2010年7月3日土曜日

又もや好事家は行く その四

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 立ち木にぶら下がって、思い切って手を放す。滑り落ち(と言うより落ち乍らが近い)乍らキスリングに引かれて体勢が崩れ、川原に肩から落下して、グシャリと叩き付けられた。傍から見た訳では無いので断言はできないが、さぞや見っとも無い姿だろう。土の崖を滑り落ち、川原にグチャッと叩き付けられる奴。はっはっはっは、其れで本人が無事なら、大笑いだ。
 泥まみれの情無い姿にはなったが、お蔭様で無事だったので、見て居た人(勿論そんな所に人は居っこ無いけど)の大笑いは甘受しよう。怪我が無いだけ良かった。でも、怖かったしとても痛かったのです。
 零細山岳会で、奥秩父集合縦走をやった事はひどい目大会に書いた。其の縦走の最終日に、雲取山の頂上で、IをリーダーとするC班(ツェー班と発音した。因みにA班B班は、アー班、ベー班だ(恥))と合流し、全員十二人、えーと、十三人だったっけ?兎に角合流は無事成ったので、目出度い。
 勿論石尾根を下る。鴨沢なんかに下ったら全山縦走にはならない。アップダウンが煩いのが石尾根の売り、こっちは金峰からのアー班だから気にもならない。もう、山で暮らして何日たったかも、私とNには分からない。何せ、泥棒班に落ちぶれた奴等なので、聞くだけ野暮だ(私の所為なんだけど、分からない方はひどい目大会を御参照あれ)。
 里が近づいた。登山道は折れ曲がり、折れ曲がりずーっと続いて行く。突然Iが言う。
I「大塚、此処を真直ぐ降りよう」
私「え!」
 R大学山岳部で教えを受けて居たIには当然の発想だっただろう。当時のこっちはそんな発想は無い。
私「I、危ないんじゃないか」
I「馬鹿、大丈夫だよ(笑い)」
私「……良し、やろう」
 其の大縦走の総リーダーは私だったので(泥棒の癖に?)、全員を真直ぐ降ろした。思えば、あれが好事家を生んだ瞬間だったのだ。だって、凄く速く降りれるんだから。転ぶ奴は当然居るが、怪我はしなかったので、結構だ。そうか、こう言う世界が有ったんだ!
 零細山岳部員からは不評だった。
T「あんな無茶な事はするべきじゃ無い」
S「そうだ。怪我するぞ」
 尤もなので謝ったが、其の侭好事家になっちまった私は、さて、幸か不幸か?
 本人(私の事)に言わせれば、功罪相半ばする。お陰で人の知らない世界に踏み込めたし、其れが良かったと人には勧められないし。じゃあ、好事家じゃ無かった方が良かったかと問われれば、うーん、好みで言えば好事家で良かった。Iよ、有り難う!!
 這松こぎと前には書いたが、実はこぐのでは無く、這松跨ぎと言うか這松這いと言うか難しい処だが、其のどっちかで有る事は間違い無い。
 (又もや好事家は行く その五へ続く)

3 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

道なき道を行く、、、若くて自信があったから できたのでしょう。今も、、、?
写真、ぼけているとは思いませんでした。かんすんでも 見えないですけど。山ひだが、限りなく続いていて、丹沢の大きさが、想像できます。良い写真ですね。

kenzaburou さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
kenzaburou さんのコメント...

そ、それがですよ、写真は丹沢ではなくて、日本列島の背骨を構成する上越の山々なのです。

何処までも続いて、東北の山に繋がって行くのです。