2017年11月30日木曜日

閑話 その二百四十三




 思わぬ展開でダラーッと下るのは止しとした処からである。と言っても急ぐ訳ではなく(急げないしぃ)普通に下るのだ。
 ポツポツと登りの登山者と擦れ違うのは、何時もの通り。平日なのに若者が多いのが違いだろうか。下りは早い。直ぐに花立である。登りもこうだったらどんなに嬉しい事やら。
 そういう情無い事は言うまい。 大階段を三分の一程下ったら、三十歳位の女性が登って来た。
女性「(ハアハア)もうじきでしょうか」
私「ほぼもうじきです」
女性「ほぼですか」
 「直ぐ其処ですよ」、とはとてもじゃないが言えない。もう一頑張りが必要な地点なのだ。気の毒だけど、正確な情報を提供するのがあたしのポリシーだ。此の大階段は取り付いたら頑張るのみ、必ず登り切れるのですぞ。
 堀山近辺は紅葉が綺麗だ。登りの時は目の隅に入れただけで、気にする余裕は無かった。下りとは精神的にも楽なもんである。
 駒止から長い階段を下っていると、白髪で白髭の老人(失礼)が登って来た。八十近いかと見受けられた。
老人「いやあ、きついですな」
 そうでしょうとも! でも良くぞ一人で塔を目指します。あたしも是非とも見習わせて頂きたいですよ。
 結局十一時二十分に大倉着、鶴巻温泉で途中下車して、里湯に入って帰ったのだ。翌日からは筋肉痛に悩まされたとは言う迄もない。詰まり、蛭ピストンは、あたしに取っては相当なアルバイトってこってす。
 本来主郎縦走が目的だったのが、こうなってしまった。バスの時刻を嫌ったのだが、冷静に考えれば十四時近くのバスだって、問題はない筈だ。
 チッ、檜洞丸へ向かうべきだったぜ。其のうちに再度出掛けると致しましょう。

2017年11月27日月曜日

閑話 その二百四十二




 薄っすらと雪の乗った木橋は滑り易く、嫌なものだ。どうしても慎重になる。鬼ヶ岩に登り返した時は日が出ていて、蛭も上半分は朝日を受けていた。
 見晴らしの良い稜線を、昨日と逆に辿る。と言う事は丹沢山の登り返しがハイライトってこった。バス時刻のカセが無いのだから、ダラーッと行くにしかずである。
 ゆっくりのんびりと笹尾根を登降し、つるべ落としに取り付き、矢張り登りでがあっどー、なぞと呻き乍ら丹沢山の一角に登り着いた。ピークに着くには一寸と下って登るのだ。
 五十年近く前には鞍部に遭難碑が有った。昭和初期(だったと思う)に慶應高校生四人が亡くなった場所なのだ。確か冬の出来事だった筈だ。もう一頑張りで塔の小屋に着けたのに、悪天候の犠牲になった。
 今は其の碑も朽ち果てて、無い。
 丹沢山は無人で、小屋のみが暖かそうにしている。此処に来る迄に十人以上と擦れ違ったので、小屋泊まりの諸君は皆出発した後なのだろう。


 写真は丹沢山の薄っすらと雪の乗ったベンチ。
 次は塔の登り返しが待っている。急ぐ旅でもあるまいと、引き続きダラーッと歩を進める。数人と擦れ違ったが、塔の宿泊者だ。
 からーっとした快晴ではない。何だか霞っぽい。翌日より天気が崩れるのだから仕方ない。文句を言ったら罰が当たるってもんだ。
 ゆっくりと塔へ登り返す。結構ハーハー言って塔に着いた。最後のピークに立った訳だ。花立と堀山が有るが、レベルが違う。
 時計を見て驚いた。九時二十分だった。え、三時間二十分もかかったのけえ!
 これはのんびりし過ぎだ。ダラーにも程がある。せいぜい掛かっても二時間三十分だろう、普通は。お蔭で楽には来れたんだけど。
 従って景色はちらっと見ただけで下山に掛かる。塔からの景色はとことん見慣れているしね。続きます。

2017年11月24日金曜日

閑話 その二百四十一




 写真は未明の富士山。
 蛭の小屋に入って靴を脱いでいると、戸を開けて小屋番が顔を出した。明らかに不審者を見る目であたしを見ている。何なんだ?
私「宿泊お願いします。素泊まりで」
小屋番「予約はしましたか」
私「しません」
管理人「何処の小屋でも予約がいるんです」
 成程ね、時代は変わったって事かい。でも、何処の小屋でもは無いだろうよ、此処だけじゃあないのかい。
 良く無いスタートである。双方で「何だこいつは」と思っての始まり。外に客は一人のみ。自炊室にいると言う。
私「自炊の人ですか」
管理人「違います。寒いからいるんです」
 要するに自炊室は狭いので、其処だけを暖房して経費を節約してるのだ。客がたった二人なのに、広間を温める訳にはいかないのは理の当然であろう。
 案の定小屋内禁煙、表で吸ってくれとの事。県営小屋だからねえ。今度は雪が降って来た。風に吹かれて降る雪を見乍ら吸う煙草は美味しいんだよね。
 もう一人は同じ年の男性。但し一級下だ。あたしは十二月生まれなもんで。彼は初めて蛭に来たと言う。明日は西丹沢へ下る。
 あたしのやりたかったコースだ。先輩ぶって、蛭の下りを気を付ける様に、なぞとのたもうてしもうたですよ。
 小屋番が来たので話しかけて見ると、何、普通の良い親父でさっきの違和感は消え失せた。スターウオーズのドゥークー伯爵に似て居るのが悪者っぽく見せるのかも知れない。
 此の夜はさっさと寝る。翌朝三時には目覚め、四時前に起きるとぼんやりと星。余り上天気ではなさそうだ。
 木橋には薄っすらと昨夜の雪が乗っている。足元が明るくなってから出発する。同宿舎は未だ食事中の朝六時だった。続きます。

2017年11月21日火曜日

閑話 その二百四十




 丹沢山直下では情けない事に、今日は丹沢山泊まりにしようか、と思った程に疲れていた。ダメだと言うだけ野暮。本当にだらしない爺さんになっちまっただなあ。
 頂上によろめき着くと、四人の女性パーティが丁度追い付いて来た。
リーダー「やっと着きましたね」
 残念だけど、頷くだけで碌に返事も出来なかった。取り敢えずベンチで行動食を摂る。喰わなきゃ先へ進めない。霰は降り続く。四人のパーティもバーナーに点火して、昼飯を始めた。外には、単独男性が二人いた。
女性「霰がどんどん袋に入っちゃう」
 食べたら少しは元気が出た様だ。よし、とつるべ落としへ向かう。だーっと下り、よいしょよいしょと登り返す。一面の笹である。
 思えば丹沢山と蛭の間を歩いたのは、S、Kと歩いて以来だから、十数年振りになるのだ。何と長い御無沙汰だろう。
 記憶と全く変わったのは、主脈核心部が熊笹のコースに変わった事だ。昔はブナの稜線だった。其の代わり植生保護の柵がずーっと続いている。こんなに変わったのけえ!である。柵の向こうにはブナが生えているので、稜線のブナが殆ど消えたと言う事だろう。
 霰は止んでいた。鬼が岩の下りはほぼ完全に鎖が掛かっている。蛭の最後の登りもブナ林の中と記憶にあるが、全き笹の路である。ブナはたまに有るだけだ。おらあびっくらこいただよお。
 やっと蛭の頂上に立った。十四時十分、七時間十分を費やした訳だ。地図上で六時間十分位だから、一時間は余計に喰っている。
 これでは明日の西丹沢十一時七分のバスには、到底間に合わない。四時出発でなければ無理だ。いや、其れでもギリかも知れない。
 一本バスを遅らせると、十三時五十分位になってしまう。それから新松田に出て里湯に寄るには遅い。明日は大倉へ戻ると決めた。続きます。