックに変わるのだろう。
 あたしのストックは八年程前に買って、今でも使用して居る。かしめが弱って苦労で、あたしも弱るが、取り合えず使えるから使う。
 オプションで雪用のワッカが有って、最初から装着した。雪山に行く時だったからだ。其れが食い込んで外れなくなって、今に至って居る。詰まり、年中スキー用のストックになっちまったのだ。夏でも秋でも。
 ふん、良いのさ、使えれば。
 ストックの先は意外と鋭い。其れを覆うゴムのカバーが有る。勿論其れを着けて山に入る。駅の雑踏で人を傷付けたくはない。
 其のカバーを外し忘れて雪山に入っちまった、おバカなあたし。カバーはストックと一体化して、もう外せない。と言うより、磨耗してボロボロにくっついて居て、鋭い先っぽは剥き出しなのだから、何の意味も無い。
 少なくとも人様を傷付けない様、気を付けようっと♪
 あたしはストックは一本だが、二本の人が増えて居る。理に適って居る。二本の方がより効果が有るのは、説明の要も無いだろう。
 処でYの二本ストックの使用方法は独特だ。辛い極地に達すると、二本纏めて持って体重を掛け、呻きつつ歩を進める。偉い、さぞや辛いのだろう。でも、歩かねばどうしようも無いのが此の世界、頑張って欲しい。(え、冷たいって?仕方無いの!)
 ストックは誰でも登りは使える。下りでも巧みに使えれば最早ベテラン、立派です。
 歩き方の下手なMなんざ、下りではストックが邪魔だそうで、確りしろと言うのみです。

2010年7月25日日曜日

酔っ払って書いちゃった その二

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つい興奮して下品になりました。失礼。ま、太字にしなかっただけ増しだと思って下されば、幸いです。其れに冒頭にお断りした通りなんで、此の先もこんなもんです。
其のどもならん風潮の中でも、精神が汚染される事も無く、山へ登って来る若者も居る訳なので、俗に流される事の無かった貴方達は偉い!
若者だけを非難して居る訳では無い。良い年をした登山者のおっさんにも(此の章は言葉が荒いですなあ。どうでも良い章なんでご勘弁下さい)似た様な訳の分からん奴が居るんだな、此れがさ。
主脈の章で触れたが、ランプの小屋で「何だ、此のぬるいビールは、此処には冷蔵庫も無いのか!」と喚いて居た親父もそうだ。あ、思い出したら腹が立って来た。あんたはランプでビールを冷やせると思ってんのかい?是非やって見せてよ。
今の北アルプスの小屋では、至極まともな食事が出されるので、覗きに行っても詰まらないとも、前に書いた。詰まり、偉く粗末な食事を前にしてションボリとした人を見るのが、私の楽しみだったので、人非人とは此の事とは心得て居るものの、自分を偽る事は出来ない。人非人との嘲りは甘んじて受けよう。
ま、小屋の食事が幾ら粗末だと言っても、当然私の食事よりは上等なので、其れがろくでも無くて客が呆然としていりゃあ、私は大喜び、ウハウハ喜んで、ハヤシも有るでよ、となって仕舞うのだ。
意味不明?失礼しました。古いコマーシャルです。南利明がやってました(え、知らないって?無理も無い)。因みにハヤシライスは名古屋では現役です!私は嫌いだけど、何だか懐かしくなっちゃって……。
本題(有るの?)に戻る。其の贅沢(私から見て)な食事にケチを付ける奴が居たのは驚いた。
「米に芯が有るじゃないか!」
そりゃあそうよねえ、圧力釜で焚けば芯は無いだろうよ。でも、興味が無いから圧力釜にどんだけ石油を使うか知れないけど、燃料の心配をする前に、先ず訊きたい。
「あんたは今、30000m近くの標高の小屋にいますね、此処は地上と同じ環境だと思ってますか?」
答えは誰にも訊いた事は無い。でも想像は出来る。其の親父はこう答えるだろう。
「え、何の話だよ?」
アフリカに行って、日本と同じサービスを受けられなくても当然だとは、多分分かって居るだろう。アフリカが北極でも同じ事だ。
横に遠く行くのでは無く、縦に登って居るのだから、地上と同じサービスを要求するのは如何なもんだろう?芯の有る米に文句を言うのは、何だかなあ。訳が分からん奴なんじゃなかろうか。
芯の有る米なんざ、当ったりめえなんだ、惚けが、文句が有るなら自分で炊け!!

2010年7月22日木曜日

柄でも無い事 その二十一

店 054

 

 沈寿官と言えば、皆さんご存知の薩摩焼きの神様だ。苗代川に窯を構えて、俗に言う白薩摩を焼いて居る。
 バスに乗って、遥々と行った事が有る。静かな町で、何軒もの窯元が並んで居る。人通りの絶えて無い町で有った。
 で、白薩摩、黒薩摩以外の薩摩焼きを紹介しよう。苗代川では無く、鹿児島市内に窯元が有る、長次郎焼きだ。此の写真はGE初登場です。
 写真の通り、黒では無く、茶色に近い色合いで、第三の薩摩焼きで有ろう。
 市電終点の谷山駅から歩いて十分位、住宅地の中に一件だけ窯が有る。覗くと、風情は何処も同じ秋の夕暮れならぬ、何処も同じ窯元の様子で、薄暗い中に諸々の品物が並んで居る。
 黒薩摩の売りは、あの荒っぽい迄の朴訥さなのだが、長太郎は繊細で有る。茶色の肌が何とも素敵なのだ。光の具合で微妙な色合いを表す。一編で気に入って仕舞った。
 そうなると目移りがする。うーん、此れは良いぞ。いや、こっちも良いぞ。
 おかみさんが出てきて説明してくれる。
「お酒を入れて使ってると、良い艶が出て来るですよ」
 そうでしょうとも。焼き物は使って居るとより味わいが深くなるんです。仕舞って置いても、何にも変わりません。酒器は酒と出会って、初めて生きるのですから。あたしも、酒と出会って初めて生きるみたいなもんだから、生きて居る酒器ってな位置づけですな。
 此処で言う酒器とは、徳利とぐい飲みの事で、狭義の酒器なのだ。手を広げると際限が無い世界なので、焼き物は狭義の酒器だと、自己規制をして居る。
 壷や甕や茶碗や食器に手を出すと、あれも此れもになっちまって、破産です。元々が破産寸前なのだから、身の丈に合った生き方を心掛けては居る訳だ。え、仕方無くだろうって?ビンゴ!
 尤も、窯元に出向いては好みの酒器を買うのは、最早身の丈を弁えぬ振る舞いでは有るのだが、何度も書く通りに出張ばかりして居たので、役得と言う事でご勘弁を。
 其れに窯元で買うと、東京で買うより安いのでは?運送費や中間マージンが掛かって無いのだから。訊いて確かめては無いが、多分当たって居るだろう(無責任?)
 長太郎に戻ると、一つの徳利がニッコリと笑いかけて来たので、即座に其の徳利を選んだのだ。
 ホラーやファンタジーじゃ無いので、本当に笑いかけて来たのでは無いのは、説明不要だろう。此れだ、と思う時はそんな気がするもんなんです。
 其れ以来、長太郎の徳利は遠い東京の我が家で暮らして居る。良い艶は、出掛かった位の処かな。
 マイナーな薩摩物の紹介でした。

2010年7月19日月曜日

酔っ払って書いちゃった その一

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 本当にどうでも良い章です。酔っ払った親父がクドクド書いてんで、マトモな方は絶対にスルーされる事をお勧めします。
 そんな親父は早く寝ちまえば一番良いので、歴史でも、暴君寝ろ!と言うでしょう。
 ?????あ、殆ど人が逃げ散った。
 ん、此の愚ログは今迄もそうだったろうって声が聞こえた様な気がしたが、きっと気の所為だろう。もう誰も居ないんだし。さて、勝手にほざこうっと♪
 丹沢を歩くと、出会う人は殆どが中高年なのは、前に書いた。私も其のお仲間なので文句は全く無いけど、一抹の寂しさを感じる。
 たまに若者のパーティに会うと、つい喜んで仕舞うのだ。山は本来若者の世界なんじゃ無いの?現に遥か昔は、丹沢に若者が群れて居た。今は、無い。
 生活が変わったのだ。人の意識が変わったのだ。四十年の変化とは凄まじいものが有るのです。
 私の乏しい見聞でも、若い衆が山を嫌う訳は、確かに有る。
「トイレが汚い、絶対嫌!」
「えー、顔を洗えないの?化粧を何時おとすのよ」
「歯を磨く水が無い?やだー、そんなの!」
「ボットン便所?信じらんない……」
「シャワーも無いって、そんなに不潔な生活は御免です!」
「小屋は雑魚寝だって、俺はホームレスじゃ無いんだぜ」
「何で苦しい思いをして登らなくちゃいけないの、ね、其れってマゾ?」
「そりゃあ景色は良いでしょう。でもさあ、食事はどうなの?」

ざけんな、てめえらあああ!!!!

 はい、大きく息を吸って、はい、吐いて。落ち着きましたか? ……はい。
 まあ、快適な都会生活が身に染み付いたら、山の生活は嫌でしょうなあ。でも、そんなもんを遥かに凌駕する素敵な世界が展開するってえのに、勿体無い話で有る。汚い便所が何さ、有るだけ増しだ。
 汗まみれになって、風呂にも入らずに寝るとは、若者の想定外の野蛮な行為の様だ。でもイヌイットは一生に二度しか風呂に入らない。産まれた時と死んだ時で有る。イヌイットは汗まみれにならないって?そんな事分かったもんか!
 大体な、山はなあ、歯を磨いたり、化粧を落としたり、ゆったりと快適に暮らしたり、フランス料理のコースや中華料理のコースの為に行くんじゃ無いんだ。勘違いも大概にしとけよな、馬鹿!名古屋弁なら、たーけ!関西弁なら、ドアホ!
 (酔っ払って書いちゃった その二へ続く)

2010年7月18日日曜日

閑話番外 その三十一

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 四の五の迷って、結局買っちまったのがEGX5、知らなかったけど、あのエジソンの創立した会社で、今は戦闘機の機関砲を造って居るらしい。
 一眼レフでは無いが、レンズは大きいし、120mm近く迄望遠が利き、接写も行けると説明を受けて、決めたのだ。
 理由は、nikonやキャノンより遥かに安い事なので、あたしの身の丈カメラだ。そら来た、安けりゃ良い男!
 ふん,そうだよ。でも使いこなしゃあ良いんだよ。え、どうせ下手の癖にって?ああ、そうだよ!!
 F2と別れるのは偉く寂しいが、棄てる訳では無いので、たまには使おう。
 暫くはカメラを手に入れる為の時間が掛かるだろけど、お待ち下さい。え、待ってない?

2010年7月17日土曜日

クソ面倒な話 その二十

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 前にも触れたが、全ての物質の元で有る原子は、殆ど空間と言っても良い存在で、原子核は原子の容積の1兆分の1に過ぎない。日常的感覚では殆ど無いに等しい。
 六畳間で考えよう。ざっと25.3立方mの容積となる。此れを原子と考える。我乍ら発想が貧乏臭いですなあ。ま、四畳半で無いだけ増しか。
 さて、六畳間の容積の1兆分の1とはどの位?計算しましたよ、馬鹿みたい。
 0. 00253立方mmなのだ。アルコールの所為で一桁位は違ってるかも知れないが、此処迄来りゃあ一桁が何だってんだ、の世界だ。二桁違っても、あたしは良いもんねー。
 自分の好い加減さを晒すのは大概にして、0.00253立方mmをイメージするのは至難の技だ。一辺0.13mmの立方体と言い直せば、何と無く分かるでしょう。
 其の小さな存在が真ん中に有って、其れこそが原子核なのです!ま、部屋の中の漂うゴミって大きさですなあ。
 で、繰り返しになるんだけど、部屋を区切ってるのは、もっともっともっと遥かーに小さな電子が超々高速で回って、雲の様に存在して部屋の範囲を定めるのだ。
 どうです、例に取った六畳間は、見れば空っぽじゃ無いですか?若しも貴方に鷹の目が有れば、ひょっとして、一瞬漂うが如き原子核を捉えられるかも知れない。でも、人間は鷹の目を持っては居ない。
 詰まりですよ、物ってえのは、実質は空!有っても1兆分の1。あたしも1兆分の999999999999は真空なんです。だからニュートリノが毎秒数億個も体を貫いても、何の影響も無い訳だ。違う訳も有るんだけど、其れは今度って事で。
 さて、では其の六畳間の中に漂う塵の様な原子核ですよ。確固たる物質なんでしょうかね?
 原子核は温度が上がる。と言う事は、内部に構造を持つ。其れは誰も見て居ない。最新の加速器を使っても、内部構造を特定出来ない。不思議ですなあ。
けどもですよ、推定は出来るのだ。結局、クオークと名付けた物(?)で原子核が創られて居ると推定がなった。凄い、物理学者は凄い、いや、偉い!
 ばってん、取り出せんとですよ。クオークは、だーれも、どんなん気張ってもですよ、取り出せんかったですたい。
 おまけに何も分からん。理屈は通るので、多分正しいののだろう。いや、正しいとあたしは思う。
 取り出せないクオークは、人類が解明出来ないかも知れない。あたしはやがて出来ると、根拠も無く思って居るのだが、単なる思い込みだろう。大体、クオークとエネルギーの区別を付けるのは、現在(或いは未来も)不可能なのだから。

2010年7月14日水曜日

閑話 その五十一

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 随分前の本文で滅茶苦茶なNに、Kと一緒に初めての冬山に連れて行かれた話をした。Kが重いエアーマットを持って来て、しかも空気が漏れたと言う、丸で馬鹿じゃないかと言うあれで有る。
 其の時あたしは、ニッピンの化繊シェラフで有った。物持ちが良いですなあ、ニッピンの特価品を十年近く使って居たのだ。今改めて痛感する、余りにも常識に欠ける。
 ま、使えれば良いんだけど。
 勿論、使える事は使える。但し、3000m級冬山では、無闇と寒い。と言うより、冷たい。ブルブル震えて碌に眠れない。今なら、一睡も出来ないだろう。当時は三十歳だったので、耐えられたのだ。
 其れから三、四年は我慢して冬山へ行って居た。当時かじって居た中国語のクラスメートが、天山(ten・syan)を扱う会社に居て、一寸と難有りだけど、安くするから買わないかとオファーして来た。え、渡りに船じゃんかさ―。
 定価の半額以下で購入したが、別に問題も無いので、多分サンプルを横流ししたものと思われる。でも、あたしも彼も満足なので、何の問題も無い訳だ。
 あ、天山ったって分からないですよね。日本の傑作雷撃機じゃ無いのです。あ、益々分からなくしちまった。天山とは中国製のダウンのシェラフで、其れも二重になってるから、冬では最強なのです。
 其れからは楽になった。Sの言う通り、山は金(かね)だよ、全然違うからね、の世界だ。とは言っても、暖かく眠れる程冬山は甘く無いので、寒い冷たいは付きまとうが、レベルは違った。今迄の辛さは何だったんだろう、と思わされた。
 其れから三十年近く経過した。一昨年あたりから、寒くて冷たく感じる様になった。当然乍ら歳の所為も有るだろう。でも、マットは厚くなってるし、カバーも新品だ。其の癖春山でさえ、寒くて冷たいのだ。
 思い至った。三十年近く使えば、油や汗やら何やら、こびり付いて保温力も落ちるに決まって居る。メンテは干すだけで三十年近くなのだから。え、良くぞそんなまねが出来たなって?ふん、あたしゃあそう言う人間なの!
 で、クリーニングに出しました。安くは無かったけど、寒くて冷たいよりよっぽど増しだ。
 フカフカになって帰って来た。うーん、と言う事は、今まではぺチャンとして居た訳だ、気付かなかった……。
 今年の春山はシェラフに入ると、寒くも冷たくも無い。やったぜ、こうでなくっちゃさ!
 我乍ら驚く程の好い加減さだ。他に売りが無いので、仕方無い。こうなりゃあ自慢しちまおうっと、エッヘン!!
 此れで死ぬ迄、天山で行けるでしょう。目出度い限りで有ります。

2010年7月11日日曜日

休題 その四十五

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 迷ったり愚痴ったりしようと思います。あたしらしく無いとは自分で勝手に思って居るので、本性は何時でも迷って、後悔して、嘆いて居るので、男の見栄で其れと悟られない様にしてるだけなんです。
 今日のあたしゃあ偉く素直だなあ。何時でもそうやって生きて生きたいけど、男が見栄(あたし流には痩せ我慢)を棄てちまったら、男じゃねえとの信念(?)が有るので、其れは無理なのだが、たまには良いんじゃ無いですかね。え、自分に甘い?そうよねえ、反論不能です……。
 話はとことん下らない。人生に何の影響も無い。カメラの事なんで、呆れるでしょう、あたしもです。
 nikonのF2に何故かペンタックスのショルダーベルトを着けて、今日迄来たけど、世の中はあっと言う間にあっちに行っちまって、フイルムカメラは昔のレコードの世界。
 特に拘りが有れば別だが、あたしはマニュアルカメラに固執はして居なくて、低温状態でも間違い無く作動してくれれば良いのだ。
 デジタルカメラはICの固まりなので、冬山や春山で作動しない事が多い。従ってマニュアルカメラにしたのだ。
 でも、多くの写真家は冬でも春でもデジタルカメラで写真を撮って居る。見ると、懐炉を入れたカバーにカメラを格納して、さっと取り出し、写すと又さっと仕舞う。勿論予備電池も確り暖めて有る。
 余りにも偉い、あたしゃあ死んでも真似出来ない!ぶら下げて歩いて、さて撮ろうとするとカメラはダウンして居る。慌てて電池を交換するだろうが、フッフッフ、其の電池もダウンして居るのさ。当然そうなる。
 でも、よく考えれば、寒さの為にICが作動不能になったのは、四度、多くて五度の事だ。其のうちの一度が、やけに良い写真を撮ろうと頑張ったし、其の環境だったのが、IC不作動の為にパーになって頭に来たんだ。
 って事は、何とかやりようが有るって事?皆そうやってるし。
 今時ポジで撮る人間は極少ないだろう。従ってポジフイルムも高くなった。現像代だって馬鹿にならない。
 何より痛いのは、データー化に費用と時間が掛かる事で、即座には間に合わないは、懐にはボデーブローの様に効いては来るで、いっそデジタルにすっぺかと悩んで居るのだ。
 とは言っても、小さい奴では奥行きが出ないので一眼レフにせざるを得ないのだが、中々良い値段なので、あたしの小遣いでは無理なのだ。トホホホ。
 仕方無く中古屋を覗くのだが、気に入った物が無い。帯に短し襷に長し、ばかりなんですなあ、此れが。
 お、此れだ、と言うのはちゃんと高い。良くしたもんです。
 と、グチグチ迷ってんです。

2010年7月10日土曜日

又もや好事家は行く その五

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 ユサユサ揺れる這松の上を渡り続けるのは思いの外の苦労だ。下手すれば、落っこちる。其処に石楠花が有れば、生き地獄の様な按配となる。石楠花をこいで居ると足元が危ういし、足元を気にすると石楠花に遮られる。
 這松こぎは本来やりたくない。辛いからも有るが、別の意味だ。這松こぎは春山独特の苦行で、夏にやる人も居るが、頗る付きの物好き連中で、岩をやって仕方無く這松こぎになると言う事。私が様なまともな好事家(?)は、春山で、雪を踏んで進んで行くが、岩稜に遮られて仕方無く、巻いて這松帯に飛び込むのだが、当然アイゼンを着けて居る。一々外せば良いのは分かっては居るけど、しょっちゅう着けたり外したりは、意外と出来ない。だって、すっごーく面倒なんだもん。
 で、アイゼンで這松を踏みつけるのが嫌なのだ。あの過酷な高山で必死に生きて居る這松が、1m成長するのに何年掛かるでしょう?
 当たった貴方は偉い!1mに三十年が正解です。私は驚いたので、何と健気な植物よ、と思って居るので、アイゼンで踏むなんて可哀そうで出来ない、と言い乍ら踏んで歩くしか無い。だから、這松こぎはやりたくない。何たって辛いし(くどい?)。
 桧沢は室久保川の支流で、モロクボ沢ノ頭へ詰め上げる小さな沢で有る。最近の地図では、周りの尾根は道になっているが、昔々々は何も無かった。
 初夏の一日、小さなリュックを背に沢に入った。特に悪い所も無く、ガレらしいものも無いうちに詰め上げとなり、ザレと土の急斜面になり、ザラザラと四駆で上がって居ると、稜線直下に達した。頭を反らせて見上げるとすず竹が直ぐ其処に見える。
 前の物好きな奴の章と同じ状況なのだ。稜線迄の僅かな間が垂直の土の壁、最期はせり出して居る。詰まり土の雪庇だ。救いは前章程大きい土の雪庇では無かった事で、何とか突破出来そうに見える。
 で、突破しました。指を揃えて土に差し込み、手掛かりにして又指を差し込み、土登り。最期は思いっきり手を伸ばしてすず竹を束にして握り、稜線に這い上がった時は泥まみれで、人様に見せられた姿では無い。
 爪の中も見事に土。今なら無理な登り方なので、スピードが勝負、差し込んだ指も蹴り込んだ足元も見る見る崩れるのだから、一瞬の間も無く次の動作を要求されるのだ。ぼやぼやしてれば滑り落ちるだけなのだから、崩れるより早くシャカシャカと登るのみ!
 物好きだって?そうです!
 だが、私なんかとことん増しな方だ。厳冬の甲斐駒の岩場のテラスで、ザイルで自己確保し半シェラフで夜を過ごすNや其のご同輩と比べれば、何とまともで可愛い事か。
 凍て付いた雪洞で、訳の分からん物をかじって暮らす諸君と比べれば、遥かにまともな人間だとしか思えないのだ。其れに、私のパーティは死者も出して無い、えっへん。
 と、無意味に威張ってどうしようってんでしょうね。又もや好事家話、失礼しました。

2010年7月8日木曜日

休題 その四十四

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 中国の春秋戦国時代、楚が呉に攻められて占領された事が有った。偉い昔の話ですなあ。其の頃の日本は縄文時代末期、幾ら古いあたしでも、全く覚えて無い。楚の申包胥(しんほうしょ)が秦に助けを求めに行ったが、人の国に何で係わり合う必要が有る?当然、拒絶に近い返答を得る。
 申包胥は七日間、秦の宮殿の壁に縋って泣き続けた(本当かよ、失神するか死ぬよ、普通は)。流石に心を動かされた秦の王は申包胥を呼び、古歌で援軍に応じる。史記の中でも、特にドラマチックで感動の場面で有る。
 それでも、秦王には計算が有ったに決まってるでしょう。現に闘いに勝って呉を追い払った後、楚の領地を割譲させて居るのだ。五万の兵を送ったのだから、其の位の見返りは欲しいだろうし、自国の評判も良くしたいだろう。詰まる処、国益の為で有る。
 結果として、楚も秦も満足する訳だ。申包胥は最高の外交官だった訳だ。
 軍事力を背景としない外交で有る。前言と異なって仕舞った。各国の複雑な力関係を巧みに利用した例だ。しかも自国は占領下で滅亡寸前なのだから、一か八かで有る。
 春秋戦国時代には、未だ牧歌的な面も残って居たと言う例でした。
 クラウゼヴィッツに戻れば、戦争を放棄すれば、政治の有る部分をも放棄する事になる。それは外交も放棄したと言う事なので、日本に外交は存在し得ないのです。
 言う事が乱暴だって?はい、多少誇張はして居ます。でも、戦争論の趣旨に従えば、そう結論せざるを得ない。勿論、戦争論が絶対の真理では無いのだろうけど、正鵠を得て居るので、未だに読まれて居るのだ。
 さて、悲しいかな外交とは、力関係なので、クラウゼヴィッツの見抜いた通り、戦力が有るから相手が妥協をするのだ。厳しい世界ですなあ。
 こう書くと頭に来る人も多いだろうけど、(おいおい、多くの人は此処に来て無いよ!)大体そんなもんなんです。現に核を持った北朝鮮に対するアメリカの態度は微妙に変わった(思い過ごしだって?そうかなあ)。
 懐かしい言葉になったが、砲艦外交って覚えて居るでしょう?ペルーの手法も文字通りの其れで、ペルーの艦隊に勝てなかったので、開国が決定された。
 昔だから通用した、と思ってはいけない。今でも立派に通用するセオリーなのだ。現にベトナムやフィリッピンは中国の砲艦外交に悩まされて居る。
 そして、其の中国自体が、散々列強の砲艦外交に痛め付けられた歴史を持つ。従って、其の威力は充分承知して居る訳なのだ。今度は自国が、効果的に其の威力を発揮するのだろう。
 大中華帝国の復活は間近って事でしょう。政治に携わる方、確りお願いしますよ。

2010年7月4日日曜日

閑話番外 その三十

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 写真は神奈川県の花「山百合」で、丹沢ではしょっちゅうお眼に掛かる、愛らしい花だ。此の文章とは無関係だが、そろそろ咲き出す頃なので載せました。(植物に弱いので、ひょっとすると唯の百合かも知れない)
 又もや好事家は行く四、の写真がボケて居るのは、気のせいでは無く、前述の通りレンズが歪んで無限遠が出なくなった時のものだからだ。
 うーん、命には係わらないと言うものの、良くぞそんなレンズをしばらく使って居たものだ。何でデーター化したかと言うと、小さく写し見たので、気付かなかったのだ。
 あたしの好い加減さは半端じゃ無いと、自ら改めて思い知った次第です。

2010年7月3日土曜日

又もや好事家は行く その四

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 立ち木にぶら下がって、思い切って手を放す。滑り落ち(と言うより落ち乍らが近い)乍らキスリングに引かれて体勢が崩れ、川原に肩から落下して、グシャリと叩き付けられた。傍から見た訳では無いので断言はできないが、さぞや見っとも無い姿だろう。土の崖を滑り落ち、川原にグチャッと叩き付けられる奴。はっはっはっは、其れで本人が無事なら、大笑いだ。
 泥まみれの情無い姿にはなったが、お蔭様で無事だったので、見て居た人(勿論そんな所に人は居っこ無いけど)の大笑いは甘受しよう。怪我が無いだけ良かった。でも、怖かったしとても痛かったのです。
 零細山岳会で、奥秩父集合縦走をやった事はひどい目大会に書いた。其の縦走の最終日に、雲取山の頂上で、IをリーダーとするC班(ツェー班と発音した。因みにA班B班は、アー班、ベー班だ(恥))と合流し、全員十二人、えーと、十三人だったっけ?兎に角合流は無事成ったので、目出度い。
 勿論石尾根を下る。鴨沢なんかに下ったら全山縦走にはならない。アップダウンが煩いのが石尾根の売り、こっちは金峰からのアー班だから気にもならない。もう、山で暮らして何日たったかも、私とNには分からない。何せ、泥棒班に落ちぶれた奴等なので、聞くだけ野暮だ(私の所為なんだけど、分からない方はひどい目大会を御参照あれ)。
 里が近づいた。登山道は折れ曲がり、折れ曲がりずーっと続いて行く。突然Iが言う。
I「大塚、此処を真直ぐ降りよう」
私「え!」
 R大学山岳部で教えを受けて居たIには当然の発想だっただろう。当時のこっちはそんな発想は無い。
私「I、危ないんじゃないか」
I「馬鹿、大丈夫だよ(笑い)」
私「……良し、やろう」
 其の大縦走の総リーダーは私だったので(泥棒の癖に?)、全員を真直ぐ降ろした。思えば、あれが好事家を生んだ瞬間だったのだ。だって、凄く速く降りれるんだから。転ぶ奴は当然居るが、怪我はしなかったので、結構だ。そうか、こう言う世界が有ったんだ!
 零細山岳部員からは不評だった。
T「あんな無茶な事はするべきじゃ無い」
S「そうだ。怪我するぞ」
 尤もなので謝ったが、其の侭好事家になっちまった私は、さて、幸か不幸か?
 本人(私の事)に言わせれば、功罪相半ばする。お陰で人の知らない世界に踏み込めたし、其れが良かったと人には勧められないし。じゃあ、好事家じゃ無かった方が良かったかと問われれば、うーん、好みで言えば好事家で良かった。Iよ、有り難う!!
 這松こぎと前には書いたが、実はこぐのでは無く、這松跨ぎと言うか這松這いと言うか難しい処だが、其のどっちかで有る事は間違い無い。
 (又もや好事家は行く その五へ続く)

2010年7月1日木曜日

休題 その四十三

Clausewitz

 

 クラウゼヴィッツの戦争論の、余りにも有名な一節「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」。
 因みにクラウゼヴィッツもシャロンホルストに教えを受けて居る。グナイゼナウや外の急進的将校達と一括りに、プロイセンのジャコバン党と呼ばれて居た。勿論、内実は全く異なる。
 政治と言うと、咄嗟にあたしは内政を思う。此の癖は多分多くの日本人に共通するのでは?詰まり、日本には外交と言う文化が育たなかった、と言い直しても大して間違えて居るとは思えない。
 島国の所為だろうが、同じ島国の英国と天と地程の差が生じたのは、日本が直面する外国とは、超々大国の中国と、朝鮮半島しか無かった事が、其の理由では無いだろうか。
 一方英国は、フランス、スペイン、スカンジナビア、ドイツと闘い続けて来た歴史を持つ。当然、したたかな外交の術も嫌でも身に着く訳だ。日本はたまに朝鮮半島に兵を出して、負けて戻るのがせいぜいで、追撃されて国土を占領された経験も無い。
 占領された経験が、昭和二十年が日本史上初めてと言う極めて稀有の国が日本なんで、強姦されて自ら命を絶つ、と似た精神になって仕舞ったと、あたしゃあ思って居るのだ。
 とても馬鹿だと思う。でも、多くの皆さんはそうは思わない。多勢に無勢で勝ち目は無い。けど、あたしは百万人でも我行かんとの確信犯だから、其れが何さ、で有る。
 クラウゼヴィッツが主に語って居るのは外交(含む戦争)なんで、戦後の日本人には、本当は分かりにくい(筈だ)。元々聡い民族なのだが、お蔭様でGHQの方針が完璧に、しかも未だに功を奏して居る訳なのだから、恐るべしマッカーサー、と言うべきだろう。
 で、敷延して、外交は政治の重大な部分とする。日本人だけは其の意識が無いので、戦争と言う行為が外交其の物だなんて発想は無い。絶対無い。
 残念乍ら、外交とは話し合いだけでは無い。
利害の衝突を、血を流さず(或いは血を流した後で)懸案を解決する為に行うもので、背景により強い力を持った方が有利なのは、言うだけ野暮だろう。
 外交とは、軍事力を持って初めて有効なので、日本に外交能力が無いのは当然だ。あたしでなく、クラウゼヴィッツが鋭くも洞察した事なのだ。
 経済力も現在のパワーなのだが、我が国は大金を出しても、どこからも感謝されず、かえって馬鹿にされて居る。て事は違うって事。
 其の死に金は俺の払う(僅かだが)税金だぞ!日本は相手にされて無いと、言う人も多いが、其の真の理由は、残念乍ら軍事的パワーが無いからではないだろうか。(過激?残念乍ら違って無いと歴史と事実が証明して居る)
 訳分かんないうちに枚数になって続きます。